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「そうしたらね、いつの間にかここに貴女がいたの!」
はしゃぐように、ぱちん、と両手を打ち鳴らして砂の魔女は言った。
妙に明るく幼い振る舞いは、もしかしたらその反動なのかもしれない。と、にこにこと笑顔を見せる魔女を前に、彼女はひとり納得した。あるいは生来のものだとして、どうだっていい。
まず、その話だけを聞く分には、砂の魔女と呼ばれた彼女には悪意など微塵もなくて、ここの村人たちが突然に態度を変えたようにも見える。だが、彼女の話を悪し様に語り直せば、彼らからの手紙と同じような内容になるだろう。つまりは、魔女が人々の弱味に漬け入ろうとしたのだという形。
なんと面倒な事だろうと、彼女はこめかみを抑え重たいため息をついた。こんなことならば、いつものように足を運んだりするんじゃなかったとすら思ってしまう。
「もしかして、疲れているの?」
すると、まるで純朴そのもののように、女は心配そうに彼女の顔を覗き込む。一瞬引き攣りかけた表情を穏やかな笑顔で隠して、彼女はその気遣いに対して気にしなくて良いと暗に拒否を示した。
何せ、この女が今までそうしてきたことこそが、彼ら村人たちにとっての怒りを買っているのだ。仮に彼女が茶でも汲もうとして、それを手放しに受け入れられるはずもないだろう。
ともあれ、もう日も暮れる。長い昔話だったけれど、むしろここからが本題。まず彼女は、目の前の女へと問い掛けた。
「ところで、貴女は私がここに来た理由をご存知ですか?」
女は、その大人びた容姿とはちぐはぐな、きょとんとした顔で首を横に振る。それもそうだろう。先ほど聞いた話の通りならば、彼女はこの部屋にいるようにと言われてそれきり。
ただ、その話がどれだけ信用に値するかは微妙なところ。それだけ忘れないように、シスターは話を続ける。
「私は、彼らに呼ばれてここに来ました」
「そうね、みんな貴女のことが大好きみたいだったから」
いいなぁ、と。微笑むように明るいその声音が、やけに耳障りに響いた。その声も内容も、聞いているだけで気分が悪くなる。
「まさか。単に、こんな場所まで来るような者が他にいないだけです」
小さい村だ。何かの度に同じ顔が来ていれば、多少の親近感くらいは湧くものだろう。だからといって、それはただ顔見知りというような距離感でしかない。
だが、どうやら魔女にその感覚は理解できないらしい。彼女は不思議そうな表情で首を傾げる。矯めつ眇めつするように幾度か眉を潜めた挙げ句、やがて彼女は口を開いた。
「でも。貴女だって、みんなのことが好きなのでしょう?」
何もわからないような顔をして、女は言う。だから考えるよりも先に、言葉が口を突いて出た。
「まさか!」
突然荒げられた声に、魔女は目を丸くする。そのラズベリルの瞳が呆然と見つめるのは、同じように放心するシスターの方。けれどその目に映る姿を見るに、むしろその声を上げた当人こそ、より強く呆気にとられているようにすら見えた。
絶句し、そのまま動けなくなった聖女を目に、砂の魔女は余計に首を傾げてるばかり。ええと、と前置きをした後、ごく単純な疑問を彼女はひとつ投げ掛けた。
「それなら貴女は、どうして彼らのためにこんな場所まで来たの?」
だって他の人はそうしなかったんでしょう。と、リタが重ねた言葉に、彼女はやはり答える術を失ったまま、ぎりりと奥歯を軋らせた。
そんな一瞬の歯噛みの後、ある種諦めのように、吐き捨てるようなため息をつく。そうして短い息を重ねて吐いて、彼女は言った。
「彼らの願いを、貴女へと伝えに来たのです」
途端、退屈を持て余していた魔女は目を輝かせ始める。堪らず身を乗り出したその勢いで、小さく砂が辺りに飛び散った。
本当に、だなんて声を弾ませる姿の、なんて憐れなことだろう。そんなことを彼女は思った。
「懺悔し、炎の中へ身をなげろ、と」
その言葉の意味をわかっているのか否か、彼女は素直に頷いた。穏やかな、慈しむような微笑みすらを湛えて。なるほどこういった振る舞いに、彼らは薄気味悪さを感じていたのだろう。酷い違和感を覚えながら、彼女は魔女に訊ねた。
「貴女は何故、そうまでして人の望みを叶えるのですか」
彼女は答える。
「みんなへの恩返し。それとーー」
罪滅ぼしかな、と。
彼女はそう呟いて、ゆったりと立ち上がった。それから一歩、二歩と、やがて聖女の座る前に跪くと頭を垂れる。流れ落ちた髪の先から砂粒を零しながら両手の指を組む姿は、まるで祈るかのよう。
懺悔します。だなんて言って、砂の魔女は口を開いた。
私はまた、赦されないことをしました。あの時のように間違えて、彼らの幸せを壊してしまったのです、と。失意と後悔に満ちたその告白は、ただ本当に罪を晒け出すというだけで、きっと赦しなんて求めてはいないのだろう。
リタは聖女の足元に跪いたまま。その有り様はひどく苦い心地がして、耐え難い。だから彼女は視線と一緒に話を逸らそうとした。
「私からも少し、お願いがあります」
そうしてちらりと見やった先は、使われなくなって久しいティーセットの方。それで伝わるだろうと彼女は高を括っていたが、女は呆けた顔を晒すばかり。
「お茶を入れて下さいませんか。よく眠れるものを」
私はここで待っていますから、と。ため息混じりに言ってようやく、彼女は合点が言ったという顔をした。にこにこと嬉しそうな顔で立ち上がり、慣れた手つきで食器棚からティーセットを取り出していく。
「嬉しいな、聖女様に飲んでもらえるなんて」
清潔な布巾でカップを拭きながら鼻唄を歌う姿は、まさにご機嫌そのもの。やはり、大人びた姿には似合わない振る舞いだと彼女は思った。
「リコ、です。聖女様なんかではなく」
そんな彼女は、思いもよらなかった言葉に虚を突かれたのだろう。きょとんと目を丸くする。それから少し遅れてようやく理解が追い付いたのか、とても嬉しそうに笑みを漏らした。
魔女と呼ばれた彼女はこの後、水を汲むために井戸へと向かうだろう。鍵の開いた教会から外へ出て、見張りのひとつもつけることなく。
善き人ならば裁かれ、そうでないならば逃げおおせるだろう。どちらにせよ、明日を過ぎれば二度と彼女と会うことはない。
浮かれたように扉を開こうとした魔女は、そうだ、と思い出したようにひとつ質問をした。
「ねぇ、リコどうして貴女は人を助けるの」
きっと最後になるだろうその問い掛けに、彼女は淡々と答えた。
「全て人は、幸せであるべきだからです」
窓から差し込む朝日の眩しさで、聖女は目を覚ました。
昨夜彼女に頼んだ茶はどうやらよく効いたらしく、いつ自分が眠りに就いたのかすら定かではないほど。
大きく伸びをしようとして、はらりと何かが落ちる。彼女の肩から落ちたそれは、自分では掛けた覚えのない毛布。それを持ち上げ軽く畳むと、ぱらぱらと砂粒が零れた。
辺りを見回してみようが、この部屋に魔女はもういない。きっと寝息を立てる聖女を尻目に、どこへなりとも姿を隠したのだろう。
視界の端に零れ落ちた彼女の髪の亜麻色は、あの女の零した砂とよく似ている。色も、手触りも、少なくとも彼女はずっとそう感じていた。
結局はそんなものなのだと、彼女は吐き捨てるようなため息をついた。
首都へ戻ろうと荷物をまとめ、教会を出る。部屋の外には、相も変わらず草木の匂いが漂っている。気分が悪くなるようなその匂いに顔をしかめながら、彼女は違和感を覚えた。
焦げるような匂い。仄かに熱を帯びたそれは、どうやら村の広場から風に流れてここまで届いているらしい。
教会から広場まではそう遠くない。彼女が様子を伺いに来てみれば、村人たちが輪になるようにして広場を囲っていた。ガヤガヤと楽しげな騒がしさの中から、信心深いあの青年が目敏くも彼女の元へと駆け寄って来た。大きく手を振り、聖女様と声を弾ませながら。
彼女は尋ねる。
「これは?」
「あの魔女めが、自ら火に身を投げたのです」
きっと、己の罪深さを理解したのでしょう、流石は聖女様だ。なんて揚々と語る姿は、まるではしゃいでいるかのよう。広場に集う村人たちも老若男女、誰もが同じように喜びの色を見せている。
まさか、と彼女は息を飲んだ。そうして人波を掻き分けながら足早に向かうのは、あの広場の中心。恐らくそこには十字架が立てられていたのだろう。罪人を括りつけ、晒し上げ、火を放つために。鼻をつく焼けた匂いが、それを証している。
やがて辿り着いたその場所で彼女は足を止めた。不思議とその足元に灰は一粒もなく、その代わりのように砂が小さな山を残すばかり。似ている、自らの視界の端をちらつく亜麻色の髪を見て、彼女はそう思った。
静かに膝をつき、彼女は両手でそれを掬い上げる。じりじりと、痛みにも似た感覚が肌を刺す。確かに炎に焼かれたのだろうことは、この熱が雄弁に語っていた。
手のひらに載せたその熱さは、きっと彼女が越えてきたというあの砂漠の焦熱に、よく似ているのだろう。そして、それは緑と笑顔に満ちたこの村とは、きっと遠いものなのだろう。そんな、今さら知る由もないことをリコは思う。彼女に出来ることは、もう他にはなかったから。
ぱらぱらと、砂の上に泪が零れた。
砂上に泪 / 終




