憎しみ、その連鎖を断ち切りて
ティルからヒールを受けて、俺の傷が癒えた。
首筋を触ってみると、すっかり傷が消えていた。
……心の傷は癒えないが。
いや、心の傷と云えばクランの方が被害者だが。
いやいや、俺だって被害者なんですよ?
ここ、勘違いしないでね?
加害者はリブラ。
犯人は、リブラ!
大事な事ですよ?
「……戦場の真ん中でする事ではありませんわ。不謹慎な」
クランが少し離れて怒った声を出しています。
その距離感が、俺の心のダメージに……
だって、近づいたらクランが睨むんですよ!
……クランに嫌われるのいやだ!
「貴族の小娘も、いつまでもへそを曲げるでない。今のはチャームの魔法じゃ。犬に噛まれたとでも思って忘れるが良い」
「……分かっています。ですが本来なら、不敬罪を適用しても良いほどですわ」
「不敬罪!?」
それって、滅茶苦茶重たい罰則でも平気でまかり通るという君主制の横暴とも呼べるべき悪法では!?
「……いえ、不敬罪か。これは……使えますわね」
首筋を押さえたクランが、邪悪な笑顔を俺に向けた。
どうしよう、嫌な予感しかしない……
「やれやれ、妾の結界のお陰で、誰にも痴態を見られずに済んで良かったではないか」
痴態とか言わないで下さい、お願いします。
「それは……それより! 王都に竜が現れたのは本当ですの?」
「心配するな、郭外の街にも被害は出しておらん。全て片付けてやったわ」
「氷雪の……」
複雑な表情で、クランがティルを見る。
「さて、結界を解除して陣までは送ってやる。後は好きにせよ」
「……趨勢は決まったとはいえ、未だ戦闘中。力を借りる訳にはいきませんの?」
「馬鹿を言え……そんな虐殺は、もうこりごりじゃ」
ティルが寂しげに笑う。
「ですが――!」
「クラン! ティルに押し付けないで下さい!」
「そんな、つもりでは……いえ、その通りですわ。これでは魔剣に見放されてしまいますわね」
腰に提げたレイピアの柄に、力なく手をかけてクランが自嘲する。
「くふ、未熟なのはこやつも同じ」
「わわっ」
背中を景気よく叩かれた。
痛いです……
「だが、お主には多少は期待しておる……ロムスの孫娘よ。少しはマシな世の中にしてみせてくれんか?」
「氷雪の魔女……」
「さあ、行くぞ」
ティルが指を鳴らすと、ドーム状の氷の結界が砕けて消えていく。
同時に、氷の足場を俺とクランの分も用意してくれる。
それに乗って、空に駆け上がる。
ティルの魔法は、本当に凄い。
憧れるなぁ。
「――感謝しますわ」
その言葉を、ティルは小さく笑って受け止めた。
これで、オースティアの反乱には目途が立った。
後は……
ティルに連れられて間もなく、丘陵にある拠点の陣に到着した。
クランセスカの無事と戦の優勢に、陣の兵たちが沸いた。
クランはさっそく、そんな兵に最後まで油断しないよう通達し、離れていた間の全体の状況確認を始めた。
「……匂うな、アリスよ」
「分かっています、ティル。私を信じて下さい」
「ふん、まあよい。妾はもう行くぞ」
「はい、ありがとうございます。やっぱり、ティルが居ないとダメですね、私」
怠惰で、人間不信で、やる気の欠片も見られないお師匠様だけど、俺はやっぱりティルが大好きだ。
その根っこの部分が大好きなのだ。
「いつまでも、妾に頼ってもらっても困るがのう」
「そんなこと言ったって、まだまだ頼らせて貰いますし」
「くふ、可愛げのあるやつ……ではな」
最後に笑って、ティルはまた王都に向かって空を駆けて行った。
凄いなー、ティルは。
馬なんて要らないんだね、一人だと。
空は無理でも、俺も大地を駆ける事は出来そうだな。
そのうちだけど。
「お嬢様……ご無事で何よりです」
「アリスさん! 良かったですにゃぁ……」
ティルを見送ってすぐ、テントから出てきたイリアとサイラが寄ってきた。
二人とも、衛生兵が着ているような白いエプロンをかけている。
――しかも、そのエプロンは血が付いている。
「その恰好……」
「サイラさんが、どうしてもと言いましたので」
「戦うことは出来ませんけど、せめて誰かを救えるよう努力したかったんです……」
サイラ……
この子、なんて優しいんだ。
衛生兵の仕事は、楽なものじゃないはずだ。
大小様々な怪我を抱えた兵の阿鼻叫喚の中で、出来る事をする。
言うだけなら簡単だが、その現場が過酷であることは容易に想像できる。
誰にでも出来る事じゃない。
「よく頑張りましたね」
サイラの頭を撫でる。
それにサイラが慌てたように首を横に振る。
「頑張ったのは、前線で戦ったアリスさんや兵隊さん達ですにゃ……」
「いいえ、前線の人も、後衛の人も、等しく皆が頑張っているからこそ、勝利が目前に迫っているんです。だからサイラはよく頑張っていると、何度でも言うわ」
戦い自体が褒められたことじゃないかもしれない。
でも、この戦いは必要な戦いだ。
クランの言う通り、テロに屈して良いわけがない。
「……アリスさんは、いつも私を認めてくれて、こんなに心が温かい……あ! な、泣いてる場合じゃないですにゃ! まだまだ、私にも出来ることがあるはずです!」
そう言うと、慌ててサイラはテントの中に帰って行った。
サイラ……
そういうサイラの行動が、きっとヒューマンの皆の心に届くと思う。
きっと。
「お嬢様……」
「白竜は退けましたが、殺してはいませんよ、イリア」
イリアがエプロンを外して、俺の傍に控える様に近づいた。
「わたくしは……まだ未練があったのかもしれません。もう、帰るところなど無いのに……」
「え、無いの? イリアの帰る場所は、私の傍。それでは不満?」
イリアが目を丸くした。
あまり見られない表情だ。
「――お嬢様は、罪なお方です。例え親兄弟が相手でも、立ち向かってみせる。そんな気持ちにさせます」
「実際そんな事になったら、止めますけどね」
「ふふ、わたくしも強くならないと。お姉様には負けていられません」
シオンさんか。
でも別にシオンさんは、おっさんと殺し合いなんてしないと思いますよ?
そんな状況が来たら……そうだな。
命のやりとりじゃなくて、拳で語り合いそうだ。
……ん?
おかしいな、想像したら一方的におっさんが殴られている絵面しか思い浮かばない。
成仏してね、おっさん!
――ピイイイィィ。
突然響き渡った警笛。
その意味は――危険が迫る。
勝利目前に沸いていた陣が、一斉に緊張に包まれた。
「……来たのね」
「ではお嬢様、わたくしはサイラさんの傍に」
「ええ、お願いね」
イリアを見送ってから、警笛がなった方を見据える。
守備兵が何かと戦っているが――突破されるのは時間の問題だろう。
おかしな話だ。
クランセスカが守備兵の配分を間違えるとは思えない。
簡単に危険を近付ける配置にするとも思えない。
でも、彼女は一度陣を離れた。
そこで指揮を執っていた人物は――
「何でこんな苦い事ばかり、起こるのかな……」
クランセスカの居る丘陵の端へと足を向ける。
世の中で、高確率で的中させることが出来る未来が、一つだけある気がする。
本当に――悪い予感だけは、よく当たる。
「どういう……ことですの、パル?」
「姫様、この陣は完全に包囲されました。我らの負けです。かくなる上は、名誉ある自害を」
どこまでも澄ました声の執事が、滑稽なほど空々しく感じる。
俺はその横を、堂々と通り過ぎてクランの傍に立つ。
「アリス……」
状況が掴めない、という顔をクランがしている。
いや……たぶん、クランは分かっているのだろう。
ただ認めたくないのだ。
俺だってイリアが――――裏切ったと言われたら、何も考えられないかもしれない。
だったら、今のクランを支えるのは本人の精神力ではなく、俺の役目だ。
「リブラに唆されでもしたんですか、執事さん」
「関係ありませんね、銀の雷精。これが我らの悲願なのです。王国の転覆、共和国への恭順。それで、この馬鹿げた戦争も終わりなのですから」
もはや隠す気も一切ない、という訳か。
クランの顔色が悪い。
恐らく、今のクランでは魔剣を使えまい。
「……個人的に、少し調べていたんですけど。獣人族の戦闘奴隷を買っていた裕福な家――オースティアでもなければサクラメントでもない。ウィルミントンの執事、あなたですね、パルシウス」
陣のあちこちから悲鳴が上がる。
恐らく攻めてきたのは件の獣人族。
俺の言葉に、執事は顔色一つ変えない。
「ホテルでの狙撃、あれも私を狙ったものじゃなくて、クランを狙いましたね? 窓際に近づいた私と一度、目が合いましたよね? 大方、窓から見て一列に並んだ私とクランを一緒に始末しろ、とでも伝えたんでしょう?」
「感心します、銀の雷精。思ったよりも頭が回るようで」
執事が腰に提げたサーベルを抜き放つ。
クランはまるで動かない。
彼女を背中に庇うように、執事とクランの間に割って入る。
「疑ったのは、路地裏であの男と会っていたのを見たからですけどね」
あの優男と。
その時は特に何も思わなかった。
あの優男自体に、特別な意味がなかったから。
でも――王都の反乱でその正体が分かった時、意味が繋がった気がした。
「あなた――獣人族ですね」
「――え?」
クランセスカが驚いた顔をする。
そして、その頭を注視する。
そこには、獣人族特有の『耳』が無い。
否――
「お察しの通り、わたしに耳はありません――拷問ですり潰されましたからね」
「――っ!」
クランセスカの顔色が目に見えて悪くなる。
本当に……救われない。
「言葉は全て読唇術で理解しています。わたしに、音は無いのですから。自分の言葉にさえ、自信が持てませんよ」
「とても上手く喋れていると思いますよ、執事さん」
「恐縮です、銀の雷精」
理由なら、もうあの優男に聞いた。
その通りなんだろう。
『彼ら』の戦う理由。
陣のあちこちから聞こえる非戦闘員の悲鳴に、胸の中が掻き毟られる。
「それでも……こんな事が許されると思っているんですか!?」
暗殺に、扇動に、だまし討ち。
こんなのは、戦ですらない!!
「モラルを期待されても困りますね。これは鏡返し。傲慢なヒューマン共の態度が、そのまま返されているに過ぎません」
言いたい事は分かる。
やろうとしていることに理解だって、出来る。
でも、こんな方法で王国を従えても、その国民に残るのは憎しみのみ。
そう簡単に占領下の民の憎しみが消えるはずはないのだ。
『向こうの世界』の歴史でも、それが証明されている……
「さあ、退きなさい銀の雷精。姫様を、わたしの手で介錯して差し上げたいのです」
「パル……」
姫様、か。
この執事のクランを見る目は、決して憎しみだけじゃない。
「――そういうこった、姐御。野暮はいけないぜ?」
「……しぶとい人ですね」
優男が長剣を肩に乗せて、近づいて来る。
戦自体はこちらが優勢の中、生きていたか。
それとも、この作戦の為に潜んでいたのか。
どちらにしても、碌なものじゃない。
「さあ、非戦闘員を無駄に殺されたくなきゃ、決断しなきゃな、お姫さんよ?」
威圧するように、優男が長剣をショルダーガードの付いた肩で遊ばせる。
「余は……」
後ろ手に、クランの手を探し当てて握る。
手が冷たい。
熱が入る様にと、強く握りしめた。
「――それでも、余は簡単に命を差し上げる訳にはいきませんわ」
よく言った、クラン!!
「構わねえ、じゃあ、殺してやるよ」
優男が俺ごと切ろうと、踏み込んでくる。
相変わらず、早い。
執事も、抜け目なく脇からサーベルで狙っている。
クランは、剣すら抜いていない。
俺だけで、二人の手練れを裁くのは無理がある。
――でも!!
「エイム!!」
『――らじゃ、狙い撃つ』
魔石を通して指示を送ると、すぐに結果が出た。
「なっ!!」
「くっ!」
空からの、雷の矢の二連射。
その正確さ。
ほぼ距離など無かった俺とクランに当てる事など、あり得ない。
そんな針の穴を通すような天才的な技量。
「これ、は……」
その場に倒れて、執事が思い至ったという顔をした。
「そう、良く知ってるでしょう? あの子の技量は」
あの、狙撃手の腕はね。
「死んだのでは……?」
「厳重に、隠してました」
イリアに頼んでいた用事とは、全てこれだ。
「……おっかねえな、姐御。マジでおっかねえ」
サイラに作ってもらった雷の矢。
それを装備した狙撃手――エイムの一射。
身体を貫いた痺れで倒れた優男が、呻くように呟いた。
「――だがよ!!」
「なっ!」
いつの間にか握りしめていた土を目潰し代わりにと、優男に投げられて思わず腕で顔を庇ってしまう。
本当にしたたかで、しぶとい!
――その一瞬。
直ぐに雷を身体に纏わせて、斬撃を斥力で弾き返す準備をした、が――しまった!!
優男は俺の脇を通り過ぎた。
速い!
今までで最速か!?
エイムもさすがに狙いきれないか!
狙いは――!
「ダメええええええええええ!!」
クランの前に跳び出してきたのは――サイラ!!
この状況を予知でもしていたのかと思うほど、一人だけ反応していた。
今のサイラの動きは神憑りとでも言えばいいのか。
とても素質からは考えられない反応だ。
ここに至り、もはや状況を見送るだけ。
クランの前に身体を投げ出したサイラが、腕を広げて優男の長剣を受け止めようとする。
どれだけ神憑っていても、サイラがあれを受け止められるはずがない!
あの優男が、この程度で千載一遇のチャンスを棒に振るはずがない!
サイラ!!
「え――?」
サイラが切り捨てられる情景を頭に浮かべていた俺は、その光景に逆に驚いた。
「――っ」
あの優男が、振り切ろうとした長剣を、無理やり歯を食いしばって止めていた。
「――ぐっは……」
いや――その腹に、ダガーが突き刺さっていた。
「――やられた分は、返すぞ」
「ソルトさん!」
陣をかけてきたらしい黒ずくめが、片方のダガーを投擲していた。
「は……年貢の納め時か……」
優男が、自嘲するように呟いて崩れ落ちる。
「あ、ああ……」
その光景を見て、サイラが立っていられない程に、足を震わせた。
それを虚ろな目で見た優男が、冗談めかした笑顔を浮かべる。
「お前は……間違っちゃいねえよ、後悔なんて、しなくていい……げほっ」
優男が血を吐いた。
傷が深い。
――致命傷だろう。
「良い人間に巡り合えた、みたいで……ふ、良かった、じゃねえ、か……」
優男と目が合った。
ルフィンの街での飲み比べを思い出して、妙に胸が締め付けられる。
優男が笑顔を深くした。
キザったらしいウィンクを付けて。
何故か――サイラを託されたような、そんな気がした。
……さっき、黒ずくめの攻撃が当たったから止まった?
そうじゃ……ない気がする。
「……は、くそったれた、何処とも知れねえ戦場じゃなくて――――の前で逝けるなんて、ついてる、ねえ……」
穏やかな顔をして――優男が眠った。
そして未だに震えるサイラの肩に、クランが手を置いた。
跳ねるように驚くサイラの肩を優しく撫でて、クランはそのまま前に出た。
「――パルシウス、気は済んだかしら?」
「――どういう訳か、それなりに晴れやかな気分です、姫様」
優男より体力がないのだろう。
エイムの一射によって未だに地に伏す執事が、憑きものが落ちたような穏やかさで答えた。
「そう、貴方とは長い付き合いだったわね、パル」
「勿体ないお言葉です。初めて姫様と出会った時など、ただの浮浪者でしかなかったわたしを」
「あの頃から、余を殺そうと思っていた?」
「――はい、といっても、姫様という訳ではありません。権力を握っている人物を、という事です」
「お父様とお母様を殺したのは、貴方?」
「違います、が……いつかはわたしがやったかもしれません」
「どうして、今まで余を殺さなかったのです?」
「マリア殿が居るので、手の出しようが無かったのです。彼女の目が離れた場所でないと、どうしようもない」
「それで今、王都に滞在するこの時ですか」
クランセスカが魔剣を抜いた。
「――何か言い残すことはありますか?」
その言葉に、執事が隣で先に眠った同胞に目を向けて――それからサイラを見た。
「どうか、同胞に慈悲の心を賜りますよう」
言えた義理ではないですが――と、執事は自嘲しながら呟いた。
その言葉に、クランセスカはどこまでも真摯に頷いた。
「この憎しみの連鎖はパルシウス、貴方の命を持って断ち切るものとする。これより一切、余は汝の同胞たちに差別を向けたりしない」
「――――公国の偉大なる姫殿下に、最大級の感謝を捧げます」
穏やかに笑った執事に、クランセスカが魔剣を突き刺した――――




