2:人工フェザーチャイルド
「今朝の調子はどうですか? グレイシア」
グレアの担当医となったアヴァロン・ジェーンが、特定検査の記録を書きつつ微笑んだ。
グレアがふと目を細め、柔らかな笑顔を見せる。
「ええ、おかげさまでとても良好です。申し訳ありません、アヴァロンさん。お忙しいのに何から何まで……」
それにとんでもないと首をふるアヴァロンの胸に、オラム責任者のIDカードがちらりと光る。
宇宙生物学専攻するアーロンは、フェザーチャイルドなどの地球外生物類も得意分野だ。
グレアの経過観察に我先に名乗り出たアーロンは、ジャッドの後押しもあってグレアの担当医になったのだった。
「あっ僕の事はアーロンでいいですよ。アヴァロンは呼ばれ慣れてなくって……ははは」
医療器具を片付けるアヴァロンことアーロンを見ながら、グレアはぼんやりジャッドの事を思い出した。
グレアは、針の穴のような仕事の合間をぬって顔を出すジャッドの真意がつかめないでいる。
「そういえば、ジャッド佐官がアーロンを私の担当にと推薦したそうですね」
「ええ。ジャッドさんの奥さんと子どもは人間じゃなかったので、死亡経緯を知る僕が適任だと」
それに少し驚いたグレアが、目覚めるようにアーロンを見る。
「奥さんと子どもが人間じゃなかった? どういうこと?」
アーロンは配慮に欠ける発言に気付いたようで、気まずく目を泳がせた。泳がせて、観念したかのように声を潜ませる。
「えっと……、奥さんはマーフォーク型……ひらたくいえば人魚だったんです。今の君達のように深く愛し合っていて……」
アーロンの声が少し下がる。続き待つグレアに少し戸惑いつつ、静かに続けた。
「念願の子どもができた頃、生体的な問題から奥さんと子どもは日に日に弱っていったんです。
当時はろくな研究設備がなくて、日に日に弱っていく奥さんと子どもを、ジャッドさんはつきっきりで看病していたんですよ。
……でも、結局だめでした。あの頃のジャッドさんは目もあてれないほどひどく落ち込んでいたんです。
弔いというか償いというか、きっと今のグレアと過去の奥さんを重ねているんでしょうね」
「そう、だったの……」
「でもあの事件をきっかけに設備も見直され、こんにちのフェザーチャイルドの育成にも深く関わってます。
今は技術も設備も最新ですから、安心してくださいね」
グレアは目を伏せそっと、お腹のふくらみを撫でた。
ジャッドの事を何も知らなかったが、グレアこそジャッドを知ろうとはしていなかったことに気付く。
思えばジャッドとはケンカの1つすらしたことない。いつだって穏やかに、グレアの話に耳を傾けてくれていたのだから。
もしきちんとわかり合う努力をしていたら、お腹の子はいなかったのかもしれないのだと。
……・……
クローン製造専用研究所のポッドルームは、幽暗に静まり返っていた。
書類まみれのデスクに突っ伏す北条博士がひとり。
電灯がまばたきに目覚め、北条博士は眩し気に腕にもぐる。
その冷える肩にふと、やわらかな毛布がかけられた。
「北条博士。ちゃんとベッドで寝なきゃダメですよ」
見守るようなその声に、北条博士は薄目を開けた。開けて、小さなあくびをひとつ。
「……目処が立って気が抜けた」
サムソンは慣れた手つきで、散らかった書類をまとめた。
「お疲れ様です。ライトを消したポッドルームって宇宙みたいですよね、静かでよく眠れそうです」
書類を受け取った北条博士は、まとめた調査書を適当にぱらつかせた。
ふと流れるその視線がとまる思案にふけるそれに、サムソンがはたと続きを待つ。
「……マリア達の様子は?」
「元気でやってますよ。前会長の使いもゼロが追っ払ってるようです」
北条博士はフゥンとだけ返し、書類を鞄におさめる。片付けのそれに、サムソンは安堵の溜息をついた。
マラークが会長になってから、北条博士はずっと働き詰めだったからだ。
ちょっとでも息抜きになればと差し入れたココアが空になっていることに嬉しくなったサムソンが、それとなくポッドをみる。
「僕のボディはないんですね。次世代の新人類の祖体になるって聞いてワクワクしたのになあ」
「なるよ。だからデータごと安全な場所に移送した。メスとツガイでね。もし人類が消えてもなんとかなる」
それにサムソンが伺うように横目見た。
「ツガイが北条博士だったらいいのにな……」
「彼はそれを望まない」
相変わらずの撃沈に、サムソンの足先がいじらしく空を蹴る。
ふと見た新しいポッドに1つ浮かぶ赤ちゃんに、サムソンが花が咲くように顔を上げた。
「……あっ、北条博士のボディ、新しいの造ったんですね。可愛いなぁ」
「全部が終わったら、キミはこのクローンと好きに過ごすといい」
北条博士は鞄を肩に、とっととポッドルームを後にした。
後を追うサムソンが声を投げる。
「そんな……変な冗談はやめてください。北条博士じゃないと意味がないです」
「私も、彼じゃないと意味がないよ」
サムソンは応えなかった。同じなのだと。2人だけの、同じだった。それが悲しくて、嬉しかった。
「北条博士、それでも、僕は……」
消え入るような静かな続きに、北条博士が振り返る事はなかった。
……・……
宮殿のようなマリア邸で、緑豊かな庭の芝生が風になびく。温室のそばには、絵画のような庭園が広がっていた。
この庭園は、マリアのために作られた大パルテールだ。
深いブルーグリーンのタイルと、切り取ったかのような芝生が青々と続く。樹形の美しい大木のもとでは、鏡のような水盤(池)が青空を映していた。
一直線に伸びるボーダー花壇は色鮮やかで、赤いレンガ積みの壁面によく映えている。
それは会長とヘレナが初めて出会った、セリオン学園を思わせた。
そのすぐそばのガーデンルームで、マリア達は穏やかなお茶会を楽しんでいた。
ヘレナとエレナが来てから、マリアの午後のお茶会は賑やかなひとときだった。ゼロは噴水のふちに腰かけ、のんびりとその様子を眺めている。
「まあ、おいしい!」
マリアはそう言って、ヘレナ特製のアップルパイをもう一口。
「うちのシェフもここまで上手くできませんことよ。あぁ、なんておいしいの! すごいですわ、ヘレナ」
ヘレナは少しはにかんで、残りのアップルパイにナイフを入れた。歯ごたえのよさそうな音に、黄金色のリンゴが輝く。
次々切り分けられるアップルパイにウットリするマリアの横で、幼女ミカエルは静かにアップルパイを見つめていた。
「はいどうぞ、ミカエルちゃんの分」
ミカエルちゃんことミカエルが、小さく頷きお皿を受け取る。
ミカエルはマリアお気に入りの、人工フェザーチャイルドの幼女だ。
正しくは廃棄予定だった個体で、憂いたマリアがペットとして引き取ってもう数年になる。
寡黙なミカエルは肌も髪も雪のように真っ白で、銀細工のような瞳にはいつも不思議な煌めきがあった。
ミカエルは受け取ってすぐ、庭でボール遊びをする幼児エレナのもとへかけていく。
ふと屈んで、フォークで小さくしたアップルパイをエレナの口に運んだ。それはまるで親鳥の餌付けのようだった。
「みちゃえぅ!」
エレナの声が庭に響く。
「……ミカエルだヨ……」
ミカエルの蚊ほどのつぶやきに、エレナがハーイと片手をあげた。
その仕草がとても可愛くて、ミカエルはエレナをじっと見つめた。
体中が喜びで湧き上がるかのような、不思議な使命感に細胞が目覚めるのがわかる。
「……エレナチャン……キミは、ドうしてエレナチャン……?」
「ミカエルのあんなに長い言葉、初めて聴きましたわ。いつもオハヨーくらいしか喋りませんのに」
マリアが微笑ましく頬に手をあてる。
それにヘレナが付け加えた。
「並んでいると、ミカエルちゃんはエレナのお姉ちゃんね」
ヘレナのその言葉に、ミカエルは一瞬目を丸くした。そのまま、思案に沈むかのようにエレナを抱きしめる。
エレナはピャアとくすぐったげな声をあげ、ミカエルをめいっぱい抱き返した。
「お姉チゃん……あたシ……、エレナ、の、お、お、オ姉ちゃん……」
呟くミカエルの目に、線香花火のように光が宿っていく。
エレナがまた転がるような笑い声で、ミカエルの頬にチュウをした。
「みちゃえぅ、ちゅきー!」
2人は姉妹のように転がり遊び、ミカエルにふと笑顔が漏れる。
その様子を見ていたマリアが感心に目を丸くした。
「ミカエルが誰かに興味をもつなんて初めてですわ。まるで姉妹みたいで可愛いですわね。ねえ、ヘレナ」
宝石のように美しい笑みは、お姫様という敬称がふさわしかった。その笑顔に、ヘレナは前会長の面影を見る。
「……帰りたい」
ヘレナの視線は遠く、どこか迷子になった子どものような光を宿していた。
「家に帰りたい……。家に、セリオンに」
物憂げに呟くヘレナの手に、マリアはそっと手を重ねる。ヘレナはふとマリアを見て、静かな笑みを返した。
「私はもうイルミナを出ることはできない。でもエレナは、エレナだけは……普通の子として自由に過ごしてほしいの」
ミカエルははたとした。エレナを抱き上げ、そそとヘレナに駆け寄る。
ガーデンテーブルを見上げると、パラソルに影るヘレナとマリアが静かに見合っていた。マリアはやや困惑に戸惑っている様子だ。
「普通……、普通って何ですの?」
まるでフォークの使い方を知らない原住民のようなマリアに、ヘレナは根気強く説明する開拓民のような手振りをみせる。
「学校に通って、遊んだり部活をしたり、恋をしたり……普通の、それが普通なのよ」
そんな切なるヘレナの願いを、ミカエルはじっときいていた。
エレナのお姉ちゃんとして、できること……。小さなミカエルは、もっと小さなエレナをぎゅうと抱きしめたのだった。