10月、グレイスコール屋敷
この国で、デビュタント、と言うと。大体はお披露目会の事を指す。結婚しても問題ない年になりましたのでよろしくね、と縁のある人たちを呼んで行う夜会だ。
前の世界では女性に限った事の様だったけれど、ここでは男女共に行う。デビュタントボールとして大々的に行われることは殆んど無く、自邸でのやや大規模なパーティー、という形が一般的。なにせ16歳~18歳程度の子女が、日程調整から会場設営、招待状作成から食事メニュー、呼ぶ楽団にセットリスト、そのすべてを、己が主導として決めなければならないのだから。
言ってしまえば学習発表会。その年までに何を学び、積み重ねてきたか。それを披露する場であるから、前の世界での社交界デビューとはやはり意味合いが違うのかもしれない。まあ年頃の男女の出会いの場であることは確かだし、デビュタントで婚約を発表することも稀ではない。
この国は結婚に対して、何と言うのか、正しく重きが置かれているとでも言おうか。
恋愛が尊重されているし、婚約には当事者双方の誓約が必要になる。婚約=結婚がほぼ確実に成り立つし、なんなら婚約期間なんて言うのは、よっぽどのことがない限り結婚式の準備期間と同意だったりする。
だから、逆にこういう乙女ゲームにありがちな、許嫁や幼い頃親に決められた婚約者という関係は極めて稀である。幼少期から全寮制学校に通っていてメイン恋愛パートが18歳前後っていう舞台で、婚約者とか入れると話がややこしくなるしね。と言うか攻略対象に婚約者居たら難易度恐ろしい事になるでしょ…ちょっと別ゲーだよそれだと。
とは言え、身分や家の所属派閥が全く干渉してこないかと言うと、悲しいかな、そうでもないのだ。
平民、貴族、王族・皇族間の隔たりは確実に存在しているし、特に貴族間でのそれは顕著だ。そして、金銭が絡むとさらに厄介になる。
仲介人や、前の世界で言う銀行などの金融機関を通しての融通なら、何も問題は無いし、何かあれば司法が介入できる。けれど個人間となるとそうもいかず、まして書式の問題がない契約書の類なんかがあった場合は、それがどれだけ不当なものであろうと、どれだけ理不尽なものであろうと、その不当理不尽を理由に取り消させることは難しい。払えなくなった時の代償が、人であろうとも、だ。真名でなくとも名を綴って結ばれた契約というのはそれほどまでの拘束力を持つ。
ルミィの場合。直接契約に含まれていたのではなく、代案として向こうが提示してきたことだからこうして引き伸ばしが効いているのであって。けれどそれも結局結婚するまでの期間の引き伸ばしにしかならなくて、つまり今ルミィが件の子爵と婚約関係にある事は事実で。
ご両親とてこの6年、何もしてこなかった訳も無いのだけれど、崖っぷちとは言え男爵家ひとつまるっと売っても半額に届かないほどの借金が、利子含めて完済できるはずも無く。
ああ、だからルミィはあまり夜会や社交界に積極的ではなかったのか、と。確かにステータスの事もあったのだろうけれど、家に帰ることもできず新しいドレスを調達することも難しい、ましてや学園の敷地外へ出る事すら危険を伴う。学友同士の、敷地内にあるホールや多目的室を利用した小さいものならまだしも、本格的なものには、きっと数えるほどしか参加していないのだろう。
……私、もしかしたら、本当に、そういう感性的なものが鈍いのかもしれない。と言うかルミィ、デビュタントできてないんじゃない?無神経が過ぎるんじゃないか最近の私?
「だからって変な気を回すといっそ侮辱になるからね?」
何故だろう。この頃特にルカのツッコミが刺さる。ふっと遠い目をしてみれば、隣から、ようやく何考えてるか解るようになって来たけどお前案外抜けたこと考えてるねと言わんばかりの薄笑いが飛んでくる。ひどい。
「いや、ほら、ルミィを招待してもいいものかとね、ちょっとね、思って。」
取り成すように言えば、右手の羽ペンがふわりと揺れる。無意識にかその動きを目で追ったルカが、イメラと一緒ならいいんじゃない、と投げやりに答えて、私もだよねー、と頷いた。
「…いや、今はやめておいた方がいいだろう。」
そんな中響いた低い声に、ルカときょん、と目を見合わせる。
私たちの目の前、鎮座するダイニングテーブルの上は見渡す限りの紙、紙、所により羊皮紙、ノート。これらが氾濫せず辛うじて資料として機能しているのは、その向こうに立つ彼が整頓してくれているからだ。
「…星付き候補の課題ですか?」
問えば、兄様は一拍、言い淀みまあそんなところだと視線を落とす。あー、何か事情があるんですね、解りました。
「じゃ、イメラも招待しない方がいいね。」
そう頷いたルカが、イメラのデータシートを端に寄せようとすると、兄様はそこは問題ないと言う。なんでや。
私たち二人そろって同じ怪訝そうな顔をしていたのだろう。視線を上げた兄様が珍しく、困ったような笑みとも顰め面とも言えない顔で私たちを見比べて、どうするべきかと額に手を当てた。
「…俺から言うべき事ではない、のだが…少なくとも、エディスは今、不用意に園の敷地内から出ない方が良い。」
これまた兄様にしては珍しく、はっきりとしない物言い。けれど逆に言えば、そこまで難しい問題ということなのだろう。それこそ私たちが口を挿むべくもない次元の。ならば、仕方がない。
「解りました。招待状も贈らない方が良いですか?」
「…いや、招待状は…しかし…」
ルミィに危機の自覚があるのなら、招待状を送って断ってもらう方が、彼女も、呼ばれもしなかったなどと事情を知らない者から謗られること無く済むだろうと思ったのだけれど、それもダメだっただろうか。それにしては随分と歯切れが悪いけれど。
その後も兄様は何とか言葉を探そうとしていたものの、やっぱりうまくいかなかったようで。一度話し合ってみてはどうだ、と。それが兄様の言える精一杯だったようだ。
「そう、ですか…では、ルミィについては寮に戻ったら話してみることにします。」
やや釈然としない気持ちは残るものの、話せないという事を無理に聞き出す程でもない。ルカはそれで納得したようで、さっさと不要になった紙類をまとめにかかっている。夕食までにここを片付けなければならないから、私もさくさく必要な紙類をジャンルごとに回収していく。
デビュタントについては、母様が下準備をしてくれていたことも手伝って、作業は順調と言っていいだろう。
決めるべきところはもう決まっているし、当日の会場設営の手筈も整えた。料理の試作品も問題ないどころか文句の付けようもない出来だった。遠方の方々への招待状は既に送ってあるし、都内の関係者にも送った。後は私の友人枠として誰を呼ぶか。
「あとダンスね。」
「…はい。」
「なにもそう固くなる必要はない。基礎は出来ているんだ。」
にまりと意地悪く笑むルカに力なく答えるのが精一杯だった。兄様の慰めが傷に染みるのは何故だろう…




