急 ~ 待ち人、来たれり ~
「そこまでだな」
向かってくる衛兵とサエの間に、立ちふさがる様に進み出た青年が口を開く。
低く静かに、されどその場の全ての者の耳にその声は響いた。
その青年は、先程サエと同じく国王であるクリストフに対し平伏していなかった人物であったが、ただそこに佇んでいるだけで得も言われぬ威圧感を発しており、そうせぬ事を納得させてしまうような、不思議な雰囲気を纏っていた。
「兄さん……」
「兄……だと?」
突然沸いて出たサエの兄という存在に、リュシアンは訝し気に顔をしかめる。
サエは大神殿の孤児院で育ったと聞いている。その彼女に家族がいたなどとは聞いていない。
そして、青年の纏う雰囲気に気圧され、サエに近寄ろうとしていた衛兵たちも足を止める。
「ああそうだ。ちゃんと招待状もここにある。仮にも妹の晴れ舞台だ。家族である俺が参加している事になんの不思議も無いだろう? 尤も、高貴な血筋のお歴々とやらは、俺の事なんて興味も無かったようだから敢えて説明も紹介もしてないけどな」
遠巻きに自分達を囲む衛兵には目もくれず、自然、正面から相対する事になったリュシアンに懐から出した白い封筒をヒラヒラと見せながら言葉を投げる。
そこに、友好的な響きは一欠も含まれてはいなかった。
「それと、さっきアンタが言ってた、サエが自室に連れ込んでた男だよ」
「は?」
青年の告白に、間の抜けた声を発したのは、リュシアンだったかクリストフであったか。
「だから、サエが部屋に連れ込んでた男ってのは俺の事だよ。兄が妹の部屋を訪ねるのがそんなに驚くような事か? その程度の事も把握出来てないって事は、王国の『影』とやらもたかが知れてるな」
そこまで言って、青年がサエを振り返る。
「念の為確認するけど、俺以外の男を連れ込んだりしてないよな?」
その言葉に、サエが溜息を吐く。
「念の為も何も、隣の部屋に住んでいるのだからそれくらい把握しているでしょうに」
「それはそうなんだが、サエは昔から嘘が上手だったからな」
サエの言葉に、青年も少しの溜息を混ぜて言葉を返す。
「嘘の吐きどころが違いますよ、兄さん」
「ま、それもそうか」
元から答えを知っていたかのように、そう軽い調子で納得して見せた青年の懐の合わせから、茶色い小鳥が顔を覗かせる。
その小鳥は二、三度辺りを見渡すと青年の胸元から羽ばたき、サエの肩口へ降り立つ。
「まぁ、きなこったら、貴方まで来てくれたのね」
肩口の小鳥に話しかけながら、サエはその首筋を指で擽る様に動かす。
きなこと呼ばれた小鳥は、それを受け入れながら、気持ちよさげな声で小さく『ピィ』と鳴いて見せた。
「丁度良いから一緒に連れてきた」
そう言って、小鳥と戯れる妹を見る青年の目は、リュシアン達に向けられるものと違って温かい光に満ちている。
そうしてサエとの会話を終わらせると、再びリュシアンの方へ向き直る。瞳に冷たい光を宿しながら。
「お、お前達何をしている! はやくこの無礼者をサエ共々取り押さえないか! 警備の者は何をしていた!」
二人がなんて事の無い風な会話を交わしている間に、なんとか気を取り直したリュシアンが、立ち尽くす衛兵たちに向かって声を荒げた。
「っ、はっ!」
その声に慌てて気を取り直した衛兵が青年に襲い掛かる。
が、
「ぐぁっ!」
掴みかかる腕をするりとかわした青年の掌底が、衛兵の腹を強打しその身を吹き飛ばす。
仰向けに倒れた衛兵は白目を向いて気絶し、その身に纏った鎧の腹には、どのような力で殴打されたのか、掌大の窪みが出来上がっていた。
「なっ?」
一瞬の出来事に気を取られている衛兵達を、青年は右へ避けては投げ飛ばし、左へ避けては殴り飛ばし、後ろに避けては蹴り飛ばす。
唐突に始まった捕り物劇と、鎧に身を包んだ大人の男が宙を飛ぶ異様な光景を、居合わせた者たちはただ。唖然としながら眺めている事しか出来なかった。
「こんなもんかな? 王国の、しかも要人を警護する立場の連中がこの程度ってのも情けない話ではあるが、これもじっちゃんの言ってた『血統主義』ってやつの弊害か?」
十数人にのぼる衛兵をたった一人で往なしてみせると、埃ででも払うかのように両手を払いながら青年が呟く。
その態度に、その言葉に、リュシアンよりもクリストフが激昂して見せる。
「何をしている! 構わんから切り捨てろ! 外の者は何をしている! この不敬者達を捕えぬか!」
「捕えるのか切り捨てるのかどっちなんだよ……」
クリストフの言を聞いた青年が呆れたような呟きを漏らすが、それはサエの耳以外に届く事は無かった。
そうこうしている内に、会場の扉が大きく開かれ、多数の衛兵が雪崩れ込んでくる。
居並ぶ貴族達は壁際へと身を引き、事の成り行きを固唾をのんで見守っているが、当の青年は慌てた様子も見せずに首を巡らす。
「さて、サエの兄である俺としては、この国における妹の扱いについて色々と言いたい事があるんだが、俺以上にお冠な方が居てね。まずはその人達をご招待しようか」
武装した衛兵に十重二十重に囲まれながら、それを気にする風も無くそう呟き、懐に手を突っ込むと、無造作に一枚の紙を取り出す。
細かな文字に複雑な文様の記されたそれが、遥か東方の国において『護符』と呼ばれるそれである事に気付けた者は何人居ただろうか。
「きなこ、少しの間サエを頼むな」
肩口を振り返りかけられた言葉に、サエの肩に止まっていたきなこが『ピィッ!』と応え、その頭上へと羽ばたく。
と、その姿は一瞬光に包まれ、その光が消えた時、そこには燃え盛る翼を広げた鳳の姿が在った。
その翼が羽ばたく度、室内を耐えがたい熱気が襲うが、その中心にいるはずのサエと青年は意に介した風も無くそこに佇む。
「あ、あれは……」
熱気に顔を顰めたクリストフの口から驚きの呟きが漏れる。
奇しくもその姿は、建国の母と称えられた聖女が従えていたと伝えられる聖獣と同じ姿をしていた。
少しの間羽ばたいていた鳳が、先程と同じようにサエの肩口へと止まる。
不思議な事に、燃え盛る鳳のその身も翼も、サエの髪一本焦がす事は無い。
羽を休めた鳳が、サエを守る様に首をめぐらせた後、鋭い鳴き声が室内に響き渡り、同時にサエの周りを炎の壁が包む。
サエに仇成す全ての者を遠ざける炎の壁、それを見届けると、青年は正面へと向き直り不敵な笑みを浮かべる。
「御観覧の皆様に申し上げる。これより語らるるは、欲にまみれし愚か者達の末路に御座います。女神の慈悲すら枯れ果てた此処は正に鬼の住まう処。さても正しき鬼退治であれば、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」
朗々と謳い上げる言葉と共に、青年が護符を高く掲げる。
「我は此と其を別つ者、汝は其と此を結ぶ者。汝は門を開く者、我は標を示す者。我は此に在りて彼の者を待ち、汝は其に在りし彼の者を呼ぶ。汝は遥けき天の道を繋ぎ、我は彼方より来る旅人を待つ……」
青年の言葉と共に、鳳の鳴き声が響く。
「くっ……」
「きゃぁぁぁぁっ!」
「こ、これはっ!?」
掲げられた護符が炎に包まれ、燃え尽きる瞬間、先程よりも眩い光が室内を満たし、居並ぶ者達の目を貫き、苦しみの声が上がる。
「我が身は此処に、我が意思も此処に。其を束ねて澪標と成し、遥けき彼方より同胞を誘おう!」
光はいよいよその勢いを増し、夜空に浮かび上がる城を見上げる者達の目にも、その窓ガラスを通して光が溢れ出ているのが見てとれた。
ならば、その渦中にある者達の目を焼く光は如何程のものか。
「開け天の門、焦がれし旅人の姿を、今、ここに!」
青年の声と共に、光が爆発する。
それは音すら伴うような勢いで、室内を、その場に居合わせたもの全てを白く染め上げ、やがて収まる。
そして……。
「こ……れは……」
その呟きは誰の口から漏れたものであったか。
ようやく視力の戻った者達が改めて室内を見渡せば、青年の立っていた場所に、そこには戦装束に身を包んだ、百人に満たない程度の集団が姿を現わしていた。
「お久しぶりですな、国王陛下」
静かな声と共に、一人の老翁が進み出る。
「貴様は……」
クリストフに勝るとも劣らぬ荘厳な衣装に身を包んだ老翁を見下ろし、その姿を視野に収める。
それが誰かを思い出し、クリストフの口からは呟きが漏れる。
「女神の総本山たる大神殿より、守人の招きを受けて我ら神殿騎士団は罷り越しまして御座います。その目的、用件については、今更語るまでもありませんでしょうな」
腰も折らず背筋を伸ばし、クリストフを見上げてその視界の中央に収め、淀む事も無く問いかける。
その言は静かではあったが、言い逃れを許さぬ重みと苛烈さを含んでいるようにその場の者達の耳を打った。
「な、何の事だ! 我らはただ、この無礼者に相応しい罰を与えようとしたまでの事! 如何な大神殿の者とて、それが我が国へ武装し無断で踏みいる事を許す理由になると思うてか! 大神殿は我が国との闘争を望むか!」
仮にも国王である身、老翁の問いにただ唯々諾々と従う事は無く、自らを正当とする声をあげる。
彼らの行いが、武力の国境侵犯であり、宣戦布告に等しいものであると、声高に主張していた。
「然り、我らは王国と一戦交えるも辞さぬ覚悟で、今此処に集っておるのですよ」
「なっ!?」
老翁の言葉に、クリストフは言葉を失う。
彼らは、自らの行いとその意味を理解したうえで此処に在るのだと、老翁を含めた彼らの目が、揺らぐことなくクリストフを射貫くその視線がそれを物語っていた。
「貴方方は間違えたのですよ」
一つ息を吐き、老翁が言葉を紡ぐ。
「大神殿の子たるサエを陥れ、その身を不当に扱った。そこまではまだ許しましょう。そこまでであれば、あの子が我慢できなければ、ただ此処を去るだけで良かったのですから。ですが ――」
老翁の目が細くなる。
「―― 女神の愛し子たる神子に謂れ無き罪を着せ、その身に縄を打つその所業、最早看過する事は出来ませんな。お解りか? それは女神に縄を打つに等しい行為であるという事を」
「そ、それはっ! その女が ――」
口を開いたクリストフの言葉を、老翁は手を上げて遮り言葉を重ねる。
普段であればこの上ない不敬ではあるが、老翁の纏う重く荘厳な雰囲気が、それを指摘する事を許さない。
この者は、間違いなく人として女神に一番近い所に在る者なのだから。
「陛下、我々は話し合いに来たのでも事情を聞きに来たのでも無いのですよ。我々は、『知っている』のですから」
そう言ってクリストフから視線を外し身を翻す。
翻した視線の先に、唖然と立ち尽くしているリュシアンとクリスティーヌの姿を捉えた。
「神子の『加護』、貴方方が『聖女の加護』と呼んでいるそれは、貴方方が聖女と呼んでいる者が与えるものでは無いのです」
「……は?」
その言葉を聞いたリュシアンは目を白黒させる。
隣のクリスティーヌもまた、何を言われているのか理解出来ずに眉を顰めていた。
「神子の加護とは、神子の最も信頼する者に、女神が授けるもの。故に、神子自身の意思で授けるものではないのですよ」
「な、なん……」
老翁の目が寂し気に伏せられる。
リュシアンの口からは、言葉にならぬ声が、ただ漏れた。
「貴方方はただ、サエを正当に遇するだけで良かった。共に笑い過ごす日々の中で、サエの信頼を得られたのなら、或いは加護を受ける日が来たかも知れなかったのだから……。だが ――」
伏せた目を上げれば、そこには冷たい光が宿っていた。
その光は、リュシアンとクリスティーヌを捉えて逃げ出す事を許さない。
その場に縫いつけられたように、リュシアンは身をすくませる。
「貴方方は道を誤った。我らはそれを正す為に此処に居ります。これは神子を貶められた女神の意思であり、それ以上に我らが嬰児である大神殿の子を、家族を虐げられた皆の怒りと知れ!」
老翁がその手に持った錫杖を床に打ち付ける。
床を打つ音と共に、遊環の奏でる金属的な音が、室内に響き渡った。




