4:何があろうと、何としても
薄暗い中央ホールで、静かな足音が響く。
ビッグメンの肉球をおしゃぶりしていたミリアムは、サムソンの腕の中でふと目を覚ました。
ホールの天井がゆっくり動き、月明かりにサムソンの金髪がきらきらと揺れている。
ミリアムの富士山のような可愛らしい口先がきゅっとうごき、めいっぱいの小さなアクビをした。
「……どこぃくのー?」
そのミリアムの声に、サムソンが腕の中のミリアムを見下ろした。
「ごめん、起きちゃったね。アーロンさんが、緊急検査するからミリアムと保護区に行くようにって」
その言葉に一気に目が覚めたミリアムが身をよじった。
「やったー! あ! わっすぇものった! おぃんぎょー、だーじなのよ。パパがくえたのっ!」
ミリアムを降ろしたサムソンは、興奮まま訴えるミリアムに目線を合わせる。
「お人形の忘れ物をしたの? じゃあ取りに戻ろうか」
うんとミリアムの元気な声がホールに響く。小さな手がきゅっとサムソンの指を掴んだ。
ふと入口に動く人影に、サムソンが目をやる。この時間帯には違和感のある人数だ。
サムソンは凝視に気付く。それは研究員でも警備兵でもない、黒い戦闘着を着詰めた軍人達だった。
いずれもその手に黒光りする銃を携えている。
この時サムソンが驚愕に声を上げなかったには理由がある。
彼らはのんびりとした足取りだったし、ミリアムが「こんにてぃあ!」と手を上げたら、まるで海水浴客のように親しげに手を振り返したからだ。
ミリアムはご機嫌に駆け寄って、軍人達がミリアムに微笑ましく身をかがめる。彼らは千切れんばかりに尻尾を振るビッグメンも次々に撫でた。
「ははは。元気だな。こんばんは~、だぞ。おチビちゃん」
軍人たちの1人がそう軽く言って、屈んでミリアムに目線を合わせる。
ちっちゃなミリアムの手とハイタッチし、それは嬉しそうに笑んでいた。
サムソンはその時やっと、彼らがAR軍だと気づいた。腕の部隊章にARの文字が記されてあったからだ。
まるで全身の血液がひいたような感覚だった。
武装した敵組織の軍人が、イルミナに侵入しているのだ!
サムソンの凍り付いた様子に、その軍人は氷のような目でチラとサムソンを見て立ち上がった。うんと見下ろし、顎で物を言う。
「おいガキ、おチビを抱えてとっとと保護区に行け」
それにサムソンは電撃をくらったようにビクつき、小刻みに頷いた。
幼いミリアムはまるでアイドルのように、他の軍人たちに元気いっぱいに手を振っている。
「あんね、みぃあむね、おぃんぎょーわっせたの!」
サムソンはそんなミリアムを担ぎ、すぐさま踵を返して駆けだした。
(どっどうして敵組織ARの戦闘員がここに!? まさか戦争でも始まったのか!?)
緊迫の汗が横に流れ、ミリアムが上下に揺れる。
警備の量産型ゼロ達がダウンしている事にようやく気付いたサムソンは、困惑に奥歯を噛んだ。
(ッ北条博士……! 北条博士を守らないと!)
ホールの隅っこの角を曲がってすぐ、サムソンはミリアムを置いた。
強張った表情で息が上がるサムソンに、ミリアムがちょっと困惑に首をかしげる。
やっとこ追いついたビッグメンが、尻尾を振ってサムソンの膝に両手をかけた。
肩を上下させたサムソンが、唾を飲んでミリアムをまっすぐに見つめる。
「ミリアム、1人で保護区まで行けるよね? 保護区の検査室はわかる? いつもアイスを買うところだよ」
ミリアムはご機嫌にハーイ! と片手を上げた。サムソンが大慌てでミリアムの口に人差し指を当てる。
「静かに……。僕は北条博士のところに行くからね、絶対に寄り道せず走って行くんだ。わかった?」
真剣なサムソンに、ミリアムはこくりと頷いた。
サムソンはミリアムをひと撫で、そのまま独房方面へと全力疾走していく。
「……えっ……」
ミリアムはびっくりした。サムソンが急に駆けだしていったからだ。
サムソンはどこかに行けと言っていた気がするが、びっくりした瞬間に頭からすっぽ抜けてしまった。
「ミリアム! ごはン!」
ビッグメンが小さな口で吠えたて、ミリアムのまわりをぐるぐる回った。回って、一目散に食堂へと走っていく。
「……あ! ビッグメン、だーめーよォ、めーよぉ!」
ミリアムはそう言って、ビッグメンのあとに続いた。
そうして小さな影2つは謀らずして、保護区から真逆の通路へと消えていったのだった。
……・……
会長室前にたどり着いたジャッドは、深呼吸ひとつ。
合鍵を通し、そっと足を忍ばせる。会長室はどこか荒れていて、うっすらと埃やカビのような臭いがした。
慣れた足どりで寝室をのぞき、すっかり寝入る会長に眉を潜める。
(……こいつのイビキはとんでもなくうるさいはずだ)
ジャッドは思った。こんなに死んだように眠る事があったなら、ヘレナはびっくりして救急車を呼ぶだろうと。
会長の落ちくぼんだ眼下は、墨のように黒く染まっている。
ジャッドはポケットからレンズと電灯を取り出し、レンズの光を前会長にあてた。
とたん会長が目に見えて苦しみはじめる。まるで酸素ボンベを失ったダイバーのようだ。
一瞬たじろいだジャッドだが、かまわずあて続けた。
四肢を虫のようにばたつかせる会長が、やがて糸が切れた人形のようにぐったり動かなくなる。
静かな間があった。まるで暗殺のそれだ。ジャッドは脂汗が伝う会長の首筋に指をあてる。
会長の力強い脈動に、ジャッドは安堵に息を吐いた。
「ぅ……」
会長が悪夢にうなされるかのように首をふる。細目にジャッドをとらえ、わずかに口が動いた。
「……っ……、レ……ナ」
「しっかりしろ。もう大丈夫だ」
ジャッドが会長に手を貸そうとした瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
背後の気配に素早く銃を抜く。
しかし撃鉄起こす間もなく、ジャッドは振り返りざまに何らかの[見えない力]により、大きく吹っ飛んだ。
受け身をとったものの天地真逆にドアを突き破り、床に叩きつけられる。
手をついたジャッドは舌打ち一つ、窓辺に佇む小さな人影をとらえた。
「ッマラーク……!」
どこから現れたか、小さな影マラークの瞳が射抜くようにジャッドを見つめていた。
マラークの血色の瞳は、一歩ごと一息ごとに魂を吸い取るかのようだ。
ジャッドは起き上がりざまの一瞬に、ナイフを撃った。
とたんマラークは糸が切れたかのように跪き、腿に深々と刺さったナイフを見る。
その隙に会長を緊急の貴賓路(非常通路)に押し込んだジャッドは、銃を抜き腹の底から声を上げた。
「両手を頭に膝をつけ! 貴様をイルミナ転覆の容疑で身柄を拘束する、大人しく降伏しろ!」
マラークはぎこちない人形のような足取りで立ち上がった。月明かりを背に、赤い瞳がジャッドを射抜く。
その時だった。
遠くで爆発音が響き、窓が震え筋が走る。敵襲のアラートが鳴り響き、防災シャッターが降りる音が遠くで次々と響いた。
ジャッドはそれが、およそウィングによるものであると判断した。なぜならマラークが明らかに困惑し、意識を噛んでいたからだ。
マラークは感覚拡張を張り巡らせ、監視用の量産型ゼロがダウンしている事に気付いた。
監視カメラでAR軍の侵入を知り、気落ちに顔を上げる。内心舌打ちまま、射抜くようにジャッドを見た。
「自己免疫プログラム(DNAウィルス)とシてネットワークに潜伏した結果、宇宙の法則を歪ませている〔T-テオ-〕の破壊は、稚拙な現代技術では不可能と判断シた。
地球上の生命体を殲滅したトころで、〔T-テオ-〕はまた新たな生態系を造るだろう」
マラークの意識を噛むような不快な声に、ジャッドはぞっとした。
彼の狂ったようなイントネーションは形容しがたく、機械の複合音声のそれに酷似している。
マラークの血色の瞳が見開く。その輝きは正気か狂気か定かではない。ヒトに似た、ヒトでないそれの唇が、ヒトのように饒舌に動いていく。
「〔T-テオ-〕の破壊には、宇宙戦争しか道はない。イルミナの力をもって、ARに宣戦を布告する。
でないとさらに宇宙は歪んでしまうだろう。邪魔をするなら容赦はしない」
赤い瞳が冷たくジャッドを狙い、大きく手を振った。
それを合図に、続々と駆けつけた量産型ゼロの銃口が一斉にジャッドに向けられる。
しかしジャッドは余裕めいて、手のレンズを印籠のように掲げて見せた。
レンズを見たマラークは刮目に、息を呑む。
「……どこで、どうしてそれを」
ウィングから〔すべて〕を聞いたジャッドは、ここでマラークを殺しても終わらないことを知っていた。
DNAウィルスも〔T-テオ-〕により進化し続ける。北条の計画は、あくまでその場しのぎの応急処置にしか過ぎないのだと。
ならば自分にできることはただ1つ。
エレナが成人しモルガン家の末裔として〔T-テオ-〕を動かせるその日まで、何があろうと何としても抗い続ける事だけなのだ。
ジャッドの手のレンズが、淡く金色に輝く。迷いなく銃口をマラークに向けたジャッドは、腹の底から声を上げた。
「Aは何度でも抗い続ける。DNAウィルス、首を洗ってまっていろ!」
それを皮切りに銃口が光り、雨のような銃声が響いた。




