第8話 黒炎のライコ
焚き火の火が落ち着き、三人は腹を満たしてまったりとした時間を過ごしていた。
イサムが煙草を吸い終えると、ライコが立ち上がった。
「じゃあ、そろそろ番を決めようか。まずはゴマちゃん休ませよう。あれでも女の子だからね」
「んだとゴラァ……」と寝転がったままゴマがうめいたが、すぐに「ふああ……」と欠伸をして寝息を立て始めた。
ライコが焚き火に薪をくべ、ぱちりと火の粉が弾ける。
イサムはそれを眺めながら切り出した。
「お前たちは……ラゼムの子供ってことでいいんだよな?」
ライコはちらりと横目で見て、にやりと笑う。
「あぁ、見た目が違うから気になる?血は繋がってないよ。父さんが赤子だった俺とゴマちゃんを拾って育ててくれたんだ」
「じゃあ、二人は兄妹みたいに育ったってことか?お前が兄で、ゴマが妹か?」
ライコは肩をすくめた。
「逆。俺が弟でゴマちゃんがお姉ちゃんさ。俺は今17で、ゴマちゃんは20だ」
「なるほど……拾われて育てられたから似てないのか」
イサムはふとライコの額の角に目をやった。
ライコはそれに気づき、唇の端を上げる。
「この角、気になる?」
「まあな。角は角でもヤギ頭の亜人なら街で見たことあるが……人間の顔で角が生えてるのは初めてだ」
ライコは少し困ったように肩をすくめる。
「何の亜人なのか、正直俺にも分からないんだ。父さんに拾われた時から、ずっとこうだったからさ」
イサムは眉をひそめる。
「なるほどな……お前自身にも分からないのか」
ライコは火の粉を見上げ、わざと軽く笑ってみせる。
「まあ、人間から見りゃ珍しいんだろ?でも俺からすれば、角も牙もないおっさんのほうがよっぽど異形に見えるぞ」
イサムは苦笑しつつも、その明るさに少し安心した。
「しかし亜人って言っても色々いるんだな。ゴマとラゼムは狼っぽいけど、どうしてあんなに違うんだ?」
ライコは薪をくべながら答える。
「人間の血が強いか、魔族の血が強いかの違いだね。……なに、おっさん、ゴマちゃんのこと気になる?」
イサムは苦笑いする。
「気になるというか……あの強さは普通じゃないからな。まさに戦いの天才って感じたよ」
「うんうん分かる。でも天才とは違うかな、ゴマちゃんは努力で強くなったタイプだよ。」
ライコの声に、少しだけ嫉妬の色が混じる。
「どちらかと言えば父さんは天才肌で、俺はどっちかって言うと普通かな。んで、ゴマちゃんと二人で父さんの背中を見てて、俺が欲しい父さんみたいな力は、だいたいゴマちゃんが持ってるんだよ。だから、ずっと羨ましかった。でも今は誇りだよ。」
そのとき、ゴマの寝返りの音がガタガタと響いた。
「う〜……肉……もっと……」と寝言を言い、ライコは吹き出す。
イサムは火を見つめながら呟いた。
「目立つ奴だよな。戦闘力にあの性格……そりゃ印象にも残るわ」
ライコは少しだけ表情をやわらげた。
「ゴマちゃんあんな性格だから誤解されやすいけど、あれでも乙女で優しいのさ。」と言いながら両方の人差し指を指してきた。
「俺にも兄と姉がいるから分かる、兄弟愛ってやつだ。お前がゴマを大事に思っているのは良く分かるよ。」
「本当に優しいんだ。子供の頃は父さんの子供って事で周りからは注目され、俺の角のせいで周りから気味悪がられたんだ。だからゴマちゃんはそんな俺を庇う為に、わざと悪目立ちして……今のあの性格になったんだよ…たぶん」と少し笑ながら語るライコ。
「……なるほどな」
イサムは無意識に煙草を指先で回し、二人の絆を少しだけ理解した気がした。
その時、木々の向こうからガサガサと音がした。
イサムは即座に立ち上がり、警棒を構える。
「火の灯りとボウボウの匂いに寄ってきたんだろうね。」ライコは焚き火に薪を放り込みながら言った。
「いやいや……警戒しないと」とイサムが動こうとする。
「ああ、大丈夫。もう仕留めてるから」
「……は?」
イサムが目を瞬かせると、木陰から小さい人型のモンスターの死骸が転がり出てきた。
「ゴブリンだね…まぁ、夜に焚火してたらよくある事だからさ」
イサムは呆然と立ち尽くした。
夜の森を渡る風が、血の匂いをかき混ぜて流していく。
焚き火は小さくなり、赤黒い火の粉がときどき空に吸い込まれていった。
その気配に最初に気づいたのはライコだった。
背筋に走る粟立つような感覚、空気そのものが圧を持ち枝葉がわずかに震えている。
「なにか…来るね」
ライコは低く呟き、目を細めた。
森の奥で、地響きのような振動が近づいていた。
木の幹が揺れ、鳥が一斉に飛び立ち、夜の静寂が切り裂かれる。
やがて、月明かりを遮る影が姿を現した。
巨大なボウボウ。
先ほど討ち取ったボウボウの3倍以上はあろうかという巨体。
毛並みは濡れたように黒光りし、二つの目は熔鉄のように赤く燃えている。
その獣が、屍の転がる場所に鼻を近づけ、低く唸った。
おそらく親なのだろう。
死骸から漂う血と煙の臭いに気づいた瞬間、その唸りは怒りの咆哮へと変わった。
地面が小刻み揺れ、森全体が震える。
その声で目を覚ましたゴマが、眠そうに身を起こした。
「……なんだ、お客さんか」
頭をポリポリかきながら、ポケットからタバコを取り出し、二つの石を器用にパチパチ叩き火花を上げタバコに火をつける。
紫煙が漂うなか、巨獣の影がじりじりと近づいてきた。
ライコは腰から手斧を抜き、静かに構える。
巨体の前ではあまりに小さな刃。それでも、ライコは一歩も退かなかった。
「さて、やるかぁ」
ライコは目にも止まらぬ速さで巨獣との距離を詰め、頭上に飛んだ。
振り下ろした斧は、命を削る覚悟を乗せていた。
しかし刃が毛並みに触れた瞬間、金属が石に弾かれるような感触が走った。
火花が散り、斧は獣の皮膚に傷ひとつ刻めなかった。
ライコの腕が反動で痺れている。
「やっぱり硬いな…」
ライコは短く吐き捨て、手斧を投げ捨てた。土に突き立った刃がわずかに震える。
背後でゴマが笑った。
「手を貸そうかぁ?」
タバコをくわえたまま、片目を細めて挑発するように言う。
ライコは肩越しに、ムッとした表情でちらりと視線を返す。
「いいよ、準備運動変わりだから俺がやるよ」
そう告げると、ライコは両手を前に突き出した。
指先から漏れる火花。やがて掌の間に赤い光が集まり、ゆっくりと渦を巻き始めた。
空気が熱を帯び、風がざわめく。
夜気が燃え立つように揺らぎ、木々が鳴った。
掌の間で育つ球体は、最初は小さな火種にすぎなかった。
だがライコが集中するごとに、火はぐるぐると回転しながら大きさを増し、橙から紅へ、紅から黒炎を帯びた赤黒い光へと変わっていく。
まるで夜そのものを飲み込み、圧縮して炎へと変えているかのようだった。
巨獣が吠え、牙を剥いて突進してくる。地を踏みしめるたび、大地が揺れた。
しかしライコは微動だにせず、炎の渦をさらに濃くしていく。
目には焦燥も恐怖もなく、相手を屠る決意だけが宿っていた。
「待たせたな、大サービスだ…受け取りな」
掌の間に凝縮された炎は、今や月明かりすらかき消すほどの輝きを放っていた。
両手を大きく開き、ライコの唇が動く。
「……爆圧炎」
その言葉と同時に、溜め込まれていた赤黒い火球が、閃光のごとく前方へ解き放たれた。
轟音。
瞬間、空気が弾け、周囲の木々が一斉になぎ倒される。
爆ぜる熱風が辺りを薙ぎ払い、炎の奔流が巨獣の体を貫いた。
灼熱の閃光は一瞬のうちに、分厚い毛皮と硬質な肉を溶かし、焼き切り、真っ直ぐに穴を穿つ。
巨獣の咆哮は、森を震わせながら苦悶の叫びへと変わった。
やがて獣は大きく痙攣し、地を揺らして崩れ落ちる。
焦げた匂いが漂い、風が熱を運び去る。
静寂が戻った森に、ライコの荒い呼吸だけが響いた。
彼は掌を下ろし、額から滴る汗を拭う。
燃え尽きたように膝が震え、だがその目は強く獣の亡骸を見据えていた。
背後でゴマが、ふっと煙を吐きながら口を開いた。
「……へっ、派手に決めやがって。これのどこが準備運動なんだよ」
ライコは答えなかった。
ただ、まだ熱を帯びる掌をじっと見つめ、そこに残る赤い余光を噛み締めていた。
巨獣の亡骸からはまだ焦げた煙が細く立ちのぼっていた。
森は再び静けさを取り戻し、ただ遠くの虫の音だけがかすかに響いている。
ライコは荒い息を整えながら、焚き火の傍へ歩み寄った。
汗に濡れた髪が額に貼りつき、表情は少し疲弊している。
それでも、その眼差しにはかすかな誇りと安堵が宿っていた。
「……ふぅ、疲れた」
ライコは焚火の前で肩を落とし座り込んだ。
「今日はもう十分だろ。火の番は私がやっとくから、お前らはそろそろ寝とけ」
タバコをくわえたゴマが、煙を吐きながら座る。
イサムが驚いたようにゴマを見やる。
「んっ、しかし……」
「無理するなよおっさん。あいにく、あんたのための老人ホームは満室だ。そっちの趣味があるなら地獄のロビーで順番待ってな」豪快に笑うゴマに押され、イサムは頭をかき頷く。
ライコも無言で焚き火の横に腰を下ろし、目を閉じている。
イサムも疲労が一気に押し寄せ、体が重く沈んでいきやがて瞼が落ちる。
炎がぱちぱちと爆ぜ、赤い光の火花が彼らの横顔を照らした。
「……おやすみ、ライコ」ゴマの小さな声が耳に届く。
「……ああ」とライコはそれだけ答え、深い眠りへと落ちていった。
イサムは本当に仲の良い兄弟だと感じた。クールに見えたライコがこうも素直なのはゴマが普段から良い姉をしているからなのだろう。
ゴマはひとり残り、タバコをくゆらせながら火を見つめる。
煙の向こう、眠る二人の寝顔をちらりと見て、ふっと笑った。
「……さて。静かな夜になるといいな」
彼女の呟きとともに夜風が焚火の火を揺らす。




