悪魔の鎖を断ち切る女教皇
路地裏に月の雫の香りが広がる午後。
恐れていた音が聞こえてきた。
石畳を重厚に進む、立派な馬車の音。
緊張を持って見つめたドアからは、以前訪れた老商人と貴族夫人。そして侍女だろうか?
老商人が共にいた事に、微かな安堵を感じる。
「やあ、お嬢さん。今日は、私の知人の相談に乗って貰いたいのだが、よろしいか?」
否とは言えない。
言う勇気もない。
「はい。どうぞこちらへ」
貴族夫人がしずしずと椅子へと向かい、老商人が椅子を引く。
…ジェントルメン。
緊張感のない前世が顔を出し、逃げていく。
落ち着けと解釈しよう。
「申し訳ございませんが、椅子は1つしか…」
「御心配なく。私達は後ろに控えていますので」
…プライバシーって言葉は知っていますか?
「今から話す内容は、この者達も知っていますので、かまいませんのよ?」
…随分とオープンな貴族夫人なんですね?
「ご相談される方が望むのなら、そのように…」
お茶を貴族夫人に差し出す。
「あら…これは…?」
「月の雫を使用したお茶です…お気に召さなければ、そのままで…」
貴族であれば、正体不明の者から出された物を気軽に飲食することはできない。
今回も多分そう。
せめてもの足掻きに、香りだけでも…極小ではあるが、効果はある…はず。
「いえ、戴きます」
そう一口、飲む。
私と侍女が目を丸くしているのを、老商人は可笑しそうに見ている。
「聞いていた通り…心が落ち着く、良い香りです」
…老商人への信頼が厚いからか。
とても良い関係が築けているようだ。
私は頷き、言葉を口に乗せる。
「ようこそ。今日はどのような運命をお探しですか?」
お茶を飲み、軽く息を吐く。
「娘の事です…娘が我が家と敵対関係にある家に嫁ぐ事が決まってしまって…和睦の為であるとはいえ、不本意な政略結婚を進めるべきか、あるいは家門の誇りを守り抜いて最期まで拒絶をするべきか…迷っています」
「あなたがそれを決める立場にある…と?」
「…ほぼ、そうですわね」
…ほぼ。少々誤魔化されているが、実質そう。
多分、それなりに上位の貴族であろう。
と言うことは、和睦を勧めたのは王命の可能性も…
最期まで拒絶、との最期とは…
考えたくない程の重い相談が来てしまったものだ…
「娘様は、このお話に対して何か話されていましたか?」
「はい。家の決定に従う…と」
溜息をつき、お茶を飲む。
タロットを広げ、円を描くように混ぜ合わせる。
丁寧に混ぜ合わせ、集中。
不本意な政略結婚か拒絶か。
カードを1つにまとめ、3つに分け、再度1つにまとめる。
二者択一V字スプレッド7枚引き。
「まずは、あなたの現状を表す札です」
1枚目をめくる。
「ペンタクルの10。今のあなたの家門は、長年積み重ねてきた富と名声の絶頂にあり、安定した基盤を築いています」
夫人はお茶を一口飲み、穏やかに息を吐く。
「ここからは、それぞれの選択をした未来の可能性を視ていきます」
V字に分かれた最初の1枚。現状の斜め左側。
「縁談を受け入れた場合の現在の状態は、剣の7。…この縁談は純粋な和睦ではないようです。相手方は何らかの不誠実な企みを隠しており、出し抜こうとさえしている…と読めます」
夫人の呼吸が微かに浅い。
部屋の温度が少し下がった気がした。
「その選択を進んだ場合の未来を視ます」
さらに左上のカードをめくる。
「進んだ先にあるのは、悪魔。冷酷な貴族社会のからみつく鎖が視えます。娘様は条件の悪い環境に縛りつけられ、心身共に自由を奪われるでしょう」
ヒュッと老商人が息を飲み、目を丸くしている。
…この並び。彼とそっくり同じではないか?
私も手が止まってしまった…
これは偶然では無いのかもしれない。
…寒い。部屋の温度が下がっている?
いや、相棒から伝わる寒さの感覚だ。
思わず息を飲み込む。
今は相棒からの声に心を傾けなければ。
左側の頂点のカードをめくる。
「進んだ先の未来の結果は、塔。無理な婚姻はやがて予期せぬトラブルや事故を引き起こします。積み上げていたものが、崩落するでしょう」
老商人はタロットを見たまま固まっている。
夫人はお茶を一口。僅かに手が震えている。
「では、拒絶をした場合の現在の状態は、刑死者の逆位置。よい見通しは立ちますが、油断はできません。必要な努力を怠ったと見られ、周囲からの風当たりは強まり、足止めを受けるでしょう」
夫人が目をつぶり、小さな溜息を吐く。
「では、進んだ場合の未来は」
右側の上のカードをめくる。
「死神の逆位置。一時的な損失にはなります。自分の責任ではない災難やミスが起こりますが、希望を取り戻せるとあります」
「この恐ろしげな札に、希望の意味が?あっ!申し訳ございません!」
思わず侍女が呟く程の恐ろしげな絵柄だが。
「いいえ。絵柄は恐ろしいかもしれませんが…この札も、他の恐ろしい絵の札も、注意や警告を与える為の絵柄ですから」
侍女がしきりに感心しているが、まだ途中。
最後のカードを説明と共にめくる。
「進んだ先の未来の結果は、女教皇。この札は誠実な契約を主に意味し、対等な権利の主張も含んでいます。…これは娘様ですね。娘様の中に眠る、深い知識と直感の象徴となっていますね」
ただ…ここまでの道筋は並大抵のものでは無い。
かなりの労力と協力…信頼する者達の力が必要…
そんな感じを受ける。だが…
「娘様は、ただ守られるだけの存在では無いようです」
刑死者の逆位置、そっとこのカードに触れる。
「彼女はこの沈黙の時間の中で、家を救う為の何か…秘められた秘密や、敵対勢力さえ手出しできない解決策を見つけ出せるかもしれません」
最初のカードに触れる。
「今は無理な動きは避けるべきでしょうが、信頼の基盤が整っているはずです…表から見えない事もあるでしょう。彼女は守られるだけでは無いですが、1人で佇むだけでもない…」
伯爵夫人がふぅと息を吐く。
「…まずは時間を稼ぐことにします。同時に我が家門の信頼する全てを使って、探らせましょう…娘の話しも聞いておこうかと思います」
「女教皇は沈黙の中に真実を隠しているのかもしれません…娘様が『家の決定に従う』と仰ったのは、諦めではなく、時を待つ為の沈黙だったのかもしれません…」
「…共に戦う事も可能である、と?」
私は穏やかに微笑む。
「随分と長く貴方の時間を頂いてしまったわね?これでどうかしら?」
侍女がスッと机の上に、ジャラリと音の鳴る小袋を置くが、私は静かに首を振る。
「ここでは数枚の銅貨で結構です。先代からの掟ですから」
侍女が戸惑うが、夫人が軽く頷くと、数枚の銅貨に変わった。
立ち上がろうとしたのだろう。老商人への視線を送る。
だが老商人は、政略結婚を選択した場合のタロットの並びをジッと睨み付けている。
そして、ゆっくりと私に視線を合わせた。
老商人は、私と視線を合わせたまま問いかける。
「今まで、全く同じ札並びになった事はあったのか?」
「いいえ。運命は人の数以上に様々です…」
「もし、同じ並びになるとした、ならば?」
「似たような状況でもやや違った結果となりますから、同じ運命を軸に持つ…かもしれませんね…」
老商人は目を見開き、言葉に詰まる。
「まさか、そんな…軸が、同じ?なんと言う事だ…だとしたならば、余りにも危ない橋の手前であったのか…」
「どうしたのです?」
焦燥し始めた老商人へ声をかけた夫人。戸惑う表情が大きく、こちらも思わず戸惑う。
「御嬢様…とんでもない事が、私は大変な選択をする所でございました…」
「まあまあ、ベルン。まず落ち着いてちょうだい?もう私は大人ですのよ?人前で御嬢様だなんて…」
夫人もどうして良いか、焦り…いや、照れの方が大きいようで、チラチラこちらを見ながら慌てている。
…御嬢様でもよろしいと思います。
「あぁ、御嬢様…少し前に、他国の侯爵家からの話しがあったと、お伝えしていた事があったかと思いますが…」
「えぇ。ベルンがお父様への恩義で、今まで私へ融通を利かせてくれてましたが、そろそろ伯爵家から大きく飛び立っても良いのですよ?と言いましたね…」
…台無し。身分伏せてたの、台無し!
御嬢様…巻き込まないで…
やめて…聞かせないで…
お家に持って帰ってからお話してぇ…
目を伏せておこう。私は、無、無、無…
「その時に、ここで占って貰い、この国で仲間達と共に励む事を選んだのですが…」
こっちに目を向けないで…!
巻き込まないで…!
「もう一方の選択肢が全く同じ並びでした…結果の札はありませんでしたが…もし同じ方法であれば、同じだったはずでございます…同じ。不誠実な話と冷酷な貴族社会の鎖…ですよね?」
内心ビクビクである事は出してはいけない。
先代の微笑みを貼り付けて、ゆっくりと頷く。
剣の7に触れる。
「計画の達成の為に手段を選ばず、周りを出し抜く形での契約とみられます。そのやり方が不誠実ととられ、周りからの信頼を損ねるかもしれませんとお伝えしています」
悪魔にカードを触れる。
「条件の悪い職場に縛られることになります。また甘い誘惑により困難な事態を招き、損害を出すでしょう。そして、冷酷な貴族社会の鎖の感覚があるとお伝えしました」
伯爵夫人は頬に手を当て、首を傾げる。
「若干違うように思いますが…?」
老商人が首を振る。
「いいえ、御嬢様。質が同じでございます。やり口が同じ…私の直感ですが、2つの目的は一緒でございます。占いがそれを証明しています」
「申し訳ございません…占いは証明する証拠にはなり得ないのです。証拠とするならば、物証になりますでしょう?」
つい、口を挟んでしまった…
巻き込まれ事故、発生です…
ただ、2つの運命が同じカードとは。
…個人の運命を超えた。組織的な悪意を感じる。
「…物流網…伯爵領」
老商人が険しい顔でぶつぶつと呟いている。
できれば、もっと小さな声で呟いて貰いたい。
「…切り口が見えてきましたね。ベルン、急いで屋敷に戻りましょう。占い師様。大変、有意義な時間でございました。この御礼は、またいずれ」
老商人のエスコートにて、夫人がスッと立ち上がる。
「私からも。特大の感謝を」
老商人がお辞儀をし、数枚の銅貨を置く。
断りはしない。
ゆっくりと頷く。
「それでは、また」
ドアの手前で伯爵夫人が老商人に口を尖らせる。
「ベルン。あなたは昔から、お父様に忠実過ぎるわよ?でも、あなたの直感は信じているわ」
「ありがたき幸せでございます」
そう言って去って行った。
だから。そんなやり取りは、お家でどうぞ。
これ以上に厄介事を持ち込まないで欲しい。
それに『また』とは、次回も御貴族様ではございませんか?
頭が痛い…
夜、魔石のランプの下で日記をつける。
『今日は、女教皇が悪魔の鎖を断ち切るイメージを得た。女教皇は美しい気品を持ち、深く鋭い知識で悪魔の鎖を断ち切るのだ。彼女達がそうあるように祈る事しかできない』
…ただ、もう来なくとも良いけども。
心の隅でそう思いながら、スープを飲む。
具は少なくなってきたが、複雑な味がした。




