王国の明日
アルセイド王国の内乱は終わった。
クラン率いるウィルミントンの兵たちの活躍で、オースティアは惨敗。
首謀者は名乗りを上げることはなかったが、公国の主の責任は免れないだろう。
サクラメントは中立を決め込んで様子を伺っていたのみだが、手を貸さない所にキナ臭さは感じる。
そんな政治の世界の後処理は残っているものの、王都セントリアにはやっと平和が戻って来た。
内乱終了から一週間、既に街は活気に溢れている。
人々の逞しさには頭が下がる思いだ。
そしてクランセスカの名声も、凄まじい。
彼女こそが、王国の守護者であると。
実際その通りだと思う。
その戦場で、何があったのかは知らずとも……
「ねえ、でし! リンも遊んできていい?」
「いってらっしゃい」
「うん! ちゃんとここにいてよ!」
「分かってます」
そんな王都の、いつか戦ったあの公園。
教会の子供たちが遊んでいる輪の中に、うちの天使が突っ込んでいく。
リンちゃんが突っ込んで、あっと言う間に子どもたちとじゃれ合い始めた。
それを見た、アシンメトリーが特徴の青髪の少女が、こちらを向いた。
何事か子供たちに告げてから、こちらに歩いてくる。
「いたの、銀の雷精」
「……その呼び方、ほんと止めてほしいんですけど」
「ん……じゃ、雇い主」
「もうちょっと」
「元タゲ」
「……普通が良いな」
「じゃ、マスター」
うむ、と深く納得するように、狙撃手――エイムが頷いた。
それのどこが普通なのかが俺には分からない。
でもまぁ、エイムがそれで納得しているのなら、別に良い。
……暗殺者の、マスターか。
凄く悪い響きなんだけど、気のせいだよね。
「感謝する、マスター。子供たちに、生きる糧を与えてくれて」
依頼失敗による、暗殺者の末路は悲惨だ。
報酬も貰えず、秘密を知った暗殺者に送られるのは同業の暗殺者。
暗殺失敗は、死に直結する。
依頼での返り討ちの危険もある。
俺とエイムの場合、後者の事態だったが、倒れたエイムに直ぐにヒールをかけたので、何とか一命を取り留めて、後はイリアに任せた。
死んだことにして、味方に引き入れる為に。
「エイムの戦う理由を見ていたから、ね」
教会に、金貨五十枚を進呈した。
これで子供たちが飢える事も無くなるだろう。
そのおかげで、エイムも雇えた。
「マスターには恩がある。もう不特定多数の便利屋はこりごり。これからは、マスターの為だけに、弓を引く」
「エイムの腕前は、誰よりも知ってますから、期待してます」
死にかけたから。
死にかけたから!
「仕事の報酬は、金貨一枚から」
「たっか!」
直ぐにお金が枯渇しますよ!?
「それとは別に、毎月の固定給も欲しい」
「あ、安定こそが明日の元気ですもんね……」
俺の明日はどっちだ……
「どしどし依頼、待ってる」
「ほどほどに、依頼します……」
何というか、人の生活の面倒を俺が見ていくという、その人数が増えている。
気分は零細企業の社長さんである。
従業員の為に、もっと稼いで、そしてそれを還元してあげないと。
ついてきてくれる皆の笑顔こそ、俺の力!
「夏と冬は、三倍で」
「ボーナス要求されてるし!」
働こう!
ギルドランクEで養って行けるものじゃないぞ。
クランから白金貨貰ったけど、もう金貨五十枚を切るほどになっちゃっているし。
その後しばらく、他愛のない話をしながら、公園を後にした。
すっかり遊び疲れたリンちゃんを背中に背負って。
戦没者慰霊碑。
見晴らしの良い街外れの丘に、それは建てられている。
空が夕焼けに染まる頃、俺とイリア、そしてサイラはそこに訪れた。
シオンさんは、エレノアさんと用があると言って出かけている。
エレノアさんも王都に来ているんだ……メイドはもうやらないけども。
「……」
一人一人に墓がある訳ではない。
大きな慰霊碑に、言葉が刻まれているだけだ。
その慰霊碑に、サイラが持ってきた花を添えた。
すでにいくつもの花が添えられている。
……この戦いで亡くなった兵の、家族からのものだろう。
「私……」
涙ぐむサイラの頭を撫でてやる。
今はイリアから貰ったヘアバンドを着けてある。
このタイミングで堂々とそれを外すのは、止めた方がいい。
賢明だ。
サイラはしばらく、慰霊碑の前で祈りを捧げながら涙を流していた。
多分、俺の知らない内情なんかも抱えているんだろう。
詮索するつもりはない。
「――貴方たち……」
声に振り向くと、クランセスカが多くの護衛騎士を引き連れてやってきた。
ますます、立場が重くなったような気がする。
クランの表情は――固い、という表現が一番しっくりくる。
紅茶を飲みながら、砕けた笑顔で話したあの日が懐かしい。
「クランセスカ様……」
サイラが慰霊碑から立ち上がって、クランの前に進む。
護衛騎士が反応仕掛けるが、クランが手で制した。
「サイラ、と申しましたね。身を挺して余を庇ってくれた事、生涯忘れはしませんわ」
「そんな……」
「困ったことがあるなら、言いなさい。余が便宜を図ります」
「いえ、アリスさんと一緒に居られるだけで、私は幸せですにゃ……」
そして――サイラがヘアバンドをその場で外した。
俺もイリアも、クランさえも驚いて声を失った。
戦の顛末の一部を知る護衛騎士たちが気色ばむ。
それを尻目に、断罪してくれとばかりに、サイラはその場で膝を着いた。
「クランセスカ様……あなた様の父君と母君を討ったのは――――私です」
「――っ」
空気が、凍った。
「手前勝手ですが……どうか、お聞きください、姫様」
茫然としたままのクランを見て、それでもサイラは意を決したように語りだす。
「あの時……幼い私は、小汚い恰好で馬車の前に飛び出しました。当時は、食べるものも無くて、ひもじくて……周りの大人から、そうすればパンを与えてくれると言われて、私は嬉々として馬車の前に飛び出しました」
誰も、動けない。
サイラの独白に、耳を傾ける。
「引かれる寸前の所で馬車が止まって……護衛騎士の方に乱暴に追い払われようとした所で、母君様が、私の前にお出になられました。『お前は、飢えで苦しむ我が民を見て、足蹴にする事しか思い浮かばぬのか』そう言って……今でも、鮮明に覚えています。馬車から、パンを持って出て私にくれました。こんなヒューマンがいるのかと……覚えて、いますにゃ……」
クランセスカが口に手を当てて、よろめいた。
「私はそれにすぐに噛り付いて……生まれて初めて食べるほど、美味しいパンでした。母君様は、そんな私の頭を撫でてくれました。覚えて、います……その瞬間、矢が……母君様に――」
「止めなさい!!」
クランが、肩で息をしながら一喝した。
「――そこからは、あまり覚えていません……森から大人たちが出てきて、大きな声で騒いでいたことくらいしか……でも、母君様が私の目の前で倒れて、それでも微笑んでくれていた事は……覚えていますっ! 私を足蹴にしようとした騎士に『この者を連れて、落ち延びよ。余はこの者を許す、これは、主命である』そう言ってくれたことを、覚えていますにゃ!」
「止めてと言っているのです!!」
クランが魔剣を抜いた。
「私は、絶対に忘れないです! あの方の高潔さを! 優しさを! そして……自分の、愚かさを――っ! だから、謝りたかったんです! クランセスカ様に、姫様が居られると聞いて、ずっと謝りたかったんです! 本当に、謝りたかった、です……」
サイラは両手を祈るように握りしめ、クランセスカに懺悔する。
「申し訳ありませんでした、クランセスカ様――――この命、どうぞお返しします」
誰も、言葉が出なかった。
サイラは、クランの目の前で膝をつき、その時を待って静かに目を瞑っていた。
クランの魔剣を握る手が、震えていた。
――っ!
クランが魔剣を振り上げる。
俺は身体に雷を通した。
目が、あった。
言い表しがたい、揺れる紫の瞳が。
「っ!」
クランは――魔剣を、鞘に納めた。
「――許す」
そして一言、呟いた。
「余は、この者を許す。これは主命である。もう、憎しみの連鎖を広げる事は許さぬ……下がれ!」
騎士たちに一喝する。
「用はそれだけですの? では、余はもう行きますわ」
呆気に取られる周りを無視して、クランセスカが背を向けた。
……
――――っ!
「イリア、サイラを頼みます!」
「イエス、マイ、レディ」
身体に雷を通して、駆ける。
呆気に取られる騎士たちを潜り抜け、クランの背中から体当たり気味に抱き着いて――
「あ、アリス! 貴方は!!」
驚くクランを無視して、思いっきり、空に跳んだ。
力の限り、天に届けとばかりに、クランを抱きしめて、空に跳んだ。
地上は遥か彼方。
我ながら、感心するほど高く跳んだ。
「――キャスト解放、ブリザー」
空中に、足場となる氷の結晶を召喚する。
何にも遮るものの無い夕焼けの空の中で、二人、氷の結晶の上に立つ。
「アリス! 何のつもりです!!」
「恰好付け過ぎです、クラン」
クランを抱きしめたまま、姉の所作を思い出して、こつんと俺の頭でクランの頭を打つ。
「立場が許しませんか? 心を許す相手が居ませんか? 周りの目が、貴方に完璧を要求しますか?」
「――」
弱い俺の力で、出来るだけ強く、クランを抱きしめた。
「でも、残念。今は誰の目も届きません、この空の中で二人きりです」
クランが俺に言われて、地平線に沈みかけた太陽の方向を眺めた。
眩しそうにそれを見て、顔を逸らす。
「アリス……余はっ」
「――泣いても良いよ、私の前では、うんと泣いても構いませんし」
「――アリスっ、う、うあああああああああああっ!!」
こちらが抱きしめるよりも尚強く、クランが抱き着いて声を上げた。
それはきっと、この戦いが終わって、初めてクランが感情を爆発させた瞬間なのだと思う。
「クラン……あなたを孤独になんて、させてあげませんし。少なくとも、私が居る間は」
「――っうぅ、余より先に死んでは、嫌です!」
「大丈夫、私、長生きです」
「戦いで命を落としては、嫌です!!」
「……誰にものを言ってるんです? 私こそは世界最強の魔法使い! 誰にも遅れを取るつもりはありません」
「アリスっ……! アリス!!」
クランの柔らかい髪を、優しく撫でる。
「――お疲れ様、クラン。あなたはよく頑張りました。今は少しだけ、休みましょう」
国民の期待を一身に背負った華奢な姫将軍の肩を抱きしめて、俺たちはしばらく空の中で時を過ごした。
茜色の空はどこか物悲しくて。
でも、朝日と違ったその穏やかさが、身に沁みるようで、心地良い。
「――ませんわ」
「え?」
何か呟いたクランに顔を向けて――
「――んっ」
唇を、塞がれた。
クランの――唇で。
――え?
時間にして、数秒。
呆気に取られたままの俺を、唇を離して正面からクランが覗き見る。
「――絶対に逃がしませんわ、アリス」
そういうクランセスカの顔は、先ほどとは打って変わって晴れやかで……
……あれ?
今の……何?
どこか腹黒に思いを巡らせている様なクランの笑顔を前に、俺の頭は、混乱するばかりだった。




