深緑の森で
窓から見える北の空はどんどん黒く染まっている。
いや、もう北の空というよりリンナルの上空までその影響は及んできていた。
リンナルは開拓民としてタフな人たちが多いが、それでも不安はぬぐえないのだろう、街全体にどこか活気が足りない。
「これは……急がないといけませんね」
「ん……」
おっと。
思わず声に出してしまったら、俺の膝枕でお昼寝中だった愛娘が起きてしまった。
しばらく寝惚けた目をしていたが、やがて目がばっちり合った。
「お、おはようございます、お母様」
「うん、おはようシルヴィちゃん」
もう昼だけどね。
「ちゃ、ちゃん付けはおやめください……」
俺に顔をじっと見られるのが恥ずかしかったのか、単に抗議のつもりなのか、俺の腹の方に顔を押し付けて隠れようとする。
可愛いのう。
さらさらの髪を撫でてあげる。
「ゃぁ……」
耳まで真っ赤になっちゃってるけど、大丈夫か?
なんか俺、分かっちゃった。
この子、普段相当にしっかりしてるし賢いのは間違いない。
しかも妹を始め、この歳で人の面倒を見たり甘やかしたりするのに慣れてもいる。
だが自身を甘やかされるのが苦手すぎるのだ。
俺に甘やかされるのを嫌がってる訳ではなさそうだから、慣れてないんだろう。
優しく頭を撫でてやっていると、ぐりぐりと俺のお腹に顔を擦り付けてくる。
う~~ん、可愛い。
「お嬢様、よろしいですか?」
「あ、ちょっと待って」
イリアからノックの音が聞こえてすぐ、シルヴィちゃんが動いた。
高速で椅子に座り直し、素早く髪を整えて、服の皺を簡単に伸ばす。
いきなり淑女になった。
笑う。
「ふふ、どーぞ」
「失礼します。ああ、シルヴィス様もご一緒でしたか」
「ええ、イリア。ご苦労様」
ギャップが激しいが、これも別に猫を被ってる訳ではなくて、プリンセス・シルヴィスの通常バージョンです。
ちなみに隠す事でもない、と本人が言うので正体は早々にみんなにバラしている。
「深緑の森への探索ですが、お姉さまとマリア様と手分けして浅いところまではマッピングできました。しかし――」
イリアが手に持ってきていたマップを机に広げた。
指さしたのは、まだマップできていないはるか北側の部分。
「ちょうどこの境界線。この場所から先は森のどこから進んでも深い霧に覆われており、少しでも足を踏み入れると――」
指を森の入り口に差し直す。
「強制的に転移されます」
「人を寄せ付けない仕掛けですか」
これを超えていかない限りは、あの暗闇の空の元へ辿り着けない。
「そういえば共和国のあの戦の目的が……ウィルミントンにある『何か』だったって話だけど」
「はい、それはマリア様が調査されております。特殊な周期だったのか、それとも他に原因があったのか、南のあの森が深緑の森の先に続いている――いたのは間違いありません。しかし、その道は今は閉ざされております。調査は続けているそうですが、やはりこのリンナルから北に向かうしかないかと」
なるほどねぇ。
「イリアは? 妖精郷の近くに住んでたんでしょう? 竜って」
「お嬢様、私は捨てられた竜。召喚されたり捨てられた竜は転移で森の外に放り出されるのです。道順など分かりません」
なんて世知辛い種族だろう。
この森の先にもエルフは住んでるって聞いたことあるけど……思い当たる人居ないしな。
「なるほど、ここまでマップされているのなら十分です。わたくしがご案内できるかと」
と、マップを眺めていたシルヴィちゃんが、なんでもないように声を上げる。
「え? もしかして、行ったことあるの?」
「いいえ、ですがわたくしの目的も北にありましたから、元の世界でエルフの里までの道順は聞いておりました」
ドキリと心臓が跳ねた。
「だ、誰に……聞いたの?」
シルヴィちゃんは本当に聡い子だ。
俺の顔を見て少しだけ表情を曇らせたが、次の瞬間は仮面を被ったように澄ました顔で答えた。
「氷雪の魔女――ティルベル・エインシャウラ様ですわ」
ずるい……
世界線が交じり合ったら、どんなに望みの世界が出来上がるんだろう?
「ですから、まずはエルフの里を目指しましょう。深緑の森の、霧の迷宮を超えて」
方針は決まった。
◇■◇■◇
しっかりとした旅支度を整えて、おっさんとおばさんに盛大に送り出されて、俺たちは深緑の森に足を踏み入れた。
九尾の狐と出会った魔封じの森のように、大自然に圧倒される。
「アリス、大丈夫か?」
「大丈夫ですよお姉ちゃん、私も森には慣れたものです」
なんてったってエルフは森の種族と言われるくらいだからね。
……まあ、俺にはあんまり関係ないが。
しかし、これでも色々と森は踏破してきてるからな!
そして今回の隊列はシオンさんが先頭を歩き、最後尾はマリアさん。
強キャラに挟まれる安心感。
「あ、シルヴィちゃん、あんまり早く歩かないでね?」
「はい、お母様」
「シトラ、足元木の根っこ気を付けて」
「大丈夫です、アリス様」
……なんか俺、心配性なんだろうか?
うっとうしい奴って思われかねないぞ。
変なことに思い悩んでいたら、突然頭をぎゅっとイリアに抱きしめられた。
「へあ!?」
「いえ、お嬢様がぼ~とされていたので、たぶん、このままだと木の枝にぶつかるな、と」
イリアが目の前の、ちょうど頭の高さにある木の枝を指さした。
……うん、ぶつかってた。
まったく気づいてなかった。
でも人に気をつけろ気をつけろと言っておいて、そんな格好悪い事言える?
「……こほん、御苦労さまでしたイリア。もちろん気づいていましたが、あなたの献身性は高く評価します」
「ありがとうございます、お嬢様」
おい待て、ちょっと顔が笑ってるぞイリア。
あ、いや全員うっすら笑ってるぞ?
し、シルヴィちゃんまで?
「ごめんごめんアリス、今度から邪魔になりそうな枝は切っておくよ」
「なんの謝罪か分かりませんが、お姉ちゃんがそうしたいなら、そうすればいいと思います、ぶう」
「はいよ、お姫様」
頬を膨らます俺に姉は恭しく頭を垂れた。
やめて、死にたい。
「あらあらまあまあ」
そんなやりとりを、後ろから楽しそうにマリアさんが眺めておりました。
◇■◇■◇
シルヴィちゃんの案内の元、霧の迷宮の入り口、と言われる場所の目の前まで来ていた。
言われた通り、真昼でも一寸先の景色が見えない霧だ。
たとえ入り口に転移させられなくても、とても手探りで抜けられるものじゃない。
無理はせず、一旦ここでキャンプすることにした。
テントの設営、薪の確保、炊事の用意。
こーゆーのは俺は好きだから、率先して作業する。
イリアとシルヴィちゃん、それにシトラも手伝ってくれるから人数はもう十分。
そしてお姉ちゃんはマリアさんに頼み込んで模擬戦をしていた。
「はっ、はあ!!」
裂ぱくの気合と共に、目にも止まらぬ剣閃がマリアさんに降りかかる。
数多の強敵を退けたシオンさんの剣は、マリアさんによって全て受け流される。
「くっ、当たらない!」
いや本当に……
改めて見るとマリアさん本当に凄いな。
実質一人で国境線を食い止めていたんだろうしねぇ。
それはティルのレベルだ……
「目を見張る剣の技量、シオン様はいずれ剣聖と呼ばれる高みに手が届くでしょうね」
「はぁはぁ、今そんなこと言われても、全然嬉しくないんだけどね」
体力的な話で、マリアさんはまだ余裕だがシオンさんがへばった。
「ありがとうマリアさん、いい稽古になった」
「こちらこそ」
マリアさんは剣を鞘に納める動作もカッコいいなぁ。
「シオン様、どうぞ」
シルヴィちゃんがシオンさんにタオルを持っていく。
それを受け取ってシオンさんがシルヴィちゃんの頭を撫でた。
「ありがとな、シルヴィ。はは、本当にアリスの面影があるな」
その言葉通り、シオンさんは愛娘を俺のように可愛がってくれるから嬉しい。
「ありがとうございます、お母様のようになれたら嬉しいです」
と、愛想笑いを感じさせない完璧なスマイル。
出来過ぎか?
「そうだ、シルヴィもマリアさんと手合わせしたらどうだい? 剣は使えるんだろ? ここから先は、強くないとね」
冗談っぽく言ってるが、目は真剣だ。
戦いの怖さを、シオンさんはよく知っているから。
シトラにそれを言わないのは、彼女は十分にその意味分かっているから。
あの戦場でずっと戦っていた二人だしね。
「……」
シルヴィちゃんは少し考えてから、マリアさんに視線を向けた。
マリアさんは首を傾げて「やりますか?」と目で問うてくる。
「承知しました。胸を借ります、マリア」
「畏まりました、姫様」
すごく変な気分なんだけど、シルヴィちゃんは正真正銘のお姫様だから、立場的にマリアさんの上なんだよね。
帝王学的には間違えてないから、まあいいや。
シルヴィちゃんが細剣を抜いた。
姿勢正しく、剣を立てて背筋を伸ばす。
「魔剣クォーレ・ディ・ソル。うふふ、師はクランですか。よく修練しているようですね」
一目見て、懐かしそうに微笑んだ。
マリアさんも、もう一度聖剣セイクリッド・ティアを構える。
「では、わたくしが立会人となりましょう」
イリアが二人の間に立つ。
空気が張り詰めた。
マリアさんは自然体、対するシルヴィちゃんは……こっちも自然体。
大したもんだ、この歳で……
「大丈夫でしょうか……」
シトラがシルヴィちゃんの心配をする。
確かこの子12歳って言ってたよね?
今のシルヴィちゃんより2つ年上なだけで、まあ同年代か。
「加減を間違える人じゃないですから、マリアさんは」
「ウィルミントンの聖騎士殿……不思議な感じです」
まあ殺し合っていたからな、この聖騎士と聖女も。
「同じ釜の飯を食うと、もう仲間……というのが私の故郷の諺です。今日は私が美味しいもの作りますから期待しててね」
テントの前に設置した飯盒を指さしてウィンク。
「……はい、楽しみです。アリス様」
おっと、会話してる間に立ち合いが始まっていた。
シルヴィちゃんが軽快に踏み込んでいく。
マリアさんは動かない。
まずは受けてみたいって事だろう。
シルヴィちゃんは素早く細剣の突きを入れていく。
「早い」
「ああ、確かに目を見張る早さだ」
一突き二突きで終わることなく、無限に続くかと思うほど絶え間ない連撃。
しかも息を切らすことなく、体勢すら崩さない足運び、身体の使い方。
「へえ、天才か……なるほどね」
シオンさんが感心している。
ちなみに、現状その突きはすべてマリアさんに受けられているんだが。
剣を当てて突きを流している。
細剣より重量のある長剣で、よくもまあ、あそこまで細かいことができるもんだ。
「あはは、天才対天才の戦いだね。これは見物だ」
「なんか楽しそうですね、お姉ちゃん。私ハラハラするんですけど……」
「そりゃまあ、アリスはお母さんだからね。純粋に戦士として観ているとワクワクするよ」
お母さん、お母さんか。
俺って、お腹痛めてない後ろめたさ……みたいなのあるんだけどな?
痛めたのクランだし。
「分かりました、じゃあお父さんとして応援します。がんばれがんばれ!」
「どういう考えからそういう結論に至ったのか謎だよ……」
俺はミステリアスな女。
冗談は置いといて、シルヴィちゃんの雰囲気変わったな?
別に俺の応援が届いた訳でもないだろうが、攻め方が変わる。
「――行きます」
「存分に」
桃色の輝き……魔法か!
これはクランにはなかった戦い方だな!
使う魔法は――
「凍てつく吐息よ、舞い踊って刃と化せ! ブリザー!!」
氷魔法か!
氷魔法、氷魔法か!!
胸が熱くなる。
桃色の氷弾。
なかなかの魔力、なかなかの一撃だ!
魔法の専門家としては、剣の戦いよりこちらの方が興味を惹く。
「ディヴァイン・ウォール!」
マリアさんの魔法!
光の壁が桃色の氷弾をすべて弾く。
これは……前から思ったけど、何魔法だろう?
3系統外の特殊魔法だな、きっと。
リブラも変な魔法使ってたし。
これは俺も勉強しないと……
「ふふ、楽しそうな顔になってきたじゃないか、アリスも」
「ま、まあ……二人ともなかなかの魔法ですね、まだまだですけど」
「はは、さすが魔法の最高峰、エインシャウラ様だ」
「ふふん、もっと褒めてもいいんですよ?」
デコピンされた。
いたい。
「ですが、素晴らしい使い手ですね、お二人とも。聖騎士様はもとより、シルヴィス様も」
そうなんだよねぇ。
シトラもその見えない目でよく戦況を把握できてる。
シルヴィちゃん、本当に強い。
彼女は魔法を使い始めたが、魔法一辺倒にはならない。
魔法と剣技を組み合わせたスタイル……魔法剣士だな。
それこそマリアさんの後継者みたいな。
なるほどねぇ、マキナがルミナじゃなくてシルヴィなら、なんて呟いた事あったもんな。
この完成度……子供とは思えない。
「これは……心躍りますね、手応えはクランどころではありませんか」
マリアさんからも感嘆の声が漏れてるし。
はは、しかもクランより上って言われちゃってるよ。
呑気に観戦していた者、実力を図ろうと緩めていた者、そんな大人の緩さを――――彼女は見逃さなかった。
「戦技――クリスタル・スラスト!」
――は?
戦技って?
シルヴィちゃんの、奥の手?
ここで!? 今っ!!?
爆発的な加速の刺突だ。
他の一切を置き去りにする、光速の一刺し。
まさに必殺。
桃色の氷魔法がはじき出すようにシルヴィちゃんを押し出して――これは、入る!!
あぶなっ!
「――っタイム・アクセラレータ!」
マリアさんの、そんな声が聞こえた――気がした。
次の瞬間、コマ落ちしたように過程が抜けて、結果が横たわっていた。
――シルヴィちゃんが、倒れていた。
「……え?」
「なんだ?」
「今のは……」
成り行きを見守っていた全員が、事態を掴めていない。
「あ、それまで! マリア様の勝ちです! い、いえそれより……シルヴィス様! 大丈夫でございますか!?」
模擬戦を止めたイリアが、急いで倒れた娘に駆け寄った。
「あ、負けましたか……未熟ですね」
なんでもないように、シルヴィちゃんが起き上がる。
む、少々ダメージが深いな?
あれはやせ我慢だ、まったく。
「ヒール」
傍に寄って、娘の腕を問答無用で癒す。
たぶん、ヒビ入ってるな。
「お母様……」
この歳でやせ我慢はしてほしくないなぁ。
「……姫様、アリス様、私の不手際です、申し訳ございません」
「ああ、いえいえ。胸を借りたのはシルヴィちゃんですから、厳しく指導してくれたらいいんですよ。この歳で調子に乗ったらかないませんから、ね?」
「もう、お母様……わたくしは、調子になど乗りません。ふふ、それにマリア、流石です。正直最後はとったと思ったのですが……あなたまだ隠し玉を持っていましたね?」
そうだっ!
全員目が点になってるんだが?
マリアさんは、こほんと咳払いして、とびっきりのスマイルを浮かべた。
「さあ? 秘密です」
この人、絶対やばいわ。
そして我が愛娘も強すぎるわ。
霧の迷宮の前で、仲間の底知れなさを感じました。




