灰銀の城と、ひまわりの剣の決意
王城の離れ――灰銀の小さな城が現れた中庭から、十二星たちが引き上げて数日。
灰銀の城は、相変わらず中庭のど真ん中で、しれっと鎮座していた。
誰も触れられない金属の扉。
五重の結界。
ガルドのメモ「五大賢者の戒めを解け」。
中庭の風は花壇と泉を揺らしながら、その城のまわりだけを避けるように通り過ぎていく。
王城の小会議室。
机の上には、帝都の簡略地図と、灰銀の城を中心にした魔導図が広げられていた。
マリア。
ブランディア。
マカロン。
ケイン。
シン。
ローズ。
ほか、帝都に残っている十二星の数人。
「改めて確認しましょう」
ブランディアが淡々と口を開いた。
「灰銀の城の五つの層――音、衝撃、時間、因果、外側の手。そのそれぞれを、“解除”ではなく、“こちらの裁量で開閉できる状態”に組み替える」
「そのために、十二星と太陽と月で、“鍵”を用意する」
「ここまでは、EP44……いえ、前回の会議で決めた通りです」
「EPって何?」
マリアが小声で突っ込み、隣のマカロンが「小声でツッコまないでください」とさらに小声でツッコむ。ブランディアは、聞こえていないことにして続けた。
「問題は――鍵の一つ、“記憶と物語”に関わる部分です」
「アビス・オブリヴィオンで沈められたもの」
「ストロベルンで削られたマカロンの記憶と運命の線」
「ひまわりの家の本来の姿」
「それらを、必要なだけ掬い上げる鍵がなければ、“五大賢者の戒めを解く”ことはできません」
マカロンが、無意識に胸のあたりを押さえた。
服の下には、万年筆のような紋章。ひまわりの家で呼ばれた名前。その全部を、「いったん伏せられた」状態の自分。
「……私に、何かできるんでしょうか」
恐る恐る問うと、マリアが彼女の方を向いた。
「できるわよ」
あまりにもあっさりと言われて、マカロンは目を瞬いた。
「この城の“記憶と物語の層”は――」
マリアは、灰銀城の図上の一点を指差す。
「どう見ても、“ひまわりの剣”を通すために作られている」
ローズが補足するように頷いた。
「道理ね」
「封じられた物語は、物語の担い手の側から開けるのが一番安全」
「十二星側から力づくでこじ開けると、“世界そのもの”が揺れかねない」
シンが静かに続ける。
「太陽と月と十二星の権能を重ねた鍵は、“外側の手”を渡りにくくするための鍵だ」
「だが、内側――人間側には、人間側の鍵が要る」
「それが、“帝都第三位のひまわりの剣”という話だな」
「第三位……」
マカロンは、まだ自分の耳が間違っていると思いたかった。
「それ、みんなして言ってませんか」
「言っているわね」
マリアが悪びれもせずに認める。
「帝都の“公式階級”とは関係ないけれど」
「剣と魔術の腕前で並べた場合」
「帝都の中で――」
マリアは指を折った。
「一位は、私。ふふ~ん」
「二位は、ブランディア、四神軍元帥たち、十二星たち」
「その下、“純粋な技量”だけで戦える枠が空いている」
ブランディアも頷く。
「太陽と十二星は、世界の理と時に手を出す役目ですからね」
「戦場に出ても、“剣だけに集中する”わけにはいかない」
「だからこそ、『剣も魔術も、帝都のために集中して使える人間』として、マカロンの成長が必要になります」
マカロンの喉が、きゅっと鳴った。
(帝都第三位のひまわりの剣?灰銀の城の“記憶と物語の鍵”)
(五大賢者の戒め)
全部の言葉が、背中の方から一斉に押してきたような感覚がした。
「難しいと思う?」
マリアが真正面から訊ねる。
「……難しいです」
マカロンは、正直に答えた。
「近衛軍少将と言われただけでも怖いのに」
「“帝都第三位”とか、“灰銀の城の鍵”とか、“五大賢者”とか……」
「よく分からない大きなものが、いっぱい乗ってきている感じです」
「でも」
彼女は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「ひまわりの家で、アンナ院長に守られて」
「路地裏で、誰に守られることもなく倒れかけて」
「西門で、ビッケたちを見て何もできなくて」
「救護室で、みんなを呼び戻したとき」
「全部、“守られる側から守る側へ”に変わるための経験だったと思うので」
「難しいですけど」
胸元の少将章をぎゅっと握る。
「やります」
マリアの目が、静かに細くなった。
「それでいい」
「じゃあ――」
彼女は、机の上の魔導図に視線を戻す。
「灰銀城の中身に手を出す前に」
「あなたの剣と魔術を、“帝都第三位の候補”くらいには持っていきましょう」
「五大賢者の戒めのうち、“記憶と物語”に関わる部分は、そのときまで待ってくれるはずよ」
ローズが小さく笑う。
「問題文は読み上げられたところ」
「回答用紙は、まだ出さなくていい」
「ただし、鉛筆だけは削っておきましょうね」
「鉛筆……」
マカロンは、自分の胸の紋章を無意識に押さえた。
万年筆のような紋章。
ひまわりの名札。
路地裏で何度も握りしめた、小さなパン。
全部が、一本の「鉛筆」に繋がっているような気がした。
会議がひと段落した後。
近衛訓練場。
「マカロン少将」
ブルートが、腕を組んだまま呼びかけた。
「はい」
「今から、“第三位研修”だ」
「……研修?」
マカロンは、思わず眉を上げた。
「第三位なんて、まだまだ先だと思ってたんですけど」
「だから研修なんだ」
ブルートは、顎で訓練場の中央を示す。
「帝都第三位を名乗るには、最低限、三つ必要だ」
「ひとつ目。剣」
「ふたつ目。魔術」
「みっつ目。線を見る目」
「線……?」
「避難線。隊列線。結界線」
ブルートは、指揮棍で地面に線を短く描いた。
「お前はすでに、“線を見る目”は帝都上位クラスだ」
「ひまわり線の整備。避難印。ひまわりだった場所。路地裏から王城への道」
「その全部を、兵たちが“身体で覚える”ところまで持っていけた者は、他にいない」
マカロンは、少しだけ照れくさそうに俯いた。
「……ありがとうございます」
「剣と魔術は、まだ伸びしろが大きい。というか未熟だ。」
ブルートは、正面から彼女を見た。
「今日から、“剣・魔術・線”の三本柱を、全部『第三位候補』レベルに持っていく」
「剣は、まず“近衛内の上位層と渡り合う”ところからだ」
「魔術は、“ひまわり用三魔術”を自分のものにするところからだ」
「ひまわり用……三魔術?」
マカロンは、初めて聞く単語に首を傾げた。
「さっきの会議で、太陽と月と十二星が話していたやつだ」
ブルートは、簡潔に指を三本立てる。
「ひとつ目。“ひまわり結界線”」
「ひまわりの家で、子どもたちが印を辿れば必ず安全な場所まで行ける線」
「帝都版を、お前固有の魔術として持て」
「ふたつ目。“ひまわり呼び戻し”」
「救護室で、ビッケたちを呼び戻したときの祈り」
「偶然で終わらせるな。意識して使えるようにしろ」
「みっつ目。“ひまわり護身”」
「自分を守る術だ」
「お前が倒れたら、帝都のひまわり線が全部揺らぐ」
「だから、自分を守る魔術は、“第三位魔術”の一つとして必ず習得しろ」
マカロンは、一つ一つの言葉を噛みしめるように聞いていた。
(ひまわり結界線)
(ひまわり呼び戻し)
(ひまわり護身)
全部、「守る」魔術だ。
「……難しいです」
彼女は、正直に言った。
「でも、“難しいからやめます”って言ったら」
「ひまわりの家のみんなに顔向けできません」
「だから、やります」
ブルートの口元が、わずかに緩む。
「よし」
「じゃあ――今日のメニューだ」
彼は短く指揮棍を振る。
「第一段階。近衛上位層との剣の打ち合い、および『三連撃』の練習」
「第二段階。“灯”の応用としてのひまわり護身の基礎」
「第三段階。ひまわり線と避難線の統合訓練」
「第四段階。灰銀の城とのリンクを意識した“線のイメージ”の練習」
「三連撃って何ですか?」
少し厳つい名前にビビるマカロン。
「ん?知らんのか。見ていろ。」
ブルートは大剣を構える。ちょうど剣道の中段の構えのようだ。
「行くぞ!」
と言った次の瞬間。強烈な風圧がマカロンの横をかすめた。一瞬白い空気のようなものを見たかと思えば
ブーンという音と共に何かが通り過ぎた気がした。
「後ろを見てみろ」
マカロンが振り向くと、後ろに立っている木の幹がきれいに十字に貫通しており、木の周辺に生えていた雑草がきれいに円形に刈り取られ、地面がむき出しになっていた。
「すごい・・・カッコイイ」
「だろ。だがこんなのは初級レベルだ。打ち合いで基本を磨くことは、そのまま応用する為の下積みになる。基本は大事だ」
「はい。」
「よろしい。で・・・」
「灰銀の城……」
マカロンは、灰銀の扉を思い出す。
五重の結界。
ガルドの私印。
「五大賢者の戒めを解け」。
「線を見る目は、灰銀の城にも繋がる」
ブルートは、ほんの少しだけ真面目な声になった。
「五つの層を結ぶ“線”を見られる人間は、そう多くない」
「太陽と十二星は、世界全体を見て線を結ぶ」
「お前は、“ひまわり線”を軸に、その線を見て繋げる」
「その役目は、帝都第三位にふさわしいものだ」
マカロンは、胸元の紋章をそっと指でなぞった。
(線を見る目)
ひまわりの家から王城へ。
路地裏から救護室へ。
ひまわりだった場所から避難広場へ。
フィオレアから帝都へ。
ストロベルンからフィオレアへ。
そして、灰銀の城へ。
それら全部を、小さなひまわりが一本ずつ結んでいくイメージ。
「分かりました」
マカロンは、木剣をしっかりと握り直した。
「今日から、“研修”始めます」
同じ頃。
マリアの執務室。
地図の上に、「帝都戦力非公式ランキング」と書かれた紙がひとつ増えていた。
「これ、誰が作ったの」
マリアが眉をひそめて訊ねる。
「作ったのは、誰だったでしょうね」
ブランディアは、まるで他人事のように肩をすくめた。
紙には、ざっくりとした名前と説明が並んでいる。
- 第一位:マリア・サン・クオンドール(太陽星《獅子》)
→ 太陽。世界の心の脈動と帝都の政治を同時に見る人。
- 第二位:ブランディア・テスタロッソ(月星《蟹》)、四神軍元帥、十二星
→ 月と四本の柱と十二の星。世界の理と時と境界を見守る人たち。
- 第三位候補:近衛軍少将マカロン(ひまわりの剣)
→ ひまわり線と帝都防衛線を握る剣。
- 第四位以下:朱雀軍少将アルト・ワーグナー、近衛軍各隊長、王城魔導師団長、その他。
「“第三位候補”って書き方がずるいわね」
マリアは紙を軽く叩いた。
「“候補”って書いておけば、本人にプレッシャーを掛けすぎずに済みますから」
ブランディアは笑う。
「ただし――」
彼女は静かに続けた。
「現場の兵たちの間では」
「『近衛軍少将マカロン=ひまわりの剣』を、すでに第三位として見ている者も少なくありません」
「西門での一件」
「救護室での呼び戻し」
「マリア陛下がひまわりの家の子たちと一緒に泣いた夜」
「その全部を見ている人たちは、“あの子はただの使用人では終わらない”と信じています」
マリアは、少しだけ目を伏せた。
(ひまわりの剣)
(帝都第三位)
(灰銀の城の鍵)
「……背負わせすぎていないか、しら」
ぽつりと呟く。
「それを言うなら」
ブランディアは穏やかに返す。
「仮初の太陽が、帝都全域と世界全体の理と時と政治を背負っている方がよほど背負い過ぎです」
「それは私の話ね」
マリアは額を押さえた。
「でも、あの子の場合は」
彼女は紙に指を置く。
「『第三位』という言葉は、むしろ“帝都の子どもたちを守る線を太くするための目標”よね」
「帝都第三位のひまわりの剣がひとりいるだけで」
「ひまわりの家のような事件は、確実に減る」
「灰銀の城の中身に手を出したとき」
「記憶と物語の層を開ける役目を担うのが、ひまわりの剣であるべきなのは、たぶんガルドの趣味でもあるけれど」
ブランディアが、小さく笑った。
「趣味の範囲を超えている気もしますが」
「“世界が退屈してるから、楽しい問題を置いていく”と言っていた先帝陛下の趣味ですからね」
「マカロンと灰銀城の繋がりは、避けられないでしょう」
「ならせめて――」
マリアは、窓の外の中庭を見下ろした。
そこには、まだ灰銀の城が静かに立っている。
「その前に、あの子に“守るための強さ”をできる限り渡しておきたいわね」
「剣も、魔術も、線を見る目も」
「“帝都第三位”なんて言い方をするなら、いっそちゃんとそのくらいには育ててしまいましょう」
ブランディアは目を細めた。
「仮初の太陽が、誰かの成長を“見守る”という選択を覚えたのは」
「この世界にとって、かなり重要なアップデートです」
「……アップデートって何」
「進化、です」
「誰が進化よ」
「陛下が、です」
マリアの頬が、わずかに赤くなったのをブランディアは見逃さなかった。
中庭。
灰銀の城は、何も言わない。
音の層。
衝撃の層。
時間の層。
因果の層。
外側の手を遮る層。
五つの層の中で、どこか一つだけが、かすかに呼吸していた。
それは、「記憶と物語の層」だった。
ひまわりの家の夕暮れ。
アンナ院長の笑顔。
フィオレアの丘。
ストロベルンの村。
絶・深淵忘却の夜。
マリアが路地裏で拾い上げた腕の温度。
全部の断片が、灰銀の城の奥で、静かに揺れている。
「五大賢者の戒めを解け」
ガルドのメモの文字。
雑なひまわりの落書き。
それを見つめる太陽と月と十二星とひまわりの剣は、まだ結界の外側にいた。
内側には、RAID5の賢者たち――センイチロウがある人から概要を聞いて、その天才的な頭脳で作ってしまった、チート的代物が眠っている。
それが姿を現すのは、もう少し先。
今はただ、ひまわりの剣が「帝都第三位候補」として、剣と魔術と線を見る目を磨き始める時間だった。




