森に落ちてきた男
世界がまだ、かろうじて「筋書き通り」に進んでいると信じられていた頃。
戦いの女神アネッサは、その日、珍しく仕事を休んでいた。幾千の戦場で刃を振るい、神々と魔族と人間の争いに関わり続けてきた彼女は、ふと、ひとつだけ贅沢をしたくなったのだ。
――静かな下界の森で、何も考えず、昼寝をする。
陽の差す小さな草地。鎧を外し、紅い髪をほどき、土の柔らかさを背中で味わいながら、アネッサは大きく伸びをする。
「……静か、っていいわね」
鳥のさえずり。小川のせせらぎ。風に揺れる木々の音。
戦場の喧騒とは程遠い、穏やかな音だけが、世界を満たしていた。
(たまには、こういうのも悪くないわね……)
少しだけ肩から力を抜き、まぶたを閉じかけた、その時。
ごうっ、と空気が裂ける音がした。
「……?」
かすかな違和感に、アネッサは目を開く。
次の瞬間――
「おぉぉぉぉっとっとっとっとォォ!? やばやばやばやば計算ずれたーー!!」
空から、金属の塊とも魔道具ともつかない何かが、高速で落ちてきた。球形の金属に羽のような板、その周囲を輪っかがぐるぐる回転している。その内部から、黒髪の男が半分飛び出し、逆さまになって落ちてくる。
(……は? ちょっと。せっかくの休みになによ、あれ)
思考より先に身体が動いていた。アネッサは地面を蹴り、落下点に滑り込む。両腕を広げ――
「どわあああああああああああああ!!?」
金属塊ごと、その男を受け止めた。地面がドンッと鳴ってひび割れ、周囲の木々がざわりと揺れる。しかしアネッサの足は、ぴくりとも動かなかった。
「……重い」
「いっったぁぁぁぁ……」
腕の中で、黒髪の男が顔をしかめる。白衣は焦げ、あちこち破れ、眼鏡はずれかけている。どう見ても「何かに失敗した研究者」の姿だった。だが、その瞳だけはやたらと生き生きしている。
「お、お姉さんっ! 今“重い”って言いました!? いやそこ!? 『大丈夫?』とか『生きてる?』じゃなくて!?」
「生きてるからうるさいのよ。静かにしなさい」
アネッサは呆れ顔で言いながら、抱えた金属塊を片手でぽい、と横へ放り投げる。塊は木にぶつかる寸前、ふっと光って消えた。
「おおっ、自己消滅機能ちゃんと動いた! そこは計算通り!」
「さっき『計算ずれた』って叫んでたわよね」
「リカバリーまで含めて計算です!!」
胸を張る男を、アネッサは真顔で見下ろした。
「……あなた、何者?」
「アル・スエンジール帝国・浮遊魔導技術開発局・特別研究主任! 名はセンイチロウ! 天才にして変態、変態にして超絶天才!! そして今、この瞬間から、あなたに一目惚れした男です!!」
自分で変態と言い切った。アネッサは三秒ほど沈黙した。
「……神界まで届くレベルで馬鹿ね、あなた」
「うん!? 褒めてる!? 貶してる!? お姉さん名前は!?」
「お姉さんじゃない。アネッサよ」
「アネッサ……!」
センイチロウの目が、一瞬で「新しい研究対象」を見つけた時の光を帯びる。
「もしかして、戦いの女神アネッサ!? やっば!! ちょっとその腕触っていい!? 筋肉の密度計りたい!!」
「私に触っていいのは、私より強い相手だけよ」
「結婚してください」
「話を聞きなさい」
あまりにも一直線に、あまりにも迷いなく言われて、アネッサは一瞬、返す言葉を失った。
(……はぁ。ここまで来ると、いっそ清々しいわね)




