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16 ガイドブック本編

 この間試作品として発行したパンフレットの本編となるガイドブックを作成することは、アレクと私の中ではほぼ決定事項だ。

 しかしうちだけではある程度限界がある。そこでオリバーに鉄道会社と提携できるか打診してもらっていた。


「パンフレットの売り上げデータや評判は拝見しました。しかし現時点、ガイドブックの提携まではできません」

 焦茶色の髪をきっちりまとめ、ぱっきり糊の効いた白いシャツに黒いスーツを着た男性が言った。


 いつものようにオリバーがうちの資本屋に途中経過報告しに来てくれた……と思いきや、今日はもう一人連れてきた。

 年は私やオリバーより少し上、30歳代前半位だろうか。切れ長の目と固い表情のせいかやや冷たい印象だがイケメンと言えるだろう。メルヴィン・オブライエンさんと名乗っていた。

 オリバーは苦笑を浮かべて言った。

「メルヴィンはうちの予算部門担当だから、ちょっと細かいけどいい人だよ」

 オリバー、オブライエンさんが自分を見る氷点下の視線に気付いてくれ。気付いているけど気にしないのか、そうなのか。私はヒィッと叫びそうになったよ。


 アレクが穏やかな笑みを浮かべて言う。

「そうですか。残念ですが、そういうことでしたらお話はなかったことに」

 うちとしても、別に鉄道会社に提携させてくれと頼み込んでいる訳ではないのだ。提携した方がお互いメリットがあるだろうという提案なだけで。

 『残念ですが』はある程度社交辞令で、重い意味はない。


「いえ、提携はできませんが、別の提案ができるかもしれないと思い伺いました。」

 オブライエンさんは計算を書いた紙を取り出した。

「ガイドブックを作成されるのなら、この街だけでなく、3駅隣の保養地のある駅のキオスクと当社ステーションホテルにも置かせて貰いましょう。

販売や貸出の単価を一般的大手ガイドブックと同程度と仮定した場合、見込み部数はこれ位。その分は買取りにしますから、それだけの部数を刷って頂けないでしょうか」


 アレクが息を飲む。私も驚いたが、アレクの目から見てもかなり多いらしい。

「但し、当社が求める品質を保てたらです。無理を申し上げる気はありません、前回のパンフレット位のレベルを」

「レベル、というと?」

 私も口を挟む。質や情報量、方向性、どんな意味で言っているのか。それを明確にしないと、刷ったはいいが向こうの独断で引き取ってもらえない危険がある。


「品位、情報の質、基本情報の充実。上流階級の方や女性も眉をひそめず楽しめるような。

ある程度砕けた内容は構いませんが下世話ではいけません。情報に誤りがあってはいけません。

そして読者はガイドブックには歴史や地理等基本情報を求めるものですから、その情報もある程度充実している必要があります」

「その3点は前のガイドブックでも配慮した点です」

 意外に当たり前な要求だったのでほっとする。3点目の基本情報は、こちらの世界の既存のパンフレットを見てニーズが高いと判断して入れたのだが、やはり拘り所らしい。

「やはり。パンフレットを拝見して、そこをきちんと押さえたスタンスを持っていると判断したので、この話をお持ちしました」

 かなり好意的なことを言ってくれているが、オブライエンさんは表情が全く動かない。顔だけみると怖い。こういう人なのか。


「地質など学術的な部分は、ある程度教育を受けた者でないと資料を読んでも正確に書けません。少なくとも前回のパンフレットの範囲では、正確に書かれ、その力量があるように思われました」

 つまり、それを見て分かる位、彼も教育を受けているのだろう。

「それから……このパンフレットは、全体的に旅に出たくなるような楽しさがあります。この方向性を維持して下さい。旅やその土地がいかに魅力的か、伝えようとする熱意がある。旅心を掻き立てることは鉄道会社側としても重要です」

 アレクがちらりと私を見て微笑んだ。えーと、熱意が溢れまくっている自覚はあります……。


 アレクが言う。

「そのご要望はもっともなことと思います。印刷前に原稿を確認頂くことはできると思います。一方、一点確認を。

このガイドブックは、基本的にスポンサーをつけない方針を考えています。スポンサーの意向で情報に歪みが出ると本として信頼を損ね、読者のためにもならないからです。

ですから、仮に貴社から原稿修正のご提案があっても、情報に歪みがでる恐れがあると当方が判断した場合は修正できないことがあります。

どうかその点ご承知おきください。勿論、より良い本を作るためのご提案は歓迎します」

 おお、流石アレク、きっちり押さえている。そこ重要。

「はい。そこは当然かと思います」

 欠片も表情を変えずオブライエンさん。


 ここまでのやり取りの範囲でしか分からないけれど、オブライエンさんは公正で理性的な人のようだ。

 思い込みの結論ありきで都合良く誘導する思考ではなく、要求を言うのも受け入れるのも筋が通っている。こういう人とは仕事がしやすくてほっとする。

 オリバー評「細かいけどいい人」はこういう意味か。


 アレクが言う。

「貴社では私共のガイドブックについて、どのような方針でお考えなのか、差し支えない範囲で教えて頂くことはできますか?」

 オブライエンさんはちょっと峻巡した。社内のことをどこまで話すのが交渉上適切か迷ったのだろう。

「質の悪い模倣品が広まる前に手を打ちたいんだよ」

 オリバーがポロっと言い、オブライエンさんに睨まれた。オリバー、こちらはありがたいけど社内で大丈夫だろうか。


 渋々という感じでオブライエンさんが言う。

「新しいことを始めると、模倣した粗悪品が出回るのが世の常です。貴社のパンフレットは鉄道を利用する旅行者に役立ち、当社にとっても鉄道利用者増加や満足度向上が見込め、メリットになると思われました。しかし粗悪な模倣品が出回りだしたという情報が入りました」

 うわ。発行からまだ半月位なのに。

「そこで、貴社のガイドブックを当社の資金で後押しして広めることで、粗悪品がつけ込む隙をなくしていきたいと思っています。

当社で独自にガイドブックを作ることも考えましたが、対応が遅れるほど事態が悪化しますし、貴社のガイドブックを買い上げするのが、最も早くコストや品質面でも合理的という判断になりました」


 悪貨が良貨を駆逐しそうなので、良貨を後押しして押し返そうということか。

 そして、試作のパンフレットは質も売れ行きも良かったが、ガイドブック本編はまだ実物すらないので提携までは現時点できない、とオブライエンさんは言った。


 私も口を挟む。

「といいますと、早い発行をご希望ということですね」

 既に見切り発車で準備を進めていて良かった。

「そうですね、当方の希望としましては……」

 オブライエンさんの言った期限案にアレクと私は目を剥いた。


 粗悪品を駆逐するにはこの位早い方がいい、と言われれば返す言葉もない。

 粗悪品を押し返すことができなければ、鉄道会社側だけでなく、うちもガイドブックが売れなくて困ることになるのだ。

 それに、直接私達のせいでないにしても、私達が始めたことで、旅行者や観光地や店が粗悪品で嫌な目に遭うことはなくしていきたい。


 そうして暫く、二人とも不眠不休で飛び回ることになった。

 元々、パンフレットを作った時に調べものをした下地はある。ページが限られるから掲載は要約に絞り込んだけど、いずれガイドブック本編を出すならここまで載せたいと保留にしていた題材や資料はかなりある。

 けれど、それを完成形まで整え、更にフィードバックを反映して新しい視点で追加する分はこれから着手しなければならない。


 先日頼んだレベッカ達やアレクの伝のほか鉄道会社からも大量の情報を集め、それを整理し、調査検討し、文献を漁った。

 オリバーは、本来業務の斜め上なんだけどと口では言いつつ、楽しそうに何かと手伝ってくれた。

 そしてオブライエンさんの厳しいけれど的確なチェックを経て、僅か1ヶ月程で見事発行に漕ぎ着けた。


 ボロボロになって見本を届けに行った私達2人に、オブライエンさんは相変わらず全く動かない表情のまま拍手した。

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