俺とお前の為のアッパーカット⑥
遅れて申し訳ございません。
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『だって! 約束したじゃん!』
小さな部屋の中で、幼い俺の喚く声が響く。
爆発した感情に任せて憤る俺の目の前には、熱でグッタリとした翔平を抱く、母さんの姿があった。
『ごめんね薫平。翔が風邪引いちゃって、デパートはまた今度ね?』
そう告げる母さんの顔も、普段とは違う赤みを帯びた表情だ。
癇癪を起こしていたし、そもそも本当の意味でガキだったこの頃の俺には、母さんの体調の変化を気づける訳も無く、ただただ楽しみにしていた外出の約束が破られた事が悲しくて、そして寂しくて。
約束を守ってもらえなかった落胆は、幼いながらも強い怒りとなって胸の中に渦巻き、歯止めが効かなかった。
『先週も動物園行くって約束したのに! 行かなかったじゃん!』
『あれはお父さんが急なお仕事で……』
本当に申し訳なさそうに、顔を曇らせる母さん。
窓の外は大雨で、俺達の住むマンションの一室は昼なのにヤケに暗かったのを鮮明に覚えている。
『えほっ、ごほっ、うぇぇえ……』
『翔平? 喉痛いの? お熱測ってお薬飲もうか』
熱で意識が朦朧とした翔平が咳き込む。
泣きながら母さんに抱きついて、必死にその服を掴んでいた。
当然だ。誰だって病気になれば、人に甘えたくなる。それに翔平はあの時まだ幼稚園に上がったばかりだから、何もおかしくは無い。
だけど癇癪を起こす俺にとっては、そんな仕草が無性に気に食わなかった。
『……なんだよ』
『え? 薫平何か言った?』
翔平を抱きながら立ち上がって、簞笥から体温計を取り出しながら母さんは俺に聞き返す。
聞こえるはずの無い小さな声で呟いた癖に、聞き返された事が気に食わなかった。
『っなんだよっ! 父ちゃんも母さんも翔平、翔平って! いつだって翔平ばっかりじゃん! 夏休みは翔平が体調悪くするからって海に行かなかったし! どこに行っても翔平が疲れるからってすぐに帰るし! 俺の言う事っ! 全然聞いてくれないじゃ無いか!』
『薫平……』
母さんの顔が、悲しそうに歪んだ。
それを見て、俺も悲しくなるけれど、でももう止まらなかった。
冷静になって考えれば当たり前の事だ。
翔平は生まれつき体が弱くて、気温の変化や疲れですぐに風邪を引いたり、寝込んだりしていたから。
俺だってそれは充分承知していて、普段ならそんな事絶対に思わなかったし、言わなかっただろう。
四つ離れて生まれてきた弟はとてもとても可愛くて、歩けるようになってからは俺の服をつまみながらいつも後ろを付いてくるその姿がとても好きだったから。
『に、にいちゃん、ごめんちゃい……えほっ、ごほっ!』
目をちゃんと開ける事もままならない癖に、弱々しく謝ってくる翔平の姿を見て、自分の情けなさが更に増した様に思えた。
ただそんな情けなさも、行き場を失った俺の怒りを更に燃え上がらせるばかりで、我ながら本当にどうしようもないガキだったと思う。
『薫平、薫平はお兄ちゃんなんだから、少しだけ我慢して? 翔だって辛いんだよ?』
『ううっ……! うぅううう……っ!』
望んでいない答えだった。
一言、慰めて欲しいだけだったのかも知れない。
あの日、あの時、一体何がいつもと違ってて、一体何が気に食わなかったのだろうか。
今思い返してみても、それだけが全然思い出せない。
悔やんでも、悔やんでも悔やんでも悔やみ切れず、七年経った現在ですら、俺は母さんに謝りたくてしょうがない。
もう少し俺が利口だったなら。
もう少し俺が素直だったなら。
もう少し、俺が冷静だったなら。
『っ母さんもっ、母さんも父ちゃんも俺が嫌いなんでしょ!? 翔平の方が大事だからっ! いつも俺との約束を破るんだっ!』
こんな取り返しのつかないセリフ、死んでも口に出したりなんか、しなかったのに。
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「グッ!」
絶え間ない打撃の雨に歯を食いしばりながら耐える。
1ラウンド目が始まって結構経っていた。
最初にグローブを合わせて以降、俺はアトル王子の猛攻に為す術もないまま、リングの中央で殴られっぱなしだ。
「薫平っ! ガードを下げんなっ!」
連続する打撃音の合間を縫って、親父の怒声が耳に入ってくる。
分厚いグローブ越しとは言え、えげつない速さで繰り出されるアトル王子の拳はそれなりに痛い。
顔の前に固めた腕とグローブが右に左にと翻弄されて、気を抜いたらそのまま持っていかれそうになってしまう。
なんだってコイツ、こんな序盤から飛ばして来やがるんだよ。
「フンッ!」
黒いタンクトップを着たアトル王子は、背中の真っ白な翼を巧みに動かしながら攻撃してくる。
この拳の重さの理由はそれだ。
体の捻りや筋力の他に、大きな翼を動かすことによって生じた遠心力がまんま拳に乗っかって来やがる。
「グッ! んぬっ!」
右拳と左拳のコンビネーション。
そのワン・ツーのリズムの隙をついて俺も渾身の右を突き出す。
体勢は不安定。おまけにグローブにも慣れていない。
それでもそれなりに鍛えていると自負しているこの筋力なら、ダメージは与えられずとも王子の体を揺らす事ぐらいはできるはずだ。
だけど、それができない。
「フンッ!」
またかよ!
本当に邪魔だなこの翼は!
全くもって想定外。かつ予定外だ馬鹿野郎!
俺の繰り出した右ストレートが、王子の翼に遮られて不発に終わる。
満足に伸びきってない腕に力なんか伝わる訳も無く、翼に押し戻されてしまうぐらい弱々しい。
これだ。
さっきからコレが本当にウザい!
俺だって、やられてばかりで黙ってたりなんかしない。
ひたすら耐えて耐えて、冷静に隙を見つけては今の様にチクチクと悪あがきをするぐらいはできる。
だけどそれは悉く、魔族であるアトル王子を象徴するその白い翼に防がれる。
始めは目を疑い、そしてあっと言うまに納得してしまった。
あの翼は、別に空を飛ぶ専用の物じゃない。
俺たち人間にとっての手や足、口や鼻と同じ様に、魔族である王子にとっては体の延長線上。むしろ一部だ。
動かそうと思えば自在に動くし、臨機応変に活用したら防御にだって使えてしまう。
しまったと思った。
全然想定していなかった。
翼といえば、空を飛ぶための物。
そういう固定観念に縛られていた。
ルール上、魔法の使用は制限されてはいるが、肉体として繋がっている翼の使用は制限されてない。
盲点。想像力が足りていなかった。
ていうか俺の想像だと、王子は開始直後にはリング上に飛んでいる筈だった。
意外すぎて、出鼻をくじかれてしまっている。
「薫平! 一回離れろ!」
セコンドにつく親父の声に我を取り戻して、両足にあらん限りの力を込めてバックステップをする。
打ちおろす様な形で迫って来ていた王子の右拳が空を切る。
重たい鈍器の様な拳が風を裂き、あんまり聞きたくない重い音が聞こえて来た。
「フゥ……フゥ……」
肩を大きく揺らして、不足していた酸素を必死に搔き集める。
口の中のマウスピースが邪魔でしょうがない。うまく唾が飲み込めなくて思わず吐き出したくなる。
今までの喧嘩ではこんなの使った事無かったから、全然慣れない。
キッツイなコレ!
3分ってこんな長かったっけ!?
体感的にはもう十分ぐらい殴られてた気がするんだけど!
だがそれ以上に。違和感が。
一方的な乱打戦となった今の状況に、口の中のマウスピース以外の違和感が付いて回る。
「1ラウンド終了だヨ!」
大きな銅鑼の音の後に、ナナイロさんの大声が響き渡る。
俺に肉薄しようと身を屈めていたアトル王子は屈んだ状態で急停止して、ゆっくりと姿勢を正すと滲み出てくる汗を腕で拭いながら自分のコーナーに向かっていった。
コーナーサイドには明らかに心配で顔を曇らせているカヨーネの姿がある。
手に持つタオルを王子に手渡そうとして、にべもなく拒否されていた。
「おい! 早く戻って来い薫平!」
「お、おう」
思わず王子とカヨーネを呆けて見ていた俺は、親父の声で我に返った。
荒い息を整えるために肩で大きく深呼吸をしながら、コーナーに戻る。
「おら、椅子座れ」
「もご、むが、あ、ああ大丈夫だ。あがが」
親父が引っ張りだした丸椅子に無理やり座らされ、口に手を突っ込まれて強引にマウスピースを取られ、水の入ったペットボトルのストローを口に突っ込まれた。
なにこの手慣れた手つき。え?
「とりあえず飲め。で、どうだ。無理そうか? いけそうか?」
軽い疑問で困惑していた俺に親父が問いかける。
返事を返す前にとりあえず水を口に含み、喉を大きく鳴らして飲み込む。
あぁ、美味い。
疲れ始めた体に活力が戻る。
渇き始めた喉に潤いも戻る。
もう一度大量に水を含み、唾液にまみれた口内を洗う。
その様子を察してくれた親父がバケツを用意してくれて、ブクブクとうがいを終えると勢い良くバケツの中に吐き出した。
だからなんでそんな慣れてんだアンタ。
「ぷはぁ! う、うん」
コーナポストに背を預けてようやく、親父の問いに頷きで返事を返す。
ヘッドギアで狭まった視界がうっとおしくて首を振る。
いつもより重たい頭もなんだかとても気になる。
「い、いや、なんか訳がわかんねぇ。あれだけ殴られてんのに、全く響いて来ないんだ。何度か不味いと思った時もあったのに、何でだ?」
そう、それが違和感の正体。
一方的に見えるあの猛攻を受けていても、なぜか俺には余裕が残っていた。
確かに一発一発が重く、クリーンヒットしたらそれだけで試合が終わりそうなのに、アトル王子の拳は未だ俺に有効打を与えていない。
しまった、と思った時も何度かあるんだ。
これは痛いのを貰うと身構えてみても、なぜか王子の拳はその隙を突いてこなかった。
「さあな。もしかしたら『それ』が王子の弱点かも知れん。次はお前が先手を取ってみろ。何かわかるかもな」
「そ、そんな事言われてもな」
「やるだけやってみろ」
そりゃあ、やるしか無いけどさ。
なんだろう。
いざ決闘が始まって王子と実際に拳を交えてみても、全然闘志が湧いてこない。
俺だけじゃ無い。
目の前に相対するアトル王子からも、気迫や覇気が全然伝わってこない。
なんだか、お互い空気を殴っている様な。
儀式めいた茶番をしている様な。
現時点で分かるのは、アトル王子の確かな実力と、それに見合わない結果だけだ。
さすがはあの狂気じみた『海龍の僕』の選抜を生き抜いた男。
眼光鋭く、俺の一挙手一投足を見逃さず、いつだって先手先手を取ってくる。
くそう、なんだか少し理不尽に思えてきたぞ。
「セコンド、アウトだヨ!」
なんだかそわそわしているナナイロさんが俺達やアトル王子の陣営に向けて手を降った。
その後ろではガサラが心配そうにナナイロさんを見ながら、銅鑼を鳴らす準備をしている。
リングの外ではタイマー役のセイジツさんが、その眠そうな目でナナイロさんを睨んでいた。
ああ、乱入しそうだから警戒してんのな。
「よし、このラウンドはとりあえずガンガン行け。経験や技量で負けてはいるが、体力ならそうそう劣ってはいない筈だ。何しろ相手は1ラウンドをずっと攻め続けていたからな。まぁ、もし体力でも負けていたら、そん時は気持ちよく玉砕してこい」
「玉砕って……」
「球大陸への往復、別の方法だって探せば見つかるだろ? 気負いすぎんなって事だよ」
そう言われてもなぁ。
負けると思って試合に挑む馬鹿がどこにいるかよ! なんて言えればかっこいいんだけどさ。
うーん。モヤモヤする。
「とりあえず、ぶん殴ってくるわ」
「その意気だ。ほれ、マウスピース」
「あむ。ひってふる」
「ああ、行ってこい」
マウスピースを口に突っ込まれ、背中を叩かれながら丸椅子から立ち上がる。
腕をぐるぐると回して、少し考える。
そうだよ。まだ俺は王子の顔面を一発も殴れていない。
昨日まではそこそこイライラしてたのもあって、絶対にあの澄まし顔を凹ませるって思ってたんだけどな。
「ほし!」
マウスピースのせいでうまく喋れないが、気合いを入れるために一言意気込んだ。
ちょっと最近負ける事が多かったせいか、俺らしくもない考えに染まってしまっていたみたいだ。
俺は馬鹿だ。
馬鹿は馬鹿らしく、まっすぐ行こう。
とりあえず。
ボクシングとか決闘とかもうどうでもいいから。あのクソ王子、殴りまくろう。
活動報告にて、カット様の最高のキャラデザインを公開しています。
あの絵にふさわしい作品になるよう、これからも努力していきます!





