原始の風②
両腕を目一杯広げて、空を見る。
星々の明かりが視界に広がり、手を伸ばせば掴めそうだ。
掴んでみよう。そうしよう。
『いく?』
『おどる?』
行けるのか?
『いけるよ』
『くんぺいなら、どこにでもいけるよ』
『だいじょうぶ。ぼくたちがいるもの』
『ぼくたちとくんぺいなら、なんだってできるもの』
そうか。
じゃあ行かないとな。
背中の翼を大きく広げ、こいつらを受け入れる。
真っ白な羽が辺りに舞い、風の匂いを鼻の奥まで吸い込んだ。
「星を、掴みに行こう」
両足に思いっきり力を込めて、地面を蹴る。
ふわりと浮かび上がる俺の体を、下から押し上げる蝶達。
ゆっくりと上昇し、やがて翼が風を掴んだ。
『これで、たかくとべるでしょ?』
『はやくとべるでしょ?』
そうか?
初めて空なんか飛んだからわからないけれど、お前らがそう言うならそうなんだろうな。
ならばと、中天に輝く月を見上げて羽を羽ばたかせた。
「あはっ、あはは!」
ああ!
すげぇ!
「あはははっ! わぁあああああっ!」
興奮した感情を叫びに変えて、俺はまっすぐに月目掛けて上昇する。
一度羽ばたく毎に、俺の体が高く高く舞い上がる。
もっと強く大きく羽ばたくと、さっきより早くなる。
同じ速さで付いてくる蝶の群。
楽しそうにパタパタと羽を揺らして、無数の蝶が俺と共に夜光の中で列をなす。
最高の気分だ。
高度を上げた事で頬にあたる風が冷たくなってきたけれど、そんなの関係ない。
今の俺なら、どこにでも行ける。
こいつらと一緒なら、なんだってできる。
「戻れ! それ以上昇ったら空の壁に当たるぞ!」
ん?
あれ?
この声、誰だっけか。
「目を覚ますんだ不器用君! これ以上精霊達を受け入れてしまったら、君が死ぬ!」
なんだよ。
今とっても良い気分なんだ。
邪魔しないで欲しいんだけど。
「しっかりしろ! 君の意思を精霊に委ねるな!」
羽ばたくのをやめ、羽を大きく広げて風を正面から受ける。
上空でピタリと止まる俺と蝶達。
急停止した体のバランスを取りながら、下を見る。
「ああ、そういや。居たな」
そうだ。
鼠の賢者、アルバ・ジェルマン。
全身に薄い赤の光を纏った、魔法使いみたいな格好の鼠が必死な顔で昇ってきた。
「はぁっ! はぁっ! よし、良い子だ」
いつもの自身の背丈より大きな杖に跨り、荒い息を吐きながらアルバは俺の顔の前で止まった。
「なんだよアルバ。そんな怖い顔して」
鋭い目つきで俺の顔と胸を睨み、そして周りの蝶達を睨むアルバ。
見覚えのないその表情に、少し不安になった。
「ちょっと静かにしていてくれお願いだから。……くそっ、迂闊だった。封印式の外周三つが破られてるのか。内側からってことは、あの蛇が転移魔法に介入した時に君の中の精霊を外から引っ張り出してしまったんだ。あいつめ……余計なことを」
「なぁ、何言ってんのかわかんないってば」
なんだかとっても眠たいんだ。
だからお前が何を言ってるのか、理解ができない。
なんでこんなに頭の中がふわふわしてるんだろう?
さっきまで、なにかに怒ってたはずなのに。
今は何に怒ってたのか思い出せない。
ここ、どこだっけ。
「大丈夫、大丈夫だから。僕に任せて。君を絶対に死なせたりはしない。そうだ、死なせるもんか……。破られた封印式はもう機能してない……時間をかけて体に馴染ませた物だから、上から同じ式を重ねると拒絶反応が出てしまう……。なら、いっそのこと漏れた分を利用して式を構築しよう。そうだ。精霊達はこの子の体から生まれてきたんだから、僕の魔力より無理なくこの子の体に適応するはず。増幅した分は……ああ、これはヒルダの龍気と触れたことで反応したのか。くそっ、となると僕の力では打ち消せない……いっそのこと消費させるか? いや、この子の体が保つかわからないのに、そんなことさせる訳にはいかない……」
目の前のネズミが難しい顔で難しい事を呟いている。
その小さな手で俺の左胸をペタペタと触りながら、体の赤い光を明滅させている。
このネズミ、なんでこんなに必死そうなんだろう。
そういえば、知り合いだったような。
さっきまで名前知ってたはずなんだけど、えっと。なんて名前だったかな。
でも可愛いネズミだ。
翔平がよくこういうネズミが出てくるアニメ観てたな。
しょうへい?
しょうへいってだれだっけか。
とっても大切な奴だったんだけど、たしか、あれ。
「へぇ、ああ。なんだそんな面白い事になってたのかい?」
いつのまにか、真っ黒な蛇が俺の後ろで浮いていた。
額に真っ赤な宝石を身につけた、なんだか嫌な感じがする蛇だ。
「弱々しい人間の体に不釣り合いな力を持つ魂……なるほど、その封印式はこの坊主の体が内側から爆発しないよう、心臓で力を消費させて封じ込めるためのものか。なんとまぁ複雑な。坊主自身の力で封印式を維持させることで強度も確保してるって訳だね?」
「今君に関わっている場合では無いんだ。消えてくれ」
黒い蛇の言葉にネズミがうざったそうに返事を返した。
「壊れた箇所は私が引っ張り上げたところか。なるほどねぇ。わずかに漏れてた力を外から無理矢理引き摺り出したからこうなった訳だ。式の構造上、外からの解除は難しくても、内側からの亀裂には耐えられなかった」
「消えろと言っているだろう!」
突然声を荒げたネズミが蛇を見る。
「また君か! 君が僕の大事な物を奪おうとするのかっ! どれだけの悲しみをこの世界にばら撒けば満足するんだ君は! 勝手に恨んで! 勝手に妬んで! 勝手に消し去ろうとする! 本当に君は! 君は!」
なんだろう。
このネズミ、悲しんでる?
なにを、そんなに、恐れているんだ?
『こわいね』
『かわいそうだね』
蝶達がザワザワと騒ぎ始める。
緑色の光の粒を残しながら、俺と、ネズミの周りをぐるぐると回り始める。
『セラフィがいないから?』
セラフィ?
それは、だれなんだろう。
『セラフィをころしたから?』
『まじんは、セラフィをころしたね』
『なきながら、セラフィをきりきざんだね』
『セラフィがそれをのぞんだから』
『セラフィがまじんにおねがいしたから』
蝶達の言葉が、俺の脳裏に反響する。
たどたどしくも、辛そうなその声に心が握りつぶされているかの様に軋んだ。
ああ、お前らも悲しいのか。
そのセラフィって人のこと、大好きだったんだな。
『セラフィは、ぼくたちとずっといっしょにいたよ』
『さびしそうなかおでわらいながら』
『それでもぼくたちとあそんでくれた』
『かわいそうなセラフィ』
『かわいそうなまじん』
『ずっといっしょにいたかったのに』
『ずっとそばでわらっていてほしかったのに』
『あのへびが』
『あのさいごにきたおんなが』
『すべてうばっていった』
すべてを奪っていった。
『ゆるせない』
許せない。
『ゆるさない』
許さない。
『セラフィとまじんのなみだを』
『ぼくたちはわすれない』
『そらのちょう』
『だいちのとかげ』
『うみのさかな』
『ぼくらせいれいは』
『あのおんなをぜったいに』
『「許さない」』
そう、許してはいけない。
あの蛇を、あの女を。
全てを奪う、あの魔神を。
「あははっ! 何を興奮してるんだいアルバ・ジェルマン! 今はそう名乗る我が愚弟よ! 私は当然の事をしたまでさ! 私が生み出した、私のモノをあの女から取り戻そうとしただけじゃないか! それを邪魔したのはお前だ! お前らだ! 寄ってたかって私を虐め、こんな哀れな姿にしたのはお前らじゃないか! 奪われたのは私だ! 私なんだよ! このクレイ・エンデこのみが復讐するだけの理由を持っている! 私こそが! あははっ! あはははははははははっ!」
蛇は笑う。
面白そうに、楽しそうに。
声高らかに邪悪に笑う。
「何がクレイ・エンデだ! 皮肉にもなってないぞ終わりのモノよ! セラフィは君さえ救おうとしていた! 彼女の話に耳を傾けようともせずに! 被害者ぶるんじゃない!」
ネズミが吠える。
悲しそうな声で、苦しそうな声で。
悲痛な叫びを上げながら、それでも吠える。
お前を悲しませるのは、ソイツだな?
お前の目の前の黒い蛇が、きっと全て悪いんだ。
なら。
『かぜよ』
『いのちはこぶやさしきかぜよ』
『くんぺいとともある、むくなるかぜよ』
右手を伸ばす。
手のひらを広げ、風に触る。
『セラフィがあいした、よきかおりのかぜよ』
『おねがいぼくらにちからをかして』
左手を伸ばす。
手のひらを広げ、風を撫でる。
『あのおんなをめっすることができるのは』
『むくなるかぜよ』
『おまえしかいない』
両手を頭上に掲げ、羽を羽ばたかせる。
蝶達が描く軌道に合わせて、風は空を駆け始めた。
この風は、原始の風。
混沌とした世界にあって、海より出でし命を運んだ無垢なる風。
空と大地と海を巡り、そしてまたここに戻ってきた、始まりの風。
それは遥か昔からこの世界に存在し、やがて誰にも見つけて貰えなくなった風。
すべての命の記憶を宿し、全ての命を見てきた風。
「回れ」
そして、風待薫平自身でもあった。





