エピローグ〜聖夜の雪
時は少し戻って、クリスマス・イヴの夜。あの二人の男たちは、赤い大きな犬の軀を見つけたのでした。彼らは、河原にスコップで深い穴を掘って、犬をねんごろに葬ってやりました。
「ふぅ〜 『オイラ』は、重かったなぁ〜」
「すまないね。アカ、僕のような下っ端天使では、これくらいしかできなくて」
「十分さ。たった数時間だったけど、人になれて、美味しいお酒もおつまみも、たらふく飲んで、食べられたんだから。今時、あんな贅沢、そうはできないさ。最高のクリスマスプレゼントだったよ」
「いやいや、君の勇気は、大したものだったよ。あの子はね、将来、お医者様になって、たくさんの人の命を助けるんだ。少女一人の命だけじゃない、君は、何十、何百の人を助けたのさ」
「照れるねぇ。オイラは、あの怪我だし、どうせ、もう長くは生きられなかった。ほんの少し早く死んだってぐらいさ」
「そうだ! どうだい。僕の力では無理だけど、神様にかけあって、今度生まれて来る時は、君を人にしてあげよう。なんだか、人が気に入っていたようだし」
「いいや。それは遠慮しておこう。美味しい食事に、暖かい寝床。確かに人の暮らしは天国さ。でもね。勉強とか仕事とか面倒なことが多すぎる。オイラやっぱり、気ままな犬がいいな。でも……。そうだ!」
「うん? なんだい、なんでも言ってみてくれよ」
「生まれ変わるのを十年先にできるかい? そして、あの場所で、子犬となって、恵ちゃんと再会する」
「なんで十年先?」
「待ち続ける恵ちゃんの気持ちを思うと、不憫でならないけどね。今、オイラを拾っても、彼女には、悲しい未来しかないのさ」
「なるほど! 十年先なら、あの子も大人。君を引き取って、家族にできるってことだね」
「ああ、そういうことさ。だけど、恵ちゃん、十年も探し続けてくれるかな? オイラのこと」
「大丈夫さ。その程度の予言は僕にだってできる。あの子は毎年、クリスマス・イヴの日、約束の場所で、君を待ってるよ」
「そうかぁ〜、でも、十年は長いなぁ」
「そうでもないよ。人はまもなく、百年も生きられるようになるんだ。十年なんて、きっとすぐさ。よし! 分かった。なんとしても神様を説得して、君の願いを叶えるよ!」
「ありがとう。恩にきるよ」
「そろそろ時間かな?」
「そうだね」
男の形をしていた一方は赤い犬になりました。でも、それは、どこか朧げな姿。もう彼は霊、生きていない、ということなのでしょう。もう一方の男の背中には、いつのまにか、白鳥のような大きな翼が生えていました。その白銀の翼は、眩いばかりに夜闇を照らす光を纏っています。
「さぁってと」
天使は赤い犬を抱き上げると、空に向かって飛び立ちました。さっきからの霙は雪に変わり、聖夜の河原を純白に染めます。今年もホワイトクリスマスになるのでしょう。
今夜は雪空。それがどこにあるのか、見ることはできません。だけど、天使と犬は、遠い、遠ーい、空の星、天国に向かいます。二人は、金剛石を散りばめたような、星屑の光跡を引いて、どこまでも、どこまでも昇って行きました。
〜〜 おしまい 〜〜
雰囲気が重要な物語かなと思いましたので、流れをぶった斬る後書きは最後にしました。
私も書き手の端くれですから、ステレオタイプ、ベタ、ありきたり、なぁ〜んて言葉には恐怖を覚えます。ですが、折角の企画イベントで、童話を描くということでしたので、真っ向から、恐ろしい「何か」に立ち向かってみました! って、なんだか、厨二病。
お友達から本企画の情報をもらって、最初に頭に浮かんだのは、「ひさの星」。私の、決して開かぬ、座右の銘だったりします。いや、読むと泣いちゃうんで。ということもあり、溺れる人を助ける流れは、この絵本を意識しています。
ラストで、天使と犬が天国に飛んでいくあたりは、不遜ですが、宮沢賢治風かなぁ〜。いずれにしても、鉄板ステレオタイプを敢えて、敢えて描いてみました。
あと、私は、犬好きで、今もチワワ(保護犬)と暮らしています。だから、犬は外せない。だけど、野良犬って、現代では、ほとんど目にしませんよね。保護犬があんなにいる訳で、いないことはないのでしょうけど。いずれにしても、リアリティーを思えば、昭和、戦後すぐくらいかな?
「リンゴの唄」、焼き芋、すいとん、カラスが寝床へ、みたいなのは「ぽさ」を意識したつもりです。「船頭小唄」は古すぎだと思いますが、懐メロとして歌っているということで。歌詞がピッタリだと思ったのと、著作権の問題がないので入れました。
また、言葉選びも、童話を意識して、できるだけ平易に、そして、昭和の古めかしさを心がけました。ただ、やり過ぎは読み辛いでしょうから、ほどほどに。そのあたりが上手く行ったかどうかは、分かりません。恩寵、贖罪……などは、言い換えが難しくてそのままですし;;
加うるに、クリスマスシーズンですので、聖書ネタを入れました。「生まれ変わり」も、東洋的な輪廻転生ではなく、イエスが人類の罪を背負って十字架で死んで復活した、という方向にしました。少女が「私の身代わり」と言っているのは、イエスの身代わりの死という意味です。
だから、アカの死が、自分の身代わりであるのなら、奇跡の復活があるに違いない! と信心深い少女は考えた、ということです。
でも、聖書で犬って、よい喩えでは、出てこないんですよね。だけど、だけど、です。犬は人間なんぞと違い、動物であるが故、心に妙な「汚れ」がないのではないでしょうか? 原罪を負っているのは「人」なのですから。
私、書き物はマックでやることも多いのですが、感情移入し過ぎて涙が出てきて、慌てたこともしばし。自分なりに、頑張ったので、少しでも読む方に伝わるといいなと思います。
でわ。改めまして、Merry Christmas! 最後までお読みいただいた皆様のご多幸を、聖夜に祈念しております。