死んだ兄の名誉を取り戻すため、俺は冥界と手を組んだ。
医療ミスで患者を死なせ、自ら命を絶った若き医師。
だが弟・九十九は信じられなかった。
真相を追う九十九が迷い込んだのは、現世の未練を扱う冥界の薬局だった――。
オカルト×ミステリー×復讐サスペンス。
真実を暴くための危険な調査が始まる。
「……。よし、これで終わりっと……」
男にしては白く長い指が、淡々と、けれど正確無比な速さでキーを叩いていく。
「思っていたより、脆いかも?」
最後の一打が静寂に落ちると同時に、鉄壁に思えた守護は音もなく崩れ去った。
パソコンの前で椅子を軋ませ、その男は深い溜息をついた。
ブロンドの長めの髪をハーフアップにして、後ろでお団子を作っている。耳にはピアスが揺れ、その体は不健康一歩手前の細身だった。
平成15年、青葉の季節。
男は棒付きキャンディーと携帯を持って立ち上がった。
玄関に降り、ガラガラと音を立てて木製の引き戸を引くと、夕焼けが空を毒々しく、血のような赤で染め出していた。
サンダルを引っ掛け、表の様子を伺う。
「さすがに報道の方はいませんね……」
キャンディーのパッケージを少し苦労して剥き、口に放り込んだ。
(ちっ……。美味くねぇ……)
その男の名は、九十九。
九十九には、かつて一人の兄がいた。
職業は、医師。
過去形なのは、兄がすでに鬼籍に入ったからだ。
10日前の朝、九十九は兄の変わり果てた姿をガレージで見つけた。
両親の落胆。九十九の胸を抉るような痛み。
何もかも順調そうに見えていた兄だった。
(俺なんかより、ずっと出来が良かったじゃねーかよ……)
日がな一日中パソコンをいじっている九十九と違い、兄は勤勉で真面目だった。
医師国家試験を一発で通ったエリート。インターンとして病院に泊まり込む日々でも、最初は「やりがいがあるよ!」と明るい笑顔を見せていた。
だが、慣れない職場での激務、命を預かる重圧。疲れは確かに滲んでいた。
「電子カルテって言うのが採用になってな……。僕には向いてないかも?」
そう零した兄に、「兄貴、ワープロで論文打てんだから楽勝っしょ?」と軽口を叩いたのが、今はもう遠い日のように感じる。
兄が自ら命を絶った原因は、電子カルテへの入力ミスとされた。
薬剤の名前を間違え、致死量を投与する指示を入力してしまったというのだ。規模の大きな個人病院だったこともあり、すぐにニュースになった。
「そ、そんな……! 僕は……!」
打ちひしがれる兄にかける言葉を探した。見つからなかった。
「俺だけは味方だ」と、警察から帰ってきたら伝えようと思っていたのに、帰ってきた兄には何一つ伝えられなかった。
葬儀の日、九十九は形ばかりの弔問に来た病院長と事務長の会話を偶然聞いてしまった。
『パスワードは誕生日でした。』
……なんのことだ?
九十九の背中に嫌な汗が流れる。
兄貴……。まさか……。
(ハメられた……!?)
病院と同じ型番のパソコンを買い、九十九は削除されたであろうデータを復旧する道を探った。
導入されたばかりのシステム、使うのは素人。セキュリティはガバガバだ。
削除されたデータを完全に復旧するのは難しいが、手がかりは必ず残っているはず。何度もシミュレーションを繰り返す。
入れる。
復旧も、できる。
だが――病院の内部に潜り込んでデータを奪い返す手段がない。
(どうしたもんかね……)
自分が諦めたら、兄は二度死ぬことになる。
肉体が死に、さらにその誇りさえも殺される。
それだけは、我慢がならなかった。
パソコンばかり弄る九十九を叱る母に、「止めるなよ。こいつ……天才だぜ?」と笑って庇ってくれた兄。
おかげで情報処理の専門学校に行き、最先端のITを学ぶことも出来た。
いじめられていれば、顔を真っ赤にして助けに来てくれた。
夏休みの宿題が終わらず泣きそうになっていれば、明け方まで一緒にやってくれた。
(結局、字でバレて叱られたけどな……)
もう一度会いたい。
一緒に一度だけ飲みに行った。多くは語らなかったが、楽しかった。
また近いうちに、なんて言ったくせに。そんな日は……。
(……永遠に、来ねえじゃねえかよ!)
許せない。
それ相応の罪を、奴らに背負ってもらう。
絶対に。
枯れたはずの涙で視界が霞んだとき、目の前が不自然に開けた。
舗装されたアスファルトを歩いていたはずなのに、足の下には砂利の感触。小石がサンダルの隙間から入り込んでくる。
「いてて……」
小石を取り除こうと足を上げた瞬間、目の前で自転車のブレーキがかけられた。
キィィィッ……という、鼓膜を刺すような嫌な金属音。
「ん? 客か?」
見たこともないような整った顔が、上から覗き込んできた。
「おかえりーっ……。わあお、拾い物?」
若い女が店のカウンターに座っていた。
隣には無精髭のイケおじ。奥からは、これまた珍獣レベルの美形が顔を上げる。
「表にいたんでな。連れてきた」
赤い髪の男――炎が、九十九を顎で指す。
(どうやったらこの色が出んだ? パツキンでさえ珍しいのに、赤かよ!? しかもおもちゃみてぇな赤じゃねえ……埋め火みてぇだ……)
九十九が呆然と立ち尽くしていると、カウンターの若い女が凛とした声で問いかけた。
「お困りかしら? こちらは現世の未練を癒やす冥界の薬局。あなたのその悩み、私が『処方』して差し上げましょう」
軽やかだが、不思議な重みがある声。
その響きに心の隙間を突かれ、九十九は抗うこともできず、ただ吸い込まれるように頷くしかなかった。
はっと現実に戻る。
逢魔が時――魔物や妖怪、この世のものではないものに逢う時間。
九十九は、炎に促されるまま薬局の古びたテーブルについた。
正面に女主人・凛。隣に炎。
お茶を淹れてきた佐伯という男が九十九の右隣に座り、宵という深いグレーの髪の男が少し離れて柱にもたれている。
促されるまま、九十九は重い口を開いた。
不思議なほど、言葉が溢れて止まらなかった。
誰も口を挟まず、静かに最後まで聞き届けてくれた。
語り終え、言葉が途切れる。
誰かがお茶を啜った。外で鴉が鳴いた。
夕焼けの赤が薄れ、店の中に青い影が差し始めていた。
(どうせ、信じてもらえない……)
「宵、どうする?」
凛の問いに、柱の男が身を起こした。
「佐伯、佐藤病院にコネは作れるか。求人を探って欲しい」
「ぱ、パソコンか? やってみるが……俺はあまり……」
ガラガラと無機質な音を立てて、旧式のデスクトップが載ったワゴンが運ばれてくる。
「……っと、だな。まずは接続して……」
「大丈夫? 『とらばーゆ』買ってこようか?」
炎が覗き込み、ニヤニヤしながら冷やかす。
「あ、俺……やろっか? ――そこ、どいて」
九十九の言葉に、全員の視線が集中した。
九十九が椅子に座り、キーボードに手を置く。
その瞬間、彼の纏う空気、目つきが職人のそれへと鋭く変わった。
「何? これ……!」
叩き込む指先が残像を残す。画面が猛烈な勢いで遷移していく。
「冥界のパソコンさ。最新にして、あらゆる時代のネットワークに対応してる」
炎が肩をすくめて応える。
「……冥界? 何それ、自作PCの痛いネーミング? ……って、うわ、なんだこの処理速度! OSは何積んでんだよこれ!?」
「……あんたのタイピングも相当だな」
佐伯が隣で目を丸くする。九十九は画面から溢れ出る情報に食い入るように見つめた。
「佐藤病院、事務員2名募集中……っ!」
「よし、潜り込めるな。ついでに評判も洗え。過去の不自然な事故、噂、金の流れ、全部だ」
宵の冷徹な指示に、九十九が再びキーを連打する。
「待って……過去にも、ある……過労死……訴訟の記録まで……」
パソコンを操作する九十九の顔色が、みるみる青ざめていく。
「あ、俺、代わるわ。九十九、少し休め」
炎が椅子ごと九十九を横にスライドさせた。
「……炎、できるのか?」
宵の疑いの視線に、炎は赤い髪をかき上げて不敵に笑う。
「できるさ。少なくとも佐伯よりはな。こう見えて最近『X』も始めたんだぜ。世の中じゃ『しんでれ』っていうのが流行ってるらしいじゃねえか」
「……炎。それを言うなら『ツンデレ』だ」
宵が深いため息をつく。
――その瞬間、炎のふざけた空気が一瞬で凍りついた。
画面を見つめる瞳が、鋭く細められる。
「……ッ、おい。笑えねえもんが出てきたぞ」
声のトーンをガチで落とし、炎の指先が九十九に負けない速度で踊り出した。
「――出たぜ。こいつは黒だな。過去にも投薬ミスによる医療事故を起こしてる。被害者は子供。……おい、これを見てみろ」
炎が画面を指差す。そこには闇に隠蔽された示談の記録があった。
「子供に後遺症を残しておきながら、賠償金だけで片付けてやがる。子供の一生を奪っておいて、こんな端金で……っ」
炎の低い声が、激しい怒りに震えていた。
その瞳が、九十九の兄を想う悔しさと怒りに共鳴するように、怪しく赤く輝く。
「腕のいい弁護士がついて、外堀は埋められてるな。だが、九十九の言う通り、電子カルテのログさえ奪い返せば暴ける。冥界のパソコンがどれほど高性能でも、物理的につながっていない場所にあるデータは、直接その端末を操作するか、FDやMOにでも吐き出させない限り、外からは抜き出せないからな」
宵が静かに呟く。
炎は九十九の肩を強く叩き、ニヤリと笑った。
「安心しろ。情報の『処方』はこっちの得意分野だ。俺が裏口をぶち破ってやるよ」
九十九は何も言えなかった。ただ、唇をきつく結んだ。
目の奥に、まだ涙の名残りがある。
それでも――
「……頼む」
「さあ、最高の復讐劇の台本を広げようか」
宵が静かに宣言し、冷酷でいて痛快な物語の幕が上がった。
霊能力者、怪異、都市伝説、そしてネットに隠された闇。
オカルトミステリー『冥界往還奇譚』第三話。
今回はシリーズ屈指のサスペンス回です。
なお、本作の執筆にあたり、
文章の整理・推敲の一部にAIを使用しています。
物語のアイデア・構成・セリフはすべて作者本人によるものです。




