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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
3/60

第二節 世界の今

 分厚い扉越しから微かに聞こえていた車輪の軋みは、もう耳を澄まさなくてもはっきり届く。それに伴う足音がひとつでないと聞き取れたあたりで、ようやくリアムは自分の鼻息がうるさいのに気づいた。

 騒ぐ心を落ち着けようと大きく息を吸って、吐いた……ぐらいで静まるはずもなく、かえって玉座に預けていた背が力んでぴんと伸びる。


 廊下を渡りきった音たちは、ぴたりと止まり――やがて、扉を叩く音に変わった。

 リアムの「入れ」を合図に扉が開き――まずジルベルトが、続いて車椅子に座った包帯の人型が、それを押す医師が、部屋に足を踏み入れる。平時なら扉の脇に近衛兵を立たせているが、今は人払いしているためジルベルトが代わりに扉を閉めた。


「あれ?」

 リアムが手前から順に車椅子、医師、そしてジルベルトの顔を確認し……もう他にいないと分かっていながら、わざとらしく目をうろうろさせる。

「アレクサンダーは?」

「残念ながら会いませんでした」

「……ほんとうのほんとうに?」

 残念のかけらもない澄まし顔につい口が尖ってしまう。

「運気が巡らず申し訳ございません。そこまで仰るなら、私めが呼んできて差し上げましょうか」

 リアムは気遣いを装って当てこするジルベルトを、ちょっと間ふくれっ面で睨んでいたが、

「……いや、いい」

 と、元通り頬を引き締めた。



 アレクサンダーは、昼日国騎士団騎馬隊に所属する一介の騎士……という肩書きで俗世に紛れてはいるものの、これから起こりうる事態で唯一無二の役割を担う存在だ。今から聞く話は彼の命運を決めるだろう。

 謁見室付近(ここいら)を警備しているなら絶対会うと思い込んでいた。それだけに、肩透かしを食った気分だ。

 しかし、最優先は生き残った者しか知り得ない事実を速やかに共有すること。呼びに行く時間は惜しいと諦めて、リアムは車椅子に座る包帯の人型に目をやる。


 包帯で隠れていない目鼻口に見覚えがあった。間者のまとめ役を買ってでたレグだ。国を発つ前、彼らのひとりひとりを疑う目にじっくり焼き付けたから間違いない。はずなのに、記憶に残る面影と重ならない赤く焼け爛れた肌に息を飲んだ。

 ジルベルトはどこをどう見て『比較的浅い傷』と言ったのか。だから「鬼団長」なんて呼ばれるんだよ……と頭の片隅で毒づきながら、リアムは衣服の代わりにみっちり巻かれた上半身の包帯を見つめた。


 包帯の真新しい白をところどころ染める鮮やかな薄紅色の染みが何かは、遠目でも分かる。車椅子のわずかな揺れすら傷に響くのか、眉をしかめて背中を屈める姿は見ているだけで辛い。

「手短に済ませたい、早く前へ」

 リアムの一声でジルベルトが医師に何かを耳打ちした。とたん、医師は肩をガチガチに強ばらせ、勢いよく壇前まで車椅子を押す。激しい振動でレグの顔がぐしゃりとひしゃげ、身を捩りながら呻き声を漏らした。


「……大丈夫、なのか?」

「お……お見苦しい姿で……お、お許しを……」

 レグは体を硬直させつつ片息で謝る。これ以上リアムを心配させるまいと荒い呼吸を大急ぎで鎮め、最後にひとつ、緩く長い息を吐いた。

「久しくお目にかかります、レグでございます」

 下げた頭越しに覗く背中は痛みからかぷるぷると震えている。が、名乗りの口調は思いのほかしっかりとしていた。リアムは少しだけほっとする。

「ああ。報告は聞いている。よくぞ過酷な任務をやり遂げ、生還を果たしてくれた。見事だ」

「私めのような者にお褒めのお言葉、光栄の至……」

形式的な礼儀(そういうの)は必要ない。早速、帝国で得た話を聞かせてくれ」

「承知しました」

 レグが包帯でぐるぐる巻きの頭をゆっくり上げた。



「今までの報告でもお伝えいたしましたが、帝国はこの二年……いえ、我々が探りを入れるずっと前より、広域を攻めるための軍備を整えておりました」

「戦争を仕掛けるつもり、か」

「はい、おおよそ間違いございません」

「それは報告から察していた。が、そもそも重火力兵器を生み出す高い技術を持つのは帝国だけだ。白兵しか有しない昼日国とでは戦わずしても勝敗など見えているだろう。それを今さら、不可侵の掟を破ってまで戦争を起こそうとする理由は何だ?」

「はっきりした目的は分からずじまいです。が、封じられた力が絡んでいるのは間違いありません」

「やはり、そうか……」


 十年追い続けたリアムの疑惑は概ね的中していた。ようやく苦労が報われたはずなのに、喜びは微塵もない。そうあって欲しくなかったという虚しさだけが、リアムの胸をいっぱいに満たした。

 それでも目は逸らすまいと、リアムは揺らぐ瞳にぐっと力を入れる。

「その結論に至った経緯を詳しく聞きたい。帝国で何を見た?」

 強い視線に応えるため、レグはまっすぐリアムを見た。


「帝国軍に兵として潜り込んでいた私は、新しい兵器開発の一員として抜擢されました」

「ああ、そこまでは把握している」

「最後の報告を送った時点で、すでにいつ出陣してもおかしくないほど準備は整っていました。今さら新しい兵器を開発するというのも、そんな重大な機密にたかだか一兵卒の私が選ばれたのも不可解でした。しかし、手の内を知るには好機だと……その時は、愚直にもそう思ったのです」

 急にレグの口が止まった。


 少しの沈黙、されど沈黙。

「……どうした? 続きを……」

 すでに三ヶ月の待ちぼうけを食らっているリアムには、僅かな間すら耐え難い。動く気配をみせないレグの口にもやもやしながら先を促す。

 それでもレグは少しの間だんまりを決めたあと、意を決したように口を開いた。


「私の配属を祝うささやかな食事の席が設けられ、そこで皇帝に『どんな兵器があれば恐ろしいか?』と意見を求められました。皇帝は兵器開発に力を入れており、よく我々に混ざって意見を唱えていました。酒が入っていたのもあり、気を楽に自分の意見を述べたのです」

「それがどうした? 特におかしいとも思わないが……なんと答えたのだ?」

「……『人の手が届かない天高くから攻撃をする兵器があれば恐ろしい』と答えました」

 リアムはレグの言う恐ろしい兵器を想像してみる。


 空にあると聞いて思い浮かぶのは、太陽と月と雲、そして鳥くらいで具体的な形は想像に至れない。ただ、敵意の礫が光や雨のごとく頭上から振りかかれば、昼日国の戦力で防ぎようがないのは考え及べた。

「なるほど。実現できるかどうかはさておき……確かに恐ろしい。素晴らしい発想力だな」

 リアムは感心してうんうんと頷く。その反応に対して、レグは悔しげに唇を噛み締めた。

「皇帝も私の答えに『なるほど』と何度も頷き、そのまま足早に部屋を去っていきました。そして、そろそろ食事も終わるという時、皇帝は満面の笑みで戻ってきました。その後ろには……宙に浮いた火器が……存在し(あり)ました」

 絵空事が前触れもなく現実を侵した。凍りついた謁見室にごくりと唾を飲む音が響く。それが自分の喉から鳴ったと気づいた瞬間、リアムは感じた。

 ――口の中が、妙に乾いている。

 ここから先は、きっと最悪の岐路だ。



****



 『ミレニアムの夜明け』――それは今なお語り継がれる、600年前の帝国で起きた歴史上最悪の惨禍だ。この戦いで、世界を蹂躙した脅威は英雄の手により葬られた。


 ただ、葬るには至れず封じられたままの忌むべき存在がもうひとつある。それは、当時の帝国の皇帝だったイーサーだ。

 もとよりその残忍さから『暴虐(ぼうぎゃく)の王』と恐れられていたイーサーは、脅威に手を貸す見返りとして神の力の一部を与えられていた。

 イーサーはその力で獣の暴走を引き起こし、獣の多い昼日国はそれにより国民の半数以上が犠牲となった。


 英雄が脅威を討つあいだ、英雄と志を同じくした者たちは暴虐の王と対峙し……辛くも帝国の一室に封じるのを成功させたのである。


 いつとはなしに『封印の間』と呼ばれるようになったその一室は、ミレニアムの夜明けを引き起こした力が今なお残る唯一の場所なのだ。



****


「皇帝はすでに封じられた力を得ているのか!?」

 リアムは引きつる頬に手を添えた。痛いほどひくひくと震えるのは、怒りか恐れかよく分からない。

 レグは顔を強ばらせるリアムをまっすぐ見つめ、おもむろに頷いた。

「確かではありませんが、物を浮かす技術など帝国にもありません。しかも、あんな短時間で鉄製の火器を何も使わず浮かせるなど……それ以外には考えられません」

 頬を押えていたリアムの指が額のしわをぐっとつまみ上げる。手のひらが視界を遮れば、意識せずため息が漏れた。

「ここまでで充分だ。レグよ、ご苦労であった。心置きなく治療に……」

「陛下」

 リアムは視界から手を外し、おそるおそる声の主に目を向ける。

「……なんだ」

 レグが車椅子の上で崩れてもいない姿勢を正した。


「私たちを送ったのは、失策でした」

「何を言う。重要な情報を持ち帰ってくれたじゃないか」

「いいえ……私たちは……」

 しっかりと聞こえていた声はどんどん小さくなり、消えると同時にレグは頭を抱えてうずくまった。

「ど、どうした!?」

 慌てて様子を問うリアムに答えず、車椅子まで揺らすほどがたがたと体を震わせる。

「おい! 早く容体を確認するんだ!」

「は、はい!」

 医師は急いでレグの肩に手をかけようとして、

「……あれが、世界を狂わせた力……」

 ぼそっと漏れた物騒な言葉にびくっとして止めた。


「……あれをみてから、全部、おかしくなった……」

 そう呟いて不意に上がったレグの瞳は、謁見室を虚ろに彷徨う。頭を抱いた手がこめかみまで滑り、包帯を掻きむしった。みるみるうちに包帯は薄紅に濡れ、指先が赤く染まる。

「確かに……多くの情報を得ました。過剰に増産される兵器、兵の過度な訓練……新兵は頻繁に失踪し、その報せのたび封印の間に籠る皇帝。時同じくして発生する昼日国の魔獣……どれもこれも繋がっていて、しっぽなど掴み放題。探らなくてもすぐ気づくことばかりで……これまでに送られた間諜は無能だったのかと心の中で嘲っていました」

 レグはひっと引き笑いを挟みながら、独り言のようにぼそぼそと続ける。小さな声を聞き逃すまいと皆が息を凝らし、部屋に降りる静寂が重くなった。

「けど、あの火器を見た日から……報告書を記そうにも文字が書けなくなり、何かをみたオーツの声が急に出なくなり……どれだけ注意を払っても、自分たちの行動はあくびのひとつまで筒抜けで……気が狂いそうでした……」

 レグの口から、ひゅうっと喉を擦る音が混ざる。


「限界で、逃げると決めて、最後に……わずかに残っていた間諜としての矜恃が……最後なら無茶をしてでも、封印の間に何があるのか確かめてやろうと……慎重に、誰もいないのを何度も何度も確認し、扉にかけた私の手を、突然、皇帝が握り……『それはいただけないな、そろそろおかえり願おうか』と言って、笑いました。すごく、愉快そうに、笑ってたんです……」

 話しながらレグの上半身はゆっくり前へ畳まれていく。喉が切れ間なくひゅうひゅうと苦しげに鳴るが、まだ口は止まらない。


「止まらない笑い声を背中に受けながら必死に走りました。あらかじめ隠していた脱出用の船まで。そんな我々を追ってきたのは……弾を撒き散らしながら空を飛ぶ、()()戦闘車両でした。後ろで同士の悲鳴が聞こえても、背中に焼けるような痛みを感じても振り返れず、必死で走りました。船まで辿り着いて、ようやく後ろを向いたら……血まみれのオーツが……」

 思い出した記憶を消すようにぐりぐりと膝に額をなすりつけ、レグの声が途切れた。


 こめかみに突き立てた指先の赤が濃くなっていく。下を向いたレグの表情はうかがえないが、小刻みに震える体が恐怖を物語っていた。

 車椅子の後ろから医師が、もうやめなさい……と、さっき置き損ねた手をレグの肩にかけた瞬間――俯いていた頭が勢いよく上がる。

「皇帝は全部知ってたんだ! 我々が帝国に来たのも、来た目的も!」

 瞳孔は開ききり、ただでさえ赤く爛れた顔の肌はさっき擦りつけたせいでさらに赤く腫れ上がっていた。

「私を開発に選んだのもわざとだ! 城の間諜が間抜けだって?……間抜けなのは私たちだ! 八年かけて掴めなかったことが、我々のたった二年で掴める? そんなわけあるか!」

 レグは押し殺していた違和感を洗いざらい吐き捨てる。はぁはぁと乱れた息が整うにつれ、頭が力なく垂れた。


「……泳がされていたんですよ。私たちが潜入した時には、もう隠す必要がなかったんです。まもなく、はじまります。私が生かされたのは、宣戦を持ち帰るためだけ。そんなことすら気付かず、同士まで盾にした……こんな私に、もう生きる価値など……」

「馬鹿を言うな!」

 リアムは声を荒らげて立ち上がった。

「君は生きて帰ることで、託した役目を全うした! 君らの二年、僕の十年、そして、これまでの犠牲も……君がここまで来たから無駄にならなかったんだ! 昼日国にはまだ希望がある。君たちが成し遂げた結末は、君が仲間の分も生きてちゃんと見届けるんだ!」

 後悔と絶望に苛まれて自ら傷を開こうとする姿が痛ましく、抑えきれない激情がリアムの胸にわきあがる。それは王という立場をも吹っ飛ばし、口から溢れ出ていった。

 彼にとって激励など些細な慰めにすらならないのは分かっている。それでもリアムは、彼が生きている価値を叫ばずにはいられなかった。


「陛下……」

 まだ冷めない興奮を肩で鎮めながら呼ぶ声を辿れば、医師が咎めるよう首を横に振っている。

「……わかっている」

 リアムは玉座に腰を落とした。医師でなくても、これ以上は無理だとみてとれる。


「改めて。レグよ、報告感謝する。後は我々に委ね、傷の回復に務めてくれ」

 目に痛い体の傷ばかり気がいき、心の傷への配慮を蔑ろにしてしまった。リアムは自省しつつこの場を締める。もうレグはぼそりともぴくりともしない。

「多大なご配慮を賜り、感謝の極みでございます」

 扉の前に立っていたジルベルトが代わりに礼を告げ、行くぞと扉を開ける。医師はそそくさと頭を下げ、車椅子を押して足早に部屋を去っていった。




 誰もいなくなった謁見室で、リアムはだらしなく体勢を崩す。緊張の連続で力んでいた頬も肩も指先も……そして、頭も、心も痛い。


 報告から得た現状は、考えうる中でも最悪だった。話を聞いただけなのに、生命力を根こそぎ消費した気分だ。さらに今の話をもう一度、ここにいなかった昼日国の希望(アレクサンダー)に伝えなければならない。話せば、彼は……

 丸まるくせ毛にくるくると指を絡めながら、リアムは大きく息を吐いた。

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