閑話 湊家の朝
湊家の朝は、それなりに早い。
「ふぁあ、おはようお兄ちゃん」
「おはよう美波、春休み中なのに早起きできて偉いな」
「お兄ちゃんこそ、大阪から帰って来たばかりなのに今日も早起きだねぇ」
長時間睡眠を旨とする湊鴎賀。
今年の春から中学生になる4つ下の妹よりも長く寝るが、起床時刻は妹より早い。
美波がリビングに現れるころにはもう朝食を半分くらい食べ終えているのがお決まりの光景だ。
「お母さん、いただきまーす」
「はいはーい」
そして、妹が朝食を食べ終わるころ......兄はまだ朝食を食べていた。暫くぶりに食卓を共にする兄、その前には今日も今日とて『ウチは相撲部屋か!?』というレベルの大量の食事が置かれている。
「今日もよく食べるね」
「ああ、アスリートは身体が資本だからな」
どうやらそう言うことらしい。成長期の高校生の身体はまるで溶鉱炉、ただでさえ食べたものをどんどん燃焼させていくうえにハードなトレーニングを行う関係上、高校球児は一日5000カロリー以上を摂取する必要があるのだという。
ちなみに今朝の朝食は2キロのカレーと牛乳、それとゆで卵入りのサラダ。合計3500カロリーである。
この時代、食トレを行っている名門校では『練習よりも食事がつらかった』と懐古する選手も多いのだが、湊鴎賀は幼少期からの積み重ねと医療知識、そしてフードファイターのテクニックを応用することで、大量の食事を毎日こともなげにたいらげていた。
「そうそう、聞いてくれよ美波。俺、甲子園でマツケンって有名人と戦ってきたんだ」
「お兄ちゃんはいつも楽しそうで羨ましいよ」
どや顔で言う兄に、美波はため息交じりに応える。
(というか、今はそのマツケンさんよりお兄ちゃんの方がよっぽど有名人なんだよなぁ。本人は全然テレビ見ないからあんまり自覚がないみたいだけど)
「悩みも全然なさそうで......はぁ......」
言いつつ、チラチラと兄の方を見る美波。
「なんだ、悩みでもあるのか?どしたん、話きこか?」
「えー、きっとお兄ちゃんでも解決できないしなぁ」
え、そんなこと言われたら逆に気になるんだけどと食いつく兄。
教えてくれと頼まれる体になったことで、妹は口を開く。
「今度、私中一になるじゃん。春先にあるスポーツテストが嫌なんだよ」
「なんで?別に運動なんて苦手でもいいだろ、それに美波は勉強も作文も絵もピアノも達者なんだし」
「そんなに褒められると照れちゃうなぁ......じゃなくて!」
言いつつ美波は、小学一年生の時のスポーツテストを思いだす。
当時、毎年のように色んな校内記録を塗り替え、スポーツ万能として学区内で有名だった兄。
その妹として、注目が集まる中で行ったソフトボール投げ。
結果は、手前の線まで届かずにまさかの『記録なし』。
その後の種目もグダグダで、周囲から残念そうな目を向けられた美波。インドア系の才能はマルチにある彼女だが、運動は苦手だった。
齢6つにして『くっ、いっそ殺せ』の概念を知った苦い記憶である。
「あー......なんかごめんな?」
「いや、お兄ちゃんは何も悪くないんだけどね」
ただ、中学で知り合う新しい面子を前にまた似たようなことになるかと思うと少しばかり気が重い。
特に今の兄は全国区のアスリートだし。
「A判定をとりたいとかじゃないんだけど、E判定で悪目立ちしないくらいの成績は出せるようになりたいんだよね。それも簡単に、努力は最小限で、今すぐに」
言いつつ、人間の浅ましさをこれでもかと詰め込んだリクエストだなという自覚はある美波。当然、スポーツガチ勢の兄から「そんなうまい話があるわけないだろ」と呆れられる可能性まで織り込み済みだ。ただの愚痴みたいなものである。
「まっ、そんなうまい話があるわけないのは私も——」
「できるぞ、そのくらいでいいなら」
「できるの?!」
思わず聞き返す妹に、ああ、と答える兄。
「要はスポーツテストの点数がE判定からC判定位まで上がればいんだろ。測定する8種目それぞれのコツさえ理解すれば一日で10点ぐらいはすぐに上がるからな、余裕余裕」
「えー本当かなー」
「じゃあ、俺ももうすぐ食べ終わるしそこで一番簡単な立ち幅跳びをしてみようぜ」
あ、母さんご馳走様!といって食器を片付け、いそいそと準備を行う湊鴎賀。
「じゃあ、競技用メジャーで測るから早速このゼロメートル地点から飛んでみな」
「なんでリビングにそんなものが常備されているのか突っ込んだら負けなんだろうね......」
促され、飛んでみる。記録は130cmだった。
「まあ、こんなもんか」
「ちなみにお兄ちゃんはどれくらい飛べるの」
「んー、3mくらいかな」
私の倍以上じゃんと慄く。
そうだった。この兄は、毎年余裕の全種目満点だった。
「でだ、予想通りなんだけど、さっき美波はジャンプするときに腕を前にほとんど振っていなかったんだよ」
「腕?ジャンプするのは脚なのに」
「ああ、腕も結構な重さがあるからな。強く前に振れば、物理的に強い推進力が得られる。ちょっと手本を見せてみるぞ。美波のさっきのフォームはこんな感じ......で、理想のフォームは......こう!」
「うわ、すっご!そんなに腕って振れるものなんだ」
まあ、いきなり兄の様な勢いは出せないのだが、「こんなイメージで腕を振ってみな」というアドバイスにあわせてやってみる。
「お、155㎝だ。25cm伸びたな」
「えっ、すご......」
「で、確かこの辺に......あった。この『項目別得点表』によると今ので立ち幅跳びは2点から4点にアップだ。あと2cm伸ばせば5点になる。美波は12歳だから8種目がオール5点なら40点でC判定だな、ちなみに、どこかで6点取って41点に乗せれたらB判定だぞ。」
まだ俺が出かけるまで30分くらいあるから、歯磨き済ませたら家の前で他の種目もやってみようぜと兄に言われ、慌ててパジャマから着替え始める妹。二人が外に出るのと入れ違いで、父親がリビングに姿を現した。
「おはよう、今日は美波も大分早起きなんだな。昨日までは寝坊助だったのに」
「ふふ、お兄ちゃんが帰って来て嬉しいんでしょうね」
家の前からは子どもたちの声が聞こえてくる。
「いやーしかしスポーツ系の悩みでよかったぜ。てっきり恋煩いでもしているのかと......」
「ちがわい!」
ちなみに湊美波、現在好きな同級生は居ない。クラスにはスポーツ万能な男子と賢い男子がいて女子の人気を二分していたが、美波は「でも小6の時のお兄ちゃんの方が運動も勉強もずっと凄かったよね」とか思ってしまうタイプであった。
そんな彼女は現在、若干ブラコン気味である。




