血と祈りの一夜4
第4章 エピローグ「旅路と値札」
ロンドンの空港は、夜でも人で溢れていた。
出発ロビーの片隅、誰も気に留めないプラスチックのベンチに、鬼塚とギミックは並んで座っていた。
周囲の喧騒は、遠くの海鳴りみたいに、ただの背景ノイズになっている。
「……まだ手、震えてんぞ」
鬼塚は、自分の指先を見下ろして小さく舌打ちした。
拳を握って、開いて、また握る。
地下室で何度も骨を砕いた感触が、まだ掌に残っている気がした。
「普通に考えて、あんな地下掃除した直後に飛行機乗ろうとしてるのが間違いなんだよね」
と、ギミックが隣で言った。
「一日くらいホテルで寝てからでもよかったのに」
「ホテル代は誰が出すんだよ」
「命の支払いが終わったばっかりの神父さんにツケるのも、さすがに気が引けるからね」
ギミックはそう言って笑ったが、その横顔には微妙な疲労の色が浮かんでいた。
さっきまで、あいつはずっと「命の線」に手を突っ込んでいた。
生と死の境目をいじるというのは、見た目以上に消耗する仕事なのだろう。
「ほんとに、あれで良かったのかよ」
鬼塚は、ひとつ息を吐いてから問いかけた。
「何が?」
と、ギミックが首をかしげる。
「神父と少女だよ。
“歪み”を薄めたついでに、あいつの寿命、ちょっと盛ったんだろ」
「盛ったね」
ギミックはあっさり認めた。
「エミリアが大人になるくらいまでは、少なくとも死ねないようにしておいた」
「本人が聞いたらキレるぞ、それ」
「キレるだろうね。
でも、“ケジメをつける”って言ったのはあっちだよ。なら、そのケジメが終わるまでは、生きててもらわないと」
ライフディーラーの論理だ、と鬼塚は思う。
他人の命を数字みたいに扱いながら、その数字にきっちり責任を取らせる。
おまけで、自分勝手な情けも少しだけ混ぜる。
「……エミリアの方は?」
「うん?」
「神父の寿命、あの子に渡したんだろ。
それでも“足りない分”は、どこから持ってきた」
ギミックは、しばらく黙っていた。
空港の天井に視線を向けたまま、ポケットの中で硬貨を弄ぶ気配がする。
「さっき言ったでしょ」
と、やがて彼は静かに口を開いた。
「地下の“間違った命”から取った、余りの寿命。
あれ、半分は教会と街全体に薄くばら撒いたけど……残りのごく一部は、エミリアに回した」
「街にも回したのかよ」
「だって、“強欲の書”って、持ち主だけじゃなくて街にも影響するから。
神父さんがやらかした“偏り”をちょっと放置するとさ、そのうち外れた場所で事故とか病気が連鎖するんだよね。
……まあ、完全には防げないけど」
ギミックの声は淡々としている。
ただ、その淡々さの裏側に、どこか割り切りきれていないものが滲んでいた。
「相変わらず、世界の方がケチくさいな」
鬼塚がぼそっと呟くと、ギミックが少しだけ目を丸くした。
「世界がケチって、なかなか面白い表現だね」
「欲しいやつには与えすぎて、関係ねえやつからは勝手に奪ってく。
そんで“均衡です”とか言い張るんだろ」
鬼塚は肩をすくめる。
「そりゃ、ケチって言われても仕方ねえわ」
「……その言い方、嫌いじゃないな」
ギミックは、小さく笑った。
「そういう性格だから、僕、君を助手にしたんだろうね」
「俺を拾った理由、今さらそんなテキトーな後付けすんのやめろ」
「テキトーじゃないよ? わりと本気」
そう言って、ギミックはベンチの背にもたれかかった。
緑の瞳が、遠くの発着案内板をぼんやりと眺めている。
「ねえ、サダキ」
「なんだよ」
「君、自分の命の値段、覚えてる?」
唐突な質問だった。
鬼塚は思わず目を細める。
「……ああ? なんだよ急に」
「初めて会ったとき、君、自分の命を僕に売ったでしょ。
あの時つけた“値札”、覚えてるかどうか気になって」
遠い記憶が、雨と血の匂いと一緒に蘇る。
路地裏。
濡れたアスファルト。
胸から抜けていく温かさ。
――ねえ、死ぬのと、生きるのと、どっちがマシ?
緑色の髪のガキみたいな男が、血だまりの真上でそう言った。
「……覚えてねえ」
鬼塚は、嘘をついた。
正確には、「覚えていたくない」が正しい。
「そっか」
ギミックは、それ以上追及しなかった。
代わりに、ポケットから硬貨をひとつ取り出す。
銀とも金ともつかない、くすんだ色。
中央の砂時計と天秤の紋章が、空港の蛍光灯を鈍く反射する。
「じゃあ、このままでいいや」
と、ギミックは言った。
「君の口座、たまに仕事の“お釣り”入れてるから」
「勝手にやるな」
「どうせ君、自分からは『生きたい』ってあまり願わないでしょ。
だったら、気づかないうちにちょっとずつ“延命”されてた方が、僕も安心なんだ」
「お前が安心するかどうかなんて、知るかよ」
鬼塚は顔をしかめたが、それ以上強くは言わなかった。
自分の命を長くされたところで、別に困るわけでもない。
むしろ、昔の自分なら――そんな話、笑いながら断っていたかもしれない。
(変わったな、俺も)
ギミックと出会う前。
組にいる頃の自分は、「どこで死ぬか」だけを考えていた。
今は少しだけ、「どこまで生きてしまうのか」が頭をよぎる。
「ところで」
ギミックが、思い出したように話題を変えた。
「さっき、アレクサンドルが言ってたでしょ。
“君の過去の死体も、どこかに残ってるかもしれない”って」
「やめろ。思い出させんな」
「ううん、ちゃんと覚えておいて」
ギミックの声が、少しだけ低くなる。
「君が“送った”連中に、いつか別の形で会うかもしれないから」
「……ゾンビになって出てくるってか」
「それは僕らが全力で阻止する。
でも、“命の帳簿”ってさ、本人以外にはどうしようもないページがあるんだ」
ギミックは、硬貨を指で弾いた。
「そのページだけは、ライフディーラーも触れない。
――君自身が、どう向き合うか決めるところだから」
鬼塚は、なにも返さなかった。
空港のアナウンスが、搭乗開始を告げる。
行き先は、ヨーロッパ大陸のどこか。
具体的な計画は、まだ決まっていない。
「強欲の次は、どの“罪”を探しに行くよ」
鬼塚が、立ち上がりながら問いかける。
「順番どおりにいくなら、“嫉妬”か“憤怒”あたりだけど……」
ギミックも立ち上がり、チケットをひらひらと振った。
「次は、もう少し“静かな街”がいいな。
ロンドンはちょっと、にぎやかすぎた」
「静かな街で、“罪書”が大人しくしてるとは思えねえけどな」
「そこなんだよね」
ギミックは、楽しそうに笑う。
「でもまあ、心配しなくてもいいよ。
“怠惰の書”が眠ってる街なんて、きっととっても静かで、退屈で――」
「おい、それ次の目的地バラしてんじゃねえだろうな」
「さあ? どうかな?」
とぼけたように肩をすくめるギミックの横顔を、鬼塚はじっと睨んだ。
そのやり取りを、誰も気に留めない。
世界は今日も、各地で離陸と着陸を繰り返している。
そのどこかで、「七つの罪書」は静かに息を潜めている。
そのどこかで、またひとつ、“欲望”が契約書に変わる。
――ライフディーラーと、その助手の旅路は、まだ続く。
(ロンドン編 了)
1話 第4章
1話完




