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「報告ありがとうございます。気をつけて向かってくださいね」
母に父と兄の様子を報告した私兵団の男は、頭を下げると部屋を出て行った。母は暗い顔をしながら私の前のソファに座る。今リベラは別室でルビナール商会について聞き取りを受けていて、私と母はその結果を父の執務室で待ちながら父と兄の近況報告を受けていた。
「デール、薬を飲みながらニチカ様の治療を続けているみたい。お父様と交代で治療にあたっているみたいだけれど、なかなか状況がよくならないみたいで」
「朝からスローパー家に向かっている事を考えるとほぼ一日蘇生術を使用している事になりますね。お兄様の魔力量を考えるとかなり無理をしていると思われます」
日はとうに暮れており、普段ならベッドに入っている時間になってしまった。
定期的に私兵団から父と兄の様子について連絡が入ってくるけれど、なかなか状況が良くならない。恐らく想像以上に魔力を消費している事で治療が長引いている。『アルデルファ』を服用していても追い付かない程、魔力を消費しているのだろう。兄がどれだけ疲弊しているのかが報告からも伝わってくる。
一般的な人間の魔力保有量と比較すると兄の魔力は平均以下だ。対する蘇生術はかなり魔力量を消費する術。そのため、兄は『アルデルファ』が完成するまではよく魔力切れを起こしてバテていた。
『破滅のアデル』では、リベラの助言によって兄の魔力が底上げされた描写があったけれど、具体的にどのような助言があったのかまでは記載がなかったため、対処方法は分かっていない。よって、兄は『アルデルファ』を服用しながら蘇生術を扱っているのだけれど、それが正しいかと言われれば答えは否となる。今回のように長く蘇生術を使う事になれば薬を飲み続ける事になるからだ。何事も過ぎれば毒になる。と言っても、父と兄は治癒術士だ。加減を誤る事はないと思うけれど……でもやはり心配は尽きない。
「ルーファ、もう遅くなるからそろそろ休みなさい」
「え、でも……」
「ルーファも朝からずっと頑張ってるのよ? 気を張り続けていたら更に身体を壊してしまうわ」
母が心配そうに私を見ている。
私が頑張っている? その言葉が私の中で引っかかる。果たしてそうだろうか。
父と兄はニチカの治療に全力で当たっていて、母はザケニアに手配された私兵団の調査やリベラへの聞き取り調査を指揮している。リベラも『攻撃内包型・代替免疫操作術』を完成させた。セツは私を、ムギはこの屋敷を守ってくれている。私はまだ何もやれていない。でも、きっと私の役目はこれからだ。
「お母様、リベラ様が完成させてくださった魔法をお父様とお兄様へ伝えに行きたいのです」
母はハーブティーを飲もうとティーカップを口元まで寄せていたけれど、驚きでティーカップを落としそうになっていた。
「今から? え、もう夜よ?」
「ええ。今からです。セツの力を借りる事になりますが、転移でスローパー家に向かう事ができればと考えております。人体実験はまだできておりませんが、リベラ様が完成させてくださったこの術でニチカ様への治療ができるかもしれません」
昼に実施した魔術式の実証実験では『攻撃内包型・代替免疫操作術』は動作していた。一般的に独自開発した魔法は、魔術式の通りに魔力を扱う事で実証実験を行う。魔術式で指定された通りに魔力が扱えるのか、指定通りに魔力を扱った結果、望む魔法が発動するかを実証実験では確認する。
デゼスが体内にいる人間がいないため、人体への実験はできていないけれど、魔力や妖力を免疫力へ変換、周囲の環境が変わると攻撃魔法へ転じる動作ができている事までは確認している。だから、この魔術式を父や兄に伝えるだけでも何らかの助けにはなると思っている。
「お母様、このままニチカ様への負担が続いてしまえば、命を落とす事にも繋がります。この術をお父様とお兄様に伝えるだけで状況が好転するかもしれません」
私とセツであれば一瞬で2人のいる場所まで転移で行ける。それに、リベラが『攻撃内包型・代替免疫操作術』の魔術式を完成させる様子を見ていたのは私だ。リベラがニチカの元へ向かえない以上、私が今一番魔術式の説明ができる人間だ。
「私もベイリー家としての役目を果たしたいのです」
母は飲みかけのハーブティーに目を向けてじっと私の話を聞いていた。
「ルーファももう14歳だものね」
「はい。あと4年で成人です」
「そうね。早いわね」
母の指先がティーカップの縁をゆっくりなぞる。何か思うところがあったのだろう、指が何往復かティーカップをなぞる。ふと、母は顔を上げ、私と目を合わせた。
「分かりました。セツちゃんと一緒ならばお父様のところに向かってもいいわ」
「ありがとうございます」
「ルーファは大丈夫だと思うけれど、どんな事があっても冷静にね。お父様とデールが治癒に集中できるように状況を見て動く事。2人の指示に従うのよ?」
「わかりました、お母様」
治癒の現場に向かうのは初めてではない。この3年で教会や孤児院で領民の治癒をする機会は何度もあった。だから、きっと大丈夫だ。緊張で騒ぐ心に言い聞かせるように自分の中で大丈夫を唱える。
「必要なものを揃えてから直ぐに向かいます」
覚悟を決めてそう母に伝えた。
母から父への手紙を預かり、研究室で必要な魔術式を揃え、多めに薬『アルデルファ』を用意してから私は自室に向かった。セツの姿をリベラの前で晒さないためだ。自室に入るなり、セツは私のペンダントから外に飛び出す。月の光に照らされて青白く光るセツは神々しい。
「セツ、勝手に話を進めてしまってごめんなさい。聞いていたと思うけれど、お父様とお兄様の元まで転移をお願いできる?」
「もちろんです。ルーファ様。すぐ向かいましょう」
セツは傍に寄ると、軽々と私を背中に乗せた。私がセツの背にしがみつくと、セツは安心したように頷いた。
「では、参ります」
セツの纏う空気がすっと変わる。ぴんと張り詰めたような空気と、周囲で凄まじい力が渦巻いているかのような感覚。私に妖力が無くとも何かを感じ取れるほど。
周囲の空気が一瞬にして歪み、世界から音が消えていく。瞬きのために一度目を閉じ、再び開くとセツと私は既に別の場所にいた。
「っぁ、くっ、ふっ」
長窓がいくつも並ぶ暗い部屋。点在する蝋燭の光が薄暗い部屋の中を照らしている。雨が降っているのか水滴が窓にぱらぱらと当たる音が聞こえる。
その部屋の中央に置かれているベッドに一人の男性がもたれかかっている。手をベッドに伸ばし、何とか立ちあがろうとするも、直ぐに失力し、膝が床につく。その後ろ姿は見覚えがあった。
「お兄様!」
セツから降り、兄の元に駆け寄ろうとしたところで何かに躓く。地面に突っ伏してしまうところをセツが身体を滑り込ませ、すんでのところで私を支える。
「ありがとうセツ」
「受け止められてよかったです。しかし、これは」
足元に目を向けると床に脚があった。この脚に躓いてしまったのだろう。しかし、直ぐに違和感に襲われる。その脚が横たわっているのだ。見覚えのある靴を履いている。恐る恐る目線を、腰、胸、顔と向けると、口から血を吐いた父の姿があった。身体から血が全て抜けていく感覚がした。
「お父様ぁ!」
どうしてこんな事に。どうして。直ぐに駆け寄り、手を取る。どうしてこうなっているのだろうか。どうして。父の口元は血で濡れている。手は冷たく、まるで死んでいるかのようだった。慌てて脈を測ると、とくとくと脈打つ父の脈を確認できた。ああ、生きている。
「誰か……誰かいるのですか? 誰か! 助けを呼んで!」
「ルーファ様、周りの人間が皆、地面に伏しています」
セツに言われ、はっとする。周囲に目を向けると部屋のあちらこちらに人が倒れていた。騎士の制服を身に纏ったもの、メイド服を身に纏ったもの。ありとあらゆる人が地面に伏している。こんな報告は受けていない。
「ルーファ様、この場に結界を張ります。傍を離れないでください」
セツが私に身を寄せる。私はセツが結界を張るのを見守りながら、ベッドの傍にいる兄へと目を向ける。兄は苦しみながらも何とかベッドに腰を下ろす。今この部屋で私とセツを除くと兄のみが意識がある状態だった。
「お兄様、ルーファです。助けに参じました。何があったのですか?」
父を胸に抱きながら兄に声をかける。けれども兄はこちらに背を向けたままで反応を返してくれない。必死にベッドの上にいる何かに対峙している。
「お兄様がおかしい。どうしてこちらに目を向けてくれないの」
「何かベッドの上から禍々しいものの気配を感じます。それをデール様のお力で何とか止めている様子がありますが、デール様の魔力が……」
セツの言いたい事はわかった。間も無く兄の魔力が切れてしまいそうなのだろう。魔力が極端になくなってしまうと、身体は内臓を守るために様々な機能を停止する。聴力が奪われていても不思議ではない。それに、油断ならない状況なのは明白だ。きっと全意識をニチカに向けている。
「セツ、その禍々しい気配というのは、魔物かどうかは分かる?」
「少なくとも妖魔ではないので、魔物かと思います。体内で何やら暴れているのは感じられます」
「デゼスの可能性が高いのね。であれば、私が治療の適任者だわ」
セツがはっと顔を上げた。
ベイリー家に来ていた私兵団は、こういった状況を報告していなかった。秘めていたのではなく、状況が急変したばかりなのだろう。今起きたばかりの出来事であるとするのならば、まだ周囲で倒れている人間を助けられる可能性がある。今ここで食い止めなければ家族含め、ここにいる全員が危険だ。
「適任者って……ニチカの治療を今やるおつもりですか?」
「うん。今、やる」
「いけません! 今この場にいる人間をベイリー家に連れ帰ります。それでいいでしょう?」
「その中にニチカ様は含まれている?」
「……この部屋には結果を張ります。外の世界に影響が出る事はないでしょう。それに、ルーファ様、治癒術が……」
セツの言いたい事は分かる。私は治癒術を使う事が怖い。でも、そうも言っていられない状況になっている。ニチカを生かすために父や兄がここまで尽力した。それを決して無駄にはしない。それに、セツの前で口には出せないけれど、リベラの事を思うとニチカを見殺しにはできない。私は今ここで恐怖に打ち勝たなければいけない。
「セツ、今ここでこれを食い止めなければ、最終的にレイ帝国に被害が出るかもしれない。デゼスだった場合、父と兄を除いてこの場で対処方法を知っているのは私だけだよ。私がこの場において適任なの」
「それは、そうですが……」
「私は未来を知っている。そして、これがきっと幸福への分岐になる。今逃げたら不幸になる。セツ、お願いばかりでごめんね。一緒に戦って欲しい。私はもう覚悟ができているの」
セツには無理を言ってばかりだ。こんな事ばかりでセツに申し訳なくなるけれど、けれど、ここは譲れなかった。家族がこんな姿になっているというのに、立ち去るなんて事はできない。
「畏まりました。ルーファ様の心を守るのも私の使命ですし、ここで敵を迎え撃たなければ危機が再び迫るのは事実。ただし、私はルーファ様の命が第一。無理だと判断しましたら即ここを離れます」
「ありがとう、セツ」
セツが私に身体を寄せる。それがとても心強かった。腕の中には吐血した父、目前には今にも倒れそうな兄。今にも叫び出したいほどの状況だ。
「セツ、私が治癒に専念している間はお父様とお兄様をよろしくね」
「もちろんです。セツにお任せください」
最後にセツを撫でる。立ち上がる私に代わり、セツが父を身体で受け止めてくれた。そのまま私は兄のいるベッドに足を進める。
「ふっ、ぁ、どう、して」
ベッドに近づけば近づくほど兄の苦しそうな声が聞こえる。その手はベッドの上に眠っている青年——ニチカの腕に置かれていた。兄は一心不乱にニチカだけを見つめ続けている。額を流れる兄の汗を見て、胸が張り裂けそうになった。もう大丈夫。兄の傍に立ち、そっとその腕に手を触れた。
「っ!」
はっとして顔を私に向けた兄が、いるはずのない私を見て目を見開いた。
「ルーファ……どうして」
「お兄様、例の魔術式が完成したのです。ここは私に任せてください」
兄に私の声はやはり届いていないようで、小さく「どうして」と言葉を繰り返している。腕をそっと撫でると兄の身体はぴくりと跳ねた。息を吐き、心を整える。さあ、覚悟を決めよう。
懐にしまっていた『アルデルファ』を取り出し、口に含む。甘酸っぱい味覚と共に艶やかな香りが口内に広がる。口内で薬が瞬時に液体化し、喉をすっと流れていく。身体の奥に眠る魔力をそっと手繰り寄せる。
ベッドの上にいるニチカへ目を向けると脱力しており、口元には吐血した様子が見られた。額には玉のような汗が浮かんでおり、胸が呼吸で激しく上下している。交流会で見かけた時より随分痩せたように見えた。
手繰り寄せた魔力を練り、整えていく。魔力を繰り返し練っていくと魔力が体内でぐるぐると巡っていく。『アルデルファ』を服用しているからだろう。いつもより扱う魔力が風船のように大きく膨れ上がるのを感じる。その感覚に吐きそうだ。今から治癒術をかけるのだと思うと怖くて仕方がない。私の魔力が今からニチカの魔力と交わる。あの交じり合う感覚を想像するだけで脳内が痺れてしまいそうだ。
でも、私が今ここで躊躇しては目の前のニチカ、隣にいる兄、後ろにいる父、そして、この部屋の中にいる大勢が危険に晒される。
「絶……」
私が催眠魔法で操られていた時、脳内に響いたソウマの声を思い出す。あの声の後に頭の中が静かになったのだ。
「絶……絶……絶」
口に出すと吐き気が引いてくる。ソウマの優しく落ち着いた低い声を思い出すと恐怖が薄れていく。
完成した。体内に漲る魔力。治癒術を施す準備が整った。リベラが完成させた『攻撃内包型・代替免疫操作術』を思い浮かべる。そのまま横たわるニチカに手を伸ばす。腕に触れてから魔力を流した。
ニチカの体内は地獄のようだった。魔力を体内に巡らせるまでもなく、身体の至る所に例の魔物がいるのが分かる。間違いなくソウマの体内にいた魔物と同じものだ。やはりニチカはソウマと同じ魔物に犯されている。これがデゼス。
ニチカの魔力はほとんど残っておらず、生きているのが不思議なくらいだった。デゼスは兄の蘇生術の魔力に集っており、私の干渉にまだ気がついていない。
『アルデルファ』の成分がニチカの体内に存在している様子がないため、ニチカ自身も『アルデルファ』の摂取が必要になる。ただ、意識がない人間に薬を経口投与をするのは危険だ。窒息や誤嚥性肺炎を引き起こす可能性がある。ならば。
私は持ってきた『アルデルファ』を懐から出し、練った魔力で『アルデルファ』を包んで液体化させる。そのまま液体化した『アルデルファ』を私の手のひらに一時的に浸透させる。ニチカの腕を出し、静脈のある位置に手のひらを当てた。そのまま手を上下に擦り、魔力を用いながらニチカの体内に『アルデルファ』の吸収を促す。兄から教えてもらった手法だ。前世で言う点滴のようなものだ。
右手で『アルデルファ』をニチカに吸収させながら、左手でニチカに私の魔力を注いで治癒術を施す。流す魔力の量、流すタイミング、魔法の扱い方を『攻撃内包型・代替免疫操作術』の魔術式に従ってニチカに私の魔力を流し込んでいく。
「っぁ」
隣で兄が小さく呻いたかと思えばぐらりと身体が揺れた。目がぐるんと上を向き、兄の身体が床に向かってずり落ちる。私はニチカから手が離せない。どうしよう。
「おっと、危ない」
兄が床に頭を打ちつける瞬間に青白い何かが私達の間を横切る。兄は頭を打ち付ける寸前にその何かに身体が包まれる。この姿は。
「トンファオ!」
「はい、トンファオです。セツ様の呼び出しに従い、馳せ参じました。ルーファ様はまた危険な治療をしているのですか」
「……そうだね」
そういえばソウマを治療した時もトンファオが傍にいてくれたのだ。あの時と状況が似ていて思わず苦笑いをする。
「きっとルーファ様ならできます。傍にいた僕が見ていたのですから。また身体を引き離して欲しくなったらお声がけくださいね」
「妖魔使いが荒くならないように気をつけるね」
「あはは。それは是非に。イファデール様は僕にお任せください」
トンファオを見ているセツの視線が何だか冷たい気がするのは気のせいだろうか。でも、何だか勇気づけられた。そうだ、きっとできる。
兄の魔力が消えたからか、ニチカの体内にいるデゼスが一斉に向かってくるのを感じる。ソウマの体内にいたものより遥かに大きく、そして大量にいる。
「さあ、やろう」
身体の底から湧き上がる恐怖も、うまくできるのかと思う不安も全て自分の中で振り払い、私はデゼスと対峙していた。




