そして訪れる試練③
注意!軽度のグロテスク・身体欠損描写があります。
背筋に悪寒が走る。
全身が粟立って、ヒザが笑うのを止めてくれない。
奥歯がカチカチと音を立て、それを食い締める為に力を入れた顎が軋み始めた。
「四匹の龍種の頂点、龍王を舐めるなよ人間が」
愉しそうに笑いながら、ユールさんが俺に威嚇する。
周囲の時が停止した、ような気がした。
体に纏わりつく空気が俺の腕を絡め取り、身動きができない。
まるで個体を吸っている感覚で、呼吸が難しい。
ビリビリとした粒のような威圧感が正面から降り注ぎ、ここに立っているだけで体力が消耗していく。
「か、母さんやめて!」
「ふえ、びゃあああああああああ!!」
「ひっ、ふぇあああああああああ!!」
ジャジャとナナがその空気に耐えきれず、泣き出した。
「おっと、悪い悪い。ごめんよー。おばあちゃんが怖かったかい?」
その瞬間、全てが解放された。
体は自由を取り戻し、肺が大袈裟に空気を欲している。
汗が吹き出す。
心臓が大きく鼓動を鳴らす。
気を抜けば、床に倒れ込んでしまうかも知れない。
「あああああ!ふやああああ!」
俺の腕の中のジャジャが、強い力で俺の服を握りしめている。
思わず、ギュッと抱きしめた。
その暖かさと柔らかさが、今は何よりも欲しい。
「ぎゃあああああ!!」
「ナナ、おいで」
アオイが手を伸ばすと、ナナはすぐにユールさんから離れ、アオイに向かって両手を広げた。
「あら、やっぱりアイが一番かい?」
当然だ化け物め。
そこにいるだけで死を予感させるヤツなんかより、優しい母親に抱かれたいに決まってる。
「ふやあああ………あー」
しばらくジャジャの首筋に顔を埋めていると、泣き止んだようで俺の髪を引っ張り始めた。
「……ありがとうジャジャ」
なぜかジャジャに守られた気がする。
無性に礼を告げたくて、小声でポツリと零した。
「あぅ」
どういたしまして、と返事が返ってきた。
気のせいだ。
「母さん……なんでそんなに人間を」
アオイが悲痛な声でユールさんに問いかける。
「んー、そうだったな。余りにも酷い話だから、お前に聞かせた事は無かったか」
「なんの話……?」
未だにぐずるナナをあやしながら、アオイは少し身構えた。
「アリッサの話だ」
「アリッサ?」
アオイが頭を傾ける。
聞き覚えのない名前のようだ。
「飛龍、サティの娘だよアオイ」
「おじさま」
気がつけばベッドにモコモコの鼠が腰掛けていた。
何処から持ってきたのか煎餅をかじりながら、片手で杖を振って遊んでいる。
「お前……何処に居たんだよ」
「キッチンで昼ご飯を頂戴してたよ。弟くんが居ないとロクな物が無いね」
この野郎、勝手に取りやがったのか。
「サティさんって……誰なの?」
「アタシより年上だった龍さ。アタシの母さんと同世代だね。娘のアリッサはアタシより二十年程度年下だった」
過去形が多いな……。
「そのアリッサおばさまが、一体どうしたの?」
「奪われたんだ」
「え?」
アオイが凍りついた。
ナナを抱く腕が力を増している。
「アタシがまだ子供だった時の話だ。二千年ぐらい前かな。世界が衝突するずっと前さ」
「その当時の空龍を筆頭とした空の一族は、虎族が住む城塞都市の近くにある、巨大な渓谷を住処として居たんだ」
モコモコ鼠のアルバ・ジェルマンが突然補足しだした。
何処か誇らしげに、少し寂しそうに。
「懐かしいね。巨木すら薙ぎ倒す強風の壁に守られた、アタシ達一族の安寧の土地だった。場所が割れて皆んな散り散りになっちまったが」
窓から外の空を眺め、思い出しながらユールさんは語り続ける。
「アリッサはまだ幼くてね。飛龍は空を飛ぶ速さが自慢の龍種で、ていうかそれしかできないんだが、まあアリッサはもっと何もできないほど小さかった。アタシが手を引いて散歩をした事もあるよ」
「まあ、それでも飛龍は龍だからね。成長さえすれば獣人では手に負えなかった筈さ」
「ある日サティがエサを狩るために巣を空けた時、アリッサは暇を持て余して渓谷から出てしまった。あの子は好奇心の強い子でね。いつも渓谷の外で飛びたいと我儘を言っては、みんなに怒られていたな」
目を細めて、ユールさんは空を眺め続ける。
俺からは横顔しか見えないが、何故だか悲しそうに見えた。
「誰も、アリッサが抜け出した事に気付かなかった。冬が始まってエサが不作の時でね。どの巣穴も余裕がなかったのさ。色んな不幸な偶然が重なった」
アオイが俺に寄り添って来た。
不安そうに俺の袖を掴み、泣き止んだナナを抱き直す。
「たまたま遠くの国から来た商隊が、渓谷の入り口まで来ていた。あそこらは地元の獣人にとっては禁忌とされる場所だったからね。荒らされていない鉱脈でも探しに来ていたのかも知れない。今となってはどうでもいいがね」
「興味も無かったしね」
アルバ・ジェルマンが煎餅を横に置いた。
ベッドの上に置くなとは、言いづらい空気だ。
「最悪だったのはアリッサが飛龍で力が弱く、危険かどうかの判断ができない程幼かった事と、さらに気弱で臆病だった事。それに、商隊が魔族と獣人の種族混合の編成だった事だ。渓谷の外を飛んでいる幼龍を見つけた商隊は、最初に魔族の魔法でアリッサを撃ち落とした」
ユールさんの眉間に皺が寄る。
組んだ腕の手が、力強く握られている。
「商隊にいた獣人は、力が強い猪族だった。数人の猪族が、墜落して痛みに悶えたアリッサを拘束し、魔族がそのあと封印した。アリッサは最後まで怖くて泣いていたそうだよ。かわいそうに……」
「な、なんでそんなに詳しく分かるの?」
アオイが最もな意見を口走った。
確かに、話の中ではアリッサは常に一人だ。
一体誰がそれを見てたのだろうか。
「それはもちろん、商隊のヤツさ。先に言っとくが、この事件に関わった獣人や魔族は、サティによって半分がすぐに八つ裂きにされ、半分が三日かけて殺されている。もちろん、この話を吐いたヤツもな」
アオイの体が完全に硬直した。
少し震えている。
捨て置けず、左手で肩を抱いてやると少しだけ安堵したのか、体が緩む。
「アタシ達はその日の夜に、アリッサが戻ってない事を知った。それはもう一族総出で探し回ったさ。魔族のフリをして城塞都市に紛れ込んで、裏社会のヤツやモグリの商人からなんとか情報を聞き出し、アリッサの所在を掴んだのは三日後の事だ」
「その時は、僕は十年に一度の冬眠の時期でね。四ヶ月ほど眠りにつくんだ。僕がいれば、あんな事は起きなかった。今でも後悔している」
目を閉じて、天井を仰ぐアルバ・ジェルマン。
いつもの図々しい姿とは違い、今は静かに過去を悔やんでいる。
「そして、アリッサを見つけた。どういう状態だったか、詳しく聞くか? 余りにも酷くて、余りにも非道な光景さ。と言っても、アタシは直接は見てない。大人達が見せてくれなかったからね。後から知った」
アオイが、隣で唾を飲み込む音が聞こえる。
ジャジャが右手の親指を咥えて、ナナと戯れ始めた。
俺はといえば、話を聞きながら場面を想像し、それをジャジャやナナに置き換えては、吐きそうになっている。
「あ、ちなみにアリッサだが、死んでないよ」
「え?」
この話の流れからてっきり、亡くなったもんだと思っていた。
アオイもそれは同じらしく、驚きで短い声を出した。
「正確には、死ぬ事すら出来ないんだがな」
どういう事だ?
意味が、わからない。
「ほとんどが、奪われたからね。体のあちこちが足りないんだ。龍の生命力が強いとはいえ、まだ幼かったアリッサでは、完全に回復する事が出来なかったのさ。奪われたまま、成長してしまった」
「そう、そして精神も」
補足したアルバ・ジェルマンに続いて、ユールさんが頷いた。
それはつまり。
余りにも、酷い……。
「想像を超えた恐怖と、耐えまなく続く痛みに、アリッサの精神は粉々に砕かれた。今もサティと一緒に、誰も近寄らないような場所で隠れ住んでいるさ。アタシが時々尋ねても、誰だかわからないし返事も出来ない。ただ、アタシを見てるだけ。あんなに明るく笑っていた子が、だ」
ユールさんは握った拳を見つめ、目を閉じた。
そしてゆっくりと開く。
「さて、今の話を聞いて、獣人と魔族、そしてそれと同じぐらい欲深い人間が信用ならないことが分かっただろ?アイ」
真剣な眼差しで、アオイを見つめるユールさん。
「で、でも! 薫平さんは優しい人間だもの! 翔平さんだってお父さまだって、とっても優しい…」
「まだ分からないのかこの馬鹿娘!!」
「ひっ」
突然の大声に、アオイが体をビクつかせた。
ジャジャとナナも、驚いて止まってしまう。
「アタシ達、龍だって馬鹿じゃない!獣人や人間、魔族にだって色んなヤツがいるだろうさ! それは知っている! だけど、お前じゃないんだよ! 娘達の事を考えろ!」
「……ジャジャ、ナナ」
アオイは双子を見る。
二人は驚きで目を見開いたままで、母親の視線に気づいてワタワタと動き出した。
「あー」
「えぅ」
ジャジャがアオイに手を伸ばす。
俺はジャジャの脇に手を入れ、アオイへと渡した。
両の手で一人ずつ双子を抱くアオイ。
受け取ったアオイは、その頭を交互に頬でなぞり、身を震わせた。
「この小僧とその家族が優しい? そいつは結構な事さ。助かったね。だがアイ、いやアオイ。人界に降りるということは、邪な考えを持つ者を呼び寄せるという事を知りな。アリッサと同じ目に、ジャジャやナナも味合わせたいのか?」
「そ!そんな事!」
それは、駄目だ。
絶対に。
だけど、という事は。
「だから、人界からは離れるんだ。双子が充分育つまでは、アタシもいる。空龍のしきたりからは背く事になるが、この子達の命には変えられないからね」
「そ、そんな……」
アオイが助けを求める目で、俺を見る。
だけど、俺にはその目に応えられる、答えが無かった。





