第6話『静寂の恐怖と枯渇』
第六十三層。
さらに進んだその先は、不気味なほど静かだった。
氷柱の迷路は続いているが、魔物の姿がない。
レーダーは沈黙を守っている。
『……おかしいですね』
シィの声にも、珍しく困惑の色が混じっていた。
『これほどの広域にわたって魔物反応が皆無とは……過去のデータベースにも前例がありません。まるで、何かに怯えて逃げ出したかのような……』
静かすぎる。
換気扇の駆動音だけが、やけに大きく聞こえる。
耳の奥がきんと痛むような、異様な静寂。
背中に悪寒が走り、俺は身震いした。
「まあいい。敵がいないなら進むだけだ」
俺はソファで足を組み、余裕を装った。
魔石の在庫がマズい。
昨日の「檜風呂」と「映像設備」への投資で、在庫はほぼ底をついている。
残量は五%。
このままでは、あと数時間で要塞は鉄の棺桶と化す。
「……シィ、省エネモードに移行しろ」
『了解。照明を落とし、暖房出力を最低限に絞ります』
省エネモード移行。
ブツン、と低い音を立てて照明が落ちる。
昨日まで煌々と輝いていた間接照明は消え、非常灯だけが薄暗い赤色で車内を照らす。
換気扇の回転音が止まった瞬間、鼓膜を圧迫するような沈黙が車内を満たした。
暖房が絞られ、じわじわと寒さが忍び込んでくる。
吐く息が白い。
ついさっきまで檜風呂で汗を流し、ふかふかのソファで映画を観ていたというのに。
この落差は何だ。
フィンが不安そうにクゥンと鳴き、俺の足元に寄ってきた。
「……大丈夫だ。すぐに暖かくしてやる」
その言葉が虚勢だと分かっているのか、フィンは俺の膝に顎を乗せて動かない。
自分の心臓の音だけが、やけにうるさい。
流石に薄着では堪えるな。俺はブランケットを頭から被った。
『マスター。現状の推移予測を表示します』
モニターにグラフが表示される。
赤い線が急角度で右肩下がりに落ちていき、数時間後にはゼロに到達している。
『このエリアはマナが濃く、センサーが効きにくい。警戒して進めば、抜けるのにはかなりの時間がかかります。燃料が持ちません』
「……打開策は?」
『二つあります。一つは、生命維持装置以外の全機能を停止し、慣性走行のみで切り抜ける方法。ただし、暖房も切れます』
「却下だ。凍え死ぬ」
『もう一つは……リスクを負って、魔物の「巣穴」を強襲する方法です』
モニター上の地図に、一点がハイライトされた。
現在地から少し外れた、深いクレバスの底。
そこだけ、異常なほどの高濃度マナ反応が出ている。
『この反応は、Aランク相当の魔物、もしくはそれ以上の「主」が存在する可能性を示唆しています。危険度は極大です』
「Aランク……」
俺の手が止まる。
『現在の弾薬残量では、Aランクに勝てる見込みは低いです。多砲身銃を展開すれば、数秒で燃料が尽きます』
『撤退を推奨します、マスター。上の階層で魔石を補充し、改めて挑む方が安全です』
「そこまでの燃料は?」
『……残量四%。戻れますが、途中で先ほどのパーティと遭遇する可能性があります。その場合、逃走する燃料が残りません』
それは厄介だ。
あいつらと鉢合わせしたら、何を言われるか分からない。
いや、言われるだけならまだいい。最悪、この要塞を奪われる可能性すらある。
俺は操縦桿を握り直した。
どうする。引き返すか、進むか。
脳裏に、追放の日の記憶がよぎった。
ゼインの嘲笑。エリスの冷たい視線。
──また、あいつらの前で惨めな姿を晒すのか?
冗談じゃない。
それに、ここで逃げたら、いつまでも逃げ続けることになる。
どこかで勝負を仕掛けなければ、俺はずっと「逃げる側」のままだ。
「……シィ、進路変更。クレバスの底へ」
俺は立ち上がった。
「Aランクだろうが、餌にしてやる」
『……生存確率は低下します。推奨しません。自殺行為です』
「計算してみろ。あいつらと遭遇するリスクと、今ここで勝負を決めるリスク。どっちがマシだ?」
シィは数秒沈黙した後、小さく息を吐いたような音を立てた。
『……オーダー、受理。心中お供いたします』
俺はニヤリと笑った。
震える手を握りしめ、虚勢を張る。
『……了解。マスターの命令を最優先します。これより、本要塞は対ボス級戦闘モードへ移行……全リソースを攻撃・機動系へ割り振ります』
ブウン! と魔導機関が唸りを上げた。
照明が赤く点滅し、戦闘態勢を告げるアラートが鳴り響く。
「フィン、お前も手伝え。本気を見せてみろ」
「ワウ!」
フィンが力強く吠えた。
その瞳に、野性の光が戻っている。
残燃料、四%。
弾薬、予備なし。
挑むは、未知のAランクモンスター。
「行くぞ。……狩りの時間だ」
要塞は、漆黒の闇が広がるクレバスへと、その巨体を滑り込ませた。




