95. 球団オーナーとの密談
プロ野球の契約更改は基本的に『年棒の低い若手選手や育成選手』から始まり、徐々に『高年俸の主力やベテラン選手』へと進んでいく。なぜなら、球団側はチーム年棒の予算をあらかじめ決めており、その枠内でやりくりをする必要があるからだ。
早い話、お財布管理としてそちらの方がやりやすい、という事情である。
そこでまず金額の変動が少なく交渉にも時間がかからない若手や一軍半の選手を先に確定させ、『20歳半ばから30歳代の主力選手たちに最大いくらまで払えるか』というシミュレーションができる様にする……というのが例年の流れだ。
(だけどまあ、若手でも流石にこの選手は別枠だわな……)
名古屋ドラゲキンの総括本部長……契約更改交渉の最高責任者は、そんな事を思いながら資料に目を通し、本日の話し合いについて再度脳内シミュレーションを行う。
それが一段落するころ、球団事務所に設けられた応接室のドアがノックされ一人の選手が入ってきた。
「失礼します」
スーツよりも学生服の方が似合いそうなほど、声も顔も非常に若い。長年ベテラン選手達との難しい交渉をまとめてきた本部長とは倍以上……親子ほどの年齢差がある選手だ。しかし同時に、今年の契約交渉でどんな年棒が提示されるかマスコミが最も注目している選手でもある。
「よく来てくれたね、湊君。今日はよろしく」
言いつつ、海千山千の本部長は本日の交渉相手である湊鴎賀の表情を窺う。
そこで、今シーズン新人ながら異次元ともいえる活躍を見せた青年がやや緊張した面持ちをしているのを見た本部長は、ほっと一息をついた。
(よかった。今回はすんなり済みそうだ。代理人も伴っていないし……前回は、長時間にわたるタフな頭脳戦・心理戦になったからな……)
そう、入団時の契約交渉では湊鴎賀の代わりにやり手の代理人がやって来て、『選手として一番いい時期にメジャー挑戦するためのアレコレ』に関する項目をまとめるのが結構大変だったのだ。まあ、湊本人は元々ウィンウィンの契約を目指しており、かつ金にはそこまで執着していないという事でそこは助かったのだが。
「じゃあ、こちらの査定担当者から今年度に君がシーズン中に達成した成績が、それぞれどう契約金に反映されたかを説明してもらうね」
そこで本部長の隣にいる球団職員が実際の数字を交えながら説明していき、『以上をまとめると、湊選手は前年度の1300万円から大幅アップし8500万円という評価なります』という査定額を提示した。
そこで間髪入れず、本部長は言葉を被せる。
「ちょっと待ってくれ君、湊君は今シーズン、チームを日本一に導いてくれた功労者だ。そして新人ながら6つものタイトルを獲得してくれたことにも無形の価値がある。その辺も鑑みてさらに500万円上乗せした9000万円にしてあげてほしい。あと来シーズンへのインセンティブ契約もつけてあげようじゃないか」
非常に気っ風の良い発言……のようだが、実はこれは予め打ち合わせで決めていた通りのもの。実は、湊の成績からすると元々9000万から9500万あたりが妥当な額であり、やり手代理なら『優勝の原動力になったのだから、1億円下さいよ』なんて言ってきても、何らおかしくない状態だった。
早い話が、彼らは一芝居打っているのだ。
というのも、この交渉が終わると湊は記者会見場に移動し何十人もの記者の前で契約更改について会見を行うことになっているからである。
そこで、『一億円の大台には届きませんでしたが、インセンティブも含めれば大満足の結果です!』なんて笑顔でいってもらえると球団としては非常に助かるのだ。まあ、昨年まで高校生だった上に金にはあまり執着しない選手のようだから、まず間違いなくこれで上手くいくだろう。
「と言うわけで、9000万円に来季への出来高契約でサインしてもらえるね?」
そういって、笑顔で話をまとめにかかった本部長の言葉を
「いったん保留とし、後日再交渉させてください」
湊鴎賀は、球団側が一番困る言葉でぶった切った。
「……は?」
予想外の回答に驚愕する本部長。
それは困る。非常に困る。なぜなら、日本一の原動力となり注目を浴びている選手との契約が難航しているなんて報道されると、外聞が非常に悪くなるのである。『金払いの悪い、みみっちい球団だな』なんて具合に。
しかし、彼らが本当に驚いたのは、湊の次の言葉だった。
「ただし後日、球団オーナーの田豊会長と直接30分、二人きりでお話させて頂けるなら今ここで、先ほど提示して頂いた金額の半分でも喜んでサインします」
***
名古屋ドラゲキンの球団オーナーである田豊は、日本最大の自動車会社の他、世界のエネルギー利権にも関わっている大企業『田豊通商』の取締役会長である。つまるところ、色んな所に顔が利くめちゃくちゃ偉い人だ。
そんな人物にとって時間は黄金よりも貴重であり、まとまった時間をとって面談するのは基本的に数千億円から数兆円が動く国家プロジェクト級のビジネスに関わる案件である場合が殆どである。
ただし、例外もある。
例えばそれはビジネスの重要度や相手の格だったり、会長が出向くことでごく短時間での解決が見込めたり、会長本人が個人的に興味を持った案件なんかがそれにあたる。
(近い将来、日本を代表するスーパースターになりそうなあの湊鴎賀から、選手にとって最も重要な『年棒』を半額にしてまで私に直訴したいことがあるという異例の要求。球団フロントから連絡が来た時は耳を疑ったが……うん、なかなか面白そうな案件じゃないか)
田豊くらいになると、誰が面談を希望しているか聞いた瞬間には大まかな案件や、場合によっては話のゴールまで見える場合が多い。
そんな中、今回のように一体どんな話をされるのかさえ分からないケースと言うのは本当に久しぶりであった。
ただ、本気の話と言うのは聞かなくても分かる。
(だって、自分の年棒を半分にしてまで伝えたいことだろう)
プロ野球選手にとって、年棒と言うのは己の価値を数値化した何よりも重視すべきものなのだ。そして、今年の年棒は翌年以降にも非常に重要となる。例えば、その年活躍した選手が契約に基づき『来年は1.5倍に年棒アップ』となった場合、元の年棒が9000万円なら1億3500万になるが、4500万なら6750万円にしかならないのだから。
「会長、この先で湊選手が待っています」
「ああ、ありがとう。行ってくるよ」
2人きりの密談という事で秘書と別れて、重厚な防音ドアをくぐる。
なにか、今後に役立つ刺激になる面白い話だといいなぁ、なんて淡い期待をしながら。
「実は私、ここから近未来までの記憶を持つ転生者なんですよ」
「……は?」
眼前の青年が、開口一番に切り出した言葉に田豊は耳を……そしてそれ以上に己の目を疑った。
田豊は権謀術数渦巻くビジネス界や社交界に長年身を置いてきた。加えて、一筋縄ではいかない各国の首脳とも数多の交渉をまとめて来た男だ。そんな人生経験から、相手の言葉が本心かどうかを見抜く眼力は備わっていると自負している。
(まるでSFのような話だな……)
だが、湊鴎賀が嘘を言っている様には見えない。
「私は、前世の記憶を頼りに赤子の頃から医学知識に基づいたトレーニングをしてきました。その結果、プロ野球選手となり結果を残すことができたのです……とは言っても、すぐには信じられませんよね」
「あ、ああ。なんでその話を私にするのかも疑問だし……」
「結論から申し上げますと、今から4年後の3月に大規模な震災が起こります」
「なんだって!?」
「その被害を最小限に抑えるために、会長の力を貸してほしいのです」
相変わらず荒唐無稽な話。しかし、湊鴎賀の顔は、自分の双肩に多くの国民の命を預かる各国首脳の様に真剣だった。そして、よくよく見れば20年足らずの人生経験では決して持ちえない『風格』の様なものまで感じる。
田豊の勘はすでにこの話が事実だと告げていた。
とはいえ、自分の眼力が衰えた可能性も、眼前の青年が精神に問題を抱えており自ら作り出した妄想を信じ込んでいる可能性も、また否定できない。
「そして、その話を信じて頂くためにこの先何が起こるのかを、前世の記憶を簡単にまとめてみました。こちらになります」
そこには、『来年の秋ごろに世界規模で株価の大暴落が起きる』ことや、『その翌年に国会で与党と野党が入れ替わる』といったこと、そして『4年後どこで震災が起こりどんな被害が出るのか』という内容が書かれていた。
ごくり、と唾をのむ田豊。
もしここに書かれていることが事実なら、その『予言』に基づいて立ち回ることで田豊グループは莫大な損失回避と天文学的な利益を得ることができるだろう。それこそ、数兆円の規模になるほどの……
そして、それは事実である可能性が高い。
「この、株価の暴落と政権交代が当たった時点で、震災が起こるものとして動いて欲しいのです。もし外れたら、その年は私の年棒を基準で定められた最低額に落として頂いて構いません」
眼前の青年からは相当な覚悟が窺えた。
「なぜ、そこまで?」
「自分のためです。知っている大災害を知らないふりで何も対策せずでは、後ろめたくて楽しく野球に集中できませんからね。あと私は四国出身なんですが、前世は工業高校出身で医療従事者でもあったんですよ。で、県内にある原子力発電所も稼働停止して同級生が困ったり、勤めていた病院にも被災地に赴いた先輩がいたりしたので……」
***
「会長……お疲れ様でした」
会議室から出てきた田豊を見た秘書は、そこで言葉を切った。
普段、泰然自若としている主が珍しく疲れた様子を見せたからである。どんな話があったか気になるが、当然尋ねるような真似はしない。代わりに、こう質問する。
「よろしければ、今後のスケジュールを幾つか後ろ倒しにして少し休まれますか?」
「……ああ、頼む。今後について腰を据えて考えたいことができた」
この翌年、田豊グループは夏から秋にかけて保有株とドルの大量売却を行った。
また同年の冬には経団連を通して『エネルギー安保の観点から、徹底的なリスクマネジメントとして未曽有の巨大津波に対する防潮堤の強化と電源の多重化を提言』を実施。これによってこの国では、その後3年がかりで大規模な震災対策が急ピッチで進むことになる。
なお、晩年、当時のことを聞かれた田豊は笑ってこう話したという
「日本国民として、危険を放置したままでは楽しく野球観戦もできないからね」




