そして訪れる試練⑤
「嫌っ、嫌だよ! やめてよ母さん!」
アオイは髪を振り乱し、首を振る事で現実を否定する。
情けない俺は、それを見ているしかない。
行動に移せない。
なぜなら相手は超越存在。
ここに立っているだけで理解できる。
この人の気まぐれで、俺は死ぬ。
そしてそれがアオイへの脅迫材料となっている今、取れる行動が沈黙しか残っていない。
他にあるのかも知れない。
ユールの問いかけに、納得させる事のできる回答がもしかしたらあるのかも知れない。
だけど見つからない。
グルグルと同じ所を検索し続ける俺の思考では、あるかも知れないその答えに辿り着けない。
ここにきて、俺は自分の馬鹿さに怒りを覚える。
何もしてやれない。
目の前で苦しんでいるアオイと、何も知らずに俺たちに縋り付いているジャジャとナナに、俺ができる事が、無い。
「こんなの……あんまりだろ……」
絶望が口に出る。
ユールの言う事は正論だ。
人間のチンピラ程度なら、負ける気がしない。
少なくとも二十人程度なら、傷つく事を恐れなければ、かなりの勝率を弾きだせる。
なら、それが武装した相手なら。
駄目だ。それだけで勝てる気がしない。
俺は弾丸の速度を目で追えない。
刃物を体で受けて、刃物の方が根を上げるなんて事はありえない。
自分の体格を超える物体が迫ってきても、時速10キロ程度ですら受け止められない。
もし、襲撃者がそんな手段に出たら、間違いなく俺は死ぬ。
俺が死ねば、アオイが苦しむ。
アオイが苦しめば、双子が危険に晒される。
詰んでいる。
以前から考えないようにしていた現実問題が、今ここで俺たちの目の前に立ちはだかる。
もし今の生活を続けたいのであれば、この壁を乗り越えなければならないのか。
幾ら何でも、高すぎるだろ?
こんな試練、乗り越えられるわけがないじゃないか!
「どうした。もしお前にできると言うのなら、答えろよ」
「待って! 考えさせてよ!」
「考える時間なら、二週間もあった筈だ。生活が満たされすぎて、一番始めに答えを出さなければならなかった事を、お前は目を逸らしたな? 答えを先延ばしにして、今の幸せにただただ甘えただけだ。結局、お前の言うこいつらの優しさに乗っかって、怠惰に惰眠を貪っただけなんだ」
「違う……違うのぉ!母さん、お願い!」
「いつまで子供でいるつもりだ!!」
その大声と共に、雷鳴が響いた。
天気予報では晴れと出ていた筈だ。
だけど外は土砂降りの雨と突風が吹き荒れていた。
これが、龍の怒り。
「お前は!望む望まざるに関わらず、二つの命を授かったんだ! 見ろ!お前を見る娘達の目を! お前にしか頼れない、お前の娘達だぞ!? お前が!守るべき命だ!」
「ああっ!あああああっ!嫌ぁっ!」
ナナを抱きかかえて、アオイは座り込んだ。
頭を何度も振りながら、叫びながら。
ナナは、そんなアオイを見ながら何かを我慢している。
不思議だ。
ジャジャもナナも、黙って俺たちを見てるだけで、泣かない。
いつもなら些細な事に反応して泣く双子が、ただじっと俺たちだけを見つめている。
「今、結論を出せ。その苦しさは、お前の責任だ」
そう言ってユールは翼を消した。
それと同時に、風が止む。
窓の外の雨と風は勢いを無くし、ゆっくりと穏やかになっていく。
だけど、俺の心はずっと荒れている。
「私が……ナナが……ジャジャを……でも、でも。薫平さんが」
アオイは頭を振るのをやめ、ブツブツと呟き続ける。
ナナはそんなアオイの頭を、ペタペタと撫でた。
「アオイ……」
俺の問いかけに、アオイの体がぴくっと反応をした。
虚ろな目で、俺の方はゆっくりと顔を向ける。
視線が合った。
潤んだ瞳で見続けるアオイに、いつもの元気さは見当たらない。
「薫平さん、好きです。大好きです。優しい薫平さんが好き、責任感が強い所が大好き、翔平さんやジャジャやナナに向ける、貴方の笑顔が本当に愛おしい。心の底から、愛してます……」
それは、アオイが振り絞った、俺への素直な気持ち。
ゆっくりと立ち上がり、俺へと歩き出す。
目の前まで来て、ジャジャへと手を伸ばした。
「おいで」
ジャジャは当たり前のように、アオイへと両手を広げた。
優しくジャジャを受け止め、薄く笑う。
「パパに、ほら」
待て。
「バイバイって」
いや、ちょっと待てよ。
「ご迷惑を、お掛けしました」
本当に待って。頼む。
「ここに居続けたら、これ以上の迷惑を、かけちゃうから」
そんなの!
「なんてお礼を言ったらいいのか、正直わかんないんです。お金もいっぱい使わせてしまったし」
いや、だから!
「本当は、ここで私を支えてくれた薫平さんに、たくさん恩を返したかったんですが」
俺の口からっ、言葉が出ない!
「本当に、最後まで中途半端……」
アオイの目から、光が急速に失われていく。
俺はそれを、黙って見ているしかない。
ゆっくりと振り返り、アオイは俺から離れていく。
「……辛い決断だ。偉いぞ」
「言わないで、お願いだから」
ユールの胸に額を押し当て、俯くアオイ。
「小僧、世話になったな。まあ、後から何か金目の物でも送ってやる」
「……いら、ねぇよ」
なんで、こんなどうでもいい事だけ、返事ができるんだ。
「そうか、まあ、要らなくても置いとくわ。どうとでも好きにしろ」
ユールはアオイとジャジャとナナを両手で抱きしめ、部屋の窓から飛び降りた。
次の瞬間、翼を広げて空へと登っていく。
俺はそれを、窓枠の中でしか追えなかった。
ただその窓枠を見続けながら、俺は一歩も動けずにいる。





