仲良きことは
「サクラメントは共和国と繋がっていますわ」
俺の部屋に二人で移った後、クランが切り出したのを意識の端で把握した。
温かな日差しが差し込む窓際のソファはとても居心地が良い。
ソファも高級な物で、まるで空中に浮いているような感覚に包まれている。
……寝そうだ。
「アリス」
「はいっ、寝てません」
そのソファに並んで座っているクランの呼びかけに、意識が覚醒する。
「食べてすぐに眠ると、お牛さんになりますわ」
「気を付けます」
でも食べると眠たくなるって生理現象だよねぇ。
人は様々なものに抗わねばならないんだね。
「それにしてもクラン、お仕事の事が頭から離れませんか?」
ちょっと心配して声を掛けると、クランも困った顔をする。
「オンとオフの使い分けができない女は嫌われますかしら?」
「そんなことはないです、心配にはなりますけど」
「有難うございます。これもアリス、あなたに甘えているのですわ。気を使わずに話したい事を話すと、余という女は国の事が頭に浮かぶのです」
「うん、なら仕方ないです」
気になっている事を無理矢理忘れようとしても逆効果になるだろう。
それではゆっくり休めない。
「感謝しますわ」
「いいですよ、でも、サクラメントは中立だって言ってませんでしたか?」
「そう思っていましたが、それならウィルミントンに挑発してきた行為に説明がつかないのですわ」
盗賊騒ぎという見え透いた嘘の、あれか……
「結果として両陣営に大した被害は出ませんでしたが、それは結果論」
「……」
その通りだ。
あれは大きな国際問題に発展する大惨事の一歩手前だった。
大体あれだけでも大問題だろうに、問題を大袈裟にしたくなかったマリアさんが上手く収めているのだ。
それにしてもあの場にティルが居なければ、どうなっていたことか……
「分からないのは、どうしてサクラメントがその……自滅しようとしていたかって事なんですけど」
被害が少ないとはいえ、領土侵犯に突然の戦闘行為。
ウィルミントンから批判されて当たり前の事をやらかしている。
それでもあのスターフレアで消し炭になっていたかもしれない兵士は、ほとんどサクラメント側だ。
それが問題をややこしくしているとも言える。
「大量虐殺の濡れ衣をウィルミントンに着せて、国際的な信用を貶める事――という安易な考えでは赤点ですわね」
やべえ、赤点だった……
何も言ってないのに、クランが俺を見て小さく微笑んだ。
「あの行為にこそ、余は共和国との繋がりを感じました。マリアも同じ考えです」
「マリアさんも……」
あの人とクランがそうだって言うなら、確証がなくても信じるに十分なんだよなぁ。
「でもどうして?」
その問いかけに、クランは廊下に続く閉じたドアに視線を向けてから改めて俺を見た。
それから自分に近づくようにと、手で招かれる。
「?」
素直に従って顔をクランに近付ける。
ふわふわ長いまつ毛が横から見ると色っぽさを引き立てている。
左目の泣きぼくろと相まって、クランは目元が印象的だ。
とても綺麗です――と思っていると、頬にキスされた。
目を瞬かせていると、クランがそのまま頬を撫でてくる。
そして優しく笑むと、視線は俺ではなく窓の外に向けた。
まるで何かの作業中に自分に寄ってきた猫を愛撫するかのようである。
……この行為に何の意味が?
「紅の姫君は、どうも自国であまり良い扱いは受けていないようですわね」
とりあえずクランの好きなようにさせたまま、寄り添って考える。
「それは……」
魔眼か……
その力は今、俺が預かっている。
もしエクレアを利用しようとしても、俺が居る限り前回のような事は起こせない。
つまり言葉は悪いが、今のエクレア個人にそこまで大層な利用価値は無い。
……いや、とっても可愛いけどね?
そして俺を狙い撃ちするなら利用価値は極限だけどね?
あと可愛いけどね!
「色々あるんです」
「くす、ええ、そうなのでしょう。そしてその不遇な扱いそのままに、紅の姫は捨て駒のように利用された」
クランが小声のまま続ける。
なんだ、この屋敷にはスパイでもいるのか?
「問題は、どのような結果を欲していたのかという事ですわ」
サクラメントが……あの不気味な男が欲していた結果……?
「これは推測ですが」
クランは一拍置いて、視線を鋭くした。
「自分の手を汚さずに、大量の人の死を欲した」
自分の手を汚さずに、死を……
「それって……!」
「覚えがあるでしょう? アリス」
……ある。
「……リブラ」
あの赤い目の姉弟子が思い浮かんだ。
簡単に背後を取られた事を思い出して、自然と身震いした。
「ええ、彼女は魂を欲していた。そんなことが誰にでもできるとは思いませんわ」
「……リブラが裏で繋がっているって事?」
共和国、オースティア、それに……サクラメントまで?
「あまり時間を与える事が好手だとは思えませんわね、何を実験している事やら」
「そ、そんな事言ったって! 戦争をこっちから――むぐぐ!?」
驚いて大きな声を上げてしまうと、口元をクランの手で塞がれた。
ごめんなさい……
視線で反省の意を伝えると、すぐに解放された。
「降りかかる火の粉は先に払う。これが悪い事だとは思いませんわ、余は」
実際あの迷惑な姉弟子が何をしているのか分からないが……
一つ言えるのは、リブラの企みをそのまま見過ごすことは、想像できる危険を放置しているのに他ならないということだ。
近代法では推定無罪の原則だから、先制攻撃ってのは過激だとは思うけど……
「余は国を預かる者として、最悪は考えておかねばなりません」
「クラン……」
「アリス、もし王国が何かに巻き込まれるような事があれば公国にお逃げなさい。後はマリアが上手く収めてくれるでしょう」
クランが柔らかい笑顔を浮かべる。
「――お断りです」
ここはきっぱり答える。
「リブラが来るのなら、決着はつけます」
「ですが、また正気を失われても困りますわね」
クランがわざとらしく、自身の首元を押さえて見せる。
そこにもう痕は無い。
でもあの瑞々しい感触を思い出して、顔が火照ったのが分かる。
「あ、あんな実力差は消えました。もう簡単に後ろなど取らせません!」
「疑わしいですわ」
「う……」
その疑問はもっともだ。
奴は強い。
悔しいが、その一点に置いて疑いの余地は無い。
「……ふふ、しかぁし! 彼女の相手をするのは私に非ず、我が師です! 何の問題も無い!」
「……」
高らかに宣言すると、クランに冷めた視線をプレゼントされました……
「――おい、そこの馬鹿弟子」
そしてちょうど背後から部屋続きの開けたドアをノックして、我が師からお声が掛かった。
髪は下ろしたまま、しかもだらしなくネグリジェ姿……
「ああ、お客様の前で……恥ずかしい」
「知るか。それより出かけるゆえ、支度を手伝うが良い」
「……て言ってますけど?」
隣に座るお客人に問いかける。
「構いませんわよ」
「まったくもう」
身の回りの支度をいちいち侍女(俺?)にやらせるなんて貴族みたいだけど、ティルに限って言えば子供が駄々をこねてる感覚だな。
「貴族の小娘、出かけるのはお主の家じゃ」
「余の……?」
鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔。
クランにしては珍しいほど虚をつかれている。
「ロムスの様子でも見に行ってやるわ――」
クランのお爺様を訪問するためにバルコニーから旅立ったティル。
それを見送って部屋に帰ると、窓際のソファーにクランとエクレアが座っていた。
……どういう状況?
「邪魔してるわよ、アリス」
「あ、はい」
遂に俺の知らぬ間に友情が芽生えたのかと思ったが、そんなことはなかった。
「アリス、さあ、こちらにいらっしゃい」
クランが先ほどまで俺が座っていた自分の隣をぽんぽんと手で叩く。
「アリス、こっち空いてるわよ」
エクレアが同じように自分の隣のソファを指し示す。
「……」
仲良くなっているかと思ったけど、そんなことはなかった……
L字型のゆったりとしたソファだが、もちろん二人は並んで座ってはいない。
これはまぁ、普通の事だから仲の良い悪いは関係ない。
じゃあ3人目はどこに座ったら良いのでしょう?
俺は迷いなく二人の意見を無視して、L字の角の部分に座った。
座り難いよ。
「ふふ、アリスはシャイでいけませんわね」
「きっとあんたに気を使ったのよ、可愛そうだからね」
「……」
もう俺帰って良いですか?
「エクレア様は、それなりにアリスの事を知っていらっしゃるご様子」
「ええ、あんたなんかには負けないくらいにね」
俺は手持無沙汰に、テーブルに置いてあったメモ用紙で折り紙を折り始めた。
「戦場を駆け抜けてまで余の身を案じてくれたことがありましたわよね、アリス?」
「ア、ハイ」
折り方忘れたけど、なんとか適当に鶴でも折ろうかな。
「エクレアの事、身を挺して守ってくれた事があったわよね、アリス?」
「ア、ソウデスネ」
そうだ、鶴じゃなくてバラを折ろう、そうしよう。
途中までは鶴を折るのと同じなので、そこから変更。
何か言い合いを続けている両サイドを無視して、一心不乱にバラを折る。
最期に真ん中をつまんで捻るように回して、形を整えて……完成!
ん~、いい出来だね!
「アリス」
「アリス!」
「はわっ」
達成感を味わった次の瞬間、寄り添ってきた両名から両腕を取られる。
こ、これは……!
「や、やわら……っ」
ダメだダメだ……!
こんな……!
「あ、あの……! 二人とも……というか特にクラン、腕に……」
「当てているのですわ」
そんな夢みたいなシチュエーションが世の中にはあったのか……!
「っ! アリス! こっちに来なさいよ!」
「わぷっ」
腕どころか、頭ごとエクレアに抱き締められる。
目の前は真っ暗ですが、このマシュマロのごとく夢のような感触は間違いなく……お胸です!
「どうアリス?」
……良いかも。
ああ、女の子ってなんでこんなに柔らかくって温かくって良い匂いがするんだろう?
神秘です。
「くすくす、だらしのない顔ですわ、アリス。見ていて微笑ましい限りです」
「……そう言うあんたの余裕な所が気に入らないのよ」
「エクレアはいつも余裕ありませんも――のぉーっ!!!」
夢心地から激痛に変わった!
頭、頭潰れる!!
のーもあ、暴力!
「ふふ、本当に愉快ですわ」
助ける気ねー!
クラン助ける気、まるで無し!
「……あんたがもっと嫌な奴だったら良かったのに」
「それは、申し訳ありませんわ」
だがちょっと待って欲しい。
君たちが何か分かり合いかけている空気を出している最中に、俺は死にそうなんだ?
息ができないんだ?
「――っ! ――っ!?」
「ちょ、んんっ……ちょっとアリス、今は静かにしてて!」
いやいや、そうもできない事情があるんだけども!
手を突きだして抵抗すると、俺を包むほど良い大きさの二つの夢を鷲掴みしてしまった。
「あんっ、もう……仕方ないんだから」
鼻にかかったエクレアの甘い声が脳髄を蕩かす。
何てことだ、桃源郷か?
……じゃなくて!
このままでは俺はお胸にやられる――!?
「ふふ、エクレア様? 貴方様の立場が難しいものであるのは承知しております」
「……」
「ですが国の行く末、民の身を案じるなら、為すべきことを為すべきではありませんか?」
「お爺様を……討てって言うの?」
「そうは申しません。為すべきことを為す、それはエクレア様自身が良かれと思い、為したいと思う事を為すことに意味があるのです。他の誰も、貴方様に命令することはお門違いですわ」
…………
「強いのね、あんたも……」
「いいえ? 虚勢を張るのに慣れているだけですわ」
「ふん、空元気だって元気になるんだから、それも貫き通せば立派な強さよ」
……………………
「エクレア様はアリスの言う通りの方ですわね」
「なによ、それ?」
「とても、とても素敵な方ですわ」
「なっ、ふ、ふんっ! ばっかじゃないの? ちょっと話しただけで、何が分かるって言うのよ!」
――――
「それもそうですわね――だからこそ、余はエクレア様ともっと親しくなりたいのです」
「……」
「エクレア様?」
「……エクレアで良いわよ、堅苦しいのは嫌いなの――クランセスカ」
――――――――
「……嬉しいですわ、エクレア」
「ふん」
「ふふ、さて――そろそろアリスを離してもらってもいいかしら、エクレア? 大変なことになっていますわよ、ふふふ」
「あ、ああ。悪かったわねアリス、ずっと黙らせておいて」
夢心地に包まれて天国に召されかけていたはずなのに、その天国が急に遠ざかって行く。
……なんだ、空気が美味しい?
さっきまで空気が甘かったのに、無臭の空気も良いものだな……
「アリス……? アリスっ!?」
「大丈夫ですわ、エクレア。こういう時の処置は心得ていますの」
柔らかな場所に寝かされた感触がした。
……あれ?
俺、何してたっけ?
ぼんやりした意識のまま、目を覚ます。
「……ん?」
「あら……?」
何故か、クランの顔が目の前にあった。
そして俺はどうやらソファに寝かされているらしい。
うーん?
「どういう状況……?」
「人工呼吸ですわ、アリス――」
「んむっ!?」
クランの瑞々しい唇がそのまま降ってきた。
重ね合わされたそこから舌が割って入って来る。
歯茎を舐められ、舌を吸われ、これでもかと口内を蹂躙される。
「ちょ、ちょっとっ! もう起きてるんじゃないの!?」
すぐ傍でエクレアが声を荒げている。
まさしく!
「は、ん……ちゅ」
あまりにも情熱的な人工呼吸を終えて、クランが頬を染めながら身体を離す。
「ふぅ……どうやら無事に目を覚ましたようですわ。人工呼吸成功ですわね」
……最初から目は覚めていたという話は置いておこう。
それ以前にこれが人工呼吸だとするなら、世の中の人工呼吸はノーカンにはならないよね?
呆けて艶やかに微笑むクランを眺めていると――
「っアリスの――」
「わわっ!?」
横合いから、今度はエクレアに胸倉を掴まれて身体を起こされる。
可愛らしい釣り目がちょっと涙目だった。
「――ばかああああああっ!!」
「ええ!?」
理不尽っ!
一体俺が何をした!?
「仲良きことは良い事ですわね、ふふ」
などと他人事みたいに笑っているお姫様。
それを見て俺は確信した。
ああ、やっぱりこの子は腹黒だと――




