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噛むからね?⑥

 

「なんじゃこりゃあ……」


 巡査達の見送りを済ませて家の中に戻ってきた俺の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


「あっ!薫平君!どうしましょうどうしましょう」


 双子達の遊び場である木製の囲いの中で、ユリーさんがナナを抱えてオロオロと慌てている。


「あー!きゃっ!きゃっ!」


 囲いの中のソファに座るジャジャが大声を上げて笑っていた。


「ど、どうしたんですかこれ」


「わ、わからないのよ。ジャジャちゃんをくすぐって遊んでいたら急に」


「だぁ」


 ユリーさんに抱かれたナナが手を伸ばしてお気に入りの子猫さんのぬいぐるみを取ろうとしていた。

 ゆいぐるみはナナの顔のすぐそばにあって、もう少し頑張れば手の短いナナにだって取れる筈だ。


 だって、浮いてんだもん。


「な、なんで浮いてるんだこれ」


 ダイニングを見渡す。


 ティッシュ箱から哺乳瓶、様々なおもちゃがフワフワと宙を舞って

 る。

 下を見れば、地面スレスレをホバリングするかのようにテレビのリモコンが流れていく。

 上を見上げると、ジャジャの幼児用タオルが天井に張り付いている。

 小さなラッパのおもちゃが、蛍光灯のカバーに何度も軽くぶつかり、カツカツとリズム良く音を鳴らしていた。


 親父が翔平に内緒でネットで買い込んだ動物楽器シリーズが、ダイニングの至る所で楽しそうに飛び回っている。


「えぇー……?」


 現実味の無い光景に、思わず声が出てしまった。

 我が家の憩いの場であるダイニングが、なんだかとってもファンシーな空気に包まれている。


「どうなってんだ?」


 右手を伸ばして猿さんのマラカスを手に取る。


「……え?」


 軽い。

 小猿を模したそのマラカスは、後ろ半分が半透明なプラスチックでできている物で、中に小さなビーズが無数に入っている。

 振って音を鳴らすとジャジャが喜ぶから、俺や親父が良く手に取るおもちゃの一つだ。

 だからその重さもなんとなく覚えているが、今俺の手の中にある猿さんはとても軽い。というか、持ってる感覚が無い。


「これも?」


 手を離すと、猿さんマラカスはまた空中に浮かんだ。ゆっくりと流れて去っていく。

 同じ手で大きな虎の顔が描かれたタンバリンを手に取った。

 これも重さを感じない。


「あ、皿!」


 ハッと気づいてキッチンへと顔を向ける。

 食器棚の皿やグラスが浮いていたら、ぶつかって割れるかもしれないと思い立ったからだ。

 食器棚や洗い物カゴの中の食器は変わらずそこにある。

 浮いたりぶつかったりせず、俺が片した状態のままだった。


「……飛ぶ物と飛ばない物が、ある?」


 哺乳瓶の保温機が目に入った。

 刺しこむタイプの保温機に、一本だけ哺乳瓶が残っている。


 それは猫の顔がプリントされている、ナナの哺乳瓶だ。

 おかしい。

 飲み終わった哺乳瓶を煮沸消毒した後で、ジャジャの哺乳瓶と一緒に片付けた筈だ。

 犬の顔が描かれているジャジャの哺乳瓶だけ、コツコツと天井に繰り返しぶつかっている。


 もう一度ソファに座るジャジャを見る。

 その手にはお気に入りの犬さんのぬいぐるみが握られている。


「だぁ!あー!きゃっきゃっ!」


 笑顔を浮かべながら、ジャジャは浮いているおもちゃを見ている。

 楽しそうで何よりだけど、とりあえず安全を確保するために囲いの中に入ってジャジャをソファから抱き上げた。


「あー!」


「はい、あー。ユリーさん、何か変わったことは?」


「私は特に問題ないわ。さっきジャジャちゃんが涎まみれにしたストールが飛んでいっちゃったぐらいね」


 天井を見上げると、さっきまでユリーさんが肩に掛けていたストールと、ゴムボールが天井に張り付いている。


「これ、ジャジャちゃんがやってるのかしら」


「た、たぶん」


 ジャジャをくすぐってこうなったんなら、ジャジャのせいだよな?

 俺の腕の中のジャジャは相変わらず楽しそうにおもちゃ達に手を伸ばして遊んでいる。


 良く見ると、ジャジャの頭の両側に生えている黒くてまっすぐな角が、淡く白く光っている。


「ナナの時と一緒?」


 だけどその光はナナの時よりずっと弱い。

 確かあの時は俺にだけしか光っているのは見えなかった。


「ユリーさん、ジャジャの角って光ってますよね?」


「そう?光っているようには見えないけれど」


 うーん。

 確定っぽいな。


 ナナの場合は、泣きながら鳥を操っていた。

 ジャジャも同じく、何かを操っているのだろうか。

 ただ単に物を浮かせているだけか?それにしては、浮いている物が限られてるな。

 リモコンにおもちゃ。タオルに哺乳瓶にストール。

 プラスチック製品からガラス、それに布。浮いてない物と浮く物の違いは何だ?


 空中に揺れているおもちゃ達を見比べながら、囲いを出る。


 わっかんね。

 共通点があるようでない。

 大きさもマチマチだし、同じ材質でも二つある哺乳瓶は一つしか浮いていない。

 どうゆうことだ?


「痛って!」


 考え事をしながら歩いていたら、落ちていたおもちゃを踏んでしまった。

 それはジャジャやナナ達よりもう少し上の歳の子が遊ぶ、人間の女の子の人形だ。

 やけにリアルな八頭身に、漫画みたいな瞳のシールが張ってある有名なヤツ。

 つい昨日、親父が子持ちの同僚から貰ってきたおもちゃの一つで、最初に双子達に見せたときにジャジャが怖がって泣いてしまったのを覚えている。

 親父がしつこく近づけるから、ジャジャが頭を噛んで放り投げたんだっけか。ナナは普通に遊ぶからいいけど、ジャジャは近づこうとすらしない。


「おー、痛かった」


 その人形を拾おうと身を屈めて、左手を伸ばす。

 宙に浮くおもちゃに夢中のジャジャに見せないようにしながら、おもちゃ箱にしまっちまおう。


「ん?」


 あれ?持てない。


「お?」


 持てないどころか、人形の下に指すら突っ込めない。


「なんで?」


 一度ジャジャを地面に寝かせて、今度は両手で挑む。


「ふっ!くぬっ!重いっ!」


 ビクともしねぇ!

 嘘だろ?今まで何度も片手で持ち上げてたのに!?


 どんなに力を込めても、両足を踏ん張って腰で引いても、人形は寝てる位置からピクリとも動かなかった。


「あー!だぁ!」


 その隣でジャジャが両手を振り回して、フワフワと浮くおもちゃを見て喜んでいる。


 ついに諦めて、ジャジャの隣に腰を下ろした。


「な、何が一体全体どうなってるんだ」


 肩で息をして,荒くなった呼吸を整える。


「なんでこんな重いんだこれ」


 この人形のサイズでこの重みはありえないだろう。

 ん?

 重み?


「あれ?」


 そういえばさっきの猿さんマラカスは、いつもより大分軽かった。

 この人形は、いつもより重たい。


「重さ……?」


 ジャジャは、重さを操ってる?

 いや、違う。

 いくら軽くなったからって、宙に浮いたりしないだろ。ヘリウムガスでもあるまいし。

 じゃあ、なんで浮いてんだ?なんで持てないんだ?


 再び周りを見渡す。

 大きいものから小さいものまで、いろんな物が自由すぎる動きで部屋中を飛び回っている。

 ユリーさんとナナはそれを不思議そうに見上げている。

 なんか、こんな場面どっかで見たな。

 そうだ。ニュースとかで見た、宇宙飛行士との中継がこんなかんじ……?


「……重力?」


 宇宙で物が浮いているのは、重力の影響が少ないからだ。

 逆に重力が増せば、物は大地に縫い付けられる。

 試しに、すぐそばに浮いていた虎タンバリンを、ツンと指で突いてみた。

 その動きに合わせて、虎タンバリンは俺からゆっくり離れていく。


「重力を、軽くしたり重くしたりしてんのか?」


 物理学者も真っ青だなおい。

 もし、そうだとして。

 いったい何を基準にして浮かせる物を選んでるんだ?


 幼児用タオルは、お昼寝する時にジャジャに被せている物だ。

 哺乳瓶はジャジャのだし、動物楽器シリーズもジャジャのお気に入りだ。

 リモコンはさっきまでジャジャが噛んでいた……し……。


 噛んでいた?


「ユリーさん。さっきストールをジャジャが涎まみれにしたって」


「ええ。端っこをガジガジしちゃって、ソファに広げて乾かしていたのよ」


 ゴムボールも、ジャジャが噛んでいたのを見た。


「ジャジャが噛み付いた物が、浮いたり重くなったりしてる……?」


 疑問を抱きながらジャジャの様子を見る。


「あー!あぁー!」


 相変わらず楽しそうに、ジャジャは笑っている。


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