第18章:喧嘩
未来と隼人は学校近くのコインパーキングに停めた車に乗込んだ。
隼人の兄、大輔が海外赴任している間、必要なら車を使ってもいいと言われていたので、今日は車で来ていた。
「本当にK大一本でいくの?」
未来は車の運転をしながら聞いた。
「K大以外、受ける気はないよ」
「T大も受けといた方がいいんじゃない? 一応万が一ってこともあるわけだし……」
隼人はしばらく黙って窓の外を見ていたが
「大学を四年間通えば、いったいいくらの金がかかると思ってんだよ」
思ってもみない方向の話が出て、信号待ちをしていた未来は振り返った。
「国立ならまだしも、私立にいけばその分余分に金がかかる」
「そりゃまぁ、そうだけど……」
「しかもT大は県外。通うとなると大学の近くにアパートを借りないといけなくなる。K大なら国立だし、家からも通える。あまり……、兄貴に金の負担をかけさせたくないからな」
意外な言葉を聞いて未来は驚いた。
両親を亡くしてから、親代わりに隼人を育てたのは兄の大輔だった。
ただでさえ、大学はお金がかかる。
確かに私立に入学して、アパートを借りるとなるとかなりの金額が必要になるだろう。
「それなら、一度大輔さんに相談してみたら……」
金銭的な事はそれぞれの家庭事情があるだろうから、あまり突っ込んだ事は言えないけど、もしやりたい事があるなら諦めて欲しくないという気持ちもあった。
「前」
信号が青になり、それに気がつかなかった未来を促すように隼人が言った。
未来はステアリングを握り直し、車を発進させる。
再び黙ってしまった隼人だったが
「俺と兄貴は血が繋がってないんだ」
衝撃的な言葉に未来は隼人を振り返った。
えっ?
今なんて……。
「ちゃんと前見て運転しろよ」
隼人に注意され、未来は慌てて前を見た。
「俺が五歳の時に、母親が兄貴の父親と再婚したんだ」
そうだったんだ……。
「本当なら、俺の面倒なんか兄貴がみる必要なんてないんだ」
前を向いて運転している未来には、横を向きながら窓の外を眺めている隼人の顔は見えないが、その声には少しの寂しさが感じ取れるのは決して気のせいじゃないと思った。
きっと、両親が亡くなった為に自分の面倒をみている大輔に、金銭的に負担になりたくないんだ。
ふと未来は脳裏に、大輔が言っていた言葉を思い出した。
『小学校まではとてもやんちゃなヤツだったんだけど、いつの頃か妙に聞き分けが良くなって……』
未来はなんとなく、隼人の今までの行動に納得がいった。
外面がいいのも、きっと大輔に迷惑がかかるようなことがないようにしているのだろう。
未来は隼人の意外な一面を見た気がした。
でも、本当にそれでいいんだろうか……。
血が繋がっていないからとか、両親がいないからとか、そりゃあたしには血の繋がった姉さんもいるし、両親も健在だから大きな事は言えないけど……。
「ホントに、それでいいの?」
未来の問い掛けに隼人は何も言わず、ただ窓の外を眺めている。
「もしあたしが大輔さんなら、あんたのその考えを聞かされたらショックだな」
未来の言葉に隼人がこちらを見たのが気配でわかった。
「少なくとも十年以上兄弟やってきたんでしょ。もしあんたの事を大輔さんが負担思っているなら、両親が亡くなった時にあんたを施設にでも預けてるよ。 兄弟って血の繋がりだけがすべてじゃないと思し、少なくとも大輔さんはあんたの事を大切に思ってると思うよ。 でなきゃ、海外赴任が決まった時にあたしを同居させたりしないでしょ。相手に何も聞かないまま勝手に思い込んで結論を出すのは絶対良くない。 だから、一度大輔さんに相談してみなよ。それでもお金の事が心配なら、出世払いとでも考えたらいいんじゃない? あんたが社会人になってドーンと稼いで、大輔さんに恩返しすればいいじゃん」
「お前って……、馬鹿みたいに前向きな性格してるな」
「馬鹿ってなによ!」
隼人の呆れたように言ったその言葉に、ムッとして未来は隼人の方を見た。
しかし、隼人の顔は言葉とは対照的に、今まで見たことない優しい笑顔を未来に向けていて、その笑顔があまりに魅力的に見え未来は慌てて前を向いた。
そのまま黙ってしまった隼人に、自分の鼓動が高鳴り出しているのに気付かれているんじゃないかと心配した未来は、何か喋らなきゃと思い咄嗟に思い付いた事を口に出していた。
「そ、そういえばさっき隼人と一緒居た子、綺麗な子だったね」
咄嗟に思い付いたとはいえ、出す話題を間違えたと一瞬後悔した。
「あぁ、アイツ、よく街でスカウトとかされてるみたいだからな」
隼人の言葉が、少しだけ優しく聞こえるのは気のせいだろうか……。
「優香と付き合いたいってヤツ、けっこういるみたいだし」
いつもはすぐに会話が途切れるのに、さっきの彼女の事をよく喋る隼人に未来はいいようのない気持ちになった。
それは勝手な感情だと分かっていたが、つい言ってしまった。
「へぇ、じゃあんたもそう思っている内のひとりなんだ」
言ってしまってから後悔したが、出てしまった言葉を取り消す事も出来ず、隼人は何を言っているんだといった感じだった。
「なんだよ……、それ」
「あんたにしては珍しく愛想振りまかず普通だったじゃん。それにあの子、あんたの事振った子に似てるなって思ったからさ」
あぁ、こんな事言いたい訳じゃないのに……。
自分の言動に自己嫌悪に陥りながらも、未来は自分自身に驚いていた。
あたしってこんなに嫉妬するタイプだったんだ。
隼人の様子を伺うと明らかに不機嫌そうにしている。
「そうゆうお前はどうなんだよ」
えっ、あたし?
「最近、また別の男に送ってもらってるみたいじゃん」
もしかして、社長の事を言ってるんだろうか。
「また、つまんない男に引っ掛かってんじゃねぇの。お前、男見る目ないからな」
「あの人はそんな人じゃないわよ」
隼人の嫌みな言い方にムッとした未来はきつく言い返した。
少なくとも社長とは恋愛関係があるわけではないし、なによりとても紳士的に接してくれている敦の事を悪く言われたくなかった。
「あの人ねぇ」
隼人は小馬鹿にしたように言った。
「ずいぶんムキになってんじゃん」
「あんたが嫌みな言い方するからでしょ」
「だって本当の事だろ」
「本当の事って、あんたにあの人の何がわかんのよ。何も知らないくせに」
「……ずいぶんと庇うんだな。……その男の事本気で好きなの? それとも……、もう寝たとか」
「なんで、すぐに寝たとかそうゆう話になるのよ」
ちょうど、信号で止まった未来は隼人の方を振りかえると、隼人は真剣な顔でジッとこちらを見ていた。
その顔は少し辛そうに見えた。
なんで、あんたがそんな顔するのよ。
まるで、自分が悪い事してるみたいな気分になる。
お互いの目線が合ったまま未来と隼人は黙っていたが、最初に目を逸らしたのは隼人だった。
「俺、今日夕飯いらないから」
そして隼人は助手席のドアに手をかけ、車の外へと出て行った。
それを黙って見送っていた未来は、悔恨の念にとらわれた。
信号が青に変わったのか、後ろの車にクラクションを鳴らされ、未来は仕方なく車を発進させた。