俺とお前の為のアッパーカット⑤
小学校高学年からこの町に引っ越してくるまでの期間、俺こと『風待薫平』の住む世界はとても狭かった。
生まれ育った街の話ではなくて、俺と言う人間が活動できる範囲での話だ。
何をやろうとその評判に尾ひれがついて周り、実在する一人の人間としての『本当の姿』が捻れて伝播していく。
街でカツアゲにあった同級生を助ければ、『助けられた後により高額の金銭を要求された』とでっちあげられる。
しつこいナンパに困っていた女子を放っておけずに手を伸ばせば、『助けた見返りに無理やりホテルに連れて行かれた』と言う流言飛語が瞬く間に広がっていく。
過度なイジメにあっている奴に声をかければ、『影でイジメを統括していた』と根も葉もない噂が学校中に流れた。
そんな嘘が広がっていった背景には、俺の『やりすぎる』性格が大いに関係している。
何せあんまり頭がよろしくない俺に取れる解決策といえば、人より頑丈だったこの体と無駄に鍛えた筋肉に任せた暴力しかなかったからだ。
昨日の敵は今日の強敵、なんて格言が通じるのは少年漫画の世界だけ。
俺と敵対した奴らは昨日だろうが明日だろうが世紀末だろうが敵でしかなく、中学生に叩きのめされた高校生の先輩は悔しさとみっともなさを増幅され、多対一で敗北したチンピラどもは恥を嘲笑で増幅され、傷ついた自尊心はたやすく癒える事はなく日々その痛みに悶え続けたのだろう。
つまり俺に対する悪評・罵倒・罵詈雑言は俺の敵から発せられ、そしてそう言う奴ほど横だの縦だの繋がりを豊富に持っているのだ。
人の噂は七十五日と言われているが、七十五日毎にチューンナップされ続けるのが正しいと言える。
俺が(勝手に)助けた被害者達って言うのは、『絡まれやすいほど弱かったり臆病だったり』するからこそ、目をつけられた人達だ。
そんな彼らより、『態度がでかくて横柄で暴力的で独善的な』加害者達の方が圧倒的に声が大きい。
いつだって、憎まれっ子世に憚るのである。
俺が賢ければ、全ての活動を止めて存在を消す事に専念するだろう。
噂が消えるまでひたすら耐えて、綺麗な俺から再出発する事が正解な筈だ。
ただ困ることに、俺の性格がそれを許してくれなかった。本当に極まった馬鹿だと自分で自分に失望するだけだ。
毎回騒動の度に後悔するし、反省だってする。
翔平だけじゃなくて親父からも説教を受けた事はもちろんあるし、泣きたくなるぐらい痛い拳骨だって覚えきれないほど貰っている。
それでも、目についた誰かの涙を放っておけないのは、もはや病気と言っていいほどの困った『性分』の成せる業だ。
て言うか、死んだ母さんの教育の賜物とも言えなくもない。
『誰かが困っていたら助けてあげるのが、カッコいい男の子』と良く言われていたからな。
母さん曰く、『父さんがそんな男の人』とかなんとか。つまりは惚気だったんだろう。
それを拡大解釈してしまったのが、俺の馬鹿な頭の最も罪深い部分である。本当にどうしようもない。
正義感でもなく、目的意識もなく、意味もなく『誰かを助ける』事を己に義務づける事がどれだけ怖くて迷惑で愚かなのかを、今の俺なら理解できる。
それは人としておそらく間違っている事。人は何かを求めるために何かを為さねばならないんだと、俺はなんとなくそう思う。
街を歩けば侮蔑の視線に晒され、学内では孤立していき、俺と会話するのは殆ど家族か俺の敵。
中学を卒業するまでの『風待薫平』にとって、世界とはその程度の広さしか無かったのだ。
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「準備は良イ?」
「うす」
「無論」
楽園兄妹のアジトの裏手。手作り感満載のリングの上には、俺とアトル王子とナナイロさんだけが立っている。
青コーナには親父、赤コーナーにはカヨーネとウタイがスタンバイしていた。
ボクシング形式のこの決闘。何から何までボクシングってわけじゃない。
俺と王子は別にボクサーでは無いただの素人だ。
厳密にルールなんて守れるわけがないし、そもそも種族が異なる時点で色々と不都合が生じるのは明白。
なのでこの決闘は、『ボクシングルールっぽい』決闘というスタイル。
後頭部への打撃。肘や膝での打撃。頭部を使用した打撃。急所を狙った打撃。腰から下への打撃。相手を押さえつけて片手での打撃。
それらを封じ、グローブとヘッドギアの着用を義務づけているだけのなんちゃってボクシング。
まあ時代劇よろしくな無人の荒野での決闘よりは遥かにマシと言えるだろう。
ルール無用になっちゃうと怪我どころでは済まなくなる可能性が大だからな。
「1ラウンド3分! 1分のインターバルを挟んで5ラウンドまでヨ! ノックアウトとテンカウント、それとテクニカルノックアウトを採用するネ? 倒れてから10秒でファイティングポーズを取れないカ、1ラウンド中に3回倒れたらノックアウトとしまス! もしくはウチらがこれ以上の続行が不可能と判断したら終了! ウチか兄貴が反則だと判断したらペナルティを課すネ! 10点満点からの減点式だけど、本当のボクシングみたいに細かく見てないかラ、二人のプライドとスポーツマンシップを信用しちゃウ! 0点になったら敗北とみなしまス! 分かっタ?」
「うす」
「フン」
ナナイロさんの説明に俺と王子は軽く頷く。
「んじゃコーナーイン! マウスピース忘れないでネ?」
リング中央で睨みあう俺達はナナイロさんのその言葉でセコンドへと戻っていく。
ちなみに俺達の服装はシャツに短パンという簡単な物だ。
ボクサーパンツなんて持ってないしな。
グローブとヘッドギアは公平を期すためにガサラ達が用意してくれた。
まあ、お互い小細工をするような事はしない事は分かっているから、形だけである。
むしろその前提を覆されたらなんの為の決闘なのかわからなくなる。
「ほれ、マウスピース」
「あむ。ほれなんかいわかんふごい(これなんか違和感すごい)」
コーナーで待機してくれている親父に促されて、樹脂で作られているマウスピースを上の歯に装着する。喋りづらいし口の中がなんかゴワゴワする。生まれて初めてマウスピースなんて口にしたぞ。
「我慢しろよ。殴られすぎて口の中ズタズタになるよかマシだろ」
「ん」
それもそうなんだが、そんな怖い表現しなくても良くね?
まあ、ボクシングは主に顔面の打ち合いだもんな。
ボディなんかも頻繁に殴られちゃうけど。
「……あんまりメンタル的にはよろしくなさそうだな。お前も王子も」
「……ん。わはる?(わかる?)」
ガサラの部屋でアップしてる時から一応頑張ってテンション上げようとしてるんだが、どうにもこうにも上げきれない。
王子にして見てもなんていうか覇気が感じられないというか、今から戦う様な気概が全く見られない。
なんでだろうか。
そもそもアイツから持ちかけてきた決闘なのに。
「……一応俺も親だからな。息子が殴られてるところなんざ直視したくねぇ。かといって息子が人様をボコボコにしてる姿を見るのもなんかアレだ。ちょっとムカついてきたぞ?」
「ほんなほといわれはって(そんな事言われたって)……」
俺にどうしろと?
選択肢はあって無い様なもんだったしなぁ。
「勝とうが負けようが、できるだけ早めに決着をつけてくれよ?」
「かふよおれは(勝つよ俺は)」
「ならやる気ぐらい出せって」
もっともだ。
「セコンドアウトだヨ!」
なんだか楽しそうなナナイロさんが指示を出す。
「頑張れよ? アオイちゃんと夕乃ちゃんが見てるぞ」
親父が指を指した方に、未だ心配そうな顔をしているアオイと三隈が居る。
アオイなんか泣きそうになってて、逆に俺が心配になってきた。
『無茶をしないで』と訴えかけてくる二人の視線に頷いて、視線を逆コーナーにいる王子へと向けた。
カヨーネとウタイに何かを言われて鬱陶しそうにしている。
「うん。ふぁんふぁる(うん。頑張る)」
「よし、行って来い」
親父が俺の背中を叩き、トップロープを持ち上げてリングの外に出た。肩にかけたいざという時に投げる用のタオルを固く握りしめている。
「ん!」
無理やり気合いを込めて、大怪我防止用の12オンスのボクシンググローブを一度固く握り、両手を叩き合わせた。
以外と重いなこれ。まあ、この分厚さと柔らかさなら、思いっきりぶんなぐっても大丈夫そうだ。
それでも面で思い切り殴られたら痛いし、絶対怪我をしないってわけでも無い。
「んじゃ行くよ! ガサラ!」
「おう!」
リング外に待機していたガサラが銅鑼を打ち鳴らした。
おい、そこはゴングだろ普通は。なんで銅鑼なんか持ってんだよお前ら。
「フっ!」
銅鑼の音が鳴り止まぬ内から俺は一気に走り出す。
こうなりゃ勢いだ! 最初に拳を打ち合わせるのが正しいスポーツマンの姿かもしれんが、半ばヤケである。
しっかりと固定された分厚いヘッドギアのおかげで視界はすこぶる悪い。
だからただ王子に向かって一直線にまっすぐ走った。先制攻撃をなんとか当てて流れを掴みたいのだ。
グローブの内側は親父が巻いてくれたバンテージ。キツくキツく巻かれてるせいで拳が普段より硬いと錯覚してしまう。
両拳を顔面の前に構え、脇を締める。
これぞ見様見真似と浅い知識で身につけたピーカブースタイル。世界的に有名なかのチャンピオンが得意とした『いないいないバァ』である。
前のめりに前傾姿勢な今なら、直接顔面を狙うしかない。
だからこそのピーカブー。
「ッシィ!」
マウスピースに慣れていないから、呼吸がとても難しい。
歯の間から抜く様に息を吐き、右拳を突き出した。
「フッ!」
待ち構える様に右拳を突き出していた王子が、ヒジ関節の可動だけでパンチを打つ。
力があまり乗っていないが、俺の拳を少し弾く程度の効果がある様だ。
さすがと言えるタイミングで、俺と王子のお互いの右が衝突した。
さぁ、始まっちまったぞ。





