30 決着
デイヴィス男爵が驚愕したようにステファンを見る。
デイヴィス男爵は、『アンカー』を作るために私をこの世界へ呼んだと言った。ステファンは、ジョンが私の抜けた空孔を利用しようとしたと言った。
思惑に行き違いがあったようだ。
私にとっては、『アンカー』扱いだろうが空孔扱いだろうが、最低ぶりにあまり大差はない。
しかし、ジョンが私の世界へ行ったというのは思いもかけなかった。冒険者というより研究者のタイプと思っていた。
「ステファン。君はジョンから何か聞いていたのか。そして私に黙っていたのか」
「俺も知らなかったさ。でもこうなってみると、そういうことなんだろうな、ってね」
ステファンが舌舐めずりする。デイヴィス男爵に皮肉を言えることが嬉しいかのように。この2人はあまり良好な関係ではなさそうだ。
「ジョンがいなくなって、男爵のご指示で俺がジョンの研究を引き継いだ。観測するといくつかの『アンカー』と、『アンカー』の残骸が見つかった。
1つ目、あちらに渡ったこちらの服。これは残っている。
2つ目、こちらに渡ったあちらの服。これは火事で焼けちまって、『アンカー』の役割を果たしていない。
3つ目、女、あんただ。しかし、あんたが抜けた後のあちらの空孔は、今はひしゃげて潰れていることが観測結果で分かっている。もう『アンカー』になっていない」
私は凍りついた。
あくまで『アンカー』の話をしているのだろう。しかし、元の世界に私の居場所はもうない、と宣告されたかのような衝撃があった。
「ジョンは前から、あちらの世界へ行きたいと言っていた。
あちらの世界ではこの異世界の関係が知られていない。研究者たる自分は高く評価されるだろうと。俺はこんな所で燻っているような奴じゃないんだと。
勿論、ただの誇大妄想の戯れ言だと思っていた。
だが、ひしゃげた孔を観測して、あぁジャンはここに飛び込もうとしたんだなと、あの戯言を実行したんだなと思ったよ。
異世界を渡った異物は、自然現象として元の世界へ弾き戻されやすい。安全に世界を渡るために、強固な『アンカー』も必要だろう。
それで、人一人こちらに呼んで大きな空孔を空けて、そこに自分が入り込むって形でそういう条件をクリアしようとした。うまいこと考えたもんさ。
ーー自分を過大評価してなければな。
技術不足で失敗だ。孔はひしゃげ、装置が発火して火事まで起きた。
あいつがあちらの世界に渡ったなら出来る筈の『空孔』もない。こちらの世界へ弾き返された筈だ。
そしてーーあんなひしゃげ方をして、無事で済む訳がない。まだ見つかってないだけで、どこかに死体が転がっているだろうよ」
胸が凍ったように冷え固まった。目を瞑りゆっくり息を吐く。その息が震える。
ジョンの死を悲しむ気持ちは沸き上がっては来なかった。そしてそれを、恥じる気持ちにもなれない。
ただ、人の死という重さが、ステファンや男爵やーージョンの底が見えないほどの醜怪さが、胸にずっしりと重石のように詰まって息が苦しい。
もう嫌だ。澄んだ空気の中で息をしたい。
アレクやリサやレベッカやオリバーやオブライエンさんやギブソン夫人や……人として真っ当で、すべきことをして、尊重し思いやりあうのが当たり前の人々の所へ帰りたい。
あの人達の側なら、息がしやすくて気持ちよく深呼吸できた。
「そんな訳で、残っている『アンカー』は1つの筈だ。しかし第4の『アンカー』が観測された」
ステファンの歪んだ声が続く。
「人間ほど大きくない。しかも半分ひしゃげている。でも機能している『アンカー』だ。俺達はこれを探している。
ジョンの家や行きつけの場所を探したが見つからない。ジョンが身につけていたなら、異世界に弾かれた時のダメージが観測される筈だから、ジョンは身に付けていなかった筈だ。
正確な場所は分からないが、『この辺り』の場所と時間にある筈だ。時間のズレの幅は十数年程度、場所はこの街。つまり他の3つの『アンカー』と同じ位だ。
この件で何か知っているとしたらジョンとあんた位しかいない。
ジョンは、あの火事で焼けた服以外の『アンカー』を持っていなかったか?昔あの子供から受け取ったものとか、別件で偶然できた『アンカー』とか。何か心当たりがあるんじゃないか?」
私が何か知っていると思い込んでいるのは、明確な根拠があるわけではなく、消去法と、そうあってほしいという願望か。
「私達がこうして説明しているのは、君の協力を得るためだ。君も、元の世界へ戻りたいだろう?」
デイヴィス男爵がおためごかしを言う。
「……装置は焼けて予算がつかないし、ジョンがいなければ研究の継続は無理なんでしょう?半年以上、あなたの研究所に、そうやって断られ続けてたんだけど」
「第4の『アンカー』さえ見つかれば予算を通すよ。研究はステファンが引き継げる。元々彼の研究だ」
いや、それ絶対嘘だろう。装置ができたとしても、私のために使う気はないだろう。
それに私と対になる向こうの『空孔』は潰れてしまった。
正直、一瞬心が揺さぶられた。ずっと、希望は捨てなかった。二十数年生きてきた全てを置いてきた元の世界に帰ること。ーーでもずっと、帰れない覚悟もしていた。
こんな信用できない下衆に、頭を下げる価値は見当たらない。
知ってても教えるものか。知らないけど。
「色々、尋ねる方法はある。連れの男に訊いてみることもできるんだよ」
血の気がひく。暴力的な訊き方という意味か。
「ひしゃげた『アンカー』でも、研究材料として無いよりましではある。君自身が、死ぬまで『アンカー』としてここで暮らすのは、お互い心痛むことでもある」
息を吸った。そして吐いた。怒りで息が震える。
「……アレクは無事?この先の話は、アレクの無事を確認してから」
「何か心当たりがあるんだな」
「アレクの無事が先。私が今、舌を噛んで死ねば、ひしゃげた『アンカー』すら手に入らないからね」
睨みながら、片手でもう片方の手首をぎゅっと押さえる。私の震える拳は怒りのためだが、怯えながら強がってるように見えたかもしれない。
男爵は勝利を確信したように嗤った。
男爵が顎で差し、ステファンが廊下への扉を開けたのでそちらへ向かう。後ろには間を空けて男爵。
そして。
次の瞬間、私は向きを変えると、一気に窓へ向かって走り、カーテンを開けると椅子を引っ掴んでガラスを叩き割った。
ガシャーン! と夜空に音が響く。
窓は一撃では大きく割れなかった。二度、三度と椅子を叩きつける。
ここは4階だ。私が逃げようとするとしても、廊下でなく窓へ向かうとは思いもしなかったのだろう。
一度は虚を衝かれた男2人も、すぐに私に掴みかかった。
「この女!舐めやがって!」
「来るな!」
椅子をぶん!と振り回す。丁度向かってきたステファンのこめかみに、椅子の足がカウンターで入りステファンが転げる。
しかし男爵に椅子を掴まれてしまった。2人、一つの椅子を掴んで向かい合い押し合う。
とはいえ、デスクワークしかしないひょろい中年男が、日々重量級の洗濯桶担いでドリー(洗濯棒)と格闘する女に、そうそう勝てると思うな!
ぐぐい、と力を入れると、男爵はまさかの力負けに驚愕した顔をした。
しかしステファンが起き上がり、私を蹴り倒した。
床に散ったガラスの上に尻餅をつく。床に付いた左の掌に鋭い痛みが走る。ガラスで切れたようだ。
更にもう一度蹴りが来た。避けきれなくて胸と顎の辺りに当たる。口に血の味が広がった。
ステファンは元々はインドアな研究者だったろうに、こうしたことは刑務所で学んだのだろうか。
「ハナ!」
怒鳴るような声と共に、廊下から人影が飛び込んできた。
ランタンの強い陰影の光に照らされた姿。長身に黒髪、金色の目が光っている。
「アレク!」
アレクはすぐさまポケットからホイッスルを出した。
夜空を甲高く笛の音が切り裂く。
そして大穴を開けた窓へ向かって大声で叫んだ。
「オリバー!ここだ!南棟東端の4階!南棟東端!」
アレクはステファンがドアの近くに置いたままだったランタンを掴み、覆いをとり部屋を照らし、中にいるのが窓際に転がる私達3人だけであることを一瞬で確認する。
窓枠にランタンを置くと、ステファンを私から引き剥がし、2m程引きずった後床に叩きつけた。アレクの大柄な体格でやると迫力がある。
男爵は動揺で少しの間固まっていたが、床に崩れた私の上体を掴み、引きずり起こすようにしてアレクに向かって怒鳴った。
「やめろ!さもないとこの女を……」
敵はもっと近くにいるんだよ、男爵様。
アレクの方を向いた男爵の顎に、捻り上げるようにアッパーカットを叩きつけた。
男爵は勢い余って壁に頭を打ち付け、顎と頭を押さえて転げる。
私の右手の指4本の付け根の上に巻かれているのは腕時計。さっき左手首から外して巻いといたのだ。
ナックルダスターとかいう、拳の打撃力を高める武器の代用品。習っておいてよかった、痴漢対策。
こちらの世界に来た時、この腕時計は初めは生活費として売ろうと思っていたけれど、アレクは売るなと言ってくれた。
アレクの意図とは全く違っただろうが、役に立ってよかった。
アレクは男爵の脅しに一度は後ろを振り返ったものの、私が撃退したのを見て一瞬口の端を上げ、またステファンに向き直って殴りつけた。
あぁもう、こういうチーム感がたまらない。
「そこまで!そこの部屋で暴れてる奴!皆止まれ!」
大声とともに、窓からライトのようにカンテラの光が複数差し込む。
そして廊下からも騒がしく人の声が聞こえ、やがて人が何人も雪崩れ込んできた。
男爵は動転しつつも叫ぶ。
「なんだ君達は!私の研究所に!」
「あなたこそ、夜の研究所でご婦人相手に何をやっているんですか?」
そこに転がるのは、割れた窓ガラス、口の端を切り蹴り跡のついたボロボロの女1人に男2人、女性を助けに入ったらしき男1人。
男爵は己の不利を悟った。
窓から庭を見下ろすと、カンテラの光に金色の癖毛を煌めかせてオリバーが大きく手を振っていた。




