第7話『決死のダイブと勝利の宴』
クレバスの底は、文字通りの深淵だった。
数百メートルはある断崖絶壁。要塞は緩やかなスロープ状の氷の斜面を降りていき、その底部へと到達した。
そこには、青白く光る巨大な氷のドームが鎮座していた。
『警告。ドーム内部より高エネルギー反応。Aランク魔物「フロスト・クイーン」、及びその眷属数十体を検知』
モニターに映し出された画像が、ドーム内部の様子を捕えていた。
中央に君臨するのは、体長三メートルはあろうかという氷の女王。
人型の上半身に、蛙のような巨大な後脚。頭部からは氷柱のような角が伸びている。
その周囲を、人の頭ほどの氷の精霊たちが群れをなして取り囲んでいる。
「……女王様のお出ましか」
俺は操縦桿を握る手に力を込めた。
残燃料、三・八%。
長期戦は不可能。数分で決着をつけなければ、俺たちがここの氷像の一部になる。
「作戦を伝える。シィ、全エネルギーをバリアと駆動系に回せ。暖房も照明もいらない」
『多砲身銃は?』
「撃たない」
『……正気ですか? 武装なしでAランクに突っ込むなど、自殺行為です!』
「要塞自体を武器にする。三十トンの鉄塊で、ドームごと女王を轢き殺す」
操縦席のペダルを踏み込む。
重低音が唸り、キャタピラが氷の大地を削る。
「フィン、お前の出番だ! 外に出て奴らの気を引け! 決して正面からやり合うな、走り回って攪乱するだけでいい!」
「ワオンッ!」
ハッチが開き、白銀の疾風が飛び出した。
フィンは瞬く間にドームの入口へ迫り、クイーンの眷属たちを挑発する。
フィンの放つ潜在Sランクの威圧に、眷属たちが怯む。
その隙に、俺は要塞を最大速度で加速させた。
「これでも食らえ! ドームごと、総重量三十トンの体当たりだぁぁッ!!」
————ズドォォォォン!!
激突の瞬間、視界が白く飛んだ。
舌を噛み切りそうな凄まじい衝撃。シートベルトが胸骨を軋ませる。
だが──要塞が止まった。
氷のドームが予想以上に硬い。
キャタピラが空転し、嫌な金属音を上げる。
「弾かれる……!?」
嘘だろ。ここで止まれば、間違いなく死ぬ。
冷たい汗が背中を伝う。一秒が永遠のように長く感じられた。
その瞬間、突き破ったドームの内側から女王が迫ってきた。極低温のブレスが要塞の正面を襲う。
Aランクの一撃は、流石に強固な装甲でも損傷を受ける。ジュウジュウと嫌な音を立てて表面が劣化し始めた。
『警告! 第一層装甲、溶解! 融解深度、危険域! 自壊します!!』
「構うな! そのまま押し潰せ! 止まったら死ぬぞ!!」
俺は更にペダルを踏み抜いた。
残燃料、一%。
魔導機関が悲鳴を上げ、警告音が鳴り響く。
だが、止まらない。
この要塞は、俺の意志そのものだ。
理不尽な世界から、俺を守る最後の砦だ。
こんなところで止まってたまるか!
「……動け」
叫ぶ余力など、とうにない。
俺は歯が砕けそうなほど食いしばり、祈りを言葉に変えた。
「砕けろ、この壁がぁぁぁッ!!」
頼む、持ってくれ……ッ!
恐怖を怒号で塗りつぶし、俺は祈るようにアクセルをベタ踏みした。
そのままドームを突き破り、女王ごと氷壁に押し付けて磨り潰す。
女王の断末魔。
爆散。
『敵性反応、消滅……』
シィの声が震えていた。
『戦闘終了。残燃料、〇・二%。……ギリギリです、マスター』
「……はは、生きた心地がしなかったな」
俺はシートに深く体を預け、荒い息を吐いた。
ドームの崩壊跡には、山のような魔石が転がっていた。
Aランク魔石。一つで金貨数百枚になる代物が、ゴロゴロと。
さらに、女王の巣穴の奥には宝箱があった。ボス級魔物は宝を貯め込む習性があるらしい。中には氷漬けで完璧に保存された「雪原の大蟹」や「深海の甲烏賊」といった、高級食材の山。どうやらこの女王、冷凍庫代わりにこの場所を使っていたらしい。
「……勝った」
完全勝利だ。
リスクを冒して、すべてを手に入れた。
◇
一時間後。
四散した眷属たちを噛み殺して戦いを終えたフィンも、無事に要塞へ帰還した。
回収した大量の魔石を燃料タンクに放り込み、ついでに破損したフロント装甲も『自動修復』で元通りに再生させた。
『修復完了まで推定四時間。その間、本機は停止状態を維持します』
「構わん。ゆっくり休ませてもらう」
ピカピカに蘇りつつある車内で、俺は勝利の宴を開いていた。
『勝利の祝杯として、「即席麺」を用意しました。湯を注ぐだけで完成する保存食です』
シィが召喚したその食べ物は、確かに湯を注いだだけで完成した。
今、俺が啜っているのは、湯気を立てる魚介出汁の麺だ。
手はまだ微かに震えていて、フォークをうまく握れない。
だが、その震えさえも、今は心地よかった。
「……うまい」
ジャンクな塩気。濃い味付けの圧倒的な旨味。
死線を越えた体に染みる。
シィ曰く「炭酸水」という、泡の刺激が爽快な飲料が喉を弾ける。
「最高だ」
フィンも隣で、カニ身入りの特製の餌をガツガツと食べている。
俺たちは生き残った。
そして、また一つ強くなった。
「……さて」
食べ終わった即席麺の器を手に取る。
スープまで飲み干し、空っぽになった軽い素材の器。
俺は窓を開けた。
要塞はゆっくりとクレバスの斜面を登り始めている。
外は相変わらずの吹雪だ。
幸福の定義はシンプルだ。外より中が、1度でも温かければいい。
「ここでは、もう節約なんていらないからな」
ポイッ、と。
俺は容器を外へ放り投げた。
かつての俺なら、空になった容器さえも「貴重な皿」として洗って使い回しただろう。
だが、もうそんな惨めな節約は必要ない。
俺はすべてを持っている。捨てる側の人間になったんだ。
白い風に煽られ、容器はコロコロとクレバスへ続く斜面を転がっていく。
誰の目にも触れることのない、ただのゴミ。
──そのはずだった。
窓を閉め、俺はソファに寝転がった。
満腹感と睡魔が同時に襲ってくる。
数時間後。
その「ゴミ」が、俺を追う亡者たちにとっての「希望」になるとも知らずに、俺は深い眠りに落ちていった。




