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路地裏の灯火  作者:
16/22

月の陰陽

 路地裏に夜の帳が降りるまで後少し。

 空が濃い藍色に包まれる頃、カランと鈴が鳴った。

 躊躇いがちに、大きな袋を抱えて身体を小さくして入って来たのは疲れを滲ませた女性。

 魔石のランプで浮かび上がる机に、一層の躊躇いが表れていた。

「どうぞ、こちらへ」

 椅子へと促すと、ホッと息をつき席に着いた。

 そっとお茶を差し出す。

 穏やかに微笑み、お茶を促す。

 一口飲み、ほぅと息を吐く。


「ようこそ。今日はどのような運命をお探しですか」

 お茶のカップを置いた女性は指をモジモジとさせている。

 その手は荒れていた。

 指先の皮膚は、右手の親指と人差し指が硬化している。タコも見られる。

 働く職人の手だ。

「あの…ここでは、話しを聞いて貰えるって聞いて…こんな暗くなってしまったけども…」

「ゆっくりで大丈夫ですよ」

少し肩の力が抜けた様にホッと息を吐く。

「…私は、針仕事で暮らしているんです。新しく縫うのも繕い物も。お店に雇って貰って…随分と長くお世話になってるんです…」

 相槌を打つように、穏やかに頷く。

「…でも最近、どんだけ針を動かしても、銅貨が減っていく気がするんです。雇い主様は『世の中の値段が上がって、店も苦しい』って仰るんですがね…」

 モジモジと指が所在なさげに動く。

「ただ不安で…」

 お茶を一口飲み、溜息をつく。


 薬草屋のおばさんが少し前に『上の方が騒がしくなってきている』と言っていたっけ…

 けど、それは女帝が女教皇と成敗して区切りがついているはずなんだが?

 町にも活気が戻って来ているのもこの目で確認しているのだが、まだ浸透しきれていないのだろうか?

 それとも…

 …いけない。集中せねば。


 1つ頷き、タロットカードを広げて混ぜる。

 丁寧に混ぜ、1つにまとめる。

 3つに分け、再び1つにする。

 スリーカード。

 3枚目、机に残す。

「これはあなたの問いかけに対して、過去・現在・未来についてを視る札です。まず左は過去」

 左のカードをゆっくりとめくる。

「ペンタクル8の逆位置。あなたは長年、中古の服も丁寧に繕い、新品同様にする仕事をしてきました。ですが、その技術に見合う正当な評価を随分前から受け取れていないようです」

「えっ…?」

 真ん中のカードをめくる。

「現在は、ソードの9。将来の不安を感じ、精神的な苦痛を受けている状態です。あなたの不安や絶望が必要以上に、あなたを苦しめているようです」


 右のカードをめくる。

「未来は、月。これは…」

 青白い光を放っている様に見えた。

 絵柄の1つ1つに目が吸い寄せられる。

 描かれているザリガニは蟹座の象徴で月は蟹座の守護星。危険な訪れを暗示している様にも見える。

 2匹の犬が吠えている。

 これはギリシャ神話からと言われている。

『月の女神アルテミスが、夜は地獄の王女ヘカテになって地上を歩き回るのを、犬だけが見えるので吠える』という部分からとったと言われていた。

 人には地獄の王女ヘカテが見えないのだ。


 前世でこのカードが出た時は、ネガティブになっていると伝えてくる事が大半だったが…

 今回は、相棒から読み取りきれない。

 ただ『冷静な心で』と伝えてくる。

「月の光の下では、人は見たいものだけを見てしまう…」

 月のカードをそっとなでる。

「…見えない所にある真実がありそうですね。そしてあなたは不安が続き、あいまいで不安定な状況にいます。真実の欠片を掴んだとしても、この状況での何か決断する事はお勧めできません。不安に惑わされず、静かな心で物事を見て下さい。気持ちが落ち着いたら、大丈夫です。あなたの思う行動を。あなたの気持ちを信じて」

「私の…気持ち…」

「月の札。これは、あなたの内面、感情に目を向けるべきと伝えて来ています」

 針子の女性は、ジッと月のカードを見つめる。

「静かな心…」

 そう呟き、お茶を飲む。 


 カップが空になったが、立ち上がる様子は見られない。

 そっとお茶のおかわりを淹れる。

「あっ…ありがとう…」

 ゆっくりとお茶を飲む。息を吐く。

「…私、こんなに楽に息を吐けたの、久し振りです…溜息ついても、何だか詰まった感じがして…このお茶、すぅっとしていて、ホッとする…」

 穏やかに微笑み頷く。

「そう思って貰えて良かったです。薬草屋さんで質が良いのが入る様になったので、少し味も上がったんですよ」

「そうなんですね…」

「はい。お茶だけ飲み干して、銅貨を置いて行ったお客様もいたくらいですからね」

「えぇ…確かに美味しいけども…」

 客の個人情報は詳しくは出すまい。

 …まあ、何が何だかわからず来て帰ってで、さっぱりだったんだが。

「お茶で悩みが消えて良かったと、思う事にしたんですよ」

「あはははは!でも、本当に楽になった気がします…」

 穏やかに微笑み頷く。

 飲み干して、針子の女性は銅貨を数枚置き、帰って行った。

 丁寧に銅貨を回収する。ずっしりと重い―――



 ―――

 占い師の元を訪れた翌日から、針子の女性は冷静に勤め先を観察し始めた。

 店の中は安い油のランプと、独特な古着特有の埃っぽい匂いとが混じり合っている。

 仕事の手は休めずに、不安な気持ちをギュウッと抑えつけて、考えるのはあのお茶の爽やかな余韻。

 呼吸を整えながら、静かに感覚を澄ませていた。

『静かな心で…物事を見て…』

 最初に気付いたのは、中古服の仕入れ値だ。

『不景気だ』と言っていた時、上がった値段が元に戻っていた。

 売値も即座に戻されていた。いや、多少高くなったようにも見える。

 それなのに、自分の賃金は減り続けている…

 こっそりと値段と賃金を記録に残す事にした。


 数日後。

 今、手元にあるドレス。

 貴族の館から出されたという、酷く汚れた絹のドレス。

 雇い主は「こんな汚れでは銅貨2枚で精一杯だな…ほんとに大損だ」と、針子の女性の手間賃を削った。

 だが、よくよく見ればわかる。

「これは、ただの果実酒の染みじゃないの…」

 指先で布の繊維を確かめる。

 これは、深く染み込んではいるが、丁寧に扱えば容易に落ちるシミ。

 ドレス自体の質も極上のものだ。

 これが銅貨2枚…?

 どう安く見ても、銀貨2枚以上の価値がある。


 ふと、作業台の隅に置かれた、納品書が目に入る。

 このドレスについて雇い主の書いたのが「廃棄予定の布切れ」だと。

 一瞬、雇い主の正気を疑ってしまうが。

 今までの自分は、このおかしな情報にも気付いていなかったのだ。

 どれ程、視野が狭くなっていたのかを思い知った。


 日々、針子の女性は静かに観察を続けた。

 頭のおかしな納品書も仕入れ値も賃金も全て記載しながら。

 店の奥から店主の声が漏れ聞こえてきた。

「…ああ、そうだ。あの針子には『不景気だ』と言っておけばいい。あいつは腕がいいが、自分の腕がどれ程かわかっちゃいないからな。上手く使い続けていくのにかぎる」

「けど、これ以上賃金を下げちまったら、碌な働きが出来なくなるんじゃないかい?」

「まぁ、そうだな…そこは上手くやらにゃならん。下手に自分の価値に気付かれちゃ儲けがふいになるからな」

 針子の女性は震える指を1度止めて、深く長く、息を吐いた。

 占い師の淹れたお茶を思い出し、心の詰まりを押し出すように。

 針子の女性は静かに立ち上がり、自分がこれまでつけてきた「真実の記録」を懐にしまった。

『私が思う行動を。私の気持ちを信じて…』


 数日後。

 針子の女性は店を辞める事を告げた。

「ふざけるなっ!誰が今まで大事にして来たと思ってるんだっ?!お前なんかを長い間、追い出しもせずに面倒見てやってたんだぞっ?!恩を仇で返すつもりかっ?!」

「ほんとだよ!今更あんたなんか、どこの店でも雇っちゃくれないんだよっ?!」

 針子の女性は、震える呼吸を整えてから答えた。

「今まで、私が気付いた事全て…商業ギルドに相談して来たんです…」

「は?何をだよ」

「不景気が継続して賃金が減り続けている事と」

 店主と女将さんは、そろって慌て始めた。

「なっ…そろそろ値が元に戻り始めたし、これから戻す所だったんだ」

「そうだよ!これからだってのに、慌てんじゃないよ!」

 手の平を返したように、取り繕った笑みで話しているが、目の中には嘲りを浮かべている。

 まだ、どうにでもなると思われているのだろう。

「貴族から買った、どう見ても銀貨2枚以上の絹を銅貨2枚にもならないと言い、納品書にも廃棄予定の布切れと書いていた…と見た全てを書き取った手帳と共に相談しました」

「「は??」」

「ギルドの方はとても同情してくれて、次の勤め先を紹介してくれたんです。あと、この店を1度見てみなければとも言っていました。そう高齢でもなかったのにと、店主様の事も心配されていました」

「なっ…」

 実際の商業ギルドの面々は『耄碌したのでは?』『欲を張りすぎたな。ちょっと埃でも確認してみるか』と、随分真っ直ぐな言葉を放っていたけれども。


 2人共に唖然としている。

 ペコリとお辞儀をして去った。

 勿論、愛用の道具は回収済み。

 もう、何の憂いも無くなったのだ。

 店を出て深呼吸すると、胸いっぱいに空気が入り、盛大に吐き出せた。

 完全な呼吸を取り戻せたのだ。―――



 路地裏に月の雫の香りが感じられる午後。

 カランと鈴が鳴った。

 針子の女性だ。

「こんにちは。今日は、どうしても報告したくて…」

 表情が明るい。

 疲れた顔もせず、呼吸も一定。

「良い報告が聞けそうですね。どうぞ、こちらへ」

 対面の椅子へ促す。

 月の雫をミルで挽き、お茶を淹れる。

 今回は私の分も。

「今の店を辞めてきました」

 針子の女性が、お茶をぐっと飲む。

「ずっと長い間、私の針の腕は未熟だと思ってきました。店も私が可哀想だけど、ゆとりがないから人を増やせないと言われて信じてたんです…」

 お茶を一口飲み、息を吐く。

「けど、違いました。全然、違いました。お店は、わたし1人に3人分の働きをさせて、賃金も減らしていったみたいです…かなり」

 私もお茶を飲んで、ゆっくりと息を吐く。

「占いで出たみたいに、不安だったけど、心を静かにして、見てたんです…ずっと。…凄く、よく見えました」

 1度呼吸を整え、吐き出すように、言葉になる。

「それで、私の見たくないものに気付いたんです…恩人だと思ってたんです…けど、見たもの全部手帳に書いて、商業ギルドに相談しました…そうしなきゃって思って…」

 お茶を飲んで、息を吐く。

「ギルドの人達に、私の腕前が知られてたのに驚きました…凄く評判だったのも初めて知りました…すぐ次の仕事先を紹介して貰えました…行った翌日には、もう次の所が決まってしまうぐらい…あっと言う間のことだったんです…」

 そう言って、針子の女性は俯いた。


 お茶のおかわりをカップに注ぐ。

 小さく御礼を言って、ゆっくりとお茶を飲み、長く息を吐き出した。

「…ずっとこのお茶の香りを思いながら仕事をしてました。息をするのを思い出させてくれたから…でも、それは話しを聞いて貰えたのがあったからで…色々気付けたのも、占って貰えたからで…ありがとうございました」

 深く頭を下げる、針子の女性。

「私は、運命の可能性を視るだけです。可能性を形にするのは、その人次第です。上手くいったのなら、あなたの努力が行動が実を結んだと言う事です」

「でも、不安がおさまったのだって、お茶を飲んだからで…」

「ならこれは、お茶の力ですね…なんせ、このお茶で悩みを忘れて帰る人がいるくらいですから」

「…確かに。それほどのお味です」

 納得を生む程のお味のお茶。

 本当に質が上がってしまった。

 今の値段で良いのか不安になるくらいだ。


 お茶を飲み干して、針子の女性は帰って行った。

 置かれた銅貨も重かったが、お茶の余韻か爽やかな気持ちが残った。


 夜、魔石のランプの下で日記をつけた。

『今日、月の光に怯えていた方が御礼を伝えに来た。不安を抑え、冷静になれた彼女は光の当らない陰までも見通す事が出来た。これで彼女の夜は明けるだろう。お茶だけ飲んで帰った人の話し、なかなかに使えると思った』


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