アコガレの都はくさかった~<清掃師>小梅の事件簿
第二回 書き出し祭り参加作品
「メチャクチャくさい」
アコガレの『緑安京』で坂野小梅を待っていた仕事は、強烈なニオイを伴う仕事だった。
手にしているのは、竹で作った大きな竹ばさみ。つくりは、箔箸に似ている。
小梅は男のように狩衣を着て、袖をたくしあげていた。十五歳の小梅の身体は、女性としては成長過程にある。そのため、女子だと気づくものは少ない。
下に履いている袴は、ふつうより短め。烏帽子もほぼ髪をかくしているだけの簡易なもの。これがこの仕事の着衣である。
春の日差しがやわらかい。堀のそばに目印の満開の枝垂れ桜が揺れている。
立ち並ぶ大きな屋敷。檜皮葺の美しい屋根。きれいに区画整理して整えられた大きな路。張り巡らされた堀。
それらすべては、田舎では見ることのかなわないものだ。
張り巡らされた堀には清浄な水が流れていて、路の清掃も行き届いてはいる。漂うのは芳しい花の香りだ。
しかし、小梅は鼻が曲がりそうなほどのニオイを感じている。
実際の『臭気』とは違うものだ。
「なんなの、この『泥気』は!」
「文句があるなら田舎に帰れ」
「文句は言っていない。事実を言っただけ」
狩衣をまとい、涼やかな目をした男は、土屋霊膳。小梅の同僚である。
道行く人々の数は、田舎なら祭りかと思うほどの人数だ。
これだけの往来があるのに、見知った顔とすれ違うことはあまりないらしい。
ひととひとが、挨拶を交わしている風景は、ほとんど見られない。道を歩けば、知り合いに会うような田舎に住んでいた小梅には、どうにも信じがたいのだが。
「だいたい、そんなに嫌なら、清掃師なんぞせず、おなごらしく女房づとめの仕事でも探せばよかろうが」
「適材適所って言葉の意味を、今、ここで語らないといけない?」
小梅は、むぅっと瞳を凝らす。
「よどんでるなあ」
小梅の言葉と裏腹に、水は清らかに澄んでいる。
しかし、小梅の目には、どよりとしたものが視えていた。
水底に漂っているものがある。
泥気、と呼ばれるそれは、ふつうの人間には見ることも匂いを感じることもできない。
それは、ひとの負の感情から生じるものとされている。少量なら自然に浄化されるものであるが、大量にたまると悪鬼を呼ぶ。小梅たち『清掃師』は、それを回収し浄化させるのが仕事だ。
「ふむ」
土屋が小梅の隣から、堀を覗き込んだ。
「お前には無理だ」
土屋は小梅を下がらせようとした。
「大丈夫よ!」
小梅は言い放つ。
そして、手にした竹挟みを握り締める。 小梅は、そっと水に竹挟みを沈める。
ザシュッ
水が大きく吹き上げ、小梅に降りかかった。
烏帽子も着衣もびしょ濡れだ。
「くぅ、クサイッ!」
あまりのことに、小梅はのけぞる。
「どけ」
土屋はそういって、小梅を引っ張り上げた。
「うわっ」
小梅は手足をじたばたさせたが、荷物を投げ捨てるがごとく、堀から引き離された。
細身に見える土屋だが、表情に全く変化がない。
「まったく。無理をしやがって」
土屋はため息をついて、手を水面へと近づけた。
「このみずは、やまにわきでるしみずなり どろはつちへと つちはいわへと」
手は水に触れていない。
触れていないが、波紋が同心円状に広がった。
ブクブクと水が泡立つ。
「浄化せよ」
土屋の声に応えるように、水が淡く発光した。
堀の中のどろりとしたものが固まり、黒い石のようになって水底に転がる。
「貸せ」
土屋は、小梅から竹ばさみを受け取り、堀から黒い石と一枚の札を取り出す。
札はずいぶんと痛んでいて腐りかかっていた。
「交換しておけ」
「はーい」
小梅は真新しい札を取り出し、水面に浮かべる。
「みなぞこの つちのしとねに とどまりて でいきをすいて きよみずをはけ」
小梅のとなえた呪とともに札が淡く発光して、しずかに底へと沈んでいった。
「大きい泥気だね」
小梅が黒い石を見ながら、眉をしかめる。
「ここは、三位の柳さまのお屋敷だな」
土屋は、塀の向こうの屋敷に目を向けた。
「須田さまに報告だ。これは『回収』だけでは済みそうもあるまい」
土屋は取り出した黒い石を懐紙でつつみ、懐にしまう。
「それにしても、酷いニオイだ。衣服についた泥気の浄化くらい自分でやれよ」
「……わかっているわ」
小梅は、呪をとなえた。小梅の手のひらに、コメ粒ほどの石が現れる。
そこら中に漂っていたニオイが、ようやくにおさまる。
「ふう」
ため息をついた小梅のうえに、白い手ぬぐいが降ってきた。
「拭け。濡れたままだと風邪をひくぞ」
ニオイはとれても、ぬれたものは乾かない。真理である。
春とはいえ、さすがに冷える。
「帰って着替えろとは、言ってくれないんだ」
「まだ、三件残っている。早退するなら、職場放棄と報告するが」
ニヤリと土屋は口の端をあげる。
「性格、悪い!」
「そんなことは、言われなくてもわかっている」
土屋は札の入った竹かごを担ぎ、歩き始めた。
清掃師という役割は、緑安京では重要な仕事だ。
泥気というのは、どこにでもあるものではあるのだが、人が集う場所の場合、どんどん溜まってくる。そして、それは、悪鬼をよび、人を惑わし、疫病を流行らせるのだ。
ならば、集うて住まなければ良いのだが、そういうわけにもいかない。
そこで作られたのが、活性札である。
竹でつくられたそれは、都市のあちこちに置かれ、泥気を吸着する。
これを設置し、定期的に交換することにより、緑安京は、近隣諸国に類を見ないほど、怪事の起こらぬ都市となった。
この札は、定期的に回収し、浄化作業を行うことになっている。
「あー疲れたぁ」
小梅は清掃寮へ向かう坂をのぼる。
清掃寮は、緑安京の郊外の山のふもとに位置している。
「ん? このかおりは」
小梅はひくひくと、鼻を動かした。
これは、実際の『匂い』。食欲を刺激する、実にうまそうな香りだ。
「わぉ。タケノコ!」
「……まったく」
土屋が呆れたように肩をすくめた。
清掃寮の門をくぐると、中庭で焚火をしている中年の男がいる。
須田忠義。この寮を束ねる『清掃頭』だ。
官位こそ、低いものの、その役割上、帝にも重く用いられているらしい。
しかし、中庭でうれしそうに焚火をしている姿は、のんきなオッサンでしかない。
「須田さまっ」
ピョンピョンと、小梅は跳ねるように走り寄る。
「おおっ、小梅に霊膳か」
そう言って、目を向けた須田は、眉を寄せた。
「びしょ濡れではないか、小梅」
派手に頭からかぶったのだ。少し拭いたくらいで、そう簡単に乾くものではない。
「申し訳ありません。ちょっと失敗してしまいました」
さすがにバツが悪く、小梅は頭を掻いた。
「霊前、いつも小梅を助けてやらねばならん、と言うておるのに」
「自分は、止めました」
「なるほど」
須田はにこりと笑う。
「濡れる程度で済んだのであれば、大事はなかろうが」
とりあえず、火に当たると良い、と言って、小梅を焚火のそばに手招きする。
「それにしても、須田さま。なぜ焚火を?」
「いいタケノコをいただいたのでな。皆で食べようと思うて」
うれしそうに須田は焚火の中から、棒でひっかくようにして、焼けたタケノコを取り出した。
ごろごろと真っ黒なタケノコがころがり、湯気を立てる。
「んーっ、美味しそうですね!」
「小梅は、食うことばっかりだな」
あきれたように、土屋が口をはさむ。
「むむっ。美味しいことは、良いことなのっ!」
「まあ、そうじゃな」
須田はそう言って、殿上人に似合わぬ手際の良さで、皮を軽くむくと、そばに置いてあった大きな木皿にそれをのせた。
食欲を誘う匂いに、んーっと小梅は皿の前に顔を向ける。
「それで、回収のほうはどうだったかな?」
須田は、湯気のたつ皿を小梅に渡した。
「柳さまのお屋敷の前で、回収した札がヒドイです。石がこの大きさで」
土屋が懐から黒い石を取り出して見せた。
「柳さまか……ふむ。では、あの噂は誠かもしれぬ」
「噂?」
タケノコの湯気を顎に当てながら、小梅は、須田を見上げる。
「ああ。札はどれだ?」
「これです」
かごに入った札の中で、無残に形の崩れかけた札がある。
「ひどいな」
須田は眉をひそめ、札を取り出し、そのままそれを火にくべた。
「石を」
須田に促され、土屋は石を投げ入れる。
焔が大きくなり、赤い火が青白く変化した。
燃える炎の中に、昏い鬼の影が映る。何かをむさぼっている。逃げ惑う女を食っているのだ。
「ふむ」
須田は手をのばすと、炎がさらに青白く変化した。
「清めよ」
炎が猛り、鬼の影が溶けていく。
やがて。再び小さな赤い焚火に戻った。
「柳さまのご息女が、病だという噂があってな」
着衣についた灰をはらいながら、須田が口を開く。
「これはすぐにも行ってもらわねばならんな」
「承知いたしました」
土屋が頭を下げる。
「タケノコ、食べてからではダメですか?」
湯気を立てているタケノコを未練がましく眺めて、小梅は呟いた。
申し訳ないですが、続きを書くことがなさそうなので、こちらに収録しました。