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愛依は、お披露目される

 その後、佑楽(うらく)は宮内や師範らとも話をつけてくれたらしく、翌日から過度のしごきで翔士(しょうし)が疲れ切ることはなくなった。


 翔士は順調に技を磨いていき、十三の夏を迎える頃には、葵翳(きえい)や師範連が目を見張るほどの成長を遂げていた。

 身長も、司凉(しりょう)の肩辺りまで伸び、すんなりと伸びた体にほどよい筋肉がついている。


 ただ生まれ持った線の細さだけはどうしようもなく、やんちゃな外見と相反する、どこか愛くるしい容姿は、一見すれば貴人の寵愛を受けたどこぞの楽人とも見違えた。



 人前で取り繕えるだけの礼儀作法も身につき、ようやく宗主への目通りが許されたのが、その年も押し迫った暮古くれこ月。



 その日、翔士は真新しい束帯に身を包み、司凉に先導されるまま、初めて宗主の住まう本殿に足を踏み入れた。

 

 通されたのは、宗主が私的な会合に使う珊瑚の間だった。重厚な調度が並ぶものの、さほど重苦しい感じはなく、瀟洒な造りとほどよい広さで寛げる空間だった。

 一段高くなった御座処に宗主夫妻が座し、その右側に司凉の兄君三人が、左側には筆頭格の葵翳と佑楽が、それぞれゆったりと座している。


 何故佑楽が、と一瞬思った翔士だが、よく考えれば、佑楽は宗主である儀容ぎようの実兄なので、こうした場に臨席するのは当たり前の事なのかもしれない。


 初めて拝謁を許された儀容(ぎよう)は、御年六十歳。

 どっしりとした体躯がそのまま貫録をさし表すような、剛毅かつ実直そうな男性だった。

 司凉と血の繋がりを思わせるようなところは何もなく、どうやらその四角張った面立ちを受け継いだのは、長子である覇麝はじゃと三男の伽飾がしょくのようだった。

 次男の祷耶とうやは、眉の辺りや優しげな目元がどことなく佑楽を彷彿とさせる。

 その祷耶は翔士と目が合うや、いたずらっぽく微笑んで、翔士をどぎまぎとさせた。


「そなたが翔士か」


 司凉が愛依(うい)胎魂(たいこん)の性を決める時、その説得にも加わった儀容は、ようやく対面を果たした愛依児をしみじみと目を細めて眺めた。


「怪我が多かったと聞いているが、よく無事に育ったものよの」


 揶揄を含んだ声音には一切の毒はなく、ただ愛依が無事に育ってくれた事への率直な安堵と喜びが込められていた。

 だが、宗主の傍らに座す、老いてなおたおやかに美しい宗妃、貴沙(きさ)の思いは全く別であったらしい。


 司凉によく似た、けれど司凉が見せた事もない険のこもる眼差しを真っ直ぐに翔士に向け、

「お前のために何度、司凉が泉恕(せんど)に走らされた事か」

 と、呆れ果てたように言葉を投げてきた。


 翔士の傍らに座していた司凉の瞳が、ふと不愉快そうに宗妃に向けられる。

 けれど翔士は、そんな祝主の様子に気付くことなく、ただ言葉もなく項垂うなだれた。


 依人に名を連ねていたとはいえ、百姓の子に過ぎぬ自分が、宗家筋の司凉を何度も鄙に呼びつけたのだ。

 不快に思われても仕方がないと唇を噛みしめたが、見かねた司凉が何か言うよりも先に、葵翳がおもむろに口を開いた。


「ここまで無事に育ちました。

 宮がお知りになれば、さぞご満足なさる事でしょう」


 柔和な言葉を口にする葵翳は、貴沙の不興に当然気付きながらも、同胞はらからに対するこれ以上の無礼は許さぬとばかりに、やや冷えた目で宗妃を真っ直ぐに仰ぎ見る。


 形式上は宗主に臣下の礼を取る葵翳だが、実際は、声一つで宗主の首を挿げ替えられるほどの力を、朝堂では有していた。

 元々宗家の血筋であれば、血の確かさにも問題はなく、たかが宗主の妃に過ぎぬ貴沙の事など、露ほども崇めていないのは明白だった。


 思わず顔色を変える貴沙を見て、咄嗟に庇うように言葉をさしはさんだのは佑楽だった。

「この者をお引き合わせする日をずっと望んでおりました。

 どうぞ目を掛けてやっていただきたく思います」

 そう言ってにっこりと微笑む佑楽の姿に、張りつめていた場の空気がふっと和む。


 佑楽は穏やかな眼差しを翔士にも向け、安心させるように小さく頷いた。

「この者の指南には私も立ち会いました。真っ直ぐな気性で、その成長ぶりには葵翳も目をみはるほどです。

 必ずや立派な依人となって、今後の宗家を支えていくことでしょう」


 佑楽の視線は最後に貴沙へと向けられ、その眼差しをゆったりと見つめ返した貴沙は、満更でもない様子で唇を綻ばせた。

「佑楽がそうおっしゃるなら、そうなのでしょうね」

 

 そして、傍らの儀容に、蕩けるような笑みを向ける。

 今は老いたとはいえ、若い頃は国に並ぶものなしとまで評された美貌の宗妃だ。その宗妃が機嫌を直し、笑みを浮かべるのを見て、儀容はほっとしたように表情を緩めた。


 その後は宗主と葵翳を中心に会話が進み、最後に宗主と覇麝からそれぞれに言葉を賜った後、翔士は司凉に連れられて場を退席した。


 宗妃は、日頃なかなか会えぬ司凉にもっとゆっくりして欲しそうな素振りだったが、母妃の機嫌を取り結ぶ気は、司凉にはさらさらないらしい。

 あっさりと翔士を連れて席を立ち、司凉に続くように何故か次兄や末兄までが、当然のように後をついて来た。


 このまま六茫宮(ろくぼうぐう)に帰るのだろうと思っていた翔士だが、慣れぬ回廊を司凉に導かれるままに進むうち、いつの間にか翔士は見知らぬ扉の前まで来ていた。


「ここは?」

 思わず尻込みする翔士の背を、司凉が無理やり中に押し入れる。

「俺の部屋だ。入れ」


 おそるおそる中に足を踏み入れ、室内を見回してみると、内部の意匠は確かに司凉好みで統一されていた。

 高さを揃えた調度がバランス良く配置され、色彩も象牙色を基調として、すっきりとまとめられている。


 当然のように後から入って来た二人の兄が、それぞれ居心地の良さそうな寝椅子にさっさと座り込むと、司凉はわざとらしくため息をついて、翔士に座れ、と窓際の椅子を顎で指した。


「ようやくお前に会えて嬉しいな」

 いく分緊張気味に椅子に畏まる翔士に、待ちきれない様子で声を掛けてきたのは、先ほど翔士にいたずらっぽく片目を瞑ってみせた次兄の祷耶だ。


 笑うとやはり、伯父の佑楽に似ている。

 年の頃はおよそ三十五、六で、事情の知らない他人が見れば、佑楽とは年の離れた兄弟で通るかもしれなかった。


「まだ全然戦力にならないと言われていますけど」

 遠慮がちに翔士がそう答えるのへ、

「司凉が言ったか」

 末兄の伽飾が楽しそうに破顔する。


 こちらは面差しこそ儀容に似ているが、父親ほどには厳めしくなく、いかにも豪放磊落といった、のびやかな明るい気質が透けて見えた。


 その面を好ましく見上げながら、司凉とはまるで正反対だと、翔士はしみじみと心に呟く。

 司凉は愛想はないし、物言いもどことなく偉そうげで、何に対してもどこか冷めている。

 あの物憂げなところがいいのだと宮の女達は騒いでいたが、物憂げとものぐさのどこが違うのか、未だに翔士にはわからなかった。


 そんな翔士の心の声が聞こえたのか、司凉はむっと翔士を睨みつけ、ついでとばかりに兄二人に面倒くさそうに声を掛ける。


「お二人とも、ここで寛ぐのは構いませんが、執務が待っているのではありませんか?」

「そう急かせるな。俺たちにだって、息抜きする時間は必要だ」


 弟の冷ややかな物言いに堪えた様子もなく、あっけらかんと祷耶は笑う。伽飾もまた、いかにも楽しそうに言葉を続けた。

「そうそう。それに不愛想極まりないお前が、柄にもなく愛依を可愛がっていると聞いたんだ。俺たちが興味を覚えるのは当然だろう?」

 

「可愛がっている?」

 言われた司凉は嫌そうに眉を顰めたが、翔士の方も何やら面妖な言葉を聞いた気がして、真剣に首を捻った。

「俺、可愛がられてたの?」

 思わず自分を指さす翔士に、司凉はふんと鼻を鳴らした。


「ちゃんと面倒を見てやっただろうが。

 愚図で役立たずの愛依だから、よく怒りはしたけどな」

「ひど……」

 一刀両断されて、翔士は思わず涙目になるが、一方の司凉はそっぽを向いて知らん顔だ。


「なるほど。これは見ていて飽きない」

「司凉が手放さない訳だ」


 兄二人はそのやり取りを、面白そうに眺めている。

 それどころか、「こんな愛らしい泣き顔を見せてくれるなら、時々は六茫宮に遊びに行こうかな」などと言うものだから、司凉は心底嫌そうに二人を見た。


「これは俺の愛依ですから、お二人ともあまり遊ばれませんように」

「そう釘を刺されると、余計に構いたくなってくるではないか」


 貴人に美を愛でられる舞楽士にさえ、これほどに愛らしい顔立ちの者はいないだろうと、伽飾は内心で思ってしまう。

 司凉の放つ硬質の美とは異なり、ふと笑みを引き込まれるような愛らしい美貌だ。


 次兄の祷耶も同じように思ったらしく、悪びれずに後を続けた。

「そうそう。これからは宮内でも顔を合わせることがあるだろうし、仲良くしておくのは悪い事ではないだろ」

 にっこりと微笑まれて、翔士も釣り込まれるようにはにかんだ笑みを浮かべた。


 二人の兄君はなんだかんだと司凉をからかっているが、楽しげなその様子を見ていると、二人が心底、司凉を大事に思っている事が翔士にも伝わってくる。

 一見年の離れた兄弟だが、実際は末兄の伽飾と司凉とでは、三つしか年が離れていないと聞いていた。


 司凉といい佑楽といい、このような奇跡を折々発現させる宗家の血の不可思議さを、二人はどのように見ているのだろうと翔士が思いを馳せた時、軽く扉の叩かれる音がして、側人と呼ばれる仕え人が顔を覗かせた。


「失礼致します。宗妃さまが祷耶さまをお呼びなのですが」


 途端に兄二人は、何とも言えない表情で互いの顔を見合わせた。

 司凉は床に視線を当てたまま一切表情を動かさなかったが、兄二人が気まずそうに押し黙る理由などはなから承知している様子だった。


「佑楽は退室されたのか?」

 どこかうんざりした伽飾の問いに、祷耶が咎めるように声をかぶせた。


「伽飾、止せ」

 穏やかな祷耶らしからぬ厳しい声に、翔士がぴくりと面を上げる。


 何とも居心地の悪い沈黙が場を押し包み、側人がおそるおそるといった口調で口を挟んだ。

「佑楽さまは、葵翳さまとともに、六茫宮へ帰られましたが」


 祷耶はしばらく無言でいたが、やがてため息と共に立ち上がった。

「分かった。すぐに行く」


 そのまま部屋を出ようとする祷耶に、伽飾が声を掛けた。

「兄上、俺も付き合いますよ、御母堂の機嫌取り。いいでしょう?」


 祷耶は硬い表情のまま振り返ったが、伽飾の表情に一切の邪気がない事を知ると、諦めたように吐息をついた。

 苦笑を滲ませ、伽飾に小さく頷いてやる。

 ついて来いと言う意味らしい。


 やがて二人が揃って出て行った後、無言で卓子の茶器に手を伸ばす司凉に、翔士はそっと声を掛けた。

「司凉は行かなくていいの?」


 本当はそんな事を聞きたいのではなかった。

 ……なぜ、宗妃が祷耶を呼ぶのか、そしてそれが佑楽とどう関りがあるのか。


 けれどその問いは、口にしてはいけない気がした。

 司凉もまた、言葉にされない翔士の疑問に当然気付きながらも、聞かれた問いだけに短く答える。

「母が呼んでいるのは祷耶兄上だ。俺には関係ない」


「宗妃さま、おきれいだったね」

 どう答えて良いかわからずそう呟く翔士に、司凉は興味なさそうに鼻で笑った。

「五十五を過ぎた女に、本気でそんな事を言ってるのか」


「お年を召されててもきれいだったよ」

 翔士は思わずむきになって言った。

「それに覇麝さまだって、心酔しきった眼で宗妃さまを仰いでいらっしゃったじゃないか」


 司凉は僅かの間沈黙した。 

 その琥珀の瞳が陰りを帯びた。


「そうだな。あの方だけには現実が見えていない。

 ご自分の理想像をはめ込んで、真実を見るのを恐れていらっしゃるのかもしれないな」

 

 そしてふと、案じるように独り言ちた。

「宮内の闇は鬼を呼び寄せると言うのに…」

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