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あかつきの宝  作者: 卯砂樹 広之
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第1章

第1章



      (一)

 八岡はちおか文次郎は、これからお盆休みに入ろうとする日の夜中、自室で眠りについていた。

 文次郎の家は旧家。母屋の他に江戸時代に作られたと伝えられる蔵があった。大学受験の際、母屋では気が散ると両親に我儘を言い、蔵の一画を改築してもらって自分の勉強部屋とした。元来蔵には明り採りの小窓しかなかったが、大きな窓がつけられた。

 文次郎の部屋は一階の角、通りに面した側にある。蔵と通りの間には板塀があり、通りから文次郎の部屋の窓は見えない。

 暑苦しい夜であった。文次郎は雨戸を開き、部屋の窓を少しだけ開けて風を入れていた。窓には薄地のカーテンを垂らしている。満月が南の空にかかり、夜にしてはほの明るい。

 午前三時を回った頃のことである。

 文次郎は窓の外で何かが落ちる音で、眼を覚ました。

 (ネコかな)

 はじめはそう思ったが、ネコにしては音が大きすぎる。

 文次郎は確認するため、眼を擦り乍ら、布団から半分身を起こした。

 カーテンが垂らしてあるので影しか見えないが、何かが動いている。

 (わっ。人だ)

 月明りに照らされて、それは人間のシルエットになった。

 (小柄だな。ひょっとして、子供?)

 しかし、子供の悪戯にしても、深夜よその家に入ってくる訳がない。

 (泥棒か)

 文次郎は事態を覚ると飛び起きた。

 (何が狙いだ。ウチは大したものはないのに)

 文次郎の父は文次郎が就職して間もなく病気で他界している。母と兄が普段は母屋で暮らしているが、今一週間の予定で旅行に出かけていて、文次郎が一人で留守を守っていた。

 文次郎は僅かに開けてあった窓の隙間から、蔵の外を覗き見た。

 月明りで朧気にしか見えないが、上下とも真っ黒なジャージ姿で、顔はサングラスとマスクで隠している。背中に何か背負っているのが見えるが、それが何なのかは判らない。

 賊は文次郎にはまだ気付いていない。きょろきょろと母屋、庭、蔵を見回している。

 (どこから入ればいいか、探しているのか)

 文次郎の脳裏に、様々な思いがよぎる。

 (警察を呼ぶか。まだ何も盗られちゃいないけど、家宅侵入罪だ)

 でももし子供だったら、いきなり警察沙汰にするより、捕まえて親に引き渡すっていうのもありか。

 暗い戸外に眼を向けているうち、眼が慣れて来た。文次郎は賊の姿を改めて観察した。文次郎の眼は今、賊を真横から捉えている。

 (え。まさか、日本刀?)

 賊が背負っているものは、細長い。やや反りがある刀身が鞘に収まり、柄と鍔の影が見える。

 (強盗か。刀で脅して、金出せって)

 抵抗でもしたらばっさりと斬られる。

 が、次の瞬間、文次郎の眼に賊の頭部のある特徴が眼に入った。

 「えっ。まさか?」

 思わず、声に出してしまう。

 声に気付いたのか、賊が振り向いた。サングラスをかけたままだが明らかにこちらを見ている。

 「げっ」

 文次郎は一瞬のけぞったが、ここは開き直るしかない、と覚悟を決めた。

 文次郎の部屋は蔵の床より十センチ程の高さに畳敷きの面が作り込まれている。蔵の床は土足で歩くが、文次郎の部屋には靴を脱いで上がる形になっている。文次郎は寝起きのパジャマ姿のまま部屋の扉を開け、サンダルを引っ掛けた。

 蔵の明りを点け、思いきって蔵の扉を開く。

 文次郎が出て来たのに気付くと、賊は一目散に母屋の方向へ駈け出した。

 「待てっ」

 文次郎が追いかける。

 賊は、すばしこい。

 蔵と母屋の間には、向日葵や朝顔が植えられ、亡き父が愛好した盆栽などが置いてある。古い灯篭や小さな池もある。その合間合間を或いは直進し或いは蛇行する賊に、文次郎は手を焼いた。

 結局、庭を一周。賊は明りの点っている蔵に駆け込んだ。

 「蔵の中なら、袋の鼠だ。逃がさないぞ」

 文次郎は威圧するように叫ぶと、蔵に入った。

 蔵の壁には、祖先が集めたと伝えられる書画の掛け軸が無数に飾られている。

 掛け軸に囲まれた蔵の内部には幾つもの棚が置かれ、いわくありげな陶磁器や茶道具などが並べられ、まるで骨董屋のようだ。蔵に入ってすぐの所には有田焼と思われるやや大きな壺。一番奥には、十一面観音の立像が安置されている。

 「どこだ」

 文次郎は蔵の中を見回した。

 賊はどこかへ隠れているらしく、姿が見えない。

 (さすがにちょっと怖いな)

 隠れていて隙を見て飛び出し、刀で斬りつけて来るかも知れない。

 文次郎は拳を握りしめた。拳の中で冷や汗が滲む。

 「そこか」

 蔵の角に龍虎を描き、金箔を散りばめた屏風がある。その裏で僅かに物音がした。

 賊が屏風の裏から飛び出す。

 が、文次郎の方へ向って来るではなく、蔵の奥へ向った。

 「待てっ」

 文次郎が叫んで追いかける。

 賊は観音像の前まで至ると、方向転換を図った。

 その時である。

 「あっ」

 賊がか細い声を上げた。

 観音像を安置してある台座に賊が脚を引っ掛けたのだ。

 観音像が大きく揺れ、賊の頭上に倒れかかる。

 観音像は百八十センチ程の大きなものだ。かなりの重量がある。

 「危ないっ」

 文次郎は絶叫すると、賊に後ろから飛びついた。

 賊は前のめりに倒れ、文次郎が賊を庇う形でその上に倒れる。文次郎の肩の上で観音像は静止した。

 観音像、文次郎、賊が折り重なっている。 

「痛てて」

 観音像を下から持ち上げると、文次郎は左肩を押えた。

 賊は文次郎の下から抜け出すと、床に手を付きへたり込んだ。

 「大丈夫ですか」

 文次郎は賊に声をかけた。

 「私は、大丈夫です」

 床から手を上げ、賊が答えた。文次郎を正面から見つめる。

 「ごめんなさい。私のせいで、怪我をさせてしまって・・・・」

 賊がサングラスとマスクを外す。眼に涙を滲ませている。

 文次郎がよく知っている女の子の顔が、そこにあった。



     (ニ)

 女の子の名は、穴川美奈。

 文次郎が毎日のように通っているお弁当店、「穴川屋」のオーナーである。

 美奈は、小柄で、華奢。腰の辺りなどは抱きしめれば折れてしまいそうな位、ほっそりしている。制服代わりのピンク色のエプロンの下に垣間見える脚線が柔らか味を帯び、美しい。

 セミロングの髪に黒いヘアバンド。切れ長の眼。形の良い唇。ややあどけなさが残り、一見学生のようにさえ見える。

 プライベートで交際している訳ではない。穴川屋の弁当は注文を受けてから作り始めるので、十分程度は待ち時間がある。美奈は自身で弁当を作ることがなく、もっぱら接客に当たっているので、他の客が少なく空いている時間帯を狙って行けば、美奈と十分程話ができる。それだけのことだった。

 だが、一日十分の会話は、文次郎を美奈に夢中にさせるには充分過ぎる程であった。

 初めのうちは、その日の天気や仕事のこと。十分の話が回を重ね、親しさが増してくると、趣味や好きなものの話などをするようになった。

 趣味や好きなものが一致しているかどうかが重要な訳ではなかった。美奈が自分から話をするときは、文次郎の反応を見て、どんな言葉を使えばいいか一生懸命考えてくれる。文次郎から話題を振るときは自分の知識を総動員して共感しようとしてくれる。文次郎のちょっとした冗談にも芯から楽しそうに笑ってくれる。

 (今まで生きてきて、こんなひとに出会ったことがなかった)

 清楚にして可憐。そんな表現がふさわしい、容姿だけでも十分文次郎にとって魅力的であったが、それが一番大事なことではなかった。自分を認めてくれ、受け入れてくれるはじめての女性が美奈だった。

 美奈と話している時、文次郎はいつも新鮮だった。幸福感に溢れていた。


 「痛っ」

 文次郎は蔵の中の勉強部屋に戻ると、パジャマを脱いで座り込んだ。

 美奈が怪我をした左肩に湿布を貼ってくれる。

 (美奈さんの掌、暖かいな)

 文次郎と美奈とは、手を繋いだことすらない。昨日までの文次郎なら、美奈の手の暖かさを感じながら湿布を貼ってもらうこともほのぼのとした幸せに感じた筈だ。

 (けど、今はそれどころじゃない)

 文次郎の頭は混乱の極にあった。

 美奈は純情で心優しい、虫も殺せないような女性だと思っていた。なのに今日は事もあろうに日本刀を背負って、我が家に不法侵入とは。

 (自分が思っていたのと、本当の美奈さんは全然違うのか) 

 今のこの状況に、どう対応すればいいのか。文次郎は思い悩んでいた。

 「ごめんなさい」

 湿布を貼りながら、美奈が言った。文次郎の背後で、啜り泣いている。

 「八岡さんはいつも楽しくお話してくれて、優しくしてくださるのに。私のせいで怪我までさせてしまって、どうお詫びしたらいいか…」

 「いえ」

 文次郎は振り向き、かぶりを振った。

 心から笑えるような状況ではないが、精一杯の笑顔を作る。

 「怪我をしたのは僕が鈍いからですよ。もっと運動神経が良ければ、観音様を力ずくで止めるか、穴川さんを抱えて自分も安全な所へ逃げるか、どっちかできたはず。自分のせいですよ」

 「そんなことないです。そもそも、私が忍び込んだりしなければ」

 美奈の涙が止まらない。

 「私を縛り上げるなり、警察に突き出すなりしてください。それでないと気が済みません」

 「いえ。そんな。警察に突き出すなんて、それはないです」

 文次郎は自分の顔の前で、右手をぶんぶんと振った。

 「僕、臆病者ですから。正直、怖かったですよ。誰かが忍び込んできた時は。日本刀背負ってるし。最初はやっぱり、110番することも考えました」

 「どうしてしなかったんですか」

 「それです」

 文次郎は美奈の頭を指差した。

 美奈が頭を押さえる。

 「そのヘアバンドですよ。背格好とそのヘアバンド、髪型からひょっとして忍び込んできたのは穴川さんではないかと直感したんです。確信はありませんでしたけど…。もしそうなら、警察沙汰には絶対できない。普段の穴川さんから考えて、何か余程の事情があって忍び込んできたに違いない。そう思って、あえて蔵から出て、追いかけっこをすることにしたんです」  

 「私かも知れないって、薄々気がついていたんですね」

 「ええ。板塀を越えてきたときも、すごく大きな音を立てて飛び降りたでしょう。僕はその音で目が覚めた位で。慣れた泥棒なら、そんな音は出さないよう用心する筈ですし。素人の泥棒さんかな、と思いましたよ」

 「素人の泥棒さん? 何か可愛いですね」

美奈はここへきて、初めて笑った。

 (良かった。笑ってくれた)

 文次郎は美奈の笑顔に勇気を得て、今一番言いたいことを口にすることにした。

 「今日はこんな形でお会いすることになってしまいましたけど、僕は穴川さんとはこれまで通り、いやこれまで以上に何でも話し会える間柄でいたいんです。だから、もし何か困っていることがあるのなら、言ってください。僕が力になれることもあるかもしれません」

 「…」

 美奈は黙った。顎に右手を当て、しばし考えにくれる。

 「私も、八岡さんと何でもお話できる間柄でいたいんで」

 美奈は文次郎をまっすぐに見つめた。

 「私の知っていること、全部お話しします」



     (三)

 改まった話をするのにパジャマ姿では気恥ずかしいからと、文次郎はカーテンの陰に隠れてTシャツとスラックスに着替えた。

 テーブルを挟み、文次郎が腰掛ける。

 「で、お話ですけど」

 「ええ。その前に」

 美奈はやや俯き加減に上目遣いで言った。

 「これからは文次郎さん、てお呼びしてもいいですか」

 「え。はい。勿論」

 文次郎はどきりとした。

 「では、僕は美奈さんとお呼びします」

 好きな女性と苗字でなく名前で呼び合う。美奈が文次郎のことを好きかどうかは計り知れないものの、お互いの呼び方を変えようと美奈の方から提案してくれたことだけで文次郎は十分嬉しかった。

 「私、脅されてるんです」

 美奈は眉を曇らせた。

 「脅されてる? 誰にです」

 「母の弟、つまり母方の叔父で、八岡智海ちかいという人にです」

 「八岡? 僕と同じ苗字ですか」

 「はい。そうなんです」

 美奈は頷いた。

 「私の母の実家、八岡家は文次郎さんと縁続きなんだそうです。遠い遠い親戚で。今では家同士のお付合いもなくて、血縁があることさえ、誰も知りませんけど」

 「へえー。そうなんだ」

 美奈と知り合って以来、ごく自然に親しくなったのは血の繋がりが呼び合ったのかもしれない。文次郎は思った。

 「でも知っていたのなら、何で今まで言わなかったんです」

 「私もつい最近まで知りませんでした。全て、叔父から聞いたことで」

 「あ。いえ。余計なことだったかも知れませんね」

 文次郎は顔の前で手を振った。美奈と自分との関係に関わることだとつい突っ込んで聞きたくなってしまうが、今はそのようなことを話そうとしている状況ではない。

 「で、その叔父さんに脅されているのですね」

 あえて、話題を戻した。

 「はい」

 美奈は頷いた。

 「叔父は市内にある大光院というお寺の住職をしているんです。八岡家の先祖のことに興味があって、凄く詳しいんです」

 「成程。まあお坊さんなら、詳しくても変じゃないですね」

 「八岡家は江戸時代の中頃まで、系譜を遡れるんだそうです。代々名主の家柄で、かなりな土地持ちだったそうで」

 「あ、それ。僕も死んだ父から聞いたことあります。僕の家は今でこそ母屋が一つ、蔵が一つ。あと中庭があるだけのごくありふれた民家に過ぎないけど、江戸時代には広大な田畑を持っていたって」

 「そうなんです。今では市街地になって、市役所も建っているK駅の前からここの辺りまで。バス停でいうと八つ分位が、八岡家の土地だったそうで」

 「ちょっと、想像つかないですね」

 「ええ。その広い広い敷地内に、今私達がいるこちらの蔵と同じ位の蔵が多い時はニ十程あって、ぎっしりとお米や金銀財宝が詰まっていたって言うんですね。叔父に言わせると、現代のお金に換算して何億円分の資産があったと」

 「いや、何とも凄い」

 文次郎は首を傾げた。

 「でも、名主ってだけでそんなに財産が築けるんでしょうか」

 「八岡家は代々勤勉で、万一飢饉が襲って来た時のためにということでお米を着々と溜めていて。その上家の中で養蚕をしたり副業にも余念がなかったらしいですよ」

 「でも、そんなに大金持ちだったのに、何で僕達子孫には大した財産がないんでしょう。今の話を聞いたら、世が世ならお殿様お姫様の生活できてる筈でしょ」

 「ええ。問題はそこなんです」

 美奈は右手人差し指を立て、自らの眼前に翳した。

 「江戸幕府が倒れるまで、八岡家は確かに大富豪でした。名主ながら苗字帯刀も許されていて。ところが時代が明治に代わる頃、ただの一市民に転落してしまった」

 「ほう。何があったんでしょう」

 「戊辰戦争ってご存じですか」

 「あ。はい。本で読んだことあります。ちょっと歴史好きなもので…。江戸幕府が崩壊して、薩摩と長州を主力とする新政府軍と、旧幕府軍が戦ったあれですね。鳥羽・伏見から始まって、長岡や会津で激戦があって、最後は函館まで続く大いくさになった」

 「ええ。その通りです。で、新政府軍は各地を転戦するにあたって食糧や物資を買うお金が必要となって、土地土地でお金持ちから半ば強制的に財産を差し出させた」

 「はい。そんなこともあったようですね。それで、八岡家も狙われた、と」

 「ええ。でも八岡家は大きな財産を築けたのは江戸幕府の保護があったお陰と、凄く恩義に感じていた。だから旧幕府軍を殺戮するための軍資金を差しだすのが嫌で、財産を隠してしまった、という言い伝えがあるんです」

 「成程」

 文次郎は腕を組んだ。

 「つまり、当時八岡家が隠してしまった財産、今のお金に換算すれば何億円にもなるかもしれない財宝がいまだどこかに眠っているかもしれない。そんな風に考えていいのですか」

 「ええ。叔父の考えはそういうことです」

 文次郎は顎に手をやった。

 「でも、うちにはその手の言い伝えはないし、それらしい文書の類もなさそうです。もし財宝があるとしても、どうやって探したらいいのか見当もつきません」

 美奈は首を振った。

 「いえ。それがあるんです」

 美奈は座ったまま半回転し、文次郎に背中を向けた。

 「これは母の家に代々家宝として伝えられてきた日本刀です。但し、刀身は竹光。人は斬れません」

 「僕は、命の心配はしなくてよかったんですね」

 「ええ。この刀の中で家宝なのは、鞘の部分だけ。残りは紛い物です」

 「鞘だけ?」

 文次郎は美奈の体越しに、鞘を観察した。全体に黒く、よく手入れされていて光沢があるが、長い年月を経て来た渋みも感じられる。

 「鯉口、つまり刀を差しいれる方に、文字が見えませんか」

 後ろ向きのまま、美奈が言った。

 「文字ですか。えーと」

 文次郎は鯉口に視線を移す。

 「あ。成程。大分薄れてますけど、何か文字がある」

 「何て読めます?」

 「吾等寶在。ワレラ、タカラ、アリですね」

 「在ってその後に場所を示す言葉が来ませんか。吾らが宝、どこどこにあり」

 「あー判った!」

 文次郎は立ち上がった。

 「つまりもう一本の家宝の刀に、場所を示す言葉がある!」

 「そうです。叔父によると文次郎さんは戊辰戦争当時の八岡家の当主の長男の子孫。私は次男の子孫だそうです。財宝をどこかに隠した当主はいつか子孫が財宝を見つけるための手掛りになればと、敢て一本の刀の鞘と他の部分とを分けて長男の家と次男の家に相続させた、という訳です」

 「よく、分かりました」

 文次郎の声が上ずっている。

 美奈が振り向いた。

 「文次郎さんの家にもありますか? 家宝の刀」

 「あります!」

 文次郎は部屋の壁際に置かれた書棚へ向かった。

 棚が二層になっており、前面の棚を動かすと後面の棚が現れる仕組みになっている。

 文次郎は屈みこんで前面の棚を右にずらし、後面の棚の下段に手を掛けた。入っている本を棚の外へ出す。

 本の裏にあったのは、縦横三十センチほどの小さな扉だった。暗証番号で開く電子キーが付いている。

 文次郎が暗証番号を入力し扉を開けると、薄暗い中に細長い物が横たわっていた。

 「これです」

 長さといい、反り具合といい美奈が背負って来た刀と瓜二つである。

 「この刀にどんな意味があって家宝なのか、今の今まで知りませんでしたけど。何か特別な理由があるのだろうと思って秘密の場所に隠しておいたんです」

 美奈はやや狼狽えていた。

 「よかったんですか。私なんかに秘密の場所を見せて? もし私が本当の泥棒だったら、大事なもの、盗られちゃいますよ」

 「いいんですよ。僕、美奈さんのこと信用してますから」

 「信じて貰えるのは、嬉しいですけど」

 文次郎と美奈はどちらから提案するでもなく、二本の刀をテーブルに並べた。

 「うちの刀も竹光で、人は斬れません。こっちは美奈さんのと逆で、鞘が紛い物で、柄と鍔が本物です」

 二人は黙って頷き合うと、それぞれ自分の刀を抜いた。本物の柄と本物の鞘、紛い物の柄と紛い物の鞘が組み合わされ、テーブルの上に置かれる。

 「どちらも、ぴったり」

 二人は同時に呟いた。

 「これではっきりしましたね」

 「ええ」

 美奈が言った。

 「叔父の説が正しかったことが裏付けされましたね。この刀を所有していたご先祖が、子孫がいつか隠した財宝を見つけ出すことができるように、財宝を隠した場所を示す言葉を一本の刀に託した。しかも念には念を入れて、柄を長男の家に、鞘を次男の家に相続させた」

 文次郎が頷いた。

 「そうですね。敢て判りにくくすることで、財宝が新政府の手に渡らないようにしたんでしょう」

 「私、叔父の話を聞いていても、ご先祖様が残してくれた財宝なんて、半信半疑だったんですけど…何か本当に凄い財宝がありそうな気がしてきました」

 「ええ。僕も何だか、ワクワクしてきました」

 美奈は身を乗り出し、本物の柄と鞘の刀を見つめた。

 「文次郎さんの刀には、何か文字があるんですか」

 「うーん。確かに、あるにはあるんですけどね」

 文次郎は刀の鍔の部分を指差した。黒錆が付いた鍔に金色の文字が浮いて見える。

 「美奈さんの刀にある『吾等寶在』に続く言葉は確かにこれだと思います。何か刻んであるなっていうのは、昔から気づいていたんで」

 「随分小さい字ですね」

 美奈は目を細め、鍔を凝視した。

 金色の文字は、全部で八文字ある。

 刀身の峰の側に「百歌ひゃくうた」、その反対側に「引取ひきとり」。

 刀身の一方の側面横に「庚申こうしん」、その反対側に「不鳴なかず」。

 という文字が刀身を囲むように刻まれている。

 「どういう順番で読むんでしょう」

 美奈は首を傾げた。

 「僕、昔から何か刻んであるのは知っていたんですが」

 文次郎も首を傾げる。

 「そこなんです。そもそもどういう順番で読むのか判らない」

 美奈は文次郎の顔に視線を移した。

 「まるで暗号ですね」

 「ええ」

 文次郎は頷き、腕組みをした。

 暫し間を置いて、美奈が口を開いた。

 「あの…」

 文次郎から視線を外し、眼を伏せる。

 「ご相談ですけど…」

 美奈は両方の掌を組み、震わせながら言った。

 「この鍔の写真を撮ってもいいですか」

 「写真を?」

 「ええ」

 美奈は頷いた。

 「話は最初に戻りますけど。私が脅されてるっていうのは、財宝のありかを示す刀が文次郎さんの家にある筈だからそれを見つけて、写真を撮ってこいってことだったんです。そうしないと弁当屋を潰してやるって」

 「お弁当屋さんを潰す? そんなことできるんですか?」

 「叔父に言わせれば、簡単なことなんです。叔父はさっきも言ったように、大光院というお寺の住職なんですけど、お寺に隣接した土地でセレモニーホールを経営してまして。そこでお出しするお料理をうちで作っているんです。そのお料理の仕事を他の業者さんに変えるくらい、俺の一存で明日からでもできるって言われて。セレモニーホールのお仕事はうちの重要な収入源になっているんで、これが切られるとお店が潰れかねないんです」

 「成程。ちょっと弱みを握られちゃってるんですね」

 「ええ」

 美奈は頷いた。

 「でも、八岡家の財宝探しが目的なら、美奈さんを通じて僕に相談してくれれば良かったのに。面白い話だし、相談してくれれば喜んで協力しましたよ」

 美奈は首を振った。

 「叔父は、八岡家に財宝が存在するらしいことを突止めたのは自分一人の力だと強く思っていて。それで、財宝があるなら全て独占したいっていう欲望があるみたいなんです」

 「何億円も価値があるかもしれないのにそれを独り占めって。美奈さんの叔父さんですから悪く言う積りはないけど、随分欲深いですね」

 「ええ。遠慮しないでいいです。確かに欲深いです。目茶目茶に。叔父に言わせると、財宝のことを文次郎さんに知られると、文次郎さんの家でも財宝のありかを示す刀を代々受け継いできた訳だから、財宝の分け前をよこせ、ということになる。それは嫌だから絶対に相談なんかするな。黙って家に忍び込んで、刀を探し出して写真を撮ってくるだけでいいって」

 「つまり、刀を盗む必要はない。盗んだりすると却って刀に何か秘密があるんじゃないかって疑われますもんね」

 「そういうことです。でも、文次郎さんに知られずに刀の写真を撮るなんて到底不可能でしたよね。秘密の棚に電子キー付きで厳重に保管してあったんですもんね」

 「ええ。まあ。ご覧の通りこの蔵ってご先祖達が集めた骨董品だらけなんですけど、どれもこれも我楽多ばかりで。けど、この刀だけは代々家宝として伝えられてきたものなので、大事にしとかなきゃ、って思ったんです」

 文次郎は顎に手をやった。

 「でも、そんなに財宝を独り占めしたいんだったら、自分でうちに忍び込めばいいのに。なんで美奈さんにさせたんでしょう」

 「叔父は、足が悪くて。走り回ったりはできないんで、私を使ったみたいです。俺の代わりに行ってこいって」

 文次郎はついさっき美奈と中庭で追いかけっこをしたのを思い浮かべた。他所の家に忍び込むとなれば、当然そういう状況になることは想定はするだろう。

 美奈は両掌で顔を覆った。

 「辛いです。他所のお宅に忍び込むなんて悪さを無理強いされて。文次郎さんにも凄く、ご迷惑かけて。恥ずかしくて悲しくて、死んでしまいたい位です」

 「酷いです。あんまりです」

 文次郎は口をへの字に曲げた。

 「そういうことだと、叔父さんはこれからも、美奈さんに無理難題を押し付け続けますよ。それは絶対許せません」

 「どうしますか」

 美奈が、涙を一杯に溜めた目で、文次郎を見つめた。

 「ここで美奈さんに写真を撮らせて持って帰ってもらうわけにはいきません。僕が叔父さんに直接お会いして話をさせてもらいます」

 文次郎は日頃の自分のことを考えると、随分強気になっていることに自分自身驚いた。

 文次郎は自分は弱気で、いくじなしだと思っていた。

 (でも、僕は美奈さんが好きだ。好きなひとが辛い思いをしてるのを見過ごせない。美奈さんを守るんだ。守れるのは僕しかいない)

 守るためには、強くあらねばならない。

 美奈が自分のことをどう思っているのかは分からない。文次郎の片想いであるならば、文次郎が美奈を助けようとすることは余計なお世話でしかないということもありうるではないか。

 (それでもいい。それでもいいから、美奈さんを助け出すんだ)

 莫大な財宝の存在に少し心は揺れたけれど、それはどうでもいい。自分は何も得することがなくても、美奈を助けたい。

 文次郎の中に、これまで感じたことのない強い意志が宿り始めていた。


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