第1話 チート転移、始まったな!
「ふぅ、疲れた……」
玄関のドアを閉めるなり、口から勝手に出た。時刻は午後十一時四十七分。朝七時に家を出たことを考えれば、今日もなかなか立派な一日だったと思う。
もちろん、悪い意味で。
靴を脱いで、ネクタイを緩める。とりあえず冷蔵庫を開けてみる。水。調味料。いつ買ったか分からない卵。
「……飯、いいや」
腹は減ってる。でも、それ以上に眠い。最近ずっとこんな感じだ。朝起きる。仕事に行く。帰ってくる。寝る。起きる。仕事に行く。
「俺、何のために生きてるんだろうな」
休日になれば昼過ぎまで寝る。起きてスマホ見て、ゲームして、気づいたら夕方。
俺は昔から寝るのが好きだった。休日に何したいって聞かれたら、寝たい。趣味はゲーム。でも眠かったらゲームより寝る。
旅行先でも、まず宿についたら寝床を確認する。旅館のちょっと硬い敷布団。いい。ビジネスホテル特有の乾いた空気と、ぱりっとした清潔なベッド。あれもたまには乙なもんだ。
観光も飯もいい。でも一日の最後に待ってる、知らない場所で寝る時間。
「あの時間ワクワクするよなぁ」
学生の頃は、社会人になれば金が増えて好きなことできると思ってた。実際は、金を使う時間より先に体力がなくなった。
「だったらもう寝るしかないじゃないの」
シャワーだけ浴びて、スマホを充電器に挿す。いつもならここから動画。SNS。気づけば一時間。スマホを見る。布団を見る。スマホ。布団。
「今日は布団だな」
勝者、布団。
カーテンを閉める。エアコンをつける。枕の位置も整える。よし。布団に潜り込む。
「明日、休みか……」
その事実を思い出した瞬間、全身から力が抜けた。アラームなし。何時に起きてもいい。誰にも起こされない。起きて眠かったら、また寝てもいい。
「最高かよ……」
連勤で疲れた体にその事実が染み渡る。
「今日は、よく眠れそうだ」
◇◇◇
翌朝
「……岩?」
眠たい目をこすりもう一度目を開く。
知らない天井。いや、天井じゃない。普通に岩。もう一回寝るか? いや待て。寝ぼけてるだけかもしれない。もう一度目を閉じる。
1、2、3、4,5……
細めで目を開ける
「夢、続行かぁ……」
せっかくの休みなんだけど。できればもうちょっと寝かせてほしい。昨日は自宅の布団で寝た。それは覚えてる。酒も飲んでない。
「酔っ払って洞窟に迷い込んだ……ってんなわけないよな」
そもそも家で寝たし。どこから洞窟出てきた。
「……どこだ、ここ」
体を起こす。どうやら本当にここは洞窟のようだ。青白く光ってる苔みたいなものが生えている。
「いやいやいや……」
誘拐? 拉致? いや、誰が二十八歳のサラリーマンをわざわざ誘拐して洞窟に捨てるんだ。
「人選ミスだろ……」
自分で言ってちょっと悲しくなった。まあいい。ここにいても仕方ない。本音を言えば、もう一回寝たい。だが、いくら、知らない場所で寝る時間が好きだとは言えあくまでそれは旅行先での話。
「こんな硬い地面じゃなぁ」
「よっ――」
立ち上がろうとして、足元の石を踏んだ。
「おっと」
体が傾く。咄嗟に右手を壁につく。
ドォォォン!!
「???」
耳がキーンとしてる。辺りはには土煙が舞っている。
「は?」
土煙が晴れあたりが見えるようになるとようやく何が起こったのかを理解した。
壁がない。いや、正確には大穴が開いてる。人一人どころか、車でも通れそうなんだけど。
「俺がやったのか?」
さっき俺ここに手ついたよな。
「……いや、まさかな」
ないない。人間が壁に手ついただけで岩が吹っ飛ぶわけない。
「最近疲れたまってたしなぁ。きっと悪い夢でも見てるんだろう」
「今回は洞窟勤務かぁ……」
「社宅なしですか、トホホ」
「グルルル……」
「…………」
「こんな休日の朝っぱらからうるさいバイクだなぁ」
「グルルルル……」
四足歩行。灰色の毛。でかい牙。に角?
「グルルルル……!」
「…………犬?」
「グルルルル……!」
「じゃないよね、はは……」
一歩下がる。向こうも一歩。もう一歩下がる。また一歩。
「いや待て。話し合おう。俺も状況が分かってないんだ」
「ガァッ!」
「だめですよねぇ!」
走った。全力。
「なんだよあれ! 怖い怖い怖い!」
後ろからめっちゃ足音する。速い。待って。普通に速い。
「夢ならもうちょっと俺に優しくしろよ!」
なんで現実で寝て、夢の中で走らされてるんだ。逆だろ。こういう時こそ夢の中で寝かせろよ。
「…………あれ?」
走りながら考える。光る苔。角の生えた犬。知らない洞窟。岩壁爆発。
これ。なんか聞いたことあるぞ。
「もしかして……異世界転生ってやつか?」
いや。
「死んでないし……正確には異世界転移か」
何冷静に訂正してんだ俺。でも、考えれば考えるほどそれっぽい。目が覚めたら知らない場所。魔物。変な現象。
「……待てよ」
右手を見る。さっきの岩壁。
「あれも……?」
こういう話には大抵ある。主人公だけが持ってる、なんかすごいやつ。
「チート能力……?」
足を止める。振り返る。角犬が来る。めっちゃ来る。でも今はちょっと違う。
「なるほどね。そういうことね」
二十八年間、苦労することもたくさんあった、でも。
「ついに来ちゃったかぁ」
拳を握る。
「最強系かぁ」
悪くない。いや、これって
「……最高じゃん」
迫ってくる角犬に向かい、腰を落とす。
「悪いなワンちゃん。俺、どうやらチート持ちみたいだわ」
「ガァッ!」
「これでも食らいやがれぇ!」
ゴッ。
な、なんだ今のオノマトペはゴッ? ドォォォン!!じゃなくて?
遅れて玲司の拳に鈍い痛みがやってくる。いや、これは。
「いっっったぁぁぁぁぁぁ!?」
右手を押さえる。
「硬っ! お前、頭硬っ!」
「グルルルル……!」
全然効いてない。それどころか。
「さっきより怒ってないかあれ!?」
完全に怒ってる。
「おかしいっ! 今の流れ絶対倒すところだろ!」
「ガァッ!」
「うわああああ!」
「話が違うだろぉ!」
逃げ惑う背中にキランと大粒の涙が輝いた。
こうしてわたくし黒瀬玲司の夢の異世界生活は、最悪のスタートを切ったのであった。




