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祝主はこっそりと、愛依を甘やかす

 依人(よりうど)としての技の基本とも言うべき言祝ことはふりの詠唱は、己を滅した精神統一から始まる。

 技の伝授は総じて祝主はふりぬしが行うものだが、闇の時代であり、司凉(しりょう)が格付けと称される立場にある事から、翔士(しょうし)の指南役には佑楽(うらく)が任命された。


 修行の場所は、宮舎の一角に設けられた霊堂である。

 霊気を高めた板張りの部屋で、翔士は佑楽と向かい合わせに座禅を組み、佑楽が紡ぐ言祝の詠唱にじっと耳を傾けていた。


 滔々(とうとう)と紡ぎ出される低い祝詞(のりと)だけが、しんと静まり返った空間に降り積もっていく。

 板張りの床の冷たさも、負荷のかかる足の痛みも遠のいて、やがて佑楽の言葉だけが翔士の心を支配していった。


「ゆっくりと息を吸って…吐いて……。そう、上手だ。真霊がお前の体に満ちている。

 このまま俺が紡ぐおんに魂を合わせて…」

 

 身のうちから清浄な霊気が溢れようとしているのを翔士は感じている。

 佑楽に合わせて言祝を詠唱すれば、体に宿る真霊が力となって気を動かし始めたのが自分でもわかった。


「目を開けて……。

 神印を組むぞ。護身結界の印だ。

 両手を向かい合わせるように逆方向から近づけて、両手を触れ合わせないように…」


 促されるままに言祝を口にし、神印を組んだ。

 気が揺らぎ、高ぶった霊気が徐々に翔士の掌中で形を取り始める。

 目に見えぬ光が眩さを増し、瞬く間に力となって空間に溢れ出た。


「……………!」


 押し溢れる光の奔流に耐えられず、翔士は思わず印を崩してしまう。

 途端に凝縮した霊気が音もなく霧散し、冷え冷えとした静寂が室を訪れた。


「もう一度」

 佑楽の静かな声が霊堂に響く。


 翔士は大きく息を吐いた。慣れぬ気の扱いに、体がぐっしょりと汗に濡れている。

 一方の佑楽は清らかな風でも受けているように、泰然と場に座していた。息の乱れさえなく、祝の詠唱を再び翔士に促す。


 導かれるままに気を高め、凝縮させて結界となし、そして再び訪れる気の消滅。


 どのくらいこの過程を繰り返したのか。

「今日はここまでだ」

 佑楽の声にぼんやりと辺りを見渡せば、すでに陽は中空に上っていて、仕え人らの声がかしましく本殿の方から聞こえてきた。

 賑やかだと思ったら、どうやら昼時になっていたらしい。

 

「立てるか」


 佑楽の言葉に翔士は立ち上がりかけたが、踏みしめた筈の足がぐらりと傾いて、膝から崩れるように床にへたり込んだ。

 さして力を使ったとも思えないのに、体に全く力が入らない。


「大丈夫か」

 佑楽の差し出してくる手を、握り返す元気もなかった。

 足を投げ出したまま自分を見上げてくる翔士を見て、佑楽が苦笑交じりに布を投げて寄越した。それで汗を拭けという事なのだろう。


「昼飯の後は、師範連中による武術の稽古だろう?いや、宮内官の講義が先か。

 どちらにせよ、飯を食っておかないと体がもたないぞ」


 にこやかに微笑んでそんな言葉を掛けてくる佑楽が恨めしい。

 こっちは体を起こしているのがやっとだというのに、佑楽はほとんど疲れを感じていないようなのだ。


「何で佑楽は平気なの?」

 ぐったりした声で尋ねかけると、佑楽は破顔した。

「慣れの問題だろう。お前もすぐに平気になるさ」


 一旦部屋に戻り、服を着替えた後、慌ただしく昼飯を済ませれば、今度は宮内のしきたりや作法についての講義が始まる。

 二刻ほど講義を受ければ、今度は武術指導だ。


 それは翔士にとって、佑楽の指南以上に厳しく気の抜けないものだった。

 彼らは宗家の威信をかけて、幼い依人の教育を施すよう命を受けている。

 間違えれば容赦ない罵倒が飛び、武術の稽古は翔士が技を習得するまで執拗に訓練が繰り返された。


 朝まだきから陽が完全に落ちるまで、毎日がこの連続だった。

 夜だけは自由な時間が与えられたが、余裕のない翔士は里を懐かしむどころではなく、湯あみが済んで夕食をとる頃には、精も根も尽き果ててぐったりと卓子に懐いているのが常だった。


 ぶっ通しの鍛錬で体はみるみる痣だらけになり、疲労のあまり、膳の上の料理を食べながら舟を漕いでいたことも一度や二度ではない。


 司凉は最初、翔士のそんな奮闘ぶりを、素知らぬ顔で見物していた。

 佑楽を含めた指南役らが翔士をしごくのは、この幼い愛依が実戦で鬼に殺されないようにするためだ。

 それを知ればこそ、翔士がどんなに辛そうにしていても口出し一つしなかったが、それが重なってくると、司凉もさすがに見て見ぬ振りができなくなった。


 疲労で物が食えなくなれば、その分体力も落ちていく。

 叱りつけても食べようとせず、ぐったりと寝台に横たわる翔士を見るに見かねて、こっそり気を分けてやったのが、翔士を宮舎に迎え入れて凡そ半月後。

 以来、翔士は当たり前のように、毎晩司凉に気をせがんできた。


 そのようなふざけた甘やかしを行った祝主は、愛依が生み出されて以来、おそらく司凉が初めてだろう。

 特に今は、宮の祝が薄らいでいる時期であり、いたずらな気の消耗は命取りになりかねないと、司凉自身、十分に知り抜いていた。


 にも拘らず、司凉は平然と禁を犯した。

 何よりへたばった翔士を見ているのは自分が面白くないし、要はバレなければいいのである。


 そんな翔士の様子に、初めに不審を覚えたのは佑楽だった。

 佑楽は佑楽なりに翔士を案じていて、時折翔士の部屋にもその様子を見に訪れていた。


 膳の上の皿にもほとんど手をつけず、倒れ込むようにぐったりと寝台に転がっていた翔士が、翌日の鍛錬の時にはすっかり充実した気力を見せて、霊堂に姿を現す。

 どう考えても不自然だった。


 それが一月近く続いて、佑楽はついにことの真相を直接翔士に確かめる事にした。


「してないよ、そんな事」

 司凉に口止めされている翔士は、言下に佑楽の言葉を否定する。


「それならいい」

 佑楽は問い質すような真似はせず、いかにも安心したようににっこりと頷いてやった。


「ことは司凉の命にも関わるからな。お前たちがしてないって言うんなら、それでいいさ」

「命に関わる……」


 途端に翔士の顔から、ざっと血の気が引いた。

 いくら否定しても、その態度で白状してしまったようなものである。見ていた佑楽は思わず頭を抱え込みたくなった。

 信じたくはなかったが、司凉は本当に掟破りの気分けをしていたものらしい。


「それってどういう…」

 佑楽はため息を抑え、居住まいを正して翔士に向き直った。


「宮がお隠れになると、邪気がだんだん世に満ちてくる。

 邪を封じた陣所をまわって綻びがないかを確かめ、必要ならば邪を祓ったり、封印を張り直したりしなければならないんだ。

 

 司凉は戦いの核でもあるから、特に危険な任務に駆り出される。普段から気を温存していれば何の問題もないが、そんな時、気の充実を怠っていたらどうなると思う?

 封じに失敗した依人の行き着く先は一つしかない」


 ここで佑楽は思わせぶりに言葉を切り、聞いていた翔士の目には見る間に涙が盛り上がった。


「し、司凉が死んじゃうってこと?」

「ああ」


 その可能性はほとんどないだろうが、事の重大性を教え込むために、佑楽は敢えて重々しく肯定する。

 その途端、翔士の目からだーと涙が流れ出た。


「し、司凉が死んじゃったら、俺、嫌だ。怪我するって、か、考えただけでも、ヤダ」

 そのセリフ、今まで散々死にかけたお前にだけは言われたくないだろうなと、佑楽は思った。


「まあ、そう神経質になる事はないさ。

 司凉なら力の配分はわかっているだろうし、馬鹿な事をしてないなら、その危険も少ない」


 その言葉をしっかりと心の中で反芻して、翔士はしっかりと佑楽に頷いた。

「もう、絶対にしない」

 ……バレバレである。


 そんな翔士をややのんびりと見下ろし、佑楽は穏やかに言葉を紡いだ。

「今日はもう、言祝ことはふりの詠唱は止めにしようか」

「え?」

「お前、かなり体が参ってるみたいだし、そんなに無理して早く覚えるような事でもないからな」


 宮のはふりを欠いた状態という事で、宮内官も師範たちも、いつになく依人の教育に力が入り過ぎていたのかもしれない。

 宗家に引き取られたばかりの子どもを殊更厳しくしつけるのは、無理やり親と引き離された子に、余計な里心を抱かせないという意味合いもあるのだが、祝血で育った翔士の場合は、ほとんどその心配もないだろう。


「ね、一つ聞いていい?」

 膝を抱くように座り込んでいた翔士が、ふと顔を上げて佑楽に尋ねかけた。

「何だ」

「初めて葵翳(きえい)に引き合わされた時、室兄むろえって人の事を聞いたんだ。

 鬼に殺されたって」


 その瞬間、佑楽の顔に走った動揺に、翔士はいよいよ不安の色を濃くした。

「その人、司凉みたいに強かったんでしょ。

 なのにどうして死ななきゃならなかったの?」


「室兄の場合は特別だ」

 仕方なく、佑楽はそう答えた。

 あまり口にしたい話題ではなかったが、下手に探られて余計な噂を耳にするより、ここできっちりと話をしておいた方がいいだろう。


「室兄の場合、目の前で陣所の封印が破られたんだ。

 綻びから凄まじい数の異形が溢れ出てきて、いちばちかで禁忌の〝おう殺呪法”を使った」


「おう殺、呪法…?」

 初めて聞く名に戦慄を覚えたか、翔士が表情を引き締める。


「ああ。言祝の呪縛が届く範囲の異形を一瞬にして瞬殺する、凄まじい威呪だ。祝主らが操れる呪法の頂点に位置し、下手をすれば、技を操る本人の命さえ削りかねない」


「それで亡くなったの?」

「いや」

 佑楽はため息をついた。


「呪法自体には持ち堪えたが、異形の取りこぼしがあった。陣に隠れていた異形にまでは、呪法も効かないからな。

 そいつらに殺られた。

 呪法を詠じた後で、室兄は破邪の剣を顕現させる力も残っていなかったのだろう」


 翔士は怯えたように体を震わせ、膝を両腕で抱え込んだ。

「それって、誰でも使えるものなの?」

「格付け連中なら使えるだろう。だが、使った事はない筈だ。伝授だけは受けているだろうが」

「そう」


 翔士は床に視線を落とした。

 そんな危険な呪法を、司凉がいつか使うかもしれないと思っただけで、身の内が震えた。


「ねえ、佑楽。依人が操る言祝って、どのくらいあるものなの?」

「数えた事はないな。おそらく百数種といったところだろう」

「それを全部覚えるの?」

「いや」

 佑楽は首を振った。


「教えられる言祝は、その者が持つ真霊の強さに応じて決められる。

 あるいは何に秀でているかによっても異なるな」


「秀でているってどういうこと?」

「どの依人にも、戦い方の癖と言うか、得手不得手がどうしても見えてくるものなんだ。


 例えば宜張などは、破邪の剣を顕現させるより、言祝と神印だけで邪を封じる技を得意とするし、反対に妓撫は、太刀風で異形を断ち切れるほど、破邪の剣の扱いに長けている。

 要は自分が得意とする属性の技を、言祝によっていかに伸ばせるかが問題になるんだ」


「じゃあ、佑楽は何が得意なの?」

「俺は昔から、浄化の炎と相性がいい。餓鬼程度なら、言祝の詠唱だけで浄散できる。

 不得手なものは特にないな。一通りの技が使える。お前の指南役に選ばれたのも、そうした理由からだろう」


「俺、戦い方は皆一緒なのかと思ってた」

 ぽつんと翔士は呟き、それからふと思いついたように佑楽を見上げた。


「司凉は何が得意なの?」

「特に何も」

「何もって?」


「得手不得手はない。格付けは皆そうだ。

 どの属性の技も、神印なしで完成できる。

 さすがに呪法クラスともなると、言祝だけではどうにもならないがな」


 闇の時代に備えて、殊更強い真霊を身に宿したという司凉。

 一般の依人達とは一線を画するというその強さに、思わずため息をつきつつ、翔士は今まで漠然と抱いてきた疑問を佑楽にしてみる事にした。


「ねえ、ずっと聞いてみたかったんだけど」

「何だ」

「依人って年を取りにくいっていうけど、俺、大きくなっているよ。いつまで年を取るの?」


「十八で、与名(あたえな)の儀が執り行われるは知っているだろう?年を取りにくくなるのは、その頃からだ。

 その後の年の取り方は、真霊の強さによって決まる。


 依人の中で一番強い真霊を持つのは葵翳だが、一千年以上の時を生きて、せいぜい四十そこそこにしか見えない筈だ。

 成唯(せいい)もまた、葵翳に次ぐ真霊の高さを誇っているから、年の取り方が異様に遅い。

 俺はそれほど真霊が強い方ではないから、そのうち成唯の年齢を超える日も来るだろう」


「じゃ、闇食(やみは)みの宮さまはどうなの?葵翳以上の真霊を持つって聞いてるけど、聞いた噂じゃ、すごい皺だらけで、お年を召してらっしゃったって」


「宮は、陣所を封じ込めるために、日夜真霊を使い続けておられる。御身をむしばむ呪力が、俺たちとは格段に違うんだ。

 だから、どうしても依人に比べると年を取りやすい。

 先の器は二百年近くったと聞いているが、もう限界だったのだろう。命を贖う愛依もいないし、若さや命を繋ぐために、器を変える事がどうしても必要なんだ」


「器を変えるって、生まれ変わるってこと?」

「そういうものなんだろうな」

 佑楽はやや自信なげに言った。

「俺も宮の隠れに立ち会うのは、今回が初めてだ。童女の姿になられた宮のお姿など、想像もつかん」


「俺、早く宮さまにお会いしたい」

 声を弾ませる翔士に、佑楽は穏やかな眼差しを向けた。


「そうだな。誰もが宮の目覚めを心から待ち侘びている」

 そして呟くように続けた。

「こんなおどろおどろしい闇の時代など、早く祓っていただきたいものだ」

おう殺とは、皆殺しにするという意味です。漢字もあるのですが、入力ができませんでした。

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