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とりあえず走れ  作者: どぶねずみ
6月編
49/49

旧友との再会

 その日は朝から雨だった。高坂源一郎は机に頬杖を突いて前を向いた。

「……」

 源一の目の前には悠樹がいる。同じように頬杖を突いて源一に向き合って。

「……なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」

 鼻の頭がくっつく距離。悠樹は長いまつ毛を揺らした。

「今からへきるちゃんに会いに行くんだけど」

「ああ、そうか……、で、それがどうした?」

 ずいと悠樹は顔を近づける。唇がくっつくまで数ミリの距離。なぜか動いたら負けの気がして、源一はそのまま悠樹を睨みつけた。

 なにやら不穏な空気を醸し出している2人は、教室中の注目を集めていることに気付いていない。

「いっしょにきて」

「いやだ」

「……」

 即答。悠樹はずずいとさらに近づいてきた。源一はたまらずに顔を背けた。結果、悠樹の低い鼻は源一の即頭部にぶつかった。

「あう!」

 ステーンと、悠樹は尻餅をついた。少し赤くなった鼻頭を撫でて、悠樹は勢いよく立ち上がる。

「なんできてくれないんだよぉ!」

「だって俺、関係ないし」

「ゲンがボクに会いに行けって言ったんだろお!」

 ぎゃんぎゃんと言い合う源一と悠樹(チビ2匹)。見慣れた風景になると、教室の連中はいつものことと帰り支度を始めた。



 放課後の一時(いっとき)である。



「そういえば省吾のやつはどうしたんだ?」

 話を逸らすために隣の席にいるはずの友人を源一は探した。それに答えたのは、高志だった。

「あいつは昼からいなかったぜ。また早退したんだろ?」

「またかよ。あんにゃろうはお盛んだなあ」

「国際線のすっちーやっている彼女が日本に戻ってきて、呼び出されたらしいっちゃよ」

「……そのスッチーはきっと病気の子猫でキャッチボールするようなひどいやつに違いない」

「まあ、そんなやつだったらどんな美人だって鬼いやだよな」

「凄まじい負け惜しみっちゃね」

 源一は一度こきりと首を鳴らし、鞄を持って立ち上がった。

「天気も悪いし……、こういう日は部屋で不貞寝に限る」

「ちょ、ちょっと待ってよ! ほんとに来てくれないの? ほら、この間行ったホテルだからそんなに遠くないよ」

「それじゃあわざわざ送っていく必要もないな。気をつけて行ってこいよ」

 悠樹は、教室を出て行こうとする源一のベルトを両手でつかんで引き止めた。

「仕方ないから俺が行ってやってもいいぜ……おう!」

 そう言う高志の膝裏に悠樹はローキックを叩き込むと、源一に人差し指を突きつけた。

「ゲンのバカ! そんなだからカイショナシなんだよ!」

「甲斐性なしは関係ないだろうが!」

「ふんだ! ゲンなんてきらいだ~!」

 悠樹はダッシュで教室を出て行く。そして、やはりダッシュで戻ってきた。

「今のうそ! きらいじゃない! でも知らない!」

 それだけ言うと悠樹は出て行き、今度は戻ってこなかった。

「……ちびっこのくせになかなか可愛いっちゃね」

「賢治、おまえのロリコンは鬼シャレにならないからやめとけ」

「ぺドは源一だけで十分……ぐっふぉお!」

「誰がぺドだ」

 源一の手首は賢治の下腹部にめり込んだ。マンモスが倒れるように地響きを上げて倒れる賢治。源一は生暖かい脂肪に包まれた拳をハンカチ(悠樹に持たされている)で拭うと、悠樹の出て行った扉を見て賢治と高志に言った。

「おら、いつまで寝てるんだ。さっさと寮に帰るぞ」

 どこまでも傲慢に、源一は親友2人に指図するのだった。









 通されたのはホテルの最上階にあるスイートルームだった。ノックをする前にドアは開かれ、燕尾服を着た若い男、確か去年からへきるの付き人をしている杉内泰造といったか、に導かれるまま、朝比奈悠樹は部屋に入った。

「いらっしゃい、ユウ。さあ、座って」

 笑顔で出迎えてくれた旧友、へきるは悠樹をソファに座らせると、自分も対面に座り、足を組んだ。

 へきるの格好は、この間会ったときと同じ飯床女子の制服だ。対する悠樹は今日は私服ではなく、風見鶏学園の男子学生服を着ている。

「昨日急に電話をくれて嬉しかったわ。あ、なにか飲む? 泰造、紅茶を」

 泰造は無言で頭を下げると、悠樹とへきるの前にティーカップを置いて紅茶を注いだ。

「姫も茂美も会いたがっていたんだけど、今日は置いてきたわ。ユウも私と2人のほうがよかったでしょう?」

 悠樹はティーカップを持ち上げた。琥珀色の液体を軽く揺らし、湯気を鼻に当てると口をつけずにテーブルに置く。

「今日は私、学校を早退したのよ。もし渋滞にでも巻き込まれて、約束の時間に遅れたら大変だもの。もちろんユウは気にしないでいいわよ。あなたのためだったらそんなこと大した問題じゃないわ」

 悠樹は思わず苦笑を漏らしてしまった。

 今日、省吾は彼女に会うために早退した。へきるも、悠樹に会うために早退したという。へきるの行動は、ただの友達に対するものとしては常軌を逸していると思ったのだ。

 へきるは悠樹の苦笑を好意と受け取り、泰造に持たせていた書類を悠樹の前に並べた。

「ユウ、この数ヶ月つらいことばかりだったでしょう? でも安心して。この書類にサインすればすぐに飯床女子に戻れるわ」

 ぷはっと、悠樹は噴き出してしまった。もしここに源一たちがいれば、「独創性がない」とひどいなじられ方をしただろう。悠樹はそのまま下を向いて笑いを堪えた。

「……ユウ?」

 怪訝な顔をして悠樹を伺うへきる。我慢の限界と、悠樹は勢いよく顔を上げソファに深く腰掛けると、部屋に入って初めて口を開いた。

「へきるちゃん、ストレートすぎ! さすがにもうちょっとひねらないとまずいんじゃない?」

「う、うるさいわね! こういうことはストレートのほうがいいと思ってわざとやったのよ!」

 へきるはかすかに頬を赤く染め、視線を悠樹から逸らした。そして、再び悠樹に視線を戻し、微笑を浮かべた。

 心に暖かいものが広がるのを感じる。長年親友として付き合ってきた2人だった。ただこれだけの会話で、数ヶ月の断絶は完全になくなっていた。

 へきるにはそう思えた。

「うん、変わらないね、へきるちゃん。元気そうで安心したよ」

「ええ。あなたも元気そうね。育ちの悪い猿どもの間でひどい苦労をしてるんじゃないかって、心配していたのよ?」

「あは、カルチャーショックはいっぱい受けてるよ。いい意味でも悪い意味でもね」

 大量の男の中に女の子がひとり。しかも女扱いされない世界で、悠樹の気苦労は見た目以上にあった。しかし、それでも源一たちと過ごす日々は、気取ったお嬢様学校での生活よりはるかに楽しいのだ。

「ごめんなさい。私も高校に入ってばかりの急がしさを理由に、ユウのことを放っておいてしまったわ。でもこれからはまた一緒に学校に通えるわよ」

「あ、うん。そのことなんだけど……」

 悠樹は口ごもった。へきるは想像通り悠樹を飯床女子に連れ戻そうとし、想像通りに強引にサインさせようとしている。悠樹は、それをはっきりと断るために、この会見を申し込んだのだ。

「ひょっとして、男子校のカスどものことが恐いの?」

「相変わらず口が悪いねえ、へきるちゃん」

「大丈夫よ。私が守ってあげる。あんな下品な連中のことなんて気にすることないわ」

 悠樹は気付かれないようにため息を吐いた。

 へきるはまるで悠樹の話を聞かず、勝手な想像で話している。まるで話がかみ合っていない。

「へきるちゃん。ひょっとして、ボクが風見鶏学園でいじめにあっていると思っているの?」

「あなたは気持ちのいい娘だから気付いていないのかも知れないわね。この間このホテルに何人かで来ていたでしょう? 確認したけど、その代金、ユウ持ちだったわね。そういうの、世間ではカツアゲっていうのよ」

「……そうかなあ」

「どうせ無理やりここに連れてこられておごらされたんでしょ」

「どっちかっていうと、ボクが無理やり連れてきたんだけど」

「巧妙ね。ユウに気付かれないようにそれとなく金を出させる。詐欺師と同じ類だわ」

 それを聞くと、悠樹は表情を変えずにわずかに首を傾けた。

 ただそれだけで、へきるは空気が変わるのを感じた。

「ボクはへきるちゃんのことを親友だと思っているよ。でも、それと同じくらいゲンたちのことも大切なんだ。だから、へきるちゃんもあまりゲンたちのことを悪く言わないでくれるかな」

 気圧されそうになるのを、へきるは肩にかかった髪を後ろに払うしぐさで払拭した。

「ユウは自分のことに無自覚すぎるのよ。育ちの悪いゲスな男はあなたから出る甘い汁を吸うことしか考えていないんだから」

「偏見だね。少なくともゲンはボクをそんなふうには見ていないよ」

「言い切れる?」

「うん。言い切れるよ」

 即答する悠樹。

 へきるは人知れず歯噛みした。

 へきるは悠樹のことを知っている、いや、知っているはずだった。殴られれば殴り返す。殴られて泣き寝入るような線の細いお嬢様ではないことは重々承知していた。

 なのに、いざ悠樹と対峙してみれば、完全に呑まれている自分に気付かされた。

「へきるちゃん、今日ボクが来た理由はね……」

 悠樹はティーカップを目線の高さに持ち上げた。へきるの顔を見上げ、微笑を作る。


 そして、ティーカップを傾けた。


 琥珀色の液体は流麗な線を作り、テーブルに置いてある書類の上で跳ねた。へきるが悠樹の編入手続きのために用意した書類だ。紅茶は書類を伝い、絨毯の上に溜まって大きな染みを作った。

「ボクのこと、気にかけてくれたのには感謝するよ。でも、正直大きなお世話だね。ボクは飯床女子には戻らないしゲンたちと一緒の学校に通う。ボクが君に伝えたかったのはそれだけ。話は終わりだよ」

 悠樹は自分の言いたいことだけを言うと、ソファから立ち上がった。

「ユウ、待ちなさい! あなた、騙されてるのよ」

「まだ言うの? これ以上話しても無駄だと思うな。だって、かみ合ってないんだもん」

「いい、ユウ。男ってのはねえ。金と女の体のことしか考えてないのよ!」

 違う、と言いかけて悠樹は言葉に詰まった。

 源一は、色本を隠し持っていたではないか。しかも、女に不自由していない省吾ですら源一が色本を持っていることを擁護していたではないか。

 勝機と見たのか、へきるはソファから立ち上がると、ふふん、と鼻を鳴らした。その後ろでは男であるところの泰造が複雑な笑みを浮かべていた。

「今はまだ大人しくしているかもしれないけど、そのうち本性を表すわ。そうなってからでは遅いのよ!」

「……そんなことないもぉん」

 先ほどまでの勢いとは大違い、悠樹は、自分の身長と同じように小さな声で小さな反論をした。

「い~え! 男はみんなゲスよ! もしこのまま今の学校にいたら、必ずユウは傷つけられるわ。私には、それが耐えられないの」

 正直自分でも言い過ぎているな、と、へきるは思ったが、ここで引くわけにはいかない。へきるは一気にたたみ込んだ。

「いい、ユウ? 男っていうのはね、みんながみんな本能でしかものを考えない野獣なの。そんな連中と理性的な付き合いなんてできるわけないでしょう?」

「……ちがうもん。ゲンは確かにスケベだけど……、ちがわないけどちがうもん」

 下を向いて俯く悠樹。へきるはやさしく悠樹の肩を抱いた。

「かわいそうなユウ。わかっているのに認められないのね。でも大丈夫よ。私があなたの側にいるから」

 へきるは腰を落とし、視線を悠樹に合わせる。

「ユウ、賭けをしましょう。あなたが何度も言うゲンっていう男がどれだけ野獣か私が証明してあげる。もし、ゲンが野獣じゃなかったら、私も安心してユウを任せることにするわ。でも、もしゲンが野獣だったら、あなたは飯床女子に戻ってくる。いいわね?」

「そんな勝手なあ」

「あなたがゲンのことを信頼しているなら、断らないわよね」

 悠樹は考えた。この賭けは、かなり分が悪い。源一が野獣でお猿さんなことを悠樹はよく知っているのだ。だが、いや、だからこそ、悠樹は源一を信頼したかった。

「……わかったよ。その代わり、ボクが勝ったらこれっきりにしてよ」

「ええ、わかったわ。賭けは成立ね」

 へきるは、楽しそうにゆるやかにウェーブのかかった髪を後ろに払った。







 エレベーターを使い、1階ホールに下りる。

 悠樹は後悔していた。

 実際、こんな賭けに乗る必要はなかったのだ。それが勢いに負けて乗ってしまった。

 だんだんイラついてくる。そのイラつきの矛先は、当然のように源一に向かった。

 全てゲンが悪い! なかなかかまってくれなし今日だって一緒に来てくれなかった。

 足を怒らせながらフロントに預けた傘を受け取ろうとした、その時だった。


 イラつきは一瞬で霧散し、悠樹は駆け出した。

 

 ホップ、ステップ、ジャンプ!

 

 悠樹は、ソファで新聞を読んでいるジャージ姿の男に抱きついた。

「おっもてえ!」

「な、失礼だな! 重いってなんだよ」

 悠樹はジャージ姿の男、高坂源一郎の首にしがみつき、膝の上に乗る。

「ねえねえ、なんでゲンがここにいるの?」

「……あ~、たまたま」

「うそばっかり♪ ボクのことが心配で迎えに来てくれたんだろ」

「それはない。ていうか昔の友人に会うだけなのに心配することなんかないだろ」

 源一は悠樹をお姫様抱っこの格好のまま持ち上げ、ソファから立ち上がった。

「んふふ~♪ でもせっかくなら、行きから一緒に来てくれればよかったのに」

「懐くなうーちゃか。寮に居ても賢治と高志が迎えに行けってうるさかったんだよ」

 悠樹は心の中で賢治と高志に感謝した。

 2人には今度ご褒美に角砂糖を食べさせてあげよう!

 そんなことを考えている悠樹は、たしかにいじめとは無縁だった。

「ほら、それより帰るぞ、いい加減下りろ」

 振り落とすように体を揺さぶる源一。悠樹は、床に足をつけると、くるりと反転して源一の腕にしがみついた。

「そういえばおまえ、傘は?」

「え~っとね、置いてきちゃった」

 源一の背後では悠樹の傘を持った支配人が控えていたが、悠樹はジェスチャーで支配人を追い払うことに成功した。

「今日は一日中雨降ってただろ。来るときどうしたんだよ」

「来るときは車だったから」

「歩け! ったく無駄遣いしやがって」

「うん! 今から寮まで相合傘でお散歩だね♪」

 悠樹にもし尻尾があったなら、猛烈な勢いで振っていただろう。


 源一と悠樹は、ぴったりとくっつきながら雨の世界に旅立っていった。




 そんな2人を背後から眺める視線が一対。

 へきるは、今まで話していた旧友とこれから敵になる男の後姿を眺めながら、どこか嫉妬の篭った視線を向けた。


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