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詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~異世界キャンピングカーでダンジョンも王国もひっくり返す~  作者: Gaku


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第79話:ラベルを剥がすということ 〜名前は、心が貼った札である〜

 宴の熱は、少しずつ夜の底へ沈んでいった。


 あれほど勢いよく燃えていた焚き火は、今では静かな熾火となり、赤く炭化した薪の奥で、呼吸するように明滅している。時折、パチン、と小さく爆ぜる音がして、そのたびに火の粉が一粒だけ夜へ昇った。風はほとんど止んでいた。煙は細くまっすぐに立ち上り、冬の空の黒さの中へ、淡く溶けていく。


 空には、星が多かった。


 湯けむりに包まれていた時には見えなかった星々が、今は頭上いっぱいに広がっている。白く細かな光が、黒い布に針で穴を開けたように散らばり、その間を薄い雲が、透き通る布のように流れていた。遠くの山の輪郭は夜に沈み、宿の灯りだけが、地面に小さな温もりの輪を作っている。


 一行は、焚き火を囲んで座っていた。


 食事の皿はほとんど片づけられ、網の上には、誰も手を出さなくなった焦げかけの野菜が一つだけ残っている。瞬は満腹で動けないのか、丸太に背を預けて腹をさすっていた。アリスは毛布を肩にかけ、火の具合を見ながら、ときどき枝で炭を寄せている。ゼイクは姿勢こそ正しいが、湯と食事の疲れで少しだけ目元が緩んでいた。エリーゼは温かい茶を両手で包み、湯気の向こうで静かに息を吐いている。


 メイは、いつも通りだった。


 空いた皿をまとめ、飲み物の減り具合を確かめ、瞬の前に置かれた杯が空になる前に、そっと温かい茶を注ぎ足す。白いアイガードは、すでに乾いたものに戻されている。そこに紫の瞳は見えない。


 けれど、アリアには見えていた。


 湯けむりの向こうで、月を沈めたように光っていた、あの深い紫。

 そして、それを見ても変わらなかった仲間たちの顔。


 アリアは、膝を抱えて座っていた。


 体は温かかった。湯の熱も、炭火の熱も、まだ肌の奥に残っている。食べた肉の重みも、胃のあたりに穏やかにある。満たされている。守られている。ここは安全な場所だと、体はちゃんと知っている。


 それなのに、心だけがまだ、静かに揺れていた。


 紫の瞳。


 厄災の印。


 その言葉は、アリアの中に長く深く刻み込まれていた。森の教えとして。長老たちの声として。誰も疑わない当たり前として。


 けれど、さっき瞬は言った。


 言ってなかったっけ。

 どーでもいいことだったし。

 目の色を説明し忘れたからって、メイはメイだろ。


 そのあまりにも雑な言葉が、アリアの中で何度も反響していた。


 雑だった。

 軽かった。

 信じられないほど、乱暴だった。


 なのに、どうしてだろう。


 その雑さに、アリアは傷ついたのではなかった。

 むしろ、救われそうになっている自分がいた。


 世界中が恐ろしい札を貼りつけたものを、瞬は片手でぺりっと剥がしてしまった。厳粛な儀式も、長い説教も、難しい理屈もなく。ただ、食事の途中で肉をひっくり返すくらいの気軽さで。


 それが、アリアには眩しかった。


 自分は、そんなふうに生きたことがなかった。


 何かを見る前に、必ず名前を確認してきた。

 エルフ。人間。獣人。魔族。

 高潔。汚れ。危険。厄災。

 敵。味方。守るべきもの。遠ざけるべきもの。


 名前をつければ安心できた。

 分類できれば、距離を測れた。

 距離を測れれば、傷つかずに済むと思っていた。


 けれど、名前を貼った瞬間、見えなくなるものがある。


 メイの手。

 ホットミルクの甘さ。

 不器用な心配。

 湯けむりの中で、アリアを責めずに見返した静かな顔。


 それらは、「厄災」という札の下に隠れてしまう。


 アリアは、自分の指先を見つめた。


 さっき、自分はその札を剥がそうとした。

 けれど、完全に剥がせたわけではない。


 怖さはまだ残っている。

 森で教えられた声も、まだ胸の奥にいる。

 目を閉じれば、長老たちの冷たい瞳が浮かぶ。


 ――人間に情を移すな。

 ――違うものを受け入れるな。

 ――恐れは、森を守る知恵だ。


 それは本当に、知恵だったのだろうか。


 それとも、怖さに名前をつけて、大切に保管していただけなのだろうか。


「……ねえ」


 アリアは、小さく口を開いた。


 声は思ったよりも静かだった。

 けれど、夜気の中で不思議なくらいよく響いた。


 瞬が片目を開ける。

 アリスが枝を動かす手を止める。

 ゼイクとエリーゼが顔を上げ、メイも皿を重ねる手を止めた。


 アリアは焚き火を見つめたまま、続けた。


「私、怖かったの」


 誰も茶化さなかった。


 炭が、赤く光っている。


「人間が怖かった。森の外が怖かった。違う種族が怖かった。知らないものが怖かった。……でも、私はそれを『怖い』とは思っていなかったわ」


 言葉にすると、胸の奥が少し痛んだ。


「それを、正しさだと思っていた。エルフとしての誇りだと思っていた。汚れたものを遠ざけること。危険なものを拒むこと。違うものを見下ろすこと。それが森を守ることだと、ずっと信じていた」


 アリアは、自分の肩を抱いた。


 夜風は冷たくない。

 それでも、言葉にするたび、昔の森の空気が肌に戻ってくるようだった。


 深い森。

 濡れた苔。

 葉擦れの音。

 沈黙を正しさと呼ぶ場所。

 誰もが美しく、誰もが冷たく、誰もが同じ方を向いていた。


「私にとって、人間は最初から『人間』じゃなかった。『汚らわしいもの』だった。メイの瞳も、最初から瞳じゃなかった。『厄災の印』だった」


 メイが、静かにアリアを見ていた。


 アイガードの奥の瞳は見えない。

 けれど、その視線の温度だけは伝わってくる気がした。


「そう呼べば、近づかなくて済むから。相手を見なくて済むから。……自分の心が揺れる前に、扉を閉められるから」


 アリアの声が、少しだけ震えた。


「でも、あなたたちと過ごしているうちに、その扉が少しずつ開いてしまった」


 瞬が、何も言わずに聞いている。


 アリアはゆっくり息を吸った。


「最初は、瞬が理解できなかった。なぜ鎖を壊すのか。なぜ毒も入っていないリンゴを置くのか。なぜ、罵倒している私を、ただ怪我をした女の子みたいに見るのか」


 あの地下の冷たい空気が、ふっと記憶の奥から蘇る。

 鉄の匂い。石床の湿り気。鎖の音。

 そして、枕元に置かれた赤いリンゴ。


「メイが怖かった。近づいてくる手が怖かった。優しくされるのが怖かった。でも、あなたは何度も手を伸ばしてくれた」


 メイの指が、膝の上で小さく動いた。


「アリスは、無駄なものを楽しむことを教えた。赤いリボンを、ただ綺麗だと言ってくれた。ゼイクは、不器用だけど、いつも事実を見ていた。エリーゼは、怖いものを怖いままにせず、確かめようとする人だった」


 アリアは、一人ひとりを見る。


「私は、ずっと分類していた。あなたたちを見ながらも、心のどこかで名前を貼っていた。人間。変人。危険。理解不能。……でも、そういう名前を貼っている間は、本当のあなたたちを見なくて済んでいたのかもしれない」


 熾火が、静かに赤く脈打った。


 その赤が、アリアの胸の奥にあるものと重なった。


 まだ熱い。

 まだ消えていない。

 燃え上がる炎ではなくても、確かに残っている熱。


「さっき、瞬は言ったわ。ラベルなんて剥がせばいいって」


 瞬が、少し気まずそうに頭をかいた。


「いや、俺そんな格好つけて言ったっけ」


「言ったわ」


 アリスが即座に突っ込む。


「それっぽいことを、肉を食べながら雑に言ってたわ」


「俺、雑に名言吐くタイプだからな」


「自分で名言って言うな」


 小さな笑いが起きた。


 けれど、アリアは笑わなかった。

 今は、その言葉を軽く流したくなかった。


「簡単に言わないで、と思った」


 アリアは正直に言った。


「そんなに簡単に剥がせるなら、私はこんなに苦しくなかった。森の教えも、種族の誇りも、昔から染みついた恐れも、そんなに簡単に捨てられるものじゃない」


 瞬の表情から、笑みが消えた。


 アリアは、続けた。


「でも……剥がせないと思い込んでいたのも、私なのかもしれない」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥が熱くなった。


「一度に全部は無理でも。怖さが残っていても。手が震えても。……それでも、今貼っている名前が本当に正しいのか、疑うことはできる」


 アリアは、メイを見た。


「メイを、厄災と呼ぶ前に。人間を、汚らわしいと決める前に。瞬を、ただの馬鹿だと片づける前に」


「おい、最後ちょっと雑じゃね?」


「事実よ」


 アリスが横から言った。


 今度こそ、アリアの口元が少しだけ緩んだ。


「目の前の相手を、ちゃんと見ることはできる」


 夜気が、静かに流れていく。


 アリアは膝を抱えたまま、ゆっくりと言った。


「私は、それをしたい」


 それは、決意というにはまだ弱かった。

 宣言というには、少し震えていた。


 けれど、彼女にとっては十分だった。


 冷たい森の中で、決められた言葉だけを信じていた少女が、初めて自分の目で世界を見たいと願ったのだから。


 瞬は、しばらく黙っていた。


 それから、熾火をつついていた枝を地面に置き、いつものように少し乱暴な笑みを浮かべた。


「いいんじゃねぇの」


 軽い言葉だった。


 けれど、今のアリアには、その軽さがありがたかった。


「全部一気に変わろうとすると疲れるだろ。とりあえず、腹減ったら食う。寒かったら温まる。怖かったら、怖いって言う。そんで、目の前のやつをちゃんと見る」


 瞬は、熾火を指差した。


「それくらいでいいんじゃねぇか」


 アリアは、火を見た。


 赤い光が、彼女の瞳に揺れて映る。


 それくらい。


 その言葉は、森の教えよりもずっと不完全で、頼りなくて、いい加減だった。


 でも、温かかった。


アリアは、その言葉を胸の中で何度も転がした。


 怖かったら、怖いって言う。

 目の前の相手をちゃんと見る。


 そんなことでいいのだろうか、と思った。


 森では、そんな曖昧なあり方は許されなかった。

 正しいものは正しい。

 穢れたものは穢れている。

 危険なものは遠ざける。

 迷いは弱さであり、揺らぎは未熟さだった。


 けれど、瞬の言葉は違った。


 怖さが残っていてもいい。

 完全でなくてもいい。

 それでも、見ようとすることはできる。


 その不完全さを許す響きが、アリアの胸の奥に、ゆっくりと染み込んでいった。


「……私は」


 アリアは、自分の膝に視線を落とした。


「メイだけじゃなくて、自分にもずっと札を貼っていたのかもしれない」


 メイが、静かに顔を上げる。


 アリアは、自分の手を見る。

 細い指。白い肌。エルフの血を示す、長く尖った耳。


「誇り高いエルフでなければならない。冷静でなければならない。人間に心を許してはいけない。森を裏切ってはいけない。役に立たなければ、ここにいてはいけない」


 言葉が、一つずつ落ちていく。


 それは、誰かに言われた言葉でもあり、自分で自分に言い聞かせ続けてきた言葉でもあった。


「私は、そういう札を自分に貼って、その通りに生きようとしていた。そうすれば、迷わずに済むから。苦しくても、それが正しいのだと思えるから」


 焚き火の赤が、アリアの指先を照らしていた。


「でも、本当は……ずっと息苦しかったのかもしれない」


 その瞬間、胸の奥で何かが緩んだ。


 認めてしまえば、壊れると思っていた。

 自分は誇り高いエルフではなくなる。

 森に帰れなくなる。

 瞬たちの隣にもいられなくなる。


 けれど、口にしてみると、壊れたのは自分ではなかった。


 壊れたのは、彼女を閉じ込めていた古い殻だった。


「アリアさん」


 メイが、そっと声をかけた。


 アリアは顔を上げる。


 メイは、白いアイガードをつけたまま微笑んでいた。その奥にある紫の瞳は見えない。けれど、もう見えないからといって、そこに恐怖だけを想像することはなかった。


「私は、アリアさんが怖いって言ってくれて、少し安心しました」


「安心……?」


「はい。怖くないふりをされるより、ずっと」


 メイの声は、焚き火の音に溶けるほど穏やかだった。


「怖いと思うことは、悪いことじゃないと思います。怖いと思ったあとに、どうするかが大事なんだと思います」


 アリアは、息を呑んだ。


 怖いと思ったあとに、どうするか。


 それは、今の自分に向けられた言葉だった。


 怖かった。

 後ずさった。

 間違えた。


 でも、そこで終わりにしないことはできる。


 メイを見ることはできる。

 謝ることはできる。

 もう一度、手を伸ばすことはできる。


「……あなたは、本当に強いわね」


 アリアが呟くと、メイは少し困ったように笑った。


「強くはないです。でも、みんながいるので、少しだけ逃げずにいられます」


 その言葉に、アリアの胸が温かくなった。


 強いから一人で立てるのではない。

 誰かがいるから、逃げずにいられる。


 それは、アリアがずっと知らなかった強さだった。


 エルフの森では、孤独に耐えることが強さだった。

 感情を見せないことが誇りだった。

 誰にも頼らず、誰にも揺らがず、静かな石像のように立つことが美徳だった。


 けれど、この場所の強さは違う。


 怖いと言えること。

 間違えたと認められること。

 誰かの手を取れること。

 それもまた、強さだった。


 アリアは、熾火を見つめた。


 炎はもう高く燃えていない。

 けれど、赤い芯は確かに残っている。灰をかぶっても、風に揺れても、奥には熱がある。


 今の自分も、少しだけそれに似ている気がした。


 森で身につけた誇り。

 恐れ。

 罪悪感。

 人間への拒絶。

 メイの瞳への偏見。


 それらは灰のように積もっている。

 すぐには消えない。


 でも、その下に、別の熱が生まれ始めている。


 メイを見たい。

 瞬たちの隣にいたい。

 世界を、自分の目で確かめたい。


 それはまだ小さい。

 けれど、確かに熱かった。


「……私は、たぶんこれからも何度も間違えるわ」


 アリアは静かに言った。


「森で教えられたことは、簡単には消えない。怖いものを怖いと感じる心も、すぐには変わらない。もしかしたら、また誰かを名前で見てしまうかもしれない」


 彼女は顔を上げた。


「でも、そのたびに気づきたい。これは本当に相手を見ているのか、それとも私が貼った札を見ているだけなのか」


 誰も言葉を挟まなかった。


 夜風が、焚き火の残り香を運んでいく。


「そして、もし間違えたら……謝りたい。もう一度、見直したい」


 アリアは、メイを見た。


「あなたを、厄災ではなくメイとして見たいように」


 次に、瞬を見る。


「瞬を、ただ騒がしい馬鹿ではなく……」


「おい」


 瞬が小さく抗議したが、アリアは続けた。


「私を最初にエルフではなく、怪我をした女の子として見た人として」


 瞬の表情が、少しだけ照れたように緩んだ。


 アリスを見る。


「アリスを、強欲で騒がしい貴族ではなく、無駄なものの価値を教えてくれた人として」


「強欲は余計よ」


 けれど、アリスは笑っていた。


 ゼイクを見る。


「ゼイクを、硬すぎる騎士ではなく、記録より事実を見ようとする人として」


「硬すぎる、は否定しきれんな」


 ゼイクは静かに目を伏せた。


 エリーゼを見る。


「エリーゼを、理屈っぽい魔女ではなく、怖いものを確かめる勇気を持った人として」


「理屈は大事ですわよ」


 エリーゼはそう言いながら、穏やかに微笑んだ。


 最後に、アリアは自分の胸に手を当てた。


「そして、私自身も……裏切り者でも、冷たいエルフでも、資格のない居候でもなく」


 言葉が止まった。


 自分を何と呼べばいいのか、分からなかった。


 それに気づいた時、アリアは少しだけ笑った。


 分からなくてもいいのかもしれない。


 名前を急いで貼らなくてもいい。

 今はまだ、空白のままでいい。


「……ただの、アリアとして見られるようになりたい」


 その言葉は、夜の中に静かに落ちた。


 誰かが大きく反応したわけではない。

 拍手も、歓声もなかった。


 けれど、焚き火を囲む空気が、ほんの少し柔らかくなった。


 メイが、そっとアリアの隣に移動してきた。

 何も言わず、ただ肩が触れるくらいの距離に座る。


 その距離が、今のアリアにはちょうどよかった。


 近すぎず、遠すぎず。

 でも、確かに一人ではない距離。


「アリアさんは、アリアさんです」


 メイが、小さく言った。


 それは、簡単な言葉だった。


 でも、アリアの胸の奥に、静かに届いた。


「……そうね」


 アリアは、夜空を見上げた。


 星が瞬いていた。

 名前を知らない星も、形を知らない星座も、そこには無数にあった。

 名前を知らなくても、光は光だった。


 それでいいのかもしれない。


 すべてに名前をつけなくても。

 すべてを分類しなくても。

 分からないものを、分からないまま大切に見つめることができるなら。


 遠くで、雪解け水の流れる音が聞こえた。


 冬の名残を含んだ水が、石を撫でながら、暗い谷を流れていく。

 やがて春になれば、その水は森へ届くだろう。


 エルフの森。


 アリアの故郷。

 彼女を縛り、育て、傷つけ、それでも彼女の一部である場所。


 そこへ戻る日は、もう遠くない。


 その時、自分は何を見るのだろう。


 同胞たちを、冷たい支配者として見るのか。

 過去の自分を責める鏡として見るのか。

 それとも、彼らにもまた貼られた札があるのだと、少しだけ考えられるのか。


 まだ分からない。


 けれど、以前のようにただ怖がるだけではない気がした。


 アリアは、静かに息を吸った。


 焚き火の匂い。

 肉の残り香。

 湯上がりの湿った髪の匂い。

 メイの隣にいる温度。


 そのすべてを胸に入れる。


「……ありがとう」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。


 メイにかもしれない。

 瞬たちにかもしれない。

 この夜にかもしれない。

 あるいは、少しだけ変わろうとしている自分自身にかもしれない。


 瞬が、空を見上げながらぽつりと言った。


「ま、明日になったらまた腹減るしな」


 アリアは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。


「……本当に、あなたは締まらないわね」


「締まりすぎると疲れるだろ」


 瞬はそう言って、立ち上がった。


「そろそろ寝ようぜ。明日も走るんだろ?」


 アリスが頷く。


「ええ。森に近づくほど、道は悪くなるわ。クイーン・アリス号の出力調整も必要ね」


 ゼイクが真面目な顔に戻る。


「エルフの森の結界域が近い。油断はできん」


 その言葉に、アリアの胸が少しだけ強張った。


 だが、すぐにメイの肩の温度を感じた。


 怖さはある。

 でも、もうそれだけではない。


「大丈夫です」


 メイが、そっと言った。


 何が大丈夫なのか、具体的な保証などない。

 けれど、その言葉は不思議と信じられた。


 アリアは、小さく頷いた。


「ええ」


 熾火は、最後にひとつ赤く瞬き、灰の奥へ沈んでいった。


 夜は深い。

 けれど、その闇はもう、ただ冷たいだけのものではなかった。


 名前のない星々が、静かに彼らの上で光っていた。

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