雨降りの街
「雨かぁ……」
絹糸のような細い雨が降っているのを、ぼんやりと部屋の窓から眺める。
絶え間なく降る雨は、靄をかけて外の景色を隠していた。
雨って、訳もなく感傷的な気分にさせる。
考えてみると、すっかり異世界生活にも慣れてきたなぁ、と。
文明レベルに驚くべきギャップが無いのは助かる。
いや、たまに驚くけども。
「アリスよ」
「あ、は~い」
隣の部屋から声がかかる。
俺の部屋から廊下に出ずに扉で続いている隣の私室、それがティルの部屋だ。
もちろん、どちらの部屋も廊下から入られるのだけど。
この家の二階に住んでいるのは、俺とティルだけ。
わざわざ廊下に出て遠回りする意味がない。
イリアとサイラ、それにシオンさんは一階に住んでいるし。
その隣人に呼ばれたので、扉を開けてお邪魔する。
「どうかしたんですか、ティル?」
相変わらずベッドの上で寝転がっていたので、そのベッドの端に腰を下ろす。
出不精な上に雨降りで出かける気が一切ないのか、部屋着を一枚上から羽織っただけで、素足が露わになっている。
「もう、だらしない」
「む……放っておけ、お主こそいちいち良く着替えるな」
「お客様が来るかもしれないし、出かける用事もありますし」
「生憎、妾にはそのような些事は無い」
自慢することじゃありませんよ……
「ところで話の前に、私も忠告してもいいですか」
「む……?」
部屋に視線を移す。
そこかしこに散乱する脱ぎ散らかした衣服が気になって気になって仕方ない。
「脱ぎ終わったものはちゃんと洗濯に出して下さいと、私、いつも言ってますよね?」
「う、うむ……聞いておる」
「何故、床に投げるんですか?」
意味が分からない。
何も、ティルに洗濯しろと言っている訳でもないのに。
ただ、籠に入れてくれればそれでいいのに。
「そこに……床があるから?」
「――今度から強制的に部屋の掃除に入ります」
「や、やめよ! お主に掃除されると片付き過ぎて気持ち悪いのじゃ!」
あーあー、下着まで脱ぎ散らかして……
「……一体今までどうやって生活してたんですか」
「里では侍女が世話をしてくれておるし、外では宿暮らしじゃから、心配いらぬ」
侍女……この人やっぱり、身分高いんだな。
とりあえず話している間に、脱ぎ散らかした衣服類だけでも備え付けの籠に放り込んでいく。
回収。
「三日に一度、掃除に入ります」
「は、早いぞ! 一週間に一度でよかろう!」
う~~~ん。
この辺りが落としどころかなぁ。
ティルだし。
「分かりました」
ティルがほっとした顔をする。
こう言っては失礼だけど、可愛い人だよねぇ。
再びベッドの端に腰を下ろしす。
「すみません、話の腰を折りました」
「う、うむ……話というのはアリスよ。気づいておらぬ様なので、一つ忠告でもしてやろうかと思ったのだがの」
「あ、はい」
何だろう?
「あの紅い小娘」
「エクレアですか?」
「狙われておるぞ」
「え? ……何に?」
誰に、と聞くよりもこちらのほうが相応しい気がした。
「分からぬ。が、あまり面白いものでもないであろうな」
狙われる、か。
思い当たるのは、いつかの夜、フードを被った小柄な影に遭遇した事。
あれは無差別な通り魔未遂なんかじゃなくて、エクレアを狙ったって事か?
あの時はティルのおしおきと被ったので何事も起きなかったが。
ん、被った?
「む?」
思わず、まじまじとティルの顔を見た。
あんな遅くに?
この、良く寝る人が?
「なんじゃ?」
「本当に、天邪鬼……」
でもこの人の弟子だと思うと、誇らしいなぁ。
「あ、そう云えばティルはエクレアの師匠を知ってますか? ――魔炎って言ってましたけど」
「……魔炎か、そんな幻がまだ語り継がれておるのか」
幻?
ティルが何処か遠くを見る様に、目を細めた。
「ティルと同じくらい強いって噂ですけど」
「妾と同等? くふ、どうであろうな」
何かを思い出す様に苦笑するティル。
その様は赤の他人というには、親近感を感じられるもので。
「知り合い……なんですか?」
氷雪と魔炎か。
一体どっちが強いんだろう?
「ああ、よく知っておる。あやつは――史上最強の魔法使いであろうよ」
――――生きていれば。
何故か、そんなニュアンスが含まれている気がした。
でもおかしい。
エクレアは変な嘘を吐くような子じゃない。
あの子が魔炎の弟子だというなら、それはそうなのではないか?
かといって、ティルが仕様も無い嘘を吐くとは到底思えない。
魔炎は存在しない?
する?
どっちだ。
「――お嬢様、教会ならあちらですが?」
「あ……ごめん」
イリアに道を正されて、考え事の世界から帰ってくる。
雨降りの中、リンちゃんを迎えに行くために邸宅を出た。
先日約束したのだが、今日はリンちゃんが泊まりに来る予定だ。
イリアと二人、傘を差して人通りの少ない道を歩いて行く。
やはり雨降りは外出を控えているか馬車移動が多いみたいで、傘を差して歩いている人はまばらだ。
「イリアは、ティルの事どう思う?」
「どう、とは?」
不思議そうに小首を傾げる。
そう云えば、イリアは初めて会った頃、ティルから隠れる様にしていた。
何故?
「う~ん、単純に、感じてることを聞きたいかな」
「そうですね。お師様は、とても好ましい方だと思います――今は」
「今は? やっぱり、何か苦手だったの?」
「苦手というか……先入観に囚われていたのです。最初は」
「先入観……」
そもそも俺は初めて出会った時、ダレ?
から始まったからな……
「今のわたくしの気持ちはお伝えした通りです。それを前提に、お師様が昔どう呼ばれていたのか、ご存じですか?」
「氷雪の魔女?」
ふるふると、イリアは首を横に振る。
「――竜殺しの氷雪」
「――――」
竜殺し?
思わずイリアを見る。
「あの方は、とても竜を憎んでいた……というお話です。所詮、人づての噂話ですが」
「イリア……何もされてないよ、ね?」
「ふふ、お師様がそのような事をするはずがないのは、お嬢様は誰よりもお分かりのはずですわ」
「うん」
少なくとも、俺が知るティルはそうだ。
「それに、何か為さるおつもりがあるなら、お嬢様には到底太刀打ち出来ないでしょう」
「う……わ、私もいつまでも弱いままじゃありませんよ!」
「お嬢様とエクレア様、雪の中から掘り出すの大変でしたわ」
「それは忘れたい過去なのに!」
しかもついでにエクレアの名誉も傷つけられたという。
どんまい、エクレア!
でもそうか……ティルならイリアを今すぐにでも助けてあげられる気がするけど、色々その辺り複雑なのかな?
それ以前に……
「イリアは……私が助けるから」
「――はい、お嬢様」
恥ずかしくて、顔をまともに見られなかった。
なんとなく心地いい雨降りの街を、そのまま二人で歩いて行く。
――しばらくして、通りのど真ん中、傘も差さずに天を見上げる少女が目に付いた。
初めて見るその髪の色に、思わず目を惹かれた。
俺以外で初めての――――銀の髪を見た。
「――何か、見えますか?」
気になったので、近づいて声をかける。
少女の視界を遮るのも無粋かと思って、傘は差し出していない。
「……雨」
何だと?
何か見えますかと問うて、雨、だと?
哲学か?
この十歳前後にしか見えない少女に、俺は今試されているのか?
「そう――雨が降ったら傘を差せ」
どや。
「さよなら」
少女は無感動に挨拶して、そのまま霧雨の振る中を歩いて行ってしまった。
……
「……イリア、私今、何か間違えた?」
「大丈夫です、お嬢様。平常運転ですわ」
どういう事、それ……
そのご馳走様でしたお嬢様、という顔を止めなさい。
「あ、傘!」
渡してあげる間も無かったな。
振り向くと、身体の割に歩くのが早いのかもう姿は見えなくなっていた。
銀色の髪を肩口まで伸ばした、赤い目の少女。
……ん?
何か、引っかかるな。
今の子、初めて見る子に違いは無いけど、何か……引っかかったな。
「う~~ん、魔力?」
「あの方に、魔力は皆無です」
「え、分かるの?」
びっくりした。
「はい、初めてお嬢様を見た時のような輝きはありませんでした」
初めてイリアと出会った時、そういえば俺を何度も視ていたな。
あれは、そういうことだったのか。
「スキル?」
「イエス、魔力感知です。ただこれは、ごく一部の人間しか使えないものなので、ご自身の正体について過度に怯える必要はありませんわ」
感染の低い病気を恐れてパニックになる必要はない、みたいなものか。
イリアがそう言うなら、そうなのだろう。
でもそうか、魔力が皆無ってことは、単なる思い過ごしか。
――腑に落ちない感覚は、あるけども。
「でし~~~」
「わっと」
教会に到着してすぐ、雨を物ともせずに俺を発見したリンちゃんが突進して来た。
突撃してきたリンちゃんを受け止める。
しかし俺の心許ない守りで、いつまでこの子の突進を受け止められるのだろうか……
「ご苦労様、リンちゃん。一杯お勉強出来ましたか?」
「うん! リン、がんばった! だからごほうび!」
かわいい~~。
無条件に甘やかしたくなるから、困るなぁ。
頭を撫でてやると、花が咲いたような笑顔を浮かべてくれる。
リンちゃんは今日から週末なので、お休みの間預かることになる。
そんな今日は、精霊の月、一週目の風曜日。
十二の月と七つの曜日くらいは覚えた。
というか、俺がこちらの異世界の単語を理解すると翻訳がカットされるということに気付いた。
例えばリンゴをリンナルと理解したから、人からリンゴの事を言われた時リンナルと聞こえるということだ。
不思議だねー。
「あ、エイム、ばいばい!」
リンちゃんが見送りに来たエイムに手を振る。
「ん、気を付けて」
無表情に手を振りかえすのが、らしい。
これで子供に大人気だもの。
ま、優しい人を見抜くの得意だからね、子供は。
しかしエイムか……
そうだな。
「エイム、少し頼みたいことがあります」
「マスター、どうしたの?」
「誰かを狙っている人間を突き止めるのって、出来ますか?」
「出来なくはない。勘も良い方」
なるほど、確か反則スキルも持っているようだし。
千里眼。
むしろ得意なのかもしれないな。
「じゃあ、エクレア――」
「断る」
「……」
「……」
知ってた。
「金貨一枚」
「マスターには恩がある。仕方ない」
ある意味、頼みやすいよね。
少しだけ詳細を話し合って、教会を後にした。
そう云えば、ラビリンスでドロップしたアイテムを換金しないと。
革袋から黒魔石を取り出してみる。
「これ、どのくらいになるんだろう?」
食事を済ませ、お風呂にリンちゃんを入れて、寝かしつけてから図書室で俺もお勉強中。
「アリスさん、凄いですニャ。それはとても高価な物なので、きっと高く買い取ってもらえるです!」
同じく勉強中のサイラが目を輝かせる。
最近、夜はサイラと一緒にここで勉強するのが日課のようになっている。
「そうなんだ? 皆驚いていたし、あのラビリンスでも毎回出るようなものじゃないって言ってたものね」
良かった、刺されなくて。
でもそんなに高価なら、ちゃんと換金してから皆にボーナス出さないと。
単純にお金を出すのはもちろんだけど、それ以外にも何か欲しいよね。
せっかく皆で達成したものだし。
「慰安旅行、良いかも」
「旅行ですか?」
「うん、もちろんサイラも一緒だよ?」
「は、はい! 何だかとっても楽しみですにゃ……!」
やっぱり旅行って、うきうきするよね。
冒険者なんて自由業だから、思い立ったが吉日だし。
エクレアとエイムも一緒に連れて行けば、その見えない相手も一緒について来るかも。
尻尾を掴むにも一石二鳥かもしれないな。
でも異世界王都周辺の旅行スポットとか、まるで分からないぞ。
「どこが良いんだろう?」
「あの……もし良ければ、ウィルミントンに行ってみたいですにゃ」
「サイラ……」
ウィルミントン公国か。
サイラはきっと、あの国で直に花を添えたいんだろうな……
「あの国には温泉もありますから、きっと皆さんも楽しめると思うです!」
温泉?
「温泉、あるんだ?」
「はいです!」
温泉……?
「え? 温泉?」
「皆で一緒に入るのも、きっと楽しいですにゃぁ」
「皆、一緒に?」
あれ?
俺、男湯?
それとも、女湯?
「アリスさんのお背中、流しますにゃ!」
「あ、はは……お願い、しようかなぁ」
女湯か……
まぁ、そうだよね……
大丈夫、俺だってもうすっかり女の子出来てるはずだ!
うん。
……そういう問題か?




