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君に深紅の花束を  作者: 小川 綾
■第一章
2/10

第一節 今の世界

2026/06/26 改稿しました。

 創造歴1600年。



 昼日国は今日も、晴れ。


 普段から人で賑わう城下街は、昨日の祭りの余韻が残りいっそう騒がしい。

 あちらこちらで英雄ザムルーズを讃える歌が口ずさまれ、屋台からは肉串の焼けた匂いが鼻をくすぐる。



 そんな外の陽気など一切跳ね除け、窓のない部屋で玉座にうずくまる男がいる。茶色い巻き毛を両手で抱えながら、じっと部屋の扉を睨んでいた。


 視線で開けと圧しても、扉は知らぬ顔で閉じたまま。

 男はため息をつく。


 ばん!

 扉が勢いよく左右に開いた。


 吐きかけの息を詰まらせ男はむせ返る。現れた熟年の騎士は気にせず、玉座が据えられた段の前で片膝をついた。

「陛下! 件の間者が戻りました!」

 玉座の男は立ち上がり……しばらく咳き込んでから、

「よ、ようやく……帰ったか……!」

 切れ切れに声を絞りだした。



****



 ——時は遡り、数日前。


 夕刻の昼日国城は勤めを終えた軽い足音で賑わしい。


 しかし、謁見室の空気はことさら重い。

「……本当に、間違いなくレグからか?」

 玉座で口を開いた茶色の巻き毛の男は、昼日国王リアム。

 そのすぐ傍らに立つ片眼鏡の老爺が頷いた。

「短い走り書きですが、字の癖はほぼ間違いなく彼かと」

「ならローガン、読み上げてくれ」

「かしこまりました」

 ローガンは手にした紙切れを広げ、片眼鏡をくいと上げた。


 ――帰城。ラグナディール節、上月、十九日――


 役目を終えた紙切れがローガンの懐に消えるのを横目で追い、リアムは腕を組む。

「明後日、ですか」

 玉座の正面に立つ、茶色の騎士服をまとう壮年の男が小さく唸った。

「平和記念の日とは、また間の悪い……」

「カールデン」

 愚痴じみた呟きをリアムが制する。

「間の問題ではない、最大の警戒を」

「失礼いたしました」

 カールデンは素直に頭を下げる。赤の騎士服が窮屈そうな熟年の男が、隣で垂れる茶髪を見下ろした。

「カールデン、街の警備も近衛で引き受けられるか?」

 その言葉でカールデンはゆっくり頭を上げ、筋肉ではち切れそうな赤の騎士服に目を向ける。

「余力はあるが……騎士団はどうするんだ? ジルベルト」

「野獣の繁殖期なんでな。ギルドも追いついておらん」

 ジルベルトは言葉を区切ると小さく息を吐き、

「まぁ、魔獣でなければいい。あの光景は二度と見たくない」

 と吐き捨てた。


 住民の阿鼻叫喚、倒れる騎士たち、地面を覆う血。

 短くない時を経ても、鮮明によみがえる。

 全員が唇を噛み締めた。

「……当然だ。騎士も、民も……いったい何百人が犠牲になったと思っている……」

 部屋の静けさを損なわないような低いカールデンの声は、わずかに震えていた。


 雑談を交わす声が近づき、遠ざかる。

「だからこそ、レグたちを帝国に送った」

 三人は玉座へ顔を向けた。

「話を戻そう。魔獣と帝国の繋がりを探る、昼日国の未来のためにもこれが最優先だ」

 リアムはひとつ、咳払いをした。

「ましてや、この十年で……帝国の情報を持ち帰れたのはレグだけ」

 大きな瞳で集まる視線を順に受け止めると、ぎゅっと細める。

「必ず、生かしてこの城へ」

「御意」


 三老は静かに頭を下げた。



****



 ——そうして、今に至る。


 リアムはそっと玉座に腰を下ろした。まだいがらっぽい喉に、ゆっくり空気を通す。

「レグたちは……無事か?」

 片膝をついたまま、ジルベルトは玉座を見上げた。

「彼らはひとまず医務室へ運びました」

 わずかに安堵の息がもれる口元から目を離さない。

「送り込んだ間者六名のうち、帰還したのは二名。レグとオーツです」

 リアムの口がきゅっと締まった。


「オーツの火傷は内蔵に及んでおり、厳しい状況です」

「すぐに聖女の依頼を!」

 言うが早いか、リアムが立ち上がる。勢いのまま振った腕が、羽織を大きく揺らした。

「なんとしてでも持ちこたえさせろ!」

「はっ!」

 間髪入れず頷き、

「比較的傷の浅いレグからは『残りの四人は帰路で死亡した』と報告を受けております」


 リアムの腰が、すとんと玉座に落ちた。

「はは……」

 ジルベルトの短い言葉が耳でこだまし、視線が床を離れない。涙が鼻の奥から目頭を抜けようとする。

 それを押し戻すように、リアムは額に手を当てた。

「命の重さは等しいからこそ、残酷だな」

「天秤は重い方に傾く、変えられない理です」

 リアムは込み上げた怒りに任せてジルベルトを睨む。

 命の散るさまを何度も目にしてきた老将の瞳は揺るがない。

「ただ、お気持ちはお察しします」

 玉座から天井を仰ぎ見て、軽く目を擦るとリアムは正面に顔を戻した。

「……四人の大義は永遠に、私の胸に刻もう」

 弱々しくもはっきりと言い切る。ジルベルトがわずかに目を細めた。


 英雄を讃える奏がうっすらと鼓膜を揺らす。


 リアムは玉座にかけなおし、頬の筋肉に力を入れた。

「話を聞きたいが、レグはどうだ?」

「現状立つのもままならず、安静が必要かと」

 ほんのわずかに眉尻が落ちる。

「……ならば、彼の回復を待とう」

「レグ自身は一刻も早い謁見を望んでおり、『城内であれば』と医師の許可はとりました」

 リアムは元々大きな目をさらに押し開いた。本音を射抜くような視線が胡桃色の瞳を捉える。

 閉め切られた部屋が、今さら息苦しい。

 気まずさを紛らわすように手が巻き毛を掴み、丸まる毛先を指に絡めた。払った拍子に、手が背もたれに当たる。


 赤くて煌びやかで、世界に一つしかない椅子。

 この椅子は、王しか座れない。


 背の力を玉座に預け、リアムはふっと笑う。

「なぜジルベルトが鬼団長って呼ばれているか、少しだけ分かったよ」

 巻き毛を掴んでいた手で、肘掛を強く叩いた。

「レグを謁見室に呼んでくれ」

「仰せのままに」

 ジルベルトはうやうやしく頭を垂れた。


 玉座の後ろ壁に掛かるカーテンが、風もないのに揺れる。


 布擦れの音を合図にして、ジルベルトが立ち上がった。

 勇ましい赤の騎士服の背を見て「あ」とリアムが引き止める。

「それと、アレクも呼んで……」

 振り向いた鬼団長の眉尻が跳ね上がった。

 続きがリアムの口に逃げ帰る。いったん全部飲み込んで、

「……アレク、サンダーも呼んでくれ」

 選んだ言葉を慎重に連ねた。


 ジルベルトはふんと鼻を鳴らす。

「一介の騎士を呼ぶ場ではありません」

「そう言って、この間も呼んでくれなかったじゃないか……この件に関して、彼は特別だ。知ってるだろう?」

 しどろもどろになりながらも、折れそうにない屈強な騎士に食らいつく。


 威嚇する子犬のような丸い瞳を眺め、ジルベルトはほんの少し口角を上げた。

「ならば、レグを連れ戻るまでに会えば伝えましょう」

 ぽかんと口を開けるリアムを気に止めることなく、くるりと身を翻す。

 ジルベルトはざっざっと勇ましい音を響かせ、謁見室を出ていった。



 扉がぱたんと鳴り、謁見室は静けさを取り戻す。

 リアムは大きく息を吐き、玉座に背を押し付けた。


 ——ようやく、ここまで来た。

 高ぶる気持ちがおさまらず、手の甲を瞼になすりつける。


 遠くでかすかに太鼓が鳴っている。

 ほどよい静寂と手の温もりが心地よく、リアムはそのまま身を預けた。


 幾度か深呼吸を繰り返したころ。

 きぃと、不快な音が耳をかすめた。

 軋む音は少しずつ近づき、やがて車輪だと気づく。


 リアムははっとして、視界を遮る手をのけた。

 ぼやけた視界に謁見室の重厚な扉が映る。


 あれは、現実と凶夢の境目を引き連れる音だ。

 この扉が開けば、平穏という化けの皮は剥がれ落ちる。


 リアムの額に、嫌な汗がじんわり滲んだ。


 ――それでも、引き返す気はない。


 扉を見つめ、そっと額を拭った。

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