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『刑事と闇医者、傷だらけの恋を縫い合わせる』 黒崎凱 × 白石汐音 #2

##2

****


その夜。


汐音は凱の家のソファで毛布に包まっていた。

本当は帰るつもりだった。


けれど、凱に「休め」と言われ、押し切られた。

体は確かに疲れていた。


診療所では眠れないのに、ここでは少しだけ眠気が来る。

それが悔しい。


「白石」


凱が湯気の立つマグカップを持ってきた。


「何だ」


「温かいもの」

「雑な説明だな」


受け取る。

甘くない。


ちょうどいい温度。

汐音は一口飲む。


「……悪くない」

「よかった」


凱は向かいに座る。

汐音はマグカップを両手で包みながら、ぽつりと言った。


「俺、ここにいるの変だな」

「そうか」


「闇医者が刑事の家で飯作って、毛布に包まってる」

「変だな」


「同意するな」


凱は少しだけ笑う。

その表情が、柔らかい。


診療所で傷を縫っている時の凱とも、現場で銃を構える凱とも違う。

家にいる男の顔だった。


「白石」

「何」


「ここに来い」


汐音の手が止まる。


「一晩だけって言っただろ」

「何度でも来い」


「図々しい」

「そうだな」


「俺は診療所がある」

「送る」


「患者がいる」

「待つ」


「夜中に呼ばれる」

「迎えに行く」


汐音は呆れた。


「何でも即答するな」

「決めてるからな」


「何を」


凱は、まっすぐ汐音を見た。


「お前を一人にしないこと」


汐音の胸が大きく揺れた。


「……っ」


「診療所にいるお前も、闇医者のお前も、口の悪いお前も、雄女として見られるのを嫌うお前も」


凱の声は低く、静かだった。


「全部、俺の人生に入れる」


汐音は、息をするのを忘れた。


「重い」

「知ってる」


「馬鹿だ」

「それも知ってる」


「俺を守ると、お前が傷つく」

「傷つくのが怖くて、お前を見捨てる方が嫌だ」


汐音の目が熱くなる。

凱は、静かに手を伸ばした。


汐音の指先に触れる。


「冷たい」

「……うるさい」


「温める」

「勝手にするな」


「嫌か」


汐音は答えられなかった。

嫌ではなかった。


それが、一番困る。


「……嫌じゃない」


小さく言うと、凱の目が少しだけ揺れた。

それから、汐音の手を包み込む。


大きく、温かい手だった。


****


汐音は、その夜、凱の家に泊まった。


ソファで寝ると言い張ったが、凱は寝室を使えと言った。

結局、言い合いの末、汐音が寝室、凱がソファという形になった。


「ここはお前の家だろ」

「今日はお前を休ませるための家だ」


「意味分からん」

「寝ろ」


「命令するな」

「頼みだ」


「頼みの声じゃない」


凱は少しだけ困った顔をした。

珍しい顔だった。


汐音は、ため息を吐く。


「……分かった。寝る」


凱の表情が、少しだけ緩む。


「おやすみ」


その言葉に、汐音は胸が詰まった。

診療所では、誰もそんなことを言わない。


患者は来て、治療して、去っていく。

夜は長く、冷たく、いつも一人だった。


「……おやすみ」


小さく返すと、凱は静かに頷いた。


扉が閉まる。


汐音はベッドに横になった。

他人の家なのに、不思議と落ち着く。


いや、違う。

凱がいるからだ。


そう認めるのは悔しい。

けれど、もう誤魔化せなかった。


****


翌朝。


汐音が起きると、キッチンから物音がした。

行ってみると、凱が不器用に卵を焼いていた。


「……何してる」

「朝飯」


「見れば分かる」

「焦げた」


「だろうな」


汐音はフライパンを覗き込み、ため息を吐いた。


「貸せ」

「休ませるつもりだった」


「このままだと炭を食うことになる」


凱は素直に場所を譲った。

汐音は卵を焼き直す。


凱は隣で見ている。


「見るな」

「覚える」


「患者でもないのに観察するな」

「お前を休ませたい」


その言葉に、汐音は少しだけ手を止めた。


「……皿、出せ」

「ああ」


凱が皿を出す。

二人で朝食を食べる。


簡単なものだった。

でも、診療所でゼリー飲料を流し込む朝とは、まるで違った。


汐音は箸を置く。


「黒崎」

「何だ」


「たまになら、来てやる」


凱が顔を上げる。

汐音は視線を逸らした。


「ここに」


凱はしばらく黙っていた。

それから、低く答える。


「ああ」


「毎日じゃない」

「ああ」


「診療所もある」

「分かってる」


「迎えは呼んだ時だけ」

「努力する」


「そこは即答しろ」


凱は少しだけ笑った。

汐音も、ほんの少しだけ笑った。


****


数日後。


汐音は診療所の奥に、小さな鞄を置いた。

中には、着替えと歯ブラシ。


凱の家に置いておくものだった。

自分で用意した。


その事実に、少しだけ顔が熱くなる。


「白石」


扉の方から声がした。

凱だった。


「勝手に入るな」

「鍵は開いてた」


「そういう問題じゃない」


凱の視線が、鞄へ向く。


「それ」

「見るな」


「うちに置くのか」

「……邪魔なら持って帰る」


「邪魔じゃない」


即答だった。

凱は、汐音の前まで来る。


「白石」

「何」


「おかえり、はまだ早いか」


汐音の胸が、どくんと鳴った。


何だ、その言い方。

反則だろう。


「……診療所に来た側が言う台詞じゃない」


「そうか」

「でも」


汐音は小さく息を吐く。


「そのうち、言わせてやる」


凱の目が、少しだけ見開かれる。

汐音は視線を逸らした。


「調子に乗るなよ」

「ああ」


凱は、静かに頷いた。


「待つ」


その言葉に、汐音は胸が熱くなった。

凱は、追い詰めるだけではない。


守ろうとするだけでもない。

待つことも覚えようとしている。


それが、どうしようもなく嬉しかった。


****


雨の夜。

診療所を閉めた後、汐音は凱の車に乗った。


助手席。

以前は張り込みのために座った席。


今は、凱の家へ向かうための席。


「寒いか」


凱が聞く。


「寒くない」


凱は黙って暖房を上げた。

汐音は横目で睨む。


「聞く意味」

「お前の否定は信用してない」


「本当に失礼な刑事だな」

「手」


凱が言う。

汐音は少し迷ってから、片手を差し出した。


凱が、その手を包む。

温かい。


「冷たい」

「知ってる」


「なら、温める」

「……勝手にしろ」


車は雨の中を進む。

裏路地のネオンが、窓に滲む。


汐音は外を見ながら、小さく呟いた。


「俺、本当に面倒な相手を選んだな」


凱は前を見たまま答える。


「俺もだ」

「否定しろ」


「面倒だが、手放す気はない」


汐音は黙った。

顔が熱い。


「馬鹿刑事」

「何度でも言え」


「重い」

「知ってる」


「……でも」


汐音は、凱の手を握り返した。


「嫌じゃない」


凱の横顔が、少しだけ柔らかくなった。

車は、凱の家へ向かっていく。


診療所も、裏路地も、汐音の人生から消えるわけではない。

けれど、帰れる場所が一つ増えた。


守られることには、まだ慣れない。


それでも。

この温かい手に、少しずつ慣れていくのも悪くない。


汐音はそう思いながら、窓の外の雨を見つめた。


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