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七つの罪書 -Life Dealer-  作者: 屑岩 創輝
第3章 「地下に残ったもの」
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血と祈りの一夜3

第3章 「地下に残ったもの」


 礼拝堂の奥、小さな扉の向こうは、簡素な医務室になっていた。


 ステンドグラスから漏れる光は届かず、代わりに、いくつかのランプと蝋燭が柔らかく揺れている。

 部屋の中央、簡易ベッドの上に、痩せた少女が横たわっていた。


 鬼塚は、無意識に息を止めていた。


(軽ぇな……)


 ベッドの柵に手をかけただけで、金属ごとぐらりと揺れる。

 薄いシーツ越しにも、少女の身体がいかに軽くなっているかが分かった。


 皮膚は紙みたいに白く、血の気がなく、頬はこけている。

 長いまつ毛の下のまぶたには、青い筋がいくつも浮かび、呼吸のたびに胸がかすかに上下する――それだけが、「まだ生きている」という証拠だった。


「……エミリアです」


 レオナルドが、ベッドのそばに膝をつきながら言った。

 その声は、さっきまでの狂気じみた熱よりも、ずっと静かだった。


「両親は、別の事故で先に亡くなりました。

 彼女だけが病院に残され、治療費が払えないまま、ここに運ばれてきた」


 言葉の一つ一つが、石のように重く落ちる。


「“救いを与えられなかった子”だと、私はさきほど言いましたね」


「現時点では、まだ“与えてない”だけでしょ」


 ギミックが、少女を覗き込みながら言った。

 ライフディーラーは、いつもの調子でさらりと続ける。


「今から与えるんだから。間に合うかどうかは、こっち次第」


「間に合わせてください」


 レオナルドは短く答えた。

 紫の瞳は、少女の顔から一瞬も離れない。


 ギミックは頷くと、ベッドの反対側に回り込んだ。

 片手でシーツの端をめくり、もう片方の手でエミリアの手首をそっとつまむ。


「……細い」


 ギミックが小さく呟いた。

 声に、ほんの少しだけ感情が混ざる。


「脈、糸みたいだね。今にも切れそう」


「医者にもそう言われました」


 レオナルドが答える。


「あと一週間保てば“奇跡”と。

 ――ですが、奇跡は、ここには降りてこなかった」


「だから、“人工の奇跡”を注文したわけか」


 鬼塚が、壁にもたれながらぼそりと言うと、ギミックがちらりとこちらを見た。


「そういう言い方、嫌いじゃないよ」


 そう言って、ライフディーラーはエミリアの手を自分の手の上に乗せた。

 小さな手と、さらに小さな手。

 その隙間に、古びた硬貨が一枚、するりと滑り込む。


 銀とも金ともつかない、あの奇妙なコイン。

 中央の砂時計と天秤の紋章が、ランプの光を鈍く反射した。


「まず、回路をつなぐよ」


 ギミックが言う。


「神父さん、こっち側に」


 レオナルドは立ち上がり、ギミックの向かい側に回った。

 ベッドを挟んで、ライフディーラーと神父が対面する形になる。


「両手を出して。エミリアの手に触れて」


 指示に従い、レオナルドは慎重に手を伸ばした。

 長い指が、少女の冷たい手に触れる。

 その上から、ギミックの手がそっと重ねられた。


 ――神父の手、少女の手、ライフディーラーの手。その真ん中で、コインが息を潜める。


「サダキ」


 ギミックが、鬼塚の方を見ずに呼んだ。


「部屋の扉、閉めて。誰も入ってこないように。

 もし入ろうとするやつがいたら、どうにかして“十五分”足止めして」


「“十五分”って、具体的だな」


「命の取引には、時間制限があるんだよ」


 ギミックはそう答える。

 その声は軽いが、目は笑っていない。


「寿命の移動って、荷物運びと違って、“途中で止める”ってことができないんだ。

 始めたら、どこかに着地するまで絶対に止まらない。

 ――だから、邪魔が入ると、とても困る」


「分かったよ」


 鬼塚は短く答え、扉へ歩いていく。

 鍵をかけ、音を立てないように背中を預けた。


 その間にも、部屋の空気は変わっていく。


 ランプの光が、少しだけ色を失ったように見える。

 蝋燭の炎が、風もないのに細く揺れた。


「じゃ、始めようか」


 ギミックの声が、静かに部屋に落ちる。


「――“欲する者に与える”。

 その代わり、“どこかから奪う”。

 これが“罪書”と“ライフディーラー”の共同作業」


 コインが、かすかに震えた。


 エミリアの胸が、ひとつ大きく上下する。

 荒い息ではない。むしろ、眠っている子どもの寝息に近い動きだ。


「神父さん」


 ギミックが、レオナルドを見据える。


「今から、あなたの“寿命の線”に触る。

 痛みは、たぶんない。……でも、“怖さ”はあるかもしれない」


「構いません」


 レオナルドは即答した。

 その声に迷いはなかった。


「私の命は、とうに自分のためだけに使うつもりはない」


「いいね。その覚悟、査定にプラスしておくよ」


 ギミックは薄く笑い、片目を閉じた。


 ――硬貨の紋章から、光の糸が伸びた。


 それは、最初はただの光に見えた。

 だが見ているうちに、鬼塚にも分かってくる。


(これ……“線”か)


 エミリアの胸のあたりから、細い糸が一本、ふらふらと揺れながら浮かび上がっている。

 頼りない、今にも切れそうな細い糸。

 それが硬貨へ吸い寄せられ、ぴたりと貼りつく。


 続いて、レオナルドの胸元から、太い光の線が現れた。


 聖職者の黒い服を突き抜けて、まっすぐコインへ向かう光。

 エミリアの線よりずっと太く、強い。

 だがよく見ると、その表面にはひび割れのような影も走っている。


「これが、あなたの残り寿命」


 と、ギミックが説明する。


「“強欲の書”と契約した分、普通の人より長く伸びてるけど……借金みたいなもんだね。

 利率は最悪。放っておくと、そのうちまとめて取り立てが来る」


「ならば、使えるうちに使った方がいい」


 レオナルドが静かに言う。


「死ぬ直前に『まだ残っていた』と知るより――先に掴んでしまった方が、“強欲”らしい」


「発想がやっぱり狂人寄りだよ、神父さん」


 ギミックは苦笑しながら、両手の位置を少し変えた。

 エミリアの手、硬貨、レオナルドの手――その三点のバランスを整えるように。


「じゃ、配分を決めるね」


 光の糸が、ざわりと揺れた。


「エミリア用に……最低ラインで“五十年”。

 そこに“街全体への補正”を少し。

 神父さん自身には、“ケジメが終わるまでの最低限”。

 ――あとは、“余り”がどこへ流れるかは、“罪書”と相談」


「五十年……」


 鬼塚が思わず繰り返す。


「そんなに持つのか、あの身体」


「だからこそ、“今”渡さないとね」


 ギミックは軽く笑った。


「細い管に、水を急に流し込むと破裂する。

 だから、まず“本来あったはずの寿命”の穴を埋めてから、ゆっくりと増やしていく。

 ――エミリアの身体が、少しずつ“生きる側”に戻れるように」


 ギミックの指先が、硬貨の縁をなぞる。

 その度に、光の糸がほどけて、再び結び直されていく。


 レオナルドの線から、細い枝分かれがいくつも生まれ、その一部がエミリアの線へと繋がる。

 まるで、血管同士を縫い合わせているみたいな光景だった。


「……っ」


 レオナルドの肩が、わずかに震えた。


 痛みではない。

 それは、内側から何かが削られていく感覚――悪寒にも、熱にも似た、奇妙な感覚。


「神父さん、大丈夫?」


 ギミックが聞く。


「問題ありません」


 レオナルドは、額の汗をぬぐいもせず答えた。


「むしろ、身体が“軽く”なっていく。

 背負っていたものが、少しずつ削がれていくような……」


「それ、半分は“寿命”で、半分は“罪書の借金”だからね」


 ギミックがさらりと言う。


「ゼロにはしないよ。全部返しちゃうと、“強欲の書”が拗ねるから。

 ――でも、“立って歩けないほどの重さ”は、少し減らしておく」


 エミリアの線が、少しずつ太くなっていく。

 糸だったものが、細い紐くらいの太さになり、そこにわずかな色が宿る。


 最初は透明だった光が、次第に柔らかな金色を帯びていく。


「……息が」


 鬼塚が小さく呟いた。


 エミリアの胸の動きが、目に見えて変わっている。

 浅く掠れた呼吸が、少しだけ深くなり、喉の奥で鳴っていたヒューヒューという音が、ゆるやかに静まっていく。


 唇の色が、ほんのわずかに赤みを取り戻した。


「まだ“救い”じゃないよ」


 ギミックが、念を押すように言う。


「ここから、“罪書”が勝手に上乗せしようとしてくる」


 その言葉と同時に、部屋の隅の空気が揺らいだ。


 誰もいないはずの位置から、黒い影のようなものがにじみ出る。

 それは人の形をしていない。ただ、もやの塊が、“欲望”という言葉だけを形にしたみたいな揺らぎだった。


「“強欲の書”のボーナス」


 ギミックの声が、少しだけ冷たくなる。


「神父さんの『救いたい』が強すぎるから――

 少女だけじゃなく、その家族、その街、その未来。

 全部ひっくるめて“過剰に”救おうとする」


「悪いことでは、ないのでは?」


 レオナルドが聞く。


「“救い”が増えるのなら」


「“代償”も増えるよ」


 ギミックが即座に切り返す。


「さっき言ったでしょ。

 『欲スル者ニ与エヨ 欲スル者カラ奪エヨ』って。

 ――あれ、単なるポエムじゃないから」


 黒い影が、エミリアの線にまとわりつこうとする。

 その瞬間、ギミックが指を鳴らした。


「そこまで」


 硬貨から、鋭い光がほとばしった。

 黒い影は焼かれた虫みたいに弾かれ、部屋の隅へ追いやられる。


「ボーナスは、“ここ”じゃなくて、“外”に回してもらう」


 ギミックの声は、もはやいつもの軽さを完全に失っていた。


「この子は、“一人分の人生”を生きればいい。

 世界を救う代わりに死ぬ必要もないし、誰かの代わりに二倍働く必要もない。

 ――“普通のわがまま”を叶えられるくらいの寿命があれば、十分」


 黒い影が、じりじりと引いていく。


 代わりに、その影は床の下――教会全体へと滲み込み、街のあちこちへ散っていくように見えた。


「……それで、“均衡”は保たれるのですか?」


 レオナルドが問う。


「完璧じゃないよ」


 ギミックは正直に答えた。


「どこかで、誰かが、割を食う。

 ただ、“誰か一人の全て”を奪うんじゃなくて、“世界のどこかから少しずつ”もらうように調整するだけ」


「それでも、まだマシな方だ」


 レオナルドの唇に、わずかな笑みが浮かんだ。


「“神の奇跡”だって、誰かの祈りだけを聞いているわけではない。

 ならば、“人工の奇跡”にも、ある程度の不公平は許される」


「その言い方、やっぱり好きだなあ、神父さん」


 ギミックが苦笑する。


「……よし、だいたい完了」


 光の糸が、ふっと落ち着いた。


 エミリアの線は、少女の身体にぴたりと収まり、コインとの接続だけが細く残っている。

 レオナルドの線は、目に見えて細くなったが、まだ太さと輝きを保っていた。


「契約はこれで締結。

 ――エミリア」


 ギミックが、静かに少女の名を呼ぶ。


「君は、“もうすぐ死ぬはずだった命”から、“これから生き直す命”に変更された。

 代わりに、神父さんの寿命と、この場にいたいろんな人たちの“余った命”が、少しずつ削られてる」


 その時だった。


 エミリアのまぶたが、ぴくりと震えた。


 細かった指が、わずかにギミックの手を握り返す。


「……ん、……さま……?」


 かすれた声。

 耳を澄まさなければ聞き逃してしまうほどの小さな音。


「エミリア」


 レオナルドの声が、そこで初めて揺れた。


 普段は静かな紫の瞳が、大きく見開かれる。


「ここにいます。……私はここに」


 エミリアの視線が、ゆっくりと焦点を結ぶ。

 蝋燭の灯りが、その瞳に映る。

 長いまつ毛が、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「……教会……? ……まだ……」


 少女が、途切れ途切れに言葉を探す。


「まだ、生きて……る……?」


「ええ、生きています」


 と、レオナルドが答える。

 その声には、祈りとも溜息ともつかない熱が混ざっていた。


「あなたは、生きています。

 これから、“あなたのための時間”を――」


「はいはい」


 ギミックがそこで遮った。


「感動の再会シーンに水差すのもアレなんだけどさ。

 エミリアちゃん」


 ライフディーラーは、ベッドの高さに目線を合わせて、にこりと微笑んだ。


「初めまして。僕はギミック。職業はライフディーラー。

 君の命、ちょっとだけ“組み直した人”だよ」


「……らい、ふ……?」


 エミリアが、ぼんやりと彼を見る。


 十代にも満たない少女の目に映るギミックは、ただの童顔の少年にしか見えないはずだ。

 だがその瞳の奥で、ごくわずかに、何かが反応した。


「ありがとう、って……言った方が、いいの……?」


 エミリアが、おそるおそる問いかける。


「言っても言わなくてもいいよ」


 ギミックは笑った。


「君が“生きたい”って思ってくれたら、それで十分。

 あとは、その“生きたい”をどう使うかは、全部君のわがままだから」


「わがまま……?」


「うん。

 “もっとここにいたい”“まだ死にたくない”“あの人と話したい”。

 そういうの、全部ひっくるめて“わがまま”。

 ――ライフディーラーは、そのわがままを数字にして、帳簿に書き込むだけ」


 エミリアは、何かよく分からないものを聞いた時特有の顔をした。

 理解は追いついていない。だが、その表情には、ほんの少しだけ生気が戻っている。


「……まだ、眠い……」


 少女が、まぶたを重そうに瞬かせる。


「寝ていい?」


「もちろん」


 レオナルドが答えるより早く、ギミックが笑って頷いた。


「むしろ、しばらくはよく寝て、よく食べて、“普通の病人”からやり直して。

 奇跡の子どもとか言われるの、あとで面倒だからね」


「きせき……?」


「気にしなくていいよ。

 ――おやすみ、エミリア」


 ギミックがそう言うと、エミリアは安心したように目を閉じた。

 今度の眠りは、死の手前の昏睡ではない。

 身体が、与えられた命を取り込むための、普通の睡眠だ。


 呼吸は規則正しく、胸の上下も穏やかだ。


 しばらくのあいだ、部屋を沈黙が支配した。


 やがて、レオナルドが、深く、深く息を吐いた。


「……ありがとうございます」


 その言葉は、誰に向けられたものか、本人にも分かっていないかもしれない。

 神に向けたのか。

 ライフディーラーに向けたのか。

 あるいは、“自分以外の誰かが世界を動かした事実”に対してか。


「礼はいらないよ」


 と、ギミックが肩をすくめる。


「代金はもう、きっちりもらってる」


「そうですね」


 レオナルドが、かすかに笑う。


「私の寿命と、この教会と、この街の“どこか”にいる名も知らぬ誰かの命が、代償になっている」


「言い方がさらっと重いんだよ、神父さん」


 鬼塚が小さく毒づく。


 それでも――胸の奥で、ざわつきが止まらない。


(……本当に、助けやがった)


 ライフディーラーとしての“仕事”なのかもしれない。

 罪書の力のおかげかもしれない。


 それでも、さっきまで死人みたいだった少女が、生きて、眠っているという事実は――否定しようがない。


「さて」


 ギミックが、硬貨をひょいと摘み上げた。


「こっちの貸し借りはこれで一旦完了。

 あとは、“外”の騒がしい方の決済が残ってる」


 静かな医務室の扉の向こうで、遠くサイレンが鳴り始めていた。

 命の貸し借りが終わった瞬間――別の命の清算が、外で始まろうとしている。


「神父さん、地下、少し借りるね」


「ええ。好きに使ってください」


 レオナルドが頷く。


「この教会に眠る死者たちは、今日に限り、“命の証言者”になってもらいましょう」


 ギミックは短く頷き、鬼塚に目を向けた。


「じゃ、次は“ホラー担当”の出番だよ、サダキ」


「担当させんな」


 鬼塚は舌打ちしながらも、腰のホルスターを確かめた。


  ◇


 地下へ続く扉は、本来なら固く鍵がかかっていたはずだ。


 今は、内側から食い破られたみたいに、ひしゃげている。


「嫌な予感しかしねえんだけど」


 鬼塚が顔をしかめると、先頭を歩くギミックが肩越しに振り返った。


「僕だって好き好んでホラー映画の中に飛び込みたいわけじゃないけどさ。

 放っておくと、上まで上がってきちゃうからね、“中途半端なやつ”」


「中途半端ってなんだよ」


「死んでもない、ちゃんと生きてもいない。

 “傲慢の書”が、死に損ないを無理やり立たせた時の副産物だよ」


 階段を降りるほど、空気が重たく、ぬるく変わっていく。

 鼻を突くのは、血と、消毒液と、花の香りが混ざったような匂い。


(斎場と病院とゴミ捨て場を一つにまとめたみてぇな臭いだ……)


 鬼塚が舌打ちしたその時、足元で“何か”がぐにゃりと動いた。


「うおっ」


 思わず飛び退く。さっきまでただの影だったはずのものが、ゆっくりと形を持ちはじめる。


 それは、腕だった。


 人間に似た、けれど人間じゃない、灰色がかった腕。

 皮膚は張り付いた紙のように薄く、血管だけが黒く浮き出ている。


 腕の先に、身体がつながる。

 足、胴、首。

 パズルのピースみたいに、バラバラの肉片が組み合わさって、一体の“人型”を作っていく。


「……気持ちわりぃな、オイ」


 鬼塚が吐き捨てると、ギミックは淡々と観察していた。


「ほら、見て」

 と、ギミックが指さす。

「肩の傷跡。さっきの警官だね。そこに、外の組の兄ちゃんの足がくっついてる」


「どこのフランケンシュタインだよ」


「“蘇生研究者”の趣味の悪さだよ。ね、アレクサンドル」


 ギミックが声を上げると、地下室の奥から、薄暗い明かりと共に“研究者”が姿を現した。


 いつもの白衣に、いつものサングラス。

ただ、肩口と袖口に、乾きかけた血がこびりついている。


「いやあ、来たねライフディーラーくん」


 アレクサンドルは、ほんのり興奮したような声で言った。


「せっかくロンドンまで来てくれたんだから、お土産くらい用意しないと失礼かなって思ってさ。

 ほら、サービスショット」


 そう言って指をぱちんと鳴らすと、地下室のあちこちから、同じような“人型”がゆっくりと立ち上がってきた。


 警官の防弾ベストだけが妙に綺麗な個体、スーツの上から血を浴びているだけの個体、顔半分が欠けている個体。


 さっき先頭に立っていた痩せた日本人――鬼塚の元上司の姿だけは、どこにも見えなかった。


 どれも、動きはぎこちない。

 だが、“生きているほうへ”と本能的に手を伸ばしてくる感じだけは、やけに生々しい。


「お前、外の連中まとめて素材にしたのかよ」


 鬼塚が吐き捨てると、アレクサンドルは肩をすくめた。


「だってほら、もったいないだろう?

 せっかく“強欲の書”が寿命を削ってくれたんだ。

 死ぬ予定だった命を、ちょっとだけ別の形で有効利用してるだけさ」


「有効利用の意味がおぞましすぎるんだよ」


 ギミックがため息をつく。


「これ全部、“罪書”のボーナスか」


「半分はね。もう半分は僕の趣味」


 アレクサンドルは悪びれず笑った。


 その笑顔を見て、鬼塚は確信する。


(やっぱり、神父よりこっちの研究者の方がタチ悪ぃ)


「で、ライフディーラーくん」


 アレクサンドルが片手をひらひらと振る。


「レオ兄さんは、“公平”だの“均衡”だの言葉遊びしてるけどさ。

 正直、僕としてはこの“中途半端な子たち”、全部処分されるのは惜しいんだよね」


「標本にするつもり?」


 と、ギミックが聞く。


「当然。動いてる標本なんて、そうそう手に入らない」


 ギミックが、ちらりと鬼塚を見る。


「……どうする、サダキ」


「どうするって聞くなよ」


 鬼塚は息をひとつ吐いた。


 目の前には、不気味な死人たち。

 そのさらに奥には、ニヤニヤ笑う研究者。

 地上では、狂った神父と“死者の軍勢”が追っ手を片付けている。


ーまともなのは、もしかして自分だけなのでは?


(いや、自分で言ってて虚しくなってきたな)


 鬼塚は頭をがしがしと掻き、短く言った。


「とりあえず、こいつらには眠ってもらう。

 完全に“死ぬ”か、“寝かせて封じる”かは、お前と神父の仕事だ」


「了解。

 じゃ、戦闘担当はサダキ、精算担当は僕ってことで」


 ギミックが指を鳴らす。


 硬貨が、また宙に現れた。

 さっきよりも、色が濃い。

 表面に刻まれた砂時計と天秤の紋章が、不規則に明滅している。


「この地下の命の“量”、ざっくり見ると――」


 ギミックは、硬貨を軽く放り上げて、目を細めた。


「神父さんが削った自分の寿命:一人分。

 追っ手と巻き込まれた警官たち:十数人。

 ……さっき先頭にいた痩せたスーツの日本人だけ、命の線が途中で折れて、地下から外へ引きずられてる。

 ここには“死んだ”って記録が残ってない。

 で、『傲慢の書』が勝手にかき集めてきた“おまけ”が、さらに十人分くらい」


「おい、ちょっと待て」


 鬼塚が眉をひそめた。


「今の、“痩せたスーツの日本人”って……」


「たぶん、君の元上司」


 ギミックがあっさり言う。


「死にかけてはいたけど、命の線の片方は“ここじゃないどこか”に逃げてた。

 レオナルドの死者にも、アレクサンドルの蘇生にも噛んでない。

 ――たぶん、誰かが運び出したか、自分で這ってでも逃げたか」


「しぶとい野郎だな」


 鬼塚は舌打ちした。


「ここで全部終わった方が、きれいだったのによ」


「“きれいな終わり方”が似合うタイプには見えなかったけどね」


 ギミックは肩をすくめる。


「命の線の感じだと、だいぶ短くなってるけど……

 あれ、まだしばらくは燃え尽きないよ。

 ――そのうち、またどこかで会うかもね」


「願わくば、二度と会いたくねえ」


 そう吐き捨てながらも、鬼塚はどこかで、その再会を覚悟している自分に気付いていた。


「ざっくり言うなよ」


 思い出したように鬼塚がツッコむ間にも、“中途半端な死者たち”は、ゆらゆらとこちらへ歩み寄ってくる。


 その足取りは遅い。

 だが、止まらない。

 倒れかけても、骨が砕けても、別の肉片が接ぎ木されるみたいに補修され、また立ち上がる。


 鬼塚は、ジャケットの内側から拳銃を抜いた。


 古いモデルだが、手に馴染んでいる重さだ。


「お前の前の職場の連中だよ?」


 と、ギミックが茶化すように言う。


「関係ねえよ」


 鬼塚はきっぱりと言い切った。


「生きてる時にケリつけられなかったぶん、今ここでまとめて清算するだけだ」


 最前列の“元・警官”の額に、狙いを定める。

 引き金を引いた。


 乾いた銃声。

 頭部が吹き飛び、灰色の肉片が床に散る。


 ――が、その破片はすぐに近くの個体へくっつき、新たな腕として再生を始めた。


「……はいクソ仕様」


「言ったでしょ、“間違った蘇生”だって」


 ギミックが肩をすくめる。


「物理的に壊すだけじゃ、“命”の結びつきが解けない。

 命の線を、こっちで切ってあげないと」


「じゃあさっさとやれよ、ライフディーラー」


「戦闘中に命の線いじるの、けっこう危ないんだよ?

 君がうまく“時間稼ぎ”してくれたら、頑張る」


「結局俺が一番働いてんじゃねえかよ!」


 悪態をつきつつ、鬼塚は銃をホルスターに戻した。


 代わりに、腰の後ろから、重たい金属バットを引き抜く。


 ギミックが目を瞬かせた。


「銃でダメなら、鈍器?」


「昔からゾンビもどきには打撃って相場が決まってんだろ」


 鬼塚は、笑う。


 生前に何人殴り倒してきたか、数えたことはない。

 だが殴るという行為だけは、もう身体に染みついている。


 最前列の“それ”の膝を狙って、横薙ぎに一発。

 鈍い音と共に、骨が砕け、身体が崩れ落ちる。


 続けざまに、頭蓋を踏み抜く。

 ぐしゃりと嫌な感触が足裏に伝わるが、構わずもう一体の顎を蹴り飛ばした。


 ――動きは遅い。

 ただ、それだけが救いだ。


 数で押される前に、足と関節を片っ端から潰していく。

 完全に“死なない”なら、動けなくなるまで壊せばいい。


「いいね、その顔」


 背後でアレクサンドルが笑う。


「やっぱりキミ、ヤクザ向きだよ。

 レオ兄さんが拾ったの、正解だったかもしれない」


「拾ったのはギミックだ」


 鬼塚は振り返りもせずに言った。


「俺を組から引っぺがして、命の売り買いに引きずり込んだのは、あのチビだ」


「チビはひどくない?」


 ギミックが小さく抗議しつつも、その手は忙しく動いていた。


 硬貨が、空中で高速回転を始める。

 回転するたびに、薄い光の線が無数に生まれては消えた。あ


 それは、この地下にうごめく“命の線”だった。


「……やっぱり雑だな、『傲慢の書』」


 ギミックが小さく舌打ちする。


「生前の人格も記憶も、ほとんど無視して、“動かせる肉”だけ優先して繋いでる。

 これじゃあ“蘇生”じゃなくて、“死体の再配置”だよ」


「細かい言葉遊びしてる暇あったら、仕留める方に集中しろ」


 鬼塚が怒鳴ると、ギミックは「はいはい」と苦笑した。


「してるよ。

 ――命の線、切り替えるから」


 ギミックが指を鳴らした瞬間、硬貨から放たれた光の糸が、地下室全体に広がった。


 それは、目には見えないはずの“命のつながり”を、無理やり可視化したみたいな光景だった。

 死者たちの身体から、天井へ、床へ、どす黒い影のようなものが伸び、その途中を、光の糸が横切っていく。


「サダキ、そこの三体、まとめて蹴散らして」


「無茶振りすんな!」


 叫びつつも、鬼塚は言われたとおり、目の前の三体の間に飛び込んだ。

 バットで膝をさらい、肩を叩き折り、首筋を殴り抜ける。


 バランスを崩した三体の“中途半端な死者”が、同時に倒れる。


「はい、その線もらった」


 ギミックの声に合わせて、光の糸が、ふっと色を変えた。


 それまで澱んだ灰色だった糸が、静かな青に変わり、そのまま硬貨の中へ吸い込まれていく。


 倒れた三体は、その場で動かなくなった。

 今度こそ、本当に止まった。


「……今の、何した」


 鬼塚が息を荒くしながら問うと、ギミックは息を整えつつ答えた。


「“誰にも分配されていない余り寿命”を、僕の口座に一旦預けた」


「お前、銀行かよ」


「命の銀行。悪くないネーミングだね」


 ギミックは、にやりと笑う。


「この地下の“間違った命”、ぜんぶ片付けたら――

 神父さんと少女に渡した分の“歪み”を、少しだけ薄められる」


「ちょっと待ってよ」


 アレクサンドルが、手を挙げた。


「それ、つまり僕の“実験素材”が減るってことだろう?

 せっかくいい感じに仕上がってきたのに」


「ライフディーラーとして、放置はできないから」


 ギミックが、さらりと言う。その声はいつもの軽さのままだったが、目だけは笑っていなかった。


「君がやってるのは“蘇生”じゃない。

 死んだ人間の身体を使ったお遊びだ。

 ――それくらいの線は、僕でも引くよ」


「レオ兄さんも同意してると思うけどなあ」


 アレクサンドルが肩をすくめた、その後だ。


 さらに何体かを倒し、命の線を切り替える作業を繰り返したあと――。


「……終わり」


 ギミックが、硬貨を胸ポケットにしまいながらつぶやいた。

 地下室に残っていた“中途半端な死者”たちは、もう一体も動かない。


「こっちの台詞だ」


 鬼塚は、肩に担いでいたバットをどさりと床に立てかけた。

 腕と背中が、じんじんと重い。


「で、その“預かった命”とやらは、どこに流すつもりだよ」


「半分は、この教会全体に。朽ちかけてた部分を、少しだけ先延ばしにする。

 もう半分は――」


 ギミックは、ふっと笑った。


「エミリアと、レオナルドに」


「神父の方にも、まだ盛るのかよ」


「うん。

 死に急ぎたい顔はしてたけど、“ケジメをつける前に死なれる”と、こっちの仕事がややこしくなるからね」


「……仕事都合かよ」


「ライフディーラーだもん」


 肩をすくめるギミックの横で、アレクサンドルが白衣の袖についた血を指先でつまんだ。


「やっぱり、兄さんは“子ども”を助けるときが一番楽しそうだね」


 と、アレクサンドルが笑う。


「強欲の書を使って街を守るときより、説教してるときより……今の顔が一番“生きてる”」


「分析が悪趣味ですね」


 ギミックが半眼になると、アレクサンドルは肩をすくめた。


「だってさ。

 ――さっきの子、あの子に似てなかった?」


 空気が、わずかに変わった。


 鬼塚は、言葉の意味を完全には理解していない。

 だが、兄弟のあいだに流れる温度が一度下がったことだけは分かった。


「……似ていませんよ」


 階段の上から、静かな声が降ってきた。


 レオナルドが、ゆっくりと地下へ降りてくる。

 黒い神父服の長身。頬はさっきよりこけているが、その目の色はむしろ冴えていた。


「彼女はエミリアです。あの子ではない」


「でも、あの子からずっと続いてる線の上にいる」


 アレクサンドルは、指先で宙をなぞる。


「兄さんが教会にこもって、“救えなかった子どもたち”を数え始めるようになったのも。

 僕が墓を掘って、“起こせなかった死体”を並べ始めたのも。

 ――元を辿れば、あの子一人分の死が引き金だ」


「やめろ」


 レオナルドの声が、そこでわずかに震えた。


「ここで、その話は」


「兄さんが嫌がるってことは、当たりなんだろうね」


 アレクサンドルは、楽しそうでもあり、どこか意地悪でもある笑みを浮かべる。


「覚えてる? あのとき。

 兄さんはベッドの横で祈ってた。

 僕は、その子の脈が止まる瞬間を見計らって、最初の“蘇生実験”をした」


「やめろと言っている」


 レオナルドは、階段の途中で足を止めた。

 紫の瞳が、暗がりの中で細く細く絞られる。


「彼女の名前を、ここで口にするな」


「名前は出してないよ」


 アレクサンドルは、くく、と喉の奥で笑った。


「でもさ、兄さん。

 今日の話、構図はあのときと同じだよ」


 彼は指を折りながら、淡々と続ける。


「“死にかけの子ども”がいる。

 兄さんは助けたい。

 僕は“死者の可能性”を試したい。

 そこに、今回はライフディーラーくんが加わって、帳簿を整理してくれた」


 視線がギミックに流れる。


「違うのは、ただ一つ。

 ――今度は“間に合った”ってだけ」


 沈黙が落ちた。


 ギミックは何も言わない。

 鬼塚は、余計なことを一言でも挟んだら殴り合いが始まりそうな空気を察して、黙っていた。


「……あの子は、間に合わなかった」


 先に口を開いたのは、レオナルドだった。


 彼は階段を最後まで降りきり、血の跡と薬品の匂いに満ちた地下室の床を見下ろした。


「私の祈りも。あなたの“蘇生”も。

 何ひとつ彼女を救えなかった」


「だから僕は、“死んだあと”をいじるようになった」


 アレクサンドルが続ける。


「『あの子を起こせなかった』って事実を、どうにか書き換えたかった。

 誰かが死ぬたび、僕は“次こそは起こせるかもしれない”って試してきた」


「私は、“生きている方”を数えるようになった」


 レオナルドの声は、静かだった。


「説教台の前に座る子どもたちの顔を、ひとりひとり暗記して。

 病院で面会するとき、名前と年齢と、好きな絵本を全部記録して。

 ――『今度こそ、あの子みたいに零れ落とさない』ために」


 アレクサンドルが、顔をしかめる。


「だから、兄さんのやり方、嫌いなんだよな」


「奇遇ですね」


 レオナルドも、わずかに口元を歪めた。


「私も、あなたのやり方が嫌いです」


 ふたりの視線が、正面からぶつかる。


「死んだ子どもを、何度も解剖台に乗せたがる弟と」


 と、レオナルド。


「“救えなかった子ども”の数を増やしながら、説教で自分を誤魔化す兄さんと」


 と、アレクサンドル。


 どちらも、自分が責められていることを分かっていて、相手の罪もよく知っている顔だった。


「だからこそ、です」


 レオナルドが、ふっと目を伏せる。


「私は“強欲の書”を手に入れた。

 ――もう一度、あの子を救える可能性があると耳にしたから」


「僕は“傲慢の書”に手を出した。

 ――『死者を起こせるかもしれない』って囁かれたから」


 アレクサンドルの唇に、かすかな自嘲が浮かんだ。


「僕ら、誘惑に負けたタイミングまで同じなんだよね」


「ええ。最低ですね、私たちは」


 レオナルドが言う。その声音には、不思議と少しだけ安堵が混ざっていた。


「しかし――」


 彼は顔を上げ、弟を見据えた。


「今日のエミリアは、“あの子の代わり”ではない。

 あの子を救えなかった悔いの延長線上にあるのは確かですが……彼女は、彼女自身として救われるべきです」


「そうだね」


 アレクサンドルは、あっさり頷いた。


「だから、僕は彼女の死体には触らないよ。

 今日、君がどうしても生かしたいって選んだ子だから」


「その代わりに、外の連中は好き放題いじったじゃないですか」


 レオナルドが冷ややかに言うと、アレクサンドルは目を細める。


「“誰か一人を救う”ってことは、“誰か別の誰かの死を許可する”ってことだよ、兄さん。

 君だって、それは理解してるだろ」


「ええ。だから神父をやっているんですよ」


 レオナルドは、どこか壊れたような笑みを浮かべた。


「毎週、同じ言葉で、自分に説教するために」


 アレクサンドルが、肩を揺らして笑う。


「やっぱりさ。

 ――兄さんは、あの子の棺の前で止まったまんまなんだよ」


「あなたは、棺の蓋をこじ開けようとしているままです」


 レオナルドが返す。


「どちらも前に進めていない。

 だから、こうして同じ場所に立って、同じようなことを繰り返している」


「そこに、ライフディーラーくんが加わった」


 アレクサンドルの視線が、ギミックへ移る。


「命の帳簿係。

 “あの子の延長線上”に乗ってしまった子どもたちの、生殺与奪をなだらかにしてくれる役」


「雑な役割の押しつけ方しないでよ」


 ギミックが顔をしかめる。


「僕はあくまで、取引の数字を合わせてるだけ。

 あなたたちが勝手に抱えてる亡霊までは、担当外」


「でも、今日のエミリアは」


 レオナルドが、静かに言う。


「“最初に救えなかった子ども”の、延長線上にいる子です。

 そして――はっきりと、“こちら側”に引き寄せられた」


 紫の瞳が、わずかに柔らかくなる。


「それだけで、今日の罪は、少しだけ軽くなった気がする」


「そういうところが嫌いなんだよ、兄さん」


 アレクサンドルは、ため息混じりに笑った。


「罪が軽くなったって“気がする”だけで、きっと何も変わっちゃいないのにさ」


「分かっていますよ」


 レオナルドも笑う。

 兄弟の笑いは違う方向を向いているのに、どこかよく似ていた。


「だからこそ、また誰かの命を差し出して、また誰かを救おうとしてしまう。

 ――あの子の棺から、完全には離れられない」


「僕もだよ」


 アレクサンドルは、白衣の裾をひらりと翻した。


「だから、そろそろ行く。

 これ以上ここにいると、兄さんの説教が始まりそうだし」


「いつでもしますよ」


 レオナルドが、少しだけ意地悪く返す。


「あなたが今度、“本当に蘇らせたい死者の名前”を口にしたときにでも」


「それは――」


 アレクサンドルの言葉が、途中で途切れた。


 彼は一瞬だけ何かを飲み込むような顔をして、次の瞬間にはもういつもの軽さに戻っていた。


「じゃ、今日は引き下がるよ」


 と、アレクサンドルは両手を上げる。


「レオ兄さんの“初回注文”だし。

 ライフディーラーくんの顔も立ててあげないと」


 彼の足元から、黒い裂け目が広がった。

 さっき現れた時と同じ、空間を切り裂くような“穴”だ。


「ロンドンの後始末、任せたよ、ライフディーラーくん」


 と、アレクサンドルが言う。


「兄さん」


 最後に、レオナルドへ視線を戻す。


「“最初に救えなかった子ども”の話、いつかちゃんとしよう。

 あの夜、どこから間違ってたのか」


「両方でしょう」


 レオナルドは、迷いなく答えた。


「だからこそ、あなたは“傲慢の書”を、私は“強欲の書”を手にした」


「……やっぱり、兄さんのそういうところ、嫌いじゃないな」


 アレクサンドルは、くく、と喉の奥で笑った。


「――また、どこかの墓場で会おう」


 ひらひらと手を振りながら、アレクサンドルは裂け目の中へ消えていった。


 その瞬間、地下室の空気が、すうっと軽くなる。


 “傲慢の書”の影響が、一段引いたのだ。


「……行っちまったな」


 鬼塚がぼそりと言う。


「うん。またすぐ会うと思うけど」


 ギミックが軽く笑う。


「じゃ、残りの“細かい帳尻”だけ合わせておくから。

 サダキは、地上の様子見てきて」


「お前は?」


「ここでちょっと、“命の小数点”いじってくる」


「たまにホント、何言ってんのか分かんねえよ、お前」


 鬼塚はため息をつきながらも、階段へ向かった。


  ◇


 上の礼拝堂に戻ると、エミリアは静かに眠っていた。

 レオナルドは、ベッドの横に椅子を置き、その傍らで本を閉じる。


「終わりましたか」


 レオナルドが、鬼塚を見て問う。


「地下の“おまけ”は、全部片付けた。

 ――ライフディーラーが、ちゃんと後始末したよ」


 鬼塚がそう答えると、ギミックが医務室の扉からひょい、と顔を出した。


「お待たせ。調整終了。

 この教会と、この街と、君たちの寿命。とりあえず今は、“世界の均衡からはみ出しすぎないくらい”にはしておいた」


「それはありがたい」


 レオナルドは静かに頷く。


「……私の“欲望”に、ここまで付き合っていただいて」


「欲望に付き合うのが、ライフディーラーの仕事だから」


 ギミックは軽く肩を竦めた。


「ただし、次に同じような真似をしたら、今度は“命を売る側”に立ってもらうからね」


「それは楽しみだ」


 レオナルドは、ほんの僅かに口元を緩めた。


 その笑みが、信仰によるものなのか、狂気によるものなのか、鬼塚には分からない。

 分からないままでいい気もした。


「じゃ、僕らはそろそろ行くよ」


 ギミックが言う。


「追っ手の残りも、そのうちまた来るだろうし。

 ここに長居すると、僕らの命の方が削られちゃう」


「ええ。また、いつか」


 レオナルドはそう言い、ゆっくりと十字を切った。


「あなた方の旅路に、“適度な不幸”と、“適度な幸運”がありますように」


「バランス悪い祈りだな」


 鬼塚が思わずツッコむと、レオナルドは楽しそうに笑った。


「公平でしょう?」


「……ああ、そうだな」


 鬼塚は、肩をすくめる。


 教会を出ると、外の雨は小降りになっていた。

 灰色の空の向こうが、ほんの少しだけ明るい。


「さて」


 ギミックがフードを被り直し、ポケットに手を突っ込む。


「地下に残ってたのは、“死に損ない”と、兄弟ケンカと、古い罪悪感。

 ロンドンはやっぱり、にぎやかすぎるね」


「お前もだいぶそのにぎやかさに貢献してるけどな、ギミック」


 二人のやり取りを、ロンドンの霧雨が静かに包み込む。


 ライフディーラーと、その助手。

 その背後では、狂った神父と傲慢な研究者が、それぞれの“罪”を抱えて微笑んでいた。


 七つの罪書と、命を扱う者たちの物語は、まだ始まったばかりだ。


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1話 第3章

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