第3話 ありがとうを大きな声で言うこと、ごめんなさいを早めに言うこと
メイリが作る玲瓏館の紅茶は美味い。しかし――
「あ、アルスティアさん、こちらもどうぞ――」
「――――ありがとう……ございます……」
「あ、あのさ、アリアちゃん――どう、かな……?美味しい?そのシュークリーム――」
「――――ええ、あの……はい……美味しいです……」
「そうですか、良かったですね。アルスティアさん」
「…………」
彼女はいつもタイミングが悪かった。彼女の淹れる茶がそのポテンシャルを十全に発揮したことは恐らくこの玲瓏館において数えるほどしかない。
「あ、あの、アルスティアさ――」
「ごめんなさい……折角来てくださったのに……ちょっと体調が悪くて……」
「そ、そうなんだ、ごめんね無理させちゃって――」
「え?本当ですか!?どこが悪いんですか?お薬――」
「メイリさん――」
前のめりになるメイリを窘めつつ、ミーシャはアリアに向き合った。
「ごめんね、とりあえず今日はもう部屋に戻って、ゆっくりお休み」
「ごめんなさい……これ、お部屋でいただきますね。だから、その……お先に失礼します……お疲れさまでした」
「はいー、お大事にねー」
食堂の背丈の高い椅子から立ち上がったアリアは、そのまま一つ会釈をしてその場を立ち去った。
「…………」
「…………」
メイリはアリアが立ち去った空席を暗澹とした表情で見つめる。メイリの淹れた紅茶はついぞ手が付けられることはなかった。
「――――もしかして、私、避けられてます?」
「うん、避けられてるね」
「朝は別になんともなさそうだったのに……もしかして……?」
「うん、もしかしなくても仮病だね。私が見る限り――精神面を除けば――アリアちゃんの体は健康そのものだよ。その辺りは安心してくれていいよ」
「やっぱゆうしゃこわい」
なんと恐ろしいこと……かの勇者の前では仮病で休暇を取ることすら叶わないのだろうか。
「……あんまりそういう事言わないで……ちょっと傷つくから……」
「あ、その……ごめんなさい……」
アリアとメイリの間に流れた、ギスギスとした空気が伝播して、残された二人の間にも少しだけ、不穏な空気が流れ始めた。
「――――メイリさん……一応聞いておくけど……本っ当に何もしてないんだよね?」
メイリの数々のノンデリ発言を思い起こしたミーシャが、最終的には疑いの目を目の前の友人に向けざるを得なくなったのは当然の成り行きだった。
「え?…………どうだろう…………でも、朝は普通だったと思うし……午後は……そもそも……まともにお話ししてくれな――――」
もともと泣きそうな顔をして縋りついていたメイリが、今度こそ涙を流す勢いで、顔を歪ませた。
「あーー!!ごめんごめん!!辛かったねメイリちゃん、もう大丈夫だからねー」
もう少女を通り越して幼女だった。
(知らなかった……こうもメイリさんのメンタルがよわよわだったなんて……)
ミーシャは彼女の異常なほどの面の皮の厚さが、その豆腐のようなメンタルを守るために必要に駆られて、その層を厚くしていたことに、ようやく思い至った。
(きっと私の時も、すごく無理をしていたはずなのに……それから日も空けないうちにまたこんな……これは少しやり過ぎかもしれないよ……エル君……)
悠久の時を生きるネームドにとって、こういった環境の激変は時には、本人に多大な精神的苦痛をもたらす。根を断たれた大樹のごとく、一人で起き上がるのは非常に困難で、しかし、彼らは枯れることはない。腐りゆく己の枝葉を眺めつつ、決して終わらぬ生の中、何者かもしくは、大いなる時の流れが自らを救うのを待つしかない。
(まあ、今回は環境の激変っていうほどでも無いと思うけど……メイリさんの生きてきた環境がね……)
甘やかしても主人の責任。厳しくしても主人の責任。しかし、親とはそういうものだエルハルトよ――――まあ、エルハルトは別に親ではないのだが……
(とにかく、アリアちゃんから上手いこと話しを聞き出さないと……)
ミーシャは縋りつくメイリを宥めながら、アリアが立ち去った食堂の両扉を見つめる。
(でもそれだけじゃだめ……あなたが立ち上がって、アリアちゃんの心に歩み寄らなくちゃいけないんだよメイリさん――)
ミーシャは持ち前の真眼で、この事態が自分一人の努力で解決できるものでは無いことを直感していた。
ミーシャはメイリが淹れてくれたティーカップに手を伸ばして、その中身をすすった。この繊細な味わいと暖かみは、もしかしたら彼女の秘めた本質に近いのかもしれない。だけどそれ故に、この味は彼女が本当に届けたいと思っている相手には、なかなかたどり着くことが出来ないのだろう。
(そしてアリアちゃんも――)
そして、それは片方だけの歩み寄りだけでは、成すことはできない。
しかし、自らもまた悠久の時を生きるネームドであるミーシャには、両者の間に立ちふさがる壁が、思ったより高いものであることを、痛いほど理解していた。
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