92.あなたのその手に触れたくて
「……これで汚れ、落ちたか?」
「分からない……でも、七瀬――ん……」
七瀬と何度目かのキス。わたしに付いたあいつのキスを消すかのように、ほんの少しだけ長くキスをしてきた。雨で冷え切っていた体と、唇が少しだけ温まった様なそんな気がした。
それでも涙を流していたことは隠せなくて気付かれてしまった。
「……綾希を泣かせてしまったな」
七瀬の人差し指は、瞳から流れ出ていた涙を拭っていた。その手はそのまま頬に触れて、体温を温めるみたいに優しく撫で続けていた。
「泣かせたのは七瀬じゃない」
「いや、お前の傍にいなかったから起きたことだし。間接的には俺が泣かせたようなもんだ」
「……七瀬、ごめん」
「どした? 綾希らしくないな。俺に謝るとか、マジでらしくない。本当に綾希?」
「ん、本当」
「まぁ、なんつうかさ、ハッキリと言っても言わなくても、認めたくなかったんだろうな。綾希、可愛いし。好きになったらずっとそれが消えない……消せなかったんじゃないのかな、と……予想してみる」
無駄に付き合ってた期間が長すぎた分、元カレのさとるは別れたくなかったのが本音だった? だったら、そういうのはわたしの別れの時に言えば、言ってくれれば今とは変わってたかもしれないのに。
それでももう、七瀬以外は無理。
「七瀬は消えない?」
「人間は簡単に消えないだろ」
「違う」
「俺は綾希だけでいい。だから消えないし、別れない。たまに泣かせたら死ぬほど謝る。それでも、綾希のことが大好きだから。だからこれからも、俺と付き合って下さい」
「それが七瀬?」
「ああ、それが俺」
やっぱり優しい人なんだ。そしてわたしよりもすごく真面目。この人とならこの先もずっと、わたしがまだ見せていない一面とか、気持ちとか知らないこととか、全部教えてくれるのかもしれない。
「凄く、好感度上がった」
「お、久しぶりに聞いた。綾希的にはどれくらい上がったんだ?」
「七瀬さんって呼ぶくらい」
「へ? それって尊敬に値するレベルってやつ?」
「ん、当たり」
「そ、そか。でも七瀬さんって呼ばれたのって初めて話しかけた時だけなんだよな。覚えてるか?」
「忘れた」
嘘。本当は覚えてる。でも、初めての人に尊敬とかじゃなくてどう言えばいいのか分からなかっただけ。それくらい、あの時は沙奈もわたしも新しい編入生に浮かれていた時だった。
「っていうか、お前また風邪ひくだろ? このまま学校には戻れないし、綾希の家に行くけどいいだろ?」
「カバンは?」
「泉が持ってくるから気にするな」
「由紀乃なら安心」
「そういうことな」
元カレにされたことはわたしの油断だったけれど、そういうのはもう本当にどうでもよくなったくらい、七瀬がわたしにしてくれたことはすごく嬉しくて大好きなこと。
もう彼だけしか見えない。七瀬と一緒にずっと過ごして行きたい。
「たすくが大好き。だから、これからも傍にいて欲しい」
「俺も綾希がいい。だからまずは、次の期末対策な!」
「好感度下がった。今それを言うとか、やっぱり七瀬はその辺が子供」
「ええっ!? いやいや、対策ってことは俺と一緒にいられるって意味で……」
「ウソ。好きだから許す」
「綾希も少しは冗談言えるようになったのか。そうなったらますます可愛く――」
優しくて、従順で甘えて来るわたし的に可愛い七瀬。彼と一緒ならこの先も何とかなりそうな、そんな予感を感じながら、彼のその手にずっと触れていた――
fin.
綾希と七瀬のファーストシーズンはこのお話で完結となります。
これまでお読みいただきありがとうございました。
セカンドシーズンは少しだけタイトルが変わり、高校終盤の年からスタートして徐々に進んで行きます。
次回もご期待いただければ幸いです。




