チャーム
戦場の趨勢は決まったと言って良い。
白竜を倒したことによるウィルミントン兵の士気の高まりに反比例するように、敵の士気が落ちている。
加えて、祖国を守るという明確な意識を持ち、まして指揮官が前線で戦っているウィルミントンの兵の勢いは敵国の兵に付け入る隙を与えない。
……逆に指揮官がやられてしまうという、一発逆転の芽が残っているけれど。
「クラン、後ろに下がりましょう?」
「……そう、ですわね。これ以上は、兵の邪魔になりかねませんわ」
クランも同じことを考えていたのか、素直に頷いてくれる。
良かった、血気盛んに推して参ったらどうしようかと。
「――――もう、行くのかえ? 折角用意した舞台、もっと我を楽しませておくれ」
背後から、全身を金縛りにさせるほどに戦慄させる声。
聞き覚えのある、ひどく楽しそうな声。
それは――本当に耳元で囁かれた。
突然背後から腹に手を回され、もう一方の手で顎に手を添えられている。
どこか官能的に、抱き締められている。
「リ……ブラ……」
――しまった、ここでか!
白髪と赤い目が、何処か死神を思わせる姉弟子。
褐色の肌に、以前見た時と同じ服装なら露出の高い胸元の見えるそれで、後ろから密着してくる。
そして背後から俺の肩に、自分の顎を乗せてくる。
吐息が聞こえるほど近い。
しかし、イリアに抱きしめられた時のような熱さは感じない。
ただひたすらに、寒気がする。
予想はしていた。
予想はしていたんだ!
でもそれだけでは無意味。
事実は今、どうやったって、ここから巻き返せないという一点のみ。
気配すら読めずに、後ろを取られた。
あの転移魔法か?
くそっ!
「震えておるのかえ? あはは! かわいい妹弟子じゃないか! 知っているよ、アリス。汝の事は知っている! 我は物知りだからね!」
「お、おのれ! アリスから離れなさい!」
クランが、剣を構えるが――!
「止めて! 手を出しちゃ、ダメ……! 絶対に!」
無理だ。
無謀だ。
クランが弱いと言っている訳じゃない。
リブラが危険過ぎるのだ、ティルに忠告させるほど。
よって万歳アタックなんて、必要ない。
巻き返すためにどうするか?
必要なのは、冷静さだ。
どうする?
どうしたらいい?
「クランは早く……後退して? ね?」
怖い。
怖いけど、精一杯の笑顔をクランに向ける。
俺が捕まっているのを取引材料に、クランの命などを要求されても困る。
……もちろん、俺の命が消えるのも困るが。
「――――却下ですわ、アリス。ここはネゴシエイトさせて頂きます」
クランは頭がいい。
多分、目があった時に俺が考えている事が分かったのだろう。
魔剣を鞘に納めて、クランが肩の力を敢えて抜いた。
……理解した上でのクランの結論だ、任せるか?
「あっははははははは!! いいね! 楽しいね!」
「余はクランセスカ・ウィルミントン。貴方のお名前を伺っても?」
「いいよ! 我はリブラ。このアリスの姉弟子にして、世界で二番目の魔法使いかな!」
楽しければ、それでいい。
リブラからはそんな雰囲気を感じる。
実際は、何か企んでいるのだろうが……
「では、リブラ。大言吐きで、謙虚な魔法使いさん。あなたはアリスを殺さなかった、ここに交渉の余地があると思えるのだけれど、いかがかしら?」
「あははっ、そんなのはただの気まぐれ、暇つぶしに過ぎない――次の瞬間、この首を捻りつぶしても、我は別に構わない!」
異議ありっ!!
俺の無防備な首筋を、リブラの手が蛇のように這う。
気持ち悪い……!
「だめですわ、リブラ? アリスの無事は余にとっての最大の利益。そこが崩れた瞬間、この交渉の決裂は決定的。後は――――いかなる手段を用いても、貴方を八つ裂きにする選択肢しかあり得ませんわ」
「我を八つ裂きにできる人間は、この世でただ一人! まぁ、面白いけど、汝には無理かな!」
意に介さないリブラに、まるで臆することなくクランが肩をすくめる。
「余は、いかなる手段を用いてでも、と申しましたわ? リブラ」
クランの紫の瞳が、残虐性を秘めたものに変わる。
見るものの不安を煽る振る舞い。
こちらまで不安になってくる。
本当に、大丈夫……だよね?
「へえ! ここでアリスを殺して、汝を殺しても、それでも我を追い詰める手はある……そういう策士かな? 楽しいね! 面白いね!」
「理解してもらえたようで、嬉しいですわ。では、余の希望は伝えましたし、貴方の希望を伺いましょう、リブラ」
「そうさねえ……思いついた!」
「――あっ……!」
楽しそうな声を出した瞬間、いきなりリブラの手が、俺の胸をまさぐるように掴んできた。
皮の胸当ての内側に、リブラの手が滑り込んで来る――
「やめ……っ」
「あははっ、我も少し興奮してきた! 血生臭い戦場の真ん中で、男共にサービスでもしてやった方が良いと思わないかい? ねえ? 思うだろう? という訳で、アリスのレイプショーというのはどうかな!?」
却下するううううううう!!!!
ふざけんな!
上等だ、やってやんよ?
差し違える覚悟が、たった今できたわ!
「――何を言うのです、アリスを男に渡すなど愚の骨頂。アリスは余の娼婦になるために生まれてきたのですから。そんな用途に使うなら、今すぐ余に返しなさい、リブラ」
「訳わかんない交渉しだした!」
頭大丈夫だよね、クラン!?
信じていいんだよね!?
「あははっ! なかなか話の分かる楽しい人間じゃないか! そういう歪み、我は大好きだよ!」
「嬉しいですわ、リブラ。ですが、余の要求はアリスの無事。もちろん、『そういう意味』も含めてです。ここを譲るつもりはありません。その代り、それ以外の要求を聞いてあげることは出来る立場の人間であると思うのだけれど? 建設的な話をしませんこと? リブラ」
「なるほど!」
笑いながら、リブラが俺の胸をまさぐるのをやめた。
は~~~~~、ほっとした……
…………乱暴にするから、ちょっとズレちゃったじゃないか。
「では――共和国と戦争をしてもらいたいね!」
「――大きく出ましたわね、リブラ」
共和国と戦争?
一体、何の目的だ……?
共和国……くそ、実現したらサイラが泣くぞ!
それだけでも済まないのに!
「……余は、向こうから仕掛けて来る分には立ち向かう事に躊躇はしませんわ。降りかかる火の粉は払う主義ですの、この回答では気に入らない? リブラ」
「あははっ! いいや? 満足だよ! クランセスカ・ウィルミントン!」
クラン!!
彼女と目が合うが、その眼はいつか見た冷徹さが見て取れる。
この子は……!
「その言葉が嘘かどうかに興味はないよ! 我は汝を見て楽しめた! それで十分かな――行くよ、アミナス!」
アミナス……?
突然、第三者の名前が告げられて――――白竜が倒れた場所から、人が起き上がった。
俺たちの視線を意に介す様子もなく、リブラの背後へと歩いていく。
まるで主の傍に控えるように――
「……」
白と黒のまだらの髪。
切れ長の目元、そのエメラルドの瞳。
線の細い、中性的な容貌。
引き結んだ口からは、余計な言葉は出てこない。
そして、腹部と首筋にある怪我。
「まさか……あの、白竜!?」
直感的に、思い至る。
でも、そうだとしても、普通に考えて致命傷だったはず!
それに名前……シリウスじゃないのか?
「……どういうことですの?」
人型の姿を見て、やはりそういうことかと思ったが、これは……!
圧倒的にまずい……!
交渉の余地もないくらい不利だ!
やはり最初からリブラは遊んでいるだけか!
まぁ、実際俺が生きている時点でそうだけど……
「竜契約はこの我を依代にしているからね! いくらか魂を使ってしまったけど、まぁ、良いさ! 楽しませてもらったからね、妹弟子には! それに、大量の魂を集めることも出来たし、ここでの我の目的は達成かな!」
――目的の達成?
その言葉を聞いて、頭に血が上った。
「――どういうことですか?」
「へ~え?」
リブラが、俺の態度にあくまでおかしそうな声で応える。
「どういう? あはは! 我は目的の為に魂が必要だった。でもその魂はさ、我が自ら殺しては意味がないんだ。難儀だろう? だから扇動する。ヒューマンは単純でいいね! 欲望の塊だから、すぐに楽な方に流される! ……まぁそれはヒューマンに限ったことじゃないかねぇ? 我には良く分からない理由で動く人間もいるしね。利害さえ一致すれば、どうでも良いんだけどね!」
本当に、良く喋る……!
「そんなことばかり、してるんですか……あなたは!」
魂?
魂が必要で、自分で殺しても意味がないから、人を扇動する?
そうやって、不幸をまき散らせてきた?
「――おっと! まだまだ話してあげたい所だけど、来たかな? 王都にダミーを色々置いておいたけど、足止めにもならないか! 相変わらず怖い人だよ!」
リブラが上空を見上げた。
蒼い光りを纏った何かが、空を駆けて近づいてくる。
鷹の急降下を思わせる速度で地面に激突する瞬間、大地から蒼い氷が生まれ出る。
その氷が爆ぜてまるで逆風でも吹いたかのように勢いを殺し、ふわりと大地に足を着く人影。
氷の結晶を纏わせて、ここに最強が降臨する。
「あ、貴方……氷雪の!」
その姿に、クランが声を上げる。
まさに、ティルベル・エインシャウラ。
その人である。
「早かったね、おばば! 確か王都に居たはずだと思ったけど? どういうことかな? 竜も一〇匹は召喚してたはずだけど?」
ティルの登場にも、リブラはまるで動じない。
以前だって、敢えてティルの前に顔を出したくらいだ。
恐れていないということか……
「そうよのう――ついさっき王都を出て、たった今到着したに過ぎんが? そもそもあんな下等種で、妾の相手が務まるか。何か驚くようなことでもあるのか?」
……何を言ってるんだ、この人は?
ここは、馬で駆けて丸一日の距離だぞ?
ついさっきって、ついさっきの、事?
それに竜……一〇匹!?
「あはははっ! さすがおばば! 格が違う! わざわざここに来たのは、ブレスで我の魔力を気取られてしまったということかな? あれは魔力供給が多くていけないね。妹弟子があまりに健気で、少しばかり興が乗り過ぎてしまったかな? もう少し、魂で誤魔化せばよかったよ」
「――アイシクル・ガーデン」
ティルがリブラの話を一切無視して、突然魔法を唱える。
蒼い氷の結界が、俺たちを含めて辺り一帯をドーム状に囲い込んでしまう。
外の様子は一切窺い知れない。
分厚すぎる隔絶された氷の結界。
借り物とはレベルの違う、ティルの唱えた、ティルの魔法。
蒼い世界に、閉じ込められる。
「相変わらず、良く喋る。どれだけ強くなったのかは知らぬが、それは悪癖だと教えておいたはずだがのう――もはや、逃げられぬぞ?」
ティルが淡々と、凄むでもなく忠告する。
それが……余計恐ろしい。
――それでも、リブラの態度は変わらない。
何がおかしいのか、喉の奥でくぐもったような笑い声を出し続ける。
頭がおかしいんじゃないか?
俺なら、こんな状況でティルに宣告されたら、無条件で降伏したくなる。
「ご心配なく、おばば。想定内。我はこの世で一番おばばが怖い、そしておばばを愛している。だから、尻尾を巻いて逃げる算段は万全だよ」
「……やれやれ、またイタチごっこを続ける気か。妾の結界さえ潜れるという訳か。器用さだけは、歯が立たんのう」
うんざり、といった様子でティルが呟く。
「あははっ、いつまでも続ける気はないよ! もう少しだけ待って欲しい! その時、決着を付けよう、ね、おばば?」
「妾は今すぐに決着を付けたくてかなわんがのう」
「それは無理だよ。ねえ、おばば? この妹弟子、可愛いと思わないかい? 我は凄く気に入っているんだ――死んでほしく、ないよね?」
「――っ」
首筋を舐められて、鳥肌が立った。
「……やれやれ」
ティルの半眼が、俺に突き刺さる。
もしかしなくても、これ……ティル対策ってことで捕まってたんですかね、俺?
だから今まで生きてたんですかね……
スミマセン……
だって、気配も何もなかったんですよ!?
気づいた時には後ろを取られていたんですよ!?
俺は悪く――
「――」
――なくは無いかも。
ティルとアイコンタクトが成立した。
――地獄に落とす。
その眼が、口ほどにものを雄弁に語っていた。
死ぬ!
死んでしまう!!
「そういう甘い所が大好きだよ! またね、おばば! 次こそは決着を付けよう!」
「さっさと行け。これで二度目……次は無いぞ」
リブラの足元に魔法陣が浮かび上がる。
アミナスと呼ばれた白竜も、追随するようにその陣に入った。
……いやいや、このままだと、捕まっている俺も転移しちゃうんじゃないの?
「あはは! 心配するな妹弟子! 転移の瞬間に解放してあげる!」
一先ず、ほっとした。
が――
「さあ――お行き? お友達と、遊んであげるといい――!」
首筋に、灼熱が走った。
――噛まれている!
「あ――っぐっ!」
なに、を――!
「アリス!! リブラぁ! 約束を違えるのね!!」
クランが明らかな怒りを顔に出す。
鞘から魔剣を抜き放った。
それをティルが宥めるように止める。
「待て! まだ動くな! 馬鹿弟子の事を思うなら、余計に動くな……一瞬で殺されるぞ」
殺される?
殺す?
ああ――
…………
そうか……
コロス。
「――コロス、そうだ……コロさないと」
「……チャームにかかりおったか」
首筋から、リブラが顔を上げた。
「魂は十分過ぎるほど集まったけど、ここでまだ戦う訳にもいかないんだ! フィナーレはとっておこう、おばば! それから、お姫様! 約束は少し違えたが、許しておくれ? 面白い余興を用意したからね!」
もう一度、リブラが首筋を舐めてくる。
流れる血がリブラに舐めとられた。
それから背中を押される。
一歩前に出ると――――すぐに背後で光が明滅して、リブラ達の気配が消えた。
「アリス!!」
「待て……」
近づこうとしたクランを、再度ティルが止めた。
「いい加減にして下さいな! アリスは怪我をしていますわ! 止血だけでもしてあげないと!」
「――正気に戻ってからの話よ」
ああ、邪魔をしてくれるな。
せっかく――絶好の機会だったのに。
「ねえ……クラン。私、凄く気分が良いの、これ何……身体が熱い」
首筋の自分の血を指で掬い取って、舐めあげる。
「あ、アリス……?」
俺を見るクランが、驚いたような顔をしつつ――頬を染めている。
ああ、クラン……どうしてそんな顔をするの?
凄くオイシソウ!
――身体に雷を通して一瞬で距離を詰め、無防備なクランに体当たりする。
「っなにを!?」
あまりにも虚を突かれたと云った様子で、俺の体当たりをまともに受けたクランと、そのまま二人折り重なる様に倒れた。
彼女の手を押さえつけて、上からのしかかる。
指揮官用のクランの戦装束は、自身の髪と合わせて桃色と白が合わさった豪奢な物。
手にはガントレットを装備して、足にはカリガ。
豪奢なドレス風のロングスカートの戦装束に模様の入った鋼の鎧。
この装備を見るだけで、明らかに俺よりも力も体力も上だろうが、クランは抵抗はしなかった。
「ど、どうしたんですの、アリス? こんな……恥ずかしいですわ」
それどころか、魔剣が危ないと思ったのか、手から放している。
俺に気を使ったのだろう。
なんて――隙だらけ!
「クラン――首が痛いの」
「え、ええ、アリス。血が出ていますわ、早く手当させて下さい」
「いらない、その代わり――クランも同じ様にしてあげる!」
「え? ――いっ! アリス! やめっ!」
クランの首筋に吸い付いた。
思いっきり吸い付いて、痕を残す。
征服欲が、満たされる。
そして、それをいたわる様に滑らかな肌に舌を這わす。
――甘い、クランの味がする。
「――あっ、いやっ……」
「ねえ、クラン――私と一緒に、堕ちよう?」
「あり、す……」
紅潮したクランの顔に手を添えて、その泣きぼくろを指でなぞる。
「余は……」
改めて、その首を噛みちぎらんと口を近付けて――
「クラン――って、つめたあああああああああ!!」
突然、首筋に氷を当てられてクランから跳び上がって離れた。
「びっくりしたあああ! 何!? 何ですか!?」
首筋に手を当てると、氷の結晶が首に纏わりついている。
それにどんどん熱を奪われている。
「あ……なに? 力、抜ける……」
足に力が入らなくなって、前のめりに倒れかけたところを、ティルに支えられた。
小さい身体だが、俺よりも力があるのか。
俺を支えた位ではビクともしない。
「目が覚めたか、馬鹿弟子が」
「ティル……」
目が覚めたって……言われても。
先ほどまでのことを思い出してみて――――青ざめた。
困ったことに、自分が何をしていたのか、はっきり覚えて……
「――アリス」
クランが立ち上がって、身繕いをしながら俺を睨んでくる。
そして、首筋を押さえて頬を染めていた。
「言いたいことは、ありますの? 釈明を聞きますわ」
だから、その言葉に返す言葉は一つしかない訳で……
「――記憶にございません」
「そんな政治家みたいな言い訳が、通ると思っているんですの!!」
無理でしたか!




