83 帰る場所
「地下遺跡については、正式な探索依頼を出す」
冒険者ギルドでドラムが言った。
「探索隊もこちらで編成する。準備が整ったら改めて声をかける」
「分かりました」
本当は今すぐにでも、あの地下へ戻りたい。
青白く光る魔光石。
巨大な地下空間。
そして、あの謎の建物。
気になることばかりだった。
しかし、準備もなく踏み込める場所ではない。
今回は銀鉱脈の確認が目的だった。
探索は、また別の話だ。
「それまでは自由だ」
ドラムはそう言うと席を立った。
◇
翌朝。
僕は一人、アルセリア南地区へ向かっていた。
以前までスラム街だった場所だ。
住民たちは全員ニューセリアへ移住した。
だが、この場所には最後の仕事が残っていた。
「ルル、ナギ、コロ」
三匹のクリアスライムが元気よく飛び跳ねる。
「最後の浄化をお願い」
「ぷるっ!」
返事をするように三匹が散っていった。
◇
以前は歩くだけでも鼻を突く悪臭がした。
汚れた水路。
積み上がったゴミ。
泥。
汚物。
今は静かだった。
人の姿はない。
聞こえるのは風の音だけ。
(ここから全部始まったんだよね)
初めてこの場所を訪れた日のことを思い出す。
病気。
飢え。
諦めた表情。
あの日見た景色は、今でも忘れられない。
◇
「《臨床検査》」
汚水の流れを確認する。
「《浄化》」
最後に残っていた濁りが、ゆっくりと澄んでいく。
クリアスライムたちも懸命に働いていた。
「ぷるぷる」
「ありがとう」
頭を撫でると嬉しそうに身体を震わせる。
数時間後。
最後の汚泥も消えた。
《臨床検査》で確認しても異常はない。
「終わったね」
僕が呟くと、
ルルたちも嬉しそうに跳ね回った。
アルセリア南地区の浄化。
これで、本当に完了だ。
◇
夕方。
ニューセリアへ戻る。
街へ入ると、自然と笑みがこぼれた。
共同浴場の煙突からは白い湯気が立ち上っている。
「今日も混んでるね」
「石鹸持った?」
「もうパン焼けてるよ!」
住民たちが笑いながら歩いていく。
完成した共同浴場は、すっかり街の中心になっていた。
◇
風呂から上がった子どもたちは頬を赤くしながら走り回る。
「気持ちよかった!」
「今日は昨日より熱かった!」
リノとマルも大はしゃぎだった。
休憩所では、大人たちが牛乳を飲みながら談笑している。
片隅ではユージンが数人に植物の話をしていた。
本棚の前では子どもが絵本を読んでいる。
隣では焼きたてのパンが売れていた。
石鹸工房では、新しい香りの石鹸作りが始まっている。
(街になったな……)
水がある。
衛生がある。
風呂がある。
パンがある。
石鹸がある。
もちろん、まだ足りないものはたくさんある。
農業はこれから。
鉱山もこれから。
それでも。
暮らしは、確実に豊かになっていた。
◇
その夜。
僕も共同浴場へ入った。
熱いお湯へ肩まで浸かる。
「ふぅ……」
思わず声が漏れる。
やっぱり風呂は気持ちいい。
身体だけじゃない。
心まで軽くなる。
(これをみんなにも知ってほしかったんだ)
お風呂は病気を減らすためだけじゃない。
疲れを癒やすため。
笑顔になるため。
明日も頑張ろうと思えるため。
そんな場所なのだ。
◇
風呂上がり。
休憩所へ行くと、ドラムが牛乳を飲んでいた。
「隣、いいですか?」
「座れ」
僕も牛乳を一本受け取る。
「乾杯ですね」
「何にだ?」
「街です」
ドラムは少し笑って牛乳を飲んだ。
「悪くない」
「でしょう?」
◇
二人で共同浴場を眺める。
笑い声。
湯気。
パンの香り。
石鹸の香り。
子どもたちは走り回り、大人たちは一日の出来事を語り合っている。
「繁盛してますね」
「ああ」
ドラムも頷く。
「最初は衛生のために作ろうと思ったんです」
僕は牛乳を飲みながら話す。
「でも違いました」
「違う?」
「みんな、気持ちいいから来るんです」
「風呂へ入って」
「牛乳を飲んで」
「パンを買って帰る」
「少し話をして帰る」
「それが毎日の楽しみになってる」
ドラムは静かに聞いていた。
「無理に習慣を作るより、気持ちいいことは自然と続くんですね」
「なるほどな」
ドラムが頷く。
「暮らしが豊かになるって、こういうことなんだと思います」
◇
しばらく沈黙が流れた。
やがてドラムが懐から一枚の木札を取り出した。
「ほれ」
「?」
受け取る。
そこには、
**『ニューセリア居住許可証』**
と刻まれていた。
「え?」
思わずドラムを見る。
「街長から預かってた」
「……いつからですか?」
「少し前」
「じゃあ何で今まで……」
ドラムは肩をすくめた。
「街のみんなが納得してから渡そうと思ってな」
僕は木札を見つめた。
住民になった。
正式に。
この街の一員になれた。
胸の奥が少し熱くなる。
「ありがとうございます」
「礼なら俺じゃない」
ドラムは共同浴場を見渡した。
「お前が勝ち取ったもんだ」
◇
牛乳を飲み干す。
ドラムが静かに言った。
「この街はもう、お前が毎日走り回らなくても動く」
僕は周りを見る。
パンを焼く人。
石鹸を作る人。
風呂を掃除する人。
子どもへ本を読む人。
みんな、それぞれの役割を持っている。
「そうですね」
自然と笑みがこぼれた。
「だから次は、この国を見てこい」
「この国を?」
「フィーネ村には薬草があった」
「ドルガ村には林業と炭づくり」
「グランベルには鉱山と鍛冶」
「他にも、お前が知らない技術や文化がたくさんある」
「学んでこい」
「そして、この街へ持ち帰れ」
僕は夜空を見上げた。
ニューセリアは、もう帰る場所になった。
だから安心して旅に出られる。
もっと知りたい。
もっと学びたい。
もっと多くの人と出会いたい。
そして、この街をもっと豊かにしたい。
「はい」
僕は力強く頷いた。
共同浴場の煙突から立ち上る白い湯気が、静かな夜空へゆっくりと昇っていった。
読んでいただきありがとうございます!
これでようやく第4章も終了です。
第5章からは、いよいよ放浪できます。
少しばかり、お休みをいただきます。またの再会をお待ちくださいませ。




