東へ
貴族の邸宅には秘密がある。
上流階級の道楽とでも言えばいいのだろうか。
クランから借り受けているこの邸宅も例外ではない。
すっかり夜のとばりが降りた頃、一人その秘密に触れる為に足を向ける。
人目につき難い裏庭の木々の中に、隠れるようにその入口はある。
シェルターのように地面に付けられた扉を開けると、階段と暗闇の世界がしんと広がっている。
その冷えた石の階段を一段一段降りていく。
まるで奈落に続いているような螺旋の階段が、底冷えのする暗闇の彼方に続いている。
光が吸い込まれるような暗闇を心許ないランプの灯りで照らしながら、ゆっくりゆっくり降りていく。
地上から随分降りた先で階段が途切れた。
終点だ。
圧迫感もあり、しかし人が十分行き来できるそこは井戸の底という訳ではない。
目の前に、頑丈そうな扉がある。
決して人の力では破れなさそうな鉄の扉である。
分厚い南京錠と丸太のような閂が掛っている。
仰々しい扉は内に続く空間と外の世界を完全に遮断せんと構えている。
閂を外し、その扉の鍵を開ける。
錆びた金属の擦れる音と共に、扉を開く。
中には再び暗闇が広がっている。
ランプの光を差し向けると、しゃらん、と鎖が揺れる音がした。
音を頼りにその方向を照らすと、そこには両手両足を鎖で繋がれた人間がいた。
壁に貼り付けにされるように四肢を繋がれた少女は、前に倒れる事も許されず、だらりと頭を垂れている。
ボロ布のような白い服――それはまるで囚人服――を着せられた少女は音を頼りに頭を上げてこちらを見た。
ただし、その目にも拘束具を巻かれており、瞳が闇以外の何かを映すことは無い。
「み、水……」
少女が掠れた声で訴えかけてくる。
哀願するようなその声に、わざとほくそ笑む。
「――ふふ、いやしい子ね? 水が欲しいの? ダメよ、あげないわ。代わりにこれをお舐めなさい」
ランプをテーブルに置いて、少女に近づく。
明かりに照らされた金の髪が眩しい少女の口元に、指を近付ける。
喉が渇いて仕方ないのか、金の少女はえづく様に舌を出してきた。
その口元に指を差しいれる。
「あぁ」
指に少女の舌が這ってくる。
得も言われぬ妙な気分に気持ちが高揚する。
「ふふ、美味しそうに舐めるのね? 感想を言ってごらんなさい」
「は、はい。東方の国、アシタカに伝わる高級砂糖を使った、氷菓子を舐めたかのような幸福感がございます……」
興が乗ったので、少女が舐めたその指を自分でも舐める。
「いいわ、ご褒美にお水をあげましょう」
「ありがたき幸せ……」
安堵したような笑みを漏らす少女に向かって――視えはしないだろうが――小さく微笑む。
「ただし、口移しよ? 私の口に含んだものをのみ、飲み込むことを許します」
「は、はい……お嬢様」
どことなく金の少女の頬が上気する。
俺は傍の机に置いてあった水差しを使って口に水を含んだ。
そして、繋がれたまま顔を上げる金の少女に向かって顔を近付ける。
「――ごくっ! て、できますかこんな事! やり過ぎですよ、なんなんですかこれ!?」
とりあえず、口に含んだ水は自分で飲み干した。
「――あら、残念ですわ、お嬢様」
急に正気に返ったかのような声で繋がれた金の少女、イリアが呟いた。
「せっかくお嬢様が正しい主従とは何なのかと言うので実践してみましたのに」
「これ絶対おかしいよね、正しくないよね?」
「ですが、クランセスカ様からお薦めされた本ですわ」
俺は机の水差しの横に置いてあった本に目を向ける。
『正しい主従のあり方――初級編――』
「……初級?」
これが?
それ以前に何を読んでるんだ、あのお姫様は……
イリアもイリアで変に役にハマっちゃってるし。
その恰好、何かえっちだよ。
思わずイリアの胸元に視線をやってしまう。
破れた服の裾から際どい感じで胸が視えそうで……
「お嬢様」
「は、はいっ」
見てないよ!
姿勢を正して目線も正す。
「? お嬢様はお優しいですが、わたくしを初め、粗相をした者の罰はこのように行っても良いと思いますわ」
「やり過ぎな気がします……」
「罪の度合いによりますわ。罪に罰は必要です。罪を犯した者には……罰が必要なのです」
「まぁ、言いたいことは分かりますが……」
罪をあがなう方法として罰が与えられるのは、誰から見ても分かりやすい清算の仕方だろう。
皆を罰するなんて、したくないんだけど。
「あれ? でも私を罰するのは?」
「お嬢様を罰するものなどおりませんわ」
それでいいのか……
「――な、何をしてるのよ……」
驚いたような声が扉の方からした。
振り向くと、ランプを持った紅の少女の姿。
「あ、え? エクレア……何って」
何……してるんだろう?
もう一度部屋に向き直ると、壁に四肢を繋がれたイリアがズタボロの服を着せられて、目隠しをされて、拘束されていた。
「……何、してるんでしょう?」
再度エクレアの方に引きつった笑顔を浮かべて顔を向ける。
エクレアはおぞましいものでも見たかのように、同じように顔を引きつらせていた。
「……信っじられない」
「いや、あの、ほらっ!? 誤解、誤解ですし!」
どうしよう、焦れば焦るほど上手く言葉が出てこない!
そんな慌てふためく俺を無視して、エクレアがつかつかと部屋の中に入って来る。
俺を素通りして、拘束されていたイリアを手早く解放していく。
テーブルに置いてあった鍵を使って鎖を外し、目隠しも取る。
「エクレア様、あの――」
「行くわよ、イリア!」
イリアが何か言う前に、エクレアはイリアの手を引いて部屋を出て行く。
その間、俺は馬鹿みたいに突っ立って状況を静観することしかできなかった。
エクレアとイリアが部屋の外に出て、立ち止った。
振り向いたエクレアの鋭い視線が俺に突き刺さる。
「……あんたは、しばらくそこで反省してなさい!」
ま、まさか……!
「訂正いたします。お嬢様を罰する方は、やはりおられるかもしれません……割と身近に」
ちょっ!?
イリア!?
もうわたくしには止められませんという投げやりな感じは止めて!?
「エクレア、誤解――!」
「うるさい! 頭を冷やしてなさい、この、馬鹿アリス!!」
ぎぃぃぃっ!
耳を突く不快な音と共に、物々しい鉄の扉が閉まって行く。
その隙間から、おいたわしやお嬢様、という顔をしたイリアが頭を下げていた。
「……」
かくして、秘密の牢獄に囚われた哀れな子羊がここに一人。
「いやいやいやっ!? ちょっと待って誤解、本当に誤解だからぁ! 頭冷やすっていつまで!? ちょっと~!!」
今更慌てて叫びながら扉を叩く。
だがここは別世界。
どんなに泣こうが喚こうが、外にその声が漏れる事は無い。
「エクレア~! エクレアさん!? ちょ、トイレは!? トイレどうするの!??」
食事は食べたばっかり、水はある。
でも人間生きていれば摂るだけではダメな訳で……
心配すれば心配するほど、何故かこの現象はすぐに迫って来るもので!?
「ちょ、2度目はいやだあああああああっ!!!!」
しかし、その絶叫が外に漏れることは、やはり無いのだろう。
合掌……
「はぁ、昨日はひどい目にあった……」
朝方の数時間、誰にも邪魔されず王都を散歩するのは最近の習慣だ。
一人その朝の清々しさの中を、元気無く歩く。
引き締まるような澄んだ空気の中で段々と世界が彩り、目覚めていく。
その変化を目で耳で身体で感じる。
白み始めた空は、目まぐるしく色彩を変える。
世界を飲み込む闇から鮮やかな瑠璃色に、そして澄み渡る青色に。
毎日のように見上げてみても、一日とて同じ空は無い。
その圧倒的な天の画力にただただ感心する。
そんな最高に贅沢な時間を気ままに過ごして、ようやく気分が晴れてくる。
「よぅし、屋敷に帰ろっかな」
声も元気っぽく出してみると、意外とその通りに元気も出てくる。
そうして屋敷に帰ってくる。
丘の上に建つ我が家の門に辿り着くと、早番をしていたメイドさんが「おかえりなさいませ」と、姿勢を正して挨拶してくれる。
時間帯の割に緩んだ空気も無く、背筋を伸ばして仕事に励む彼女たちは偉大だ。
今日の朝焼け見た? 綺麗だったよね。
と、他愛無い会話をメイドさんと交わすのも密かな楽しみだ。
彼女たちも今の生活に馴染みつつある。
それを崩さない様にするのも重大な責任だ。
心の中で気持ちを新たにしつつ屋敷に入ると、今度はイリアが見計らったように出迎えてくれる。
「おかえりなさいませ、お嬢様」
「ただいま、イリア」
そしてこのやり取りも格別なんだよねぇ。
ふんわり柔らかく流れる、輝く金色の髪。
標準装備で柔和に微笑む、女神の如き笑顔。
ここにも圧倒的な神の造形が。
そのイリアが顔を曇らせて頭を下げてくる。
「昨晩は本当に申し訳ございません、今からわたくしをあの部屋で罰して下さい」
「いや、それには及びません。やはり人が人を罰するなどおこがましいのです。学習しました」
それ以前に、それが発覚すると俺が倍返しされるんだよ。
まあ、誤解が解けた後に『あ、あんたが紛らわしい事してたのが悪いんだからね! ふ、ふん……でも、その、早とちりして……悪かったわよ』なんて、照れた風に謝ってくれるエクレアは可愛らしかったが。
「でもこんな健気で綺麗なイリアを、あんな湿っぽい地下牢に繋ぐなんて背徳感で一杯です」
「ちょっとぞくぞくしましたか?」
「うん」
……
「忘れて下さい」
「くす。はい、お嬢様」
何を言わすんだこの従者は。
「ですが、お嬢様の方がお綺麗ですわ。きっとエクレア様も人には言えない気持ちを抱いたのではないかと」
「……」
……何を想像させるんだ、この従者は。
しかしカッコいいね、綺麗だね、可愛いね、なんて言われて本人はどう反応すれば良いんだろう?
考えてみると難儀だよね。
調子に乗って鼻持ちならない奴――とか思われるのもゴメンだし。
「大丈夫、私、調子乗らない。乗りようがない」
「?」
私って美しい?
とか言い出した時が俺の最後だな。
鏡よ鏡みたいに問いかけることはしませんし。
そう、俺は別に雪のように白く、血のように赤い頬と唇をし、黒檀のように真っ黒な髪をした可愛らしい王女を暗殺しようなどとは露とも思わない。
「でし~~、ごはん~」
お?
食堂に向かう途中の曲り廊下から、リンちゃんが顔を出した。
すぐさまこちらを発見すると、まだ眠いのか、たどたどしい足取りで近づいてくる。
「リンちゃん、おはよう」
「ん~おはよ~、でし、いりあ」
言いながら、そのままぽふっと俺の腰に抱き付いてきた。
「ふふ、おはようございます」
うりうりと頭を撫でてやると猫のように唸った。
そういえば、この黒髪、ほっぺ、愛らしさ。
……思わないなぁ、毒リンナルを渡そうとは。
「今日のごはんは何かなぁ~?」
「にんじんいらないよ!」
「え~、多分にんじんのスープが出てくると思うなぁ」
「ふえっ!?」
などと廊下を賑やかしながら一緒に食堂に向かう。
いつも用意してくれるメイドさんに感謝ですよ、リンちゃん。
「ふふ」
と、背中から微笑ましそうな笑い声が追いかけて来た。
何気なくそこにある、大切な日常である。
朝食後はそのまま明日からの旅支度の最終確認をする。
東の王国アシタカ。
そこが今回の旅の目的地だ。
王国とは言っても小国家で、実質サクラメント公国の属国のようなものらしい。
東方は割と頻繁に戦に晒されていた地域らしく、その関係で武具も質の良い物が多いらしい。
つまり腕の良い鍛冶師も多い訳だ。
その技術を我がものにせんと、サイラも張り切っている。
職人とは技術を教わるものではない、盗むものなのだと言わんばかりの意気込みである。
今も正面に座る彼女の耳は、漲るやる気を表すように、ぴーんと張っている。
そんなサイラがふと表情を曇らせた。
「でも大丈夫でしょうか? あの国は少し前に内乱があったばかりですにゃ」
「え? そうなの?」
ここアルセイド王国でも内乱あったけどね。
でも有難い事に、すっかり日常を取り戻している。
……指導者が優秀なのか?
それだけじゃなくて、住んでいる皆も活力に溢れているんだろうな。
その指導者はもう帰って居ないけど。
もう一人のお姫様も――騒ぐだけ騒いで――帰っちゃったけど。
「確か、王様が変わったはずですにゃ」
「それって反乱が成功したってこと?」
それともまた別の理由?
「アシタカ王国の先代は、今の王の兄君でございます、お嬢様。そのお二人が争った訳ではないのです」
お茶の用意をしながら、イリアが注釈を入れてくれる。
「そうなんだ?」
「はい、内乱の首謀者はそのお二方の叔父にあたる方であったかと」
「身内……」
骨肉の争いを想像すると気分が滅入るな……
「結果的には内乱は当時の政権側に鎮圧されましたが、その際に先代国王が崩御され、今の国王が政権を引き継いだのです」
どういう理由があったのかは知らないけど、巻き込まれる民はたまったものじゃないだろう。
「また争いか……しかも親族」
「そうですね、近しい者同士であるほど感情は抑えられぬものです」
……元の世界の家族を思い浮かべてしまった。
ちょっと切ない。
「――あ」
イリアがカップを手に取ろうとしたところで、それを掴み損ねてワゴンから落としてしまった。
珍しい事もあるものだと思いながら、床に落ちてカップが割れる音に身構えていると――
「んしょっと! きゃっち! きゃはは」
リンちゃんが、そのカップを床に落ちる寸前で受け止めた。
テーブルの下からダイビングキャッチの要領で顔を出してのファインプレーだ。
「り、リンちゃん……凄い……ていうか、危ないでしょ?」
もー、まったくこの子は。
中身が入っていなかったから良かったものの。
「も、申し訳ございませんリンさん、大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ! だっておちるってしってたもん!」
なに?
カップを手に褒めて褒めてと頭を差し出してくるリンちゃんを撫でながら、こっちは首を捻る。
知ってた?
……子供の言う事だから、気にし過ぎても仕方ないけど。
「イリアは大丈夫?」
「は、はい……なんという粗相を……」
本人も狼狽している様だけど、こっちもびっくりした。
人間誰しも不注意はあるものだけど……イリアがっていうのが少し驚いた。
まぁ、弘法も筆の誤りという句もあるくらいだし。
「リンさん、ありがとうございます」
「うんっ、いりあもだいすき、よかったね!」
「とても光栄ですわ」
イリアがリンちゃんからカップを受け取ってワゴンに片付けた。
そのまま丁寧に皆のお茶を汲み直して配り終えると、ワゴンを押して部屋から出て行った。
その様子を何ともなしに目で追っているが、変わった様子は無い。
ううむ……
「でし~お昼寝しよ~」
一方好プレーで元気も増し増しになったリンちゃんは俺の膝によじ登ってきたかと思うと、いきなりのおねむ宣言である。
「まだ起きたばっかりなんですけどね……」
スイッチの切り替え早いなぁ。
「なんかねむい~」
なんでそんなに眠いんだ。
成長期か。
頭を撫でてやっていると、すでに半分以上夢の国の住人になっている。
よいよい、大きく育つんですよ。
――そうして一緒に部屋に戻ってリンちゃんと添い寝していたはずの俺は、目を覚ますと景色が一変している事に驚愕した。




