1 続きからはじめる(1570年6月16日 織田家)【再起】
第二幕の始まりです。
『1570年6月16日 織田家――』
「ふう……」
信長(真紀)は大きく一息つくと、木刀を置いたのち流れ落ちる汗を手拭いでふき取った。
「強うなられましたな」
柴田勝家もまた汗を手拭いでふき取っていた。
季節は初夏を感じる気温で、日課の朝稽古が終わったところだった。
あの『南近江の合戦』と『真・本圀寺の変』から早くも2年と2ヶ月が経過していた。
あの時――
1568年4月にこの世界を取り巻く環境は大きく変動した。
足利義昭を擁して上洛を果たした信長は、美濃へ帰還する道中に急襲された。
背後である京の西方面からは足利義昭と三好氏の連合軍に。
時を同じくして義昭の命を受けた松永久秀が南方向から。
そして北からは同じく義昭側についた浅井氏が。
まさに四面楚歌とも言える状況から、ギリギリの状態で信長は美濃・岐阜城へ帰還した。
しかしこの戦いで妹であるお市の方を始め、竹中半兵衛重治、滝川一益、佐々成政ら家族と直臣を足利義昭の策謀により失った。
失意の中にいた信長だったが、数日後にはその足利義昭が討たれた。
家臣であった、あの明智光秀に。
そしてその時、信長と織田信広(誠人)は現実世界へ戻る手立てを失った。
それからの畿内はまさに激動であった。
同じ年の1568年8月には、山城と南近江を制していた光秀が西へ出兵。
和泉の一部を領していた三好氏も兵を出し、勢いそのままに混乱の中で空白地帯であった河内と摂津を制した。
ここで光秀はまたもや策を弄する。
約していた摂津の三好氏への譲渡を取り下げて直轄地とした。
憤った三好氏ではあったが、畿内での拠点は和泉のごく一部のみであり、河内と摂津の2か国を増やした光秀に抵抗する力は無かった。
そして畿内南方。
1569年3月に大和の松永久秀は光秀の助力を得て伊賀へ出兵。
六角氏の残党勢力を掃討し手中に収めた。
次に北近江の浅井氏。
若狭の割譲に対し、朝倉氏は光秀に素直に従わなかった。
というよりも、これは足利義昭との約定であり光秀とではなかった。
むしろ光秀が義昭を殺害した事に対して激しく非難し連合を離脱、長年の盟友であった浅井氏とも敵対姿勢を見せた。
そのため、畿内北方は膠着状態になっていた。
その他、畿央近辺において自らの立ち位置を明確にしていないのが摂津の一部を領する本願寺と、丹波の波多野氏、紀伊の雑賀、伊勢の北畠であった。
対して信長。
当然ながら信長は光秀に対して全面敵対であった。
1568年4月の大敗後、回復と美濃と尾張の国力増強に注力していた。
特にこの2か国は元より人口が多く国力が高いこと、そして美濃は主要街道が通っており尾張は海路における主要港を有していた事から、周辺国と比較しても財力と伸びしろは抜きん出ていた。
これを更に生かすため、現代の知識があり史実を知る信長は政と軍の両方の改革を行った。
政治の面ではまず関所の廃止。
但し、美濃尾張への入国における通行人と荷物検査、その記録化は継続させ、関銭(通行税)を廃止した。
次に、六公四民だった年貢を減免期間を設けて四公六民に変更した。
その減免期間の間に、圃場整備と大規模灌漑を進めて収穫量を増やす施策を実施した。
そして軍事。
軍事における悩みの一つとしてあったのが、足軽の問題だった。
この時代、平時は農民で戦の時だけ兵士になるのが普通であった。
しかしその場合、田植えや稲刈りの時期など農繁期に戦をする事は難しいのだ。
そこで信長は、兵農分離を少しずつ進めていった。
要は兵を金銭で雇うのである。
財力がある織田家だからこそ出来る改革でもあった。
平時は訓練にその時間を費やし、戦の時は戦場に出る。
そして自然災害の際などにおいても兵を派遣出来るのだ。
これは現代における自衛隊(軍隊)と同じようなものだった。
また、兵になる者が持っていた田畑は織田家が買い上げ、他所から入植する者に無償で与えた。
これにより人口と生産力が急増。
以上の改革による組織体質と構造の変化により、美濃と尾張は加速度的な成長を遂げた。
信長自身もまた己を鍛えるため、冒頭にあった柴田勝家による毎日の武稽古をこの2年間続けてきた。
もちろん信長だけではない。
家臣たちにもまた武稽古と知識教育を奨励し、数よりも質の向上を推し進めてきた。
おかげでほぼ全員、もちろん幅はあるものの各パラメータは向上していた。
※詳細は後書き参照。
そして、今もこうして私も誠人も生きている。
ゲームの世界だけではない、文字通り生きている。
という事は、現実世界の私たちもまた、生きている。
この世界と現実世界の時間経過速度は規則性は無いことは判明している。
なので、現実世界がどのくらいの年月が経っているのかは全く分からない。
ただ、本体(?)は飲まず食わずでもこうして生きてはいるので、ひょっとしたら数時間、数日かもしれない。
歴史乖離率はいまだに10%を超えている。
そしてあれから安定化モジュールも出力上昇を維持している。
――歴史を戻せ
そう言われている気がした。
「殿。皆集まりました」
信広が呼びに来た。
これから評定だ。
「わかった」
そう言うと私は大広間へ向かった。
<1570年6月16日時点>
―歴史乖離率:12.5%
―安定化モジュール:出力上昇
―現実世界アンカー不安定率:不明(無効化処理済)
―管理者権限保有者:氷室真紀
織田信長(36)…統86 武76 知85 政81 魅88 【真紀】
織田信広(38)…統64 武77 知81 政83 魅84 【誠人】
柴田勝家(44)…統89 武88 知61 政70 魅85
丹羽長秀(35)…統82 武75 知83 政82 魅79
羽柴秀吉(33)…統79 武67 知84 政80 魅86
林秀貞 (57)…統53 武44 知72 政76 魅60
前田利家(31)…統80 武85 知69 政67 魅76
池田恒興(34)…統72 武73 知72 政74 魅76
村井貞勝(50)…統41 武33 知75 政90 魅84
羽柴秀長(30)…統73 武64 知80 政85 魅88
森可成 (47)…統77 武80 知68 政65 魅69
明智光秀(42)…統86 武80 知94 政78 魅81 【芳香】
細川藤孝(36)…統76 武63 知88 政84 魅80
松永久秀(62)…統85 武87 知88 政76 魅66




