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結婚と算盤~新妻の百貨店経営奮闘記~  作者: けもこ


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第4話 新妻、敵城視察に向かう

翌日から毎日、昼寝の時間だ、読書の時間だ、と言い訳をして他の家人に部屋へ寄りつかせないようにしながら町へでかけた。


「別にこんなにこそこそ出かけんでもよかじゃないですか? 」


梅は、奈江に買ってもらったこじゃれた帽子を深く被ってそう呟く。

ハイヤーで回れば楽なのに、とそう思っているのだ。


奈江にとっては、路面電車に乗り、過ぎていく街並みを見ることも楽しみの一つだった。

東京の町。そこで生活する人たちがどのような様子なのか知りたかった。


「まずは、上野花菱館うえのはなびしかん。ここ、来たかったんよね。珍しかお菓子がようけあるて聞いとったし 」


上野の駅舎の横に、繋がるように建てられたレンガ造りの4階建ての建物がある。


「そう言えば旦那様がようここでお土産を買うて来られてましたね 」


花菱館の売りは、駅に直結して生活に近いところだ。

珍しい舶来の焼き菓子などを、父が良く東京土産と言って買って来ていた。

駅に近いので、東京へ仕事に来た人が買い物をしやすく、百貨店の中では庶民的な店構えになっている。


建物の入り口には、コートを着た案内の男性が2人立っているが、扉は解放されたままで店の売り場が見えるようになっている。


「なんていうか。岩田屋さんとよう似た感じですねぇ。安心します 」


梅がご機嫌そうにそう言って、奈江より先に店へと入って行く。


店内には、ショールを肩にかけた着物姿や花柄のワンピースの女性。白い背広の上下に細いステッキを持った粋な男性も見られる。もちろん、地方から来たであろう袴姿に背中に風呂敷を背負った男性も多くいる。


「入ってすぐにショーケースにお菓子が並んでるのがよかよね」


三階建ての建物の一階は、入口から大きく左右に分かれてショーケースが並ぶ。向かって左は老舗の和菓子屋の菓子。右手は洋菓子と分けているようだ。


「ええ匂いがしますねぇ」


梅がふらふらと匂いのする方へと引き寄せられていく。

入り口に近い場所に小さなのぼりが立てかけてあり、『金銘堂 カステラ』と書いてある。


「奈江さま! 甘いええ匂いがしますねぇ」


人が並んだ先にガラスの囲いがあって、その向こうで白い職人服が見えた。梅が並んだ後ろにはあっという間に人が増えている。梅の誘われるがまま周囲に「すみません」と頭を下げて同じところに入らせてもらった。


どうやら甘い匂いの元は人垣の先にあるようだが、奈江も梅も背が足りず見ることができない。


「はー。匂いだけでお腹が空いてしまいますね」


梅の目がトロンと何かに取りつかれたようになっている。列が進みようやくその長蛇の列の最前に辿り着いた時、ガラスの囲いの中で焼き立てのカステラが大きな包丁で切り分けられていた。


「ひゃー。焼き立て、切りたてを分けてくれるみたいですよ?」


梅は今にも涎を垂らしそうだ。その様子にやや呆れ気味に肩を叩いた。


「並んどるとやけん、買わんわけにいかんやろ」


さらに列が進み、ようやく奈江たちの番になった。


「奈江さま。どうしますか。1本と半分とがあります」


と言いつつ、梅の目は、紙の上に置かれて湯気をだしている長い1本に注がれている。せっかくなので1本を頼み包んでもらった。


「まだ柔らかいですから、お気をつけてお持ちくださいませ」


矢羽根の模様の着物に濃茶の袴姿の売り子が、ニコニコと紙袋に品物を入れてくれる。梅が持った紙袋から甘い香りが漂う。


「なんか、甘い匂いと一緒に歩きよるみたいで、幸せな気持ちになりますねぇ」


確かに梅の言う通り、その後、他の売り場を歩いている間もずっと立ち昇る香りにすっかりお腹は甘い物を欲するようになるし、周囲の人も『帰りに下のカステラに並ばないとね』などと呟いている。

いい匂いのする紙袋を持ったまま、中央の螺旋階段を上がる。階段の上に広がる吹き抜けから、明るい日差しが落ちてくる。



二階は、階段の上がり口に洋酒や日本のお酒。伝統工芸品などが並ぶ。奥へ進むと伝統工芸の小物が並んでいた。

櫛や髪飾り、スカーフや帽子などが並ぶケースの前では、女性たちがそれを手に取って見比べている。


ショーケースを眺めながら歩いていると、売り子の女性が「どうぞお嬢様。お手に取ってご覧になってくださいませ」と愛想よく声をかけてくる。

何度か足を止めて、銀細工の髪留めや流行の麦わら帽子を眺めたりした。


三階へは螺旋階段ではなくフロアの両端にある階段で上がる。二階の小物売り場側から上がるとちょうど食堂の入り口になっていた。


昼食どきを過ぎているので、人はまばら。2人でソーダ水を頼んだ。


「奈江さま。ここの女給さんのエプロン。えらい可愛かエプロンやと思いませんか」


ソーダ水を持ってきた女給の大きくフリルのついたエプロンを梅が羨まし気に眺めている。


「梅もああいうの着る?」


梅が振り向いてこちらを見て、一瞬嬉しそうな顔をした後、ふっと真顔になる。


「岸田の家で私一人だけあんなの着とったら、他の女中さんに何を言われるかわかりません。はあ…」


そう言ってため息をついたものの、梅の視線は女給のふんわりとしたお仕着せのスカートやエプロンを追っていた。


花菱館は、幾志屋百貨店に比べればこじんまりとしていて、高級感では到底及ばない感じだ。

だが、その分売り場を回りやすいように回廊しきになっていたり、東京土産を求める地方から来た客を引き付けようという売り方がはっきりと見えた。


「上手やねぇ……」


食堂を出て、二階へと下りる階段から吹き抜けを見下ろして、思わず声が漏れた。

この売り場を考えた人(人たち?だろうか)に話を聞いてみたくなる。


ゆっくりと階段を下りて一階のフロアに下りると、客層は朝と違い男性が多いように見えた。


背中に風呂敷を背負ったり、重そうな鞄を手にして売り場を行ったり来たりしている。


建物に入った時に甘いカステラの匂いは引いて、足早に売り場を巡る人の動きに消されていた。


さっきまでカステラを売っていた屋台には、小さな寿司の折が並んでいる。


「なるほどね」


客層の変わる時間に合わせて売り場を変えているのだ。

ちょうど地方へ帰る人たちが、長距離の列車に乗り込む時間。


「梅。いつかこの店の責任者に会えるといいね」

「え?でも、ここには敵城視察に来たとやなかですか?」


梅が驚いたようにこちらを見る。


「敵じゃないよ。同業者は仲間やけんね。そのうち商工会とかで合えるかもしれん」


――私がそんな会合に出る機会があったらの話だけどね


まだ見ぬ夫は、ポンと投げて寄越すように百貨店を私にくれたけれど、名義だけのつもりだろうし。商売に口を出す女をどう思うかもわからない。


帰りの路面電車の中では、流れていく景色を眺めながら、今日見た売り場のことばかりを考えていた。


裏木戸から屋敷に入り、何事も無かったように部屋へと入る。大きい家なので案外誰にも会わない。

すごいな。これならいくらでもこっそり出かけられる。


そう思っていたら、夕飯の時に母上さまに「奈江さんがこっそりお出かけしはったから、女中頭のキクさんが、エラい慌ててましたえ」と、うふふと笑われてしまった。


そんな訳で翌日からは出かける際に、丁稚の男の子が荷物持ちと護衛でついて来ることになった。

多少窮屈ではあるが、路面電車に乗ることは了承を得たし、母上さまにお土産を買って帰ることもできるようになった。

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